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「音楽療法」と題する本をいくつかあたってみたものの、音楽ないしは「音」が精神の失調に有効だという理論的な根拠は無いようだ。おおざっぱに言えば、「効くと思う人には効く」というプラシーボ(偽薬)効果が大きいだけなのかもしれない。音楽ほど多様な芸術も他にないくらいだから当然といえば当然の結果なのかもしれない。

私も中学、高校と兄貴に影響を受けながら「流行歌」を聴いてきた。古くは、チューリップ、ガロというグループがいる。詩の内容など特にわからないものの、聴くことが当然のようにしてモノラル・ラジカセでAM放送から聴いていたのだった。後にステレオ音声で聴いてみて別の曲ではないかと思ったくらいだった。モノラル音声では物足りない音声だったのだ。

浪人時代、アルバイト時代とその延長でフォークソングを中心に聴いてきた。洋楽は、なじめなかったものの、親友の影響で有名な曲は「聴いたことがある」くらいならば記憶している。特に、イーグルス「ホテル・カリフォルニア」はよく聴かされた。おかげで、後年、自分でアルバムを購入したくらいだ。クラスメートの影響も一部あったように思う。高校入学と同時に聴いていたのは、なんとサイモン&ガーファンクルだった。たまたま、クラスメートが好きでなんとはなく私も聴いていたに過ぎない。当時は、まだ黒いアナログレコードが中心だったので再生するにもそれなりの知識と技術が必要だった。それ故、聴くとしてもラジオ、それもAMでというのが普通だった。

スーツを着て仕事をするようになった私には、ある悩みがあった。同僚に惚れてしまったのだった。しかし、当時の私は同僚よりも10歳以上も「年寄り」であり、とても若い、恋敵に勝てるような状況ではなかった。あえなく敗れた私が頭の中のモヤモヤを消し去るかのように聴いていたのは、高校入学当時によく聴いていた、サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」だった。詩の意味もよくわからないまま、失恋の痛手を癒してくれるのを感じていた。聴いているとイライラを感じなくて済むのだった。今ならば、瞑想をしてしのいでいるところだが。「ブックエンドのテーマ」や「旧友」も好きな歌だった。まだ、年若いのだが、ずっとずっと歳をとった後のことをついつい考えてしまう年頃だったのだろう。ポール・サイモンとて同じような心境で作詞したのではないだろうかと思えた。

 そういえば、浪人時代も永井龍雲、龍様の歌を聴いて癒される自分を感じていた。この時代は、既にウオークマンがあったと思うが私などとても所有できる状況ではなくなんと紙の歌詞を持ち歩き胸のポケットから出しては念仏のように唱えてみたり目で追ったりしていた。今では考えられない「音楽の楽しみ方」だった。しかし、浪人上がりのヒーローだった龍様の歌がどれだけ私を勇気づけたか、計り知れない。本当ならば、この時に私の一生は終わっていたかもしれなかった。そこまで真剣に悩んでいた。そんなに軽くは考えられなかった自分がいたのだった。大学を目指して勉強していて大学に入れないのだから、自分はいらないのではと思ったのだ。三浪の頃だったと思うが、龍様が「流れよ」という歌を発表してくれた。何かこう、希望を持たせてくれるような歌を作って欲しいとファンレターを出した直後だったので、私の望みをかなえてくれるかのようだった。「誰が悪いわけでもなく 間違っていたのでもない 谺するのは嗄れた声 なすすべ無く 老いてゆくのか」と率直に吐露する詩は、まさに当時の私の心境そのものだったのだ。しかし、「蒼々と広がる 太虚を流れる 白雲 信じることの尊さを 流れに迷い悟った」と結ぶ詩には救いもあり、大いに勇気をもらった気がした。迷いのまっただ中にいる私だった。一人の人間の詩が思いがけず、人命救助をすることもある一例だ。

浪人時代を龍様でなんとか乗り切った私は、京都でバイト生活に入った。受験でよく来た地だったので京都にしただけだった。行ってみてわかったが、京都も仕事が無い場所だった。西陣の職安へよく通ったものだったが、そこのやる気の無い職員にいきなり、「京都へ来たかて何もええことあらへんで。岡山に帰んなはれ。」と言われたくらいだ。あのおじさんはもう退職しているだろうと思うが、ボケているとかしていないだろうか。確かに彼らにやる気があっても行政の問題も大きいから、仕事を増やし、職を求める人にどんどん紹介することなどできないだろう。むしろ、正直な方だったのかもしれない。あからさまな態度だったが、むしろいい仕事をしてくれていたのかもしれない。他の職員は、こんな仕事を紹介しても続くはずがないと思いつつ、紹介していることだろう。

 京都で得たものはたいへん大きなものがあったと思っているが、中でも「アマデウス」という映画をきっかけにモーツァルトを聴き始めたのはものすごく大きな収穫であったように思う。映画もたいして見る方ではなかったのにたまたまレンタルではやっていたものを自分も一度くらいは見ておこうと思い見たに過ぎなかった。レーザーディスクでのレンタルであったように思う。この映画の良さは、「クラッシックのモーツァルト」ではなく「ウィーン古典派のロックミュージシャン」としてのモーツァルトを描いてくれていた点にあると思う。映画の中でモーツァルトに「これまでに無い曲」と何回も言わせているが、残された手紙からもモーツァルト本人がそういう自負を持っていたことは確実なところだろう。中学あたりから学校でもクラッシックというジャンルで学ぶのだが、これがさっぱりおもしろくない。映画の中のモーツァルトが古典をけなしていたのと似ている。だから、モーツァルトの神童ぶりに興味がありつつ、それ以上の興味は持てずに26歳まで過ごしてしまったのだった。

今、通勤の行き帰りでモーツァルトのいろんなジャンルの音楽を聴いていて思うのは、もしかして音楽そのものに元気を出す効果があるのではないか、ということ。しかし、前に書いたようにそれを証明しようとする試みは誰も成功していない。気分が落ち込んだ時、今読んでいる本に集中したい時、電車の中の時間が長く感じられる時などに3時間以上もあるオペラを流していると行く先までが短く感じられることさえある。落ち込んだ時などなおさらで、何か癒しの力があるのではないかと思ってしまう。ただ、個人的な体験が異なるだけに万能ではないのが惜しいところだ。

(つづく)
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