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マリー・ジャコーという新しいタイプの指揮者がいるのを初めて知った。YouTubeの『フィガロの結婚』で知った。

ニコラウスのようにヤクザのような恐い顔の指揮者が多い中、ニコニコして指揮をするのが新しい。ちょっと変わった味付けのフィガロも相まって時間が欲しいと思えた。これからが楽しみだ。
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この間、夏休み最後の行事として龍雲のライブに行ってきたばかりなのだが、その時の会場で次のチケットを購入した。それが、実は今日のライブだった。西馬込という名前は知っているものの見知らぬ街でのライブだった。しかし、このところ調子の悪い私としてはあえて見知らぬ街に行くことが楽しく思えた。

仕事場を1時間早く切り上げてライブ会場に向かった。案の定、暗くなりかけた中での目的地探しは困難を極めた。GPSに住所を入れておいたのでこれを2回くらい使うことで目標を定めることができた。目的地は、池上本門寺の境内にある、「朗峰会館」だった。

ライブのステージ

午後7時スタートと聞いて行ったのだが、汗だくで着いた会場はがらんとしており、大昔の龍雲のコンサートのようだった。不安の中、30分近く待っていると、ファンクラブの代表の方が声をかけてくれてわかったのだが、30分遅くスタートするようだった。つまり、時間を間違って表示していたようだ。チケットには、正しく書かれていたらしい。

開演の頃には、ほぼいっぱいになったが、幸いにも私の周りは空きのままだった。しかも最後列だった。これは、私の得意なかたちであった。周囲に気兼ねすることなく、龍雲の動きを見つつ一人悦にいることができる空間ができたということだ。小さなホールなので龍雲もすぐ目の前だ。最高の環境ができていたわけだ。

気分がリラックスできたとしたら、後は龍雲の調子だが、これがなかなか良かった。聞けば、富山に行っていたとかでさっそく新作の歌を披露してくれた。当地では9月の初めに「風の盆」というのがあるそうだ。「おわら」とも言うそうだ。「暖簾」で作曲家大賞を受賞した時に誰かが歌っていたものにそういう歌詞があり興味を持ったのだそうだ。今年初めてどんなものなのかを確認したそうで大変興味深かった。

話だけで終わらず、新作の歌を作ってきてくれているのが贅沢だと思った。「おわら心中」という作品だとサイン会の時に聞いた。初の心中ものを書いたのだそうだが、一度聴いただけでも「これはいける」という感じだった。時間が無いのでサイン会はパスする予定の私だったが、「良かった」ということを言いたいためだけにサイン会にも出たくらいだ。

東京では、年末のコンサートがあるだけなのだが、こういう楽しいライブがあった後では、物足りない感じがした。興味が無い人では全く楽しめないと思うのだが、私には本当に楽しいライブだった。龍雲自身も「日蓮が乗り移っているようだ」と軽口をたたいていたくらいなので調子が良かったのだろうと思う。歌を作りたくなるという龍雲の話を聞くと、まだまだ龍雲は楽しませてくれると確信した。

龍雲には「高台にて」という曲があるのだが、西馬込はそこに描かれているような街だと感じた。静かな住宅地なのだが、坂がたくさんあって、上り詰めるとビル街が下に見えるのだ。朝とか夕方は、都会っぽい光景だろうと思う。私のような田舎もんにはつらい土地だと思うが、ちょっと行ってみるにはいい街だと思えた。龍雲を追っかけて、東京の行ったこともない街を知ることができるのが楽しい。
帰りの電車の中で音楽を聴こうとセットしたら、我が永井龍雲の歌が流れてきた。そういえば、朝聴きながら来たのだった。意外さも手伝ってそのまま聴いてしまった。最近は、マイケルのアナサジフルートの響きを朝晩聴いているので、てっきりそれが始まるのかと思ったのだった。

圧巻は、「流れよ」だったが、昔を思い出してしまいじんわりと涙が出てしまった。龍雲がこの歌をあのタイミングで出してくれたことは、大きなことだった。「道標ない旅」でヒットし、これから大ヒットするのかと思ったら、段々とジリ貧となってしまった。自分自身の心境をうたった歌であることには間違いないのだが、私にもピッタリとはまったのだった。

本当にこの歌があったからこそ、今、私はこうやって生きていられるのだ。1981年の3月頃だったと思うが、「龍雲のオールナイトニッポン」のエンディングで流してくれたのを聴いたのが最初だったように思う。「大陸を意識して作った」と当時、龍雲は言っていたのだが、実際にはもっともっと泥臭い現実の経験を通じて生まれたのだろう。

流れよ 流れよ 僕に教えてくれないか

流れの果てには 何が見えるというのか

このメッセージをさびに持ってきていて最後は、「何が見えるというのか」「流れの果てには」「僕に教えてくれないか」の順で節回しを変えて盛り上げてくれる。当時の私は、これは龍雲が「自分にもっと自信を持て」と言ってくれているようでうれしかった。今で言う「うつ」状態だった私は、生きる気力さえ失い欠けていた。まさに、そんな時にこの歌に出会ったので私は一挙に元気を吹き返したのだった。

もちろん、「流れよ」のシンプルなメロディーや当時のスタッフのオーケストラを使った編曲などもすばらしいものだったが、もっとも私を勇気づけたのは、龍雲の詞だった。

誰が悪いわけでもなく 間違っていたのでもない

谺するのは しゃがれた声 為す術無く老いてゆくのか

とは、まさに当時の私の思いだった。浪人しか経験の無い私がこれから社会に出て行けるのか、不安だらけだったのだ。龍雲の一点の曇りもない詞が私は好きだ。30年間つきあってきたのは、そのことに尽きる。

おかげで今日の帰りは、あっという間だった。仕事で疲れふらふらだったのだが、龍雲の声を聴くだけで元気になってしまうのだ。当時を思い出すとさらにパワーが生まれてくる。うつの音楽療法とかいうのがあるのだが、音楽というよりも「詞」にあるのではないかと私は思っている。

昨夜は、永井龍雲のデビュー30周年記念コンサートに出かけてきた。今年という意味では初のコンサートだった。5月にこの日のことが放送されるとかでカメラが何台か入っていた。

私は、最初、龍雲はリラックスしているのかと思ったが、終わってみればカチンコチンに緊張していると感じた。歌詞を間違ったり、忘れたり、呼吸を誤ったりしていたから。本来ならば、こういうことは「プロらしくない」と言われるのが普通だが、私にはより「本物らしく」感じられうれしかった。龍雲という男は、30年この仕事をやろうとも緊張するし、ちょっとしたことで調子を崩したりするのだ。それだけ繊細な人間なのだ。そのことがわかるだけに本気でやってくれているのだなと思った。アンコールも2度あった。マイクを通さない生声で歌ってくれるというサービスもあった。もちろん、ファンは大喜びだった。

「未来へのメッセージ」でも書いたのだが、龍雲自身は、この30年間「なかず飛ばず」だったことをどのように感じているのだろうか。日頃のライブの中での語りでは、万人に歌われるような曲を作りたいというのはよく言っていた。そして、子供もいることだし、一般的には無いより有る方がいいに決まっている。お金のことだ。ひょっとすると、「売れる曲を作ってやる」と野心を抱きつつ、そうできなかった30年間だったのだろうか。

真相は、どうあれ結果的には「大ヒットしなかった」ことが龍雲を人間的に大きく育てたとは言えないだろうか。歌手の世界でも「一発屋」とか、幸運にもデビューまもなくして大ヒットに恵まれその後ずっとスター街道を歩む人も少なくはない。それもまた人生なのだが、ともかく龍雲には大ヒットと呼べる曲が無かったことは事実だ。

詞をみれば明らかなのだが、これまで「売ってやる」という野心を抱いての作詞・作曲はあまり無かったのではないかと思える。その時代のヒット曲を参考にしたり、刺激されたり、示唆されたりしたことはあったと思うが。一ファンとしては、横文字の入った詞など作らないで欲しいと思ったが、龍雲も時代に乗っていくつか作っている。もちろん、ヒットはしていない。

今日、ファンクラブの同窓会があったのだが、なんと龍雲本人が来てくれていた。私はもう、このことだけで胸一杯になり、食事など目に入らなかった。非常に楽しいひとときだった。ファンクラブの代表の方が記念にと龍雲にファイルを贈っていたのだが、アルバムのようなものだった。なんと、今月12日必着でみんなから集めたはがきを直に貼り付けているものだった。ワープロで打ったものや、きれいな絵が描かれているものがあった。

私の送ったものは、ミミズがはったような小汚い字で書いたそっけない文章のみだ。とっさだったのでいい文句が浮かばなかったが、気に入った言葉が一つだけあった。龍雲のどこが好きなのかを書いた部分で、「一点の曇りもない龍雲の詞が好きです」、と書いた。今夜でも龍雲が実際に読んでくれるのかと思うとぞくぞくするようだ。

帰りにおもしろいことがあった。名残惜しいのか、誰もなかなか帰ろうとしない中、龍雲は今日、沖縄に帰るので先に挨拶をしてみんなからの拍手の中、帰っていった。私も特に残る用事も無かったので少し後に帰った。エレベータで下に下りて帰ろうとするとなんと、ここでまた龍雲とバッタリ会った。私が会釈すると気がついてくれて龍雲の方から「ありがとうね。」と言って握手をしてくれたのだった。私だけ1つ余分に握手してもらったのだ。このことがうれしくてたまらない。

次の東京でのライブは秋になるそうだ。新しいアルバムを作っているからだ。代表の方と少し話す機会があったのだが、龍雲にはまだまだ、創造する能力と意欲がある。そこが強みなのだと力説していた。私もそう思う。「鳥のようなもの」以来だが、次の新曲に期待している。
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