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私に春が来ないのも当然かもしれないが、何とかしなければならないと思っている。やる気はある以上、今後も営業活動は続けたいのだが、収入的に厳しい。力仕事でもなんでも始めたいと思っている。できれば、やっかいなプログラミング作業の方がいいのだが、私の活躍できる分野は岡山では少ない、あるいは無いかもしれない。

私の都合など関係なく、今後もデータというものがどんどん作られなければならない。まだまだ足らないくらいなのだ。そのためには、ある程度の経験者が必要であり、私などは最適と考えていた。しかし、この国にはどうもやる気があって、そこそこ実力を持つという人間を発掘する努力に欠けている。こちらが行動を起こしても、自分たちの利権を守る事に忙しい。これでは発展は難しい。

東京で私が長く仕事をしていた会社もそうだった。自分たちが理解できないのでデジタルの作業をやめてしまったのだった。5年はかかる修得作業を惜しんだ結果だった。必ずマイナスの結果が出るが、自分たちの失敗にはならないと見たのだろう。私は特に意見を求められたわけではないので、抵抗もできなかったわけだ。

岡山でそういう仕事は無いのかと言えば、あると思うが私に給料を出す暇すら無いということか。興味ないと言ってもいいのかもしれない。しばらくは、コンピュータだけ性能をのばし、肝心のデータは無いという状態が続くだろう。人々が気がついて私にも回ってくる時が来ればいいのだが、私は既にいないということもあり得るだろう。そこまで悲観的になっているわけではないのだが、最悪の事も考慮しているということだ。

今日もしきりと東京の街角の光景がよみがえって来て困っている。特に、東京で道に迷ってあちこち彷徨っている光景が。よほど東京を急に出て来たことが精神的に衝撃を受けたのだろう。ただ、私だけがおかしいと思っているわけではない。多くの人がおかしいと思いつつ3年が過ぎたのだった。私は悩みつつも仕事を失ったので帰郷する道を選んだ。帰郷した理由は「危ないと思った」という単なる直感だ。水すら飲めない状況で毎日を過ごすのは異常だと思えた。

こちらで事業を立ち上げて、避難者を迎えるという志はいいのだが、簡単ではない。私に資金が無いのだから、当然と言えば当然な話だ。メールを出したくらいでは、話も聞かないというのが普通にある。これは東京でも同じだった。デジタル化ということが分からない、金がかかる、ネットの誘いは断れという指示があるのかもしれない。逆転の発想が必要なのだが、とてもそこまで想像できないようだ。これは、よく見られる反応だ。
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マスコミを見なくなって、そしてネットのニュースもあまり見ないので世界情勢に疎くなった。ウソの情報をつかまされるよりましだとは思うが、とにかく何も知らない。国会周辺の抗議行動も「懐かしい」とは思っても、今、何が熱いのかわかっていない。断片的な情報を知るのみだ。仕事があれば、月1でも抗議行動に参加したいところなのだが。そういう覚悟はある。

我が国の政治について、何とかしないといけないと思うものの、自分の儲け口をなんとかするのが先だろうという思いがあり、こちらも乗り出せないでいる。戦前のことを思うと大変な世の中になりそうな予感がする。それだけに、政治的にも動き回りたい気持ちはある。今は、金銭的に動く事が難しいということ。もっとも、儲け口が見つかったら、忙しいのを口実に政治的な動きはパッタリやめるのではないか。それが、今までだったはずだから。

抗議行動を見ていると、省庁の怠慢、間違った動きが目に余る。政権の主導かあるいはその逆で被害者を汚染地帯に帰そうという動きに出ているようだ。自分たちが生き延びる金が減ると言わんばかりだ。この国には、被害者に十分な保証をしても十分なくらいのお金はあるが、自分の金と思っている省庁は、1円も増額したくない。それよりも棄てた方が安上がり。これまでもそうして来た、ということなのだろう。

今回は放射能が相手なので、それは無理だというのが私たちの考えだ。私だけの考えであってもいい。やはり、今回棄民することがまかり通れば、何代にもわたって不幸なことが続く。我が国の未来にかなりの打撃を与える事になる。前の戦争以上の不幸が起こる。前の戦争時とは異なる発想で動く必要があるのではないか。私も微力ながら、2年前の夏前から立ち上がったのだった。

現在、もちろん仕事の準備をしているのだが、私の高校時代以来のテーマである、考えることの研究をやろうとしている。何と、化学を中心に!化学が特別好きであったわけではないのだが、たまたまわからないことが多く、もっともはまった教科でもあるからだ。これを研究することで、我が国の歪んだ教育が更正できないものか、研究している。資料的には当時と大して変わらない。

実現の見通しは、もちろん厳しいのだが、いつも言うように実現できると思ってやらなければ無理な話なのも事実だ。社会は、お手軽に流れるものだ。これとこれとこれをやれば合格できる、と言われればそれしかやらないものだ。それに対して私は、生涯をかけて勉強しなければならないと言っているに等しい。どちらがお得だろうか。それでも、我が国が全体として高まるためには、お手軽ではなく苦しい道を選ぶことが正しいように思う。
せっかく新たな提案をして見てもらおうとメールしたら、それが文字化けしていた。昔はやらなかったが、Macで圧縮ファイルの作り方がわからず、日本語ファイル名をそのまま添付したのだった。見事な文字化けメールが戻ってきた。再送してくださいとあったが、見てもらえるかどうか。

Macでもちゃんと送れる方法を見つけないとな。キーボードが打ちやすいのでついついMacを使うようになっている。実験で購入したvaioはお蔵入りかもしれない。こんな状況なのでThinkPadを新たに購入することなどできなかった。今あるものを利用して備えるべきだろう。

文字化けなど、いつ以来だろうか。インターネットを始めて初期の頃にあったくらいではないか。相手がMacな人だと変な改行があったりして嫌だった。

ちょっとしたことでも注意しなければ。

また生活が乱れている。
21日に年末以来だったが、親友と飲みに行って来た。前回は他にも客人がいたので差しで飲むのは数ヶ月ぶりだ。もちろん、私は「飲む」と言うほど飲めない。なめる程度だ。しかし、楽しかったー。

お決まりのカラオケにも当然行ったが、なんと親友からほめられてしまった。「おめえ、腹から声を出すようになったのう。」と。自分でもカラオケは苦手でどこか覇気のない歌い方をしていたと思う。これは、不思議だが親友の前でも照れるからだった。恥ずかしいというか、田舎もんにはカラオケは華々しすぎる場所であった。

私も少しの期間会社勤めをしたり、東京で付き合いで行ったこともあり、少し慣れたというのもあるのだろう。人前でもなんとか歌えるようになったということなのだろう。そして、自分で声を出せる音域を持った歌を選べるまでになったということ。宇崎竜童とか堀内孝雄のわりと低い声の歌だ。昔の人の有名な歌は、へたくそでも歌える。私にも十八番があり、それは腹の底から声を出して歌うようになっていたようだ。この日はべーやんの「忘れな詩」があったので自分でも歌えてすっきりした。

親友は、最後にはべろべろというほどではないものの結構酔っていた。ここからがしぶといので私もしんどいのだが、この日はわりとすんなり受け入れられた。いくつかのやりとりの中で私のレパートリーがまた増えてしまった。キイハンターの「非情のライセンス」であった。丹波哲郎氏が歌詞を覚えられず、結局、野際陽子氏が一人で録音したという歌だ。意外に歌える懐かしソングだ。

サイモン&ガーファンクルの「BookEndのテーマ」もあったので、歌った。これは懐かしい歌で彼らの作品の中で最も好きな曲だった。「過ぎ去った日々、それはすばらしい日々だった。思い出を大切にしなさい。それは、あなたが失ったすべてなのだから。」という内容の詩だ。

私はプータローだが、親友は仕事をしている。しんどいがなんとかやっている。お互いによくわかっている。そんな中での飲み会だった。仕事で飲みに行くのとはまったく違う、安心感というか開放感がある。仕事をどうこうしてくれるわけではないのだが、聞いてもらうだけでも元気が出る。そういう間柄。
自分としては心外なのだが、先週から得体の知れない何かにおののき、また落ち込んでいる。私がいくらバカと言おうともそのバカが権力を使う。これは決して主人(主権者)がそうするのではなく、あくまでも家来どもがそうするわけだ。政治家、自治体の役人そうした連中に腹を立てている。

最初に私が出会った不条理は大学受験であった。いくらやる気があろうとも、所定の「学力」を示さなければ、学問を受ける資格すら与えられないのだった。私は4年悩み、しばらくその夢は中断することで気持ちに折り合いをつけた。

仕事においては、最初の修行では大きな収穫は得られなかったが、社会に出て友人が出来たことが大きかったと思う。受験に行っていただけで見知らぬ町の京都での生活は不安でたまらなかった。毎日が金の心配だった。自分の主張もあるので仕事を変わることも頻繁だった。

岡山に舞い戻っての仕事は京都時代の最後に示唆されていた。それまで封印していたコンピュータとプログラミングの仕事。その時点で私の能力は、ほとんどゼロだったが、やる気はすさまじいものがあったと思う。4万の本を買うくらいだった。その希望は、ほんの数年で絶たれてしまうのだが、自分で研究して仕事を進めるスタイルは、この時に身についたと言うべきだろう。

誘われて東京に行ったことは、いい経験だった。数ヶ月でだまされたとわかったが、目の前の仕事につられて17年も居ついてしまった。311以後も決断がつかなかった。即、辞める決断をして次の生き方を模索すべきだったろう。

そして、今があるわけだから、なかなかうまくいくはずもない。今も、やはりやりたいことがあり、夢もあるのだが、それを選ぶのは私ではないかのように。力が無いという意味では同じなのだが、なぜか主権者の側が雇用されているような錯覚を覚える。逆であるとハッキリ認識させる必要を感じる。

できれば、今年中には放射能に決着をつけたいところだ。やはり、実態のすさまじさを政治家や役人に思い知らせ、クビにすること。そして、応分の責任をとらせること。現状では最高刑は死刑だが、私はそれを望んでいない。連中から、棄民思想を発想した経緯を聞き出すことが重要だと考える。この先、二度とあってはならない最悪の発想だ。

本当は、自分のことを考えたいが、そうも言っておられない。本気で考えなければ、個人の命も危ない時代になっている。
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