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マイクロソフトがWindows XPというOSを世に出して、5年になるという。Windows 98の時代に比べると、OSそのものが「落ちて」しまうことも少なくなり、「やっとまともなOSが出た」ということで競って使ったものだった。そして、FreeBSDやLinuxとの比較、コスト面の比較、技術面での比較がよく行われた。
技術面では、Windowsが圧勝だと思う。ソフトウェアとしての優秀さということではなくて、ハードメーカーとの一体化した開発体制があるので結果的にうまくチューニングできているという意味でだ。結果、「使いやすい」ということだった。だが、フリーソフトのOSはハードメーカーのサポートも無く、よくあそこまでのものが作れるナ、という驚異がある。そして、純粋な技術面ではちょぼちょぼだろうと思う。しょせん人間が作ったものなのであり、一方が他方を大きく凌駕することはあり得ない。Windowsの方がハードメーカーと一体化して作られていたので、結果として便利に思えたということだ。
愚かな私は、まんまとその戦略にひっかかりWindowsを使った、使った。あのPostgreSQLまでWindowsで使うべく設定して使っていた。しかし、そういう使い方に無理があったのか、ノートパソコンがヤワなのかハードディスクの故障という痛い目に遭ってしまった。熱のこもりやすいパソコンではあったが。サーバーも同時にメンテナンスしていたのだが、こちらも故障してしまい次第に使わなくなって行った。面倒と言えば面倒だったのだが、もともと嫌いどころかこういうことが好きだったのでやりたかった。しかし、時間が何とも足らないという現実があり、次第に使わなくなっていった。
マイクロソフトやボーランドの開発ソフトが大好きな元同僚との連絡が一切無くなったのも5年くらい前からだ。彼は、私がマイクロソフトの戦略に興味が無いと言うとメールも来ないようになった。今でもC#とか、.NETとかをやっているのだろうか?さっそく、今はやりのVistaも入れているのだろうか。私は、マイクロソフトがどうなろうと興味は無いのだが、買うコンピュータにプリインストールされているということや、従業員や取引先の人、家族に説明する場合にどうしてもWindowsを使うハメになるため少しはやらないといけないと思っている。が、気持ちとしてはやりたくもない。リチャードではないが、彼らのやることに「理念」が無いから。あるとしても金儲けだけだ。
それよりも重大なのは、「調べる気力」が無くなってきたこと。FreeBSDをやっていたころは、とにかくよく勉強した。連休5日間をコンピュータの前から動かなかった記録もある。向こうで生まれたOSなので日本語を使うときに困った。日本語を入力できる環境から作っていかなければならないのだ。その前に、キーボードも向こうと違うので、@マークや:が入力できず、よく泣かされた。何でも打ってみて探し当てるというやり方で入力したのだった。こういう使い勝手の悪さが知らず知らずのうちに考えるという作業を支持したのだと思う。それが、「使い勝手のいい」Windowsを使うようになって調べることを次第にしなくなって行った。これは、マイクロソフトが嫌いというわけではなく、調べたところで今度のVista換えのように過去との互換性を無視した改造をするものだから調べても無駄と思えてしまったわけだ。おかげで、プリンタの設定までもやらなくなったものだ。マスターブートレコードの書き換えもXPからは、簡単にできなくなった。マイクロソフトは、段々とユーザーをバカにしたがっているような気がする。Debian GNU/Linuxのような発展をすれば、心から愛されるOSになるだろうにと思う。ソースコードを開示できないという「弱さ」を持つOSだけにIBM OS/2のようにいつかは消えていくソフトウエアなのかもしれない。
WindowsやMacしか使ったことのない人には、FreeBSDとかGNU/LinuxのようなフリーのOSは、抵抗感があるだろう。調べることが多すぎるからだろう。脅すわけではないのだが、これは本当にそうだ。最近では、やさしいが詳しい本がたくさん出ているので昔ほど苦労は少ないだろうが。コンピュータを触ってから日が浅い人には、そんなものを入れてコンピュータを壊してしまったらどうしよう、という心配があるだろう。これは、ズバリ、実際に壊してみないと抜けることはできない不安だ。私も、ハードを壊したことはないのだが、ソフト的な意味では何度も壊している。それ故に、だいたいのことは対処できると思っている。これで度胸がつくと思っていい。
今回、DebianやKNOPPIXという名前の種類のGNU/Linuxを使ってみて思ったのは、アップデートということに配慮されているということ。KNOPPIXは、Debianをベースに開発されているらしいが、互換性の無い所もあり単純なアップデートはできないそうだ。Debianの方は、押しつけではなく、自分がアップデートしたい時にコマンドを打てばシステムが最新になる。よほどのことがない限り、システムを入れ替えるということはないらしい。こういう点は、先見の明があると思う。今のようにネットワークが発達していないとどうにもならないことだが。FreeBSDでも可能だが、私はやったことがない。これからは、やってみようと思う。
Windowsは、いつまで続くだろうか?そもそもがオリジナルなものではなかったものがここまで広まっただけのことだ。UNIXも、もともとはマルチタスクOSを目指したプロジェクトに対する新しい考え方として生まれた。最初から、公開という原則で生まれただけに今では、文字通り只で入手できるようになった。「お得感」が無いのは、果てしなく難しいからだ。しかし、中身が見えるだけに基本的に「安全」であり、作業することで学べるという特典がある。世界を見ると、ゆるやかであるが公的な機関でもフリーのOSを採用するようになった。Windowsが「使いやすいから」とかいって導入しても、結局、興味を持てない者には進歩をもたらさないことがわかってきた。ますます、マイクロソフトは、窮地に立たされるのではないだろうか。あと何年間かは優位を保つものの、急速に衰えるのではないか?
技術面では、Windowsが圧勝だと思う。ソフトウェアとしての優秀さということではなくて、ハードメーカーとの一体化した開発体制があるので結果的にうまくチューニングできているという意味でだ。結果、「使いやすい」ということだった。だが、フリーソフトのOSはハードメーカーのサポートも無く、よくあそこまでのものが作れるナ、という驚異がある。そして、純粋な技術面ではちょぼちょぼだろうと思う。しょせん人間が作ったものなのであり、一方が他方を大きく凌駕することはあり得ない。Windowsの方がハードメーカーと一体化して作られていたので、結果として便利に思えたということだ。
愚かな私は、まんまとその戦略にひっかかりWindowsを使った、使った。あのPostgreSQLまでWindowsで使うべく設定して使っていた。しかし、そういう使い方に無理があったのか、ノートパソコンがヤワなのかハードディスクの故障という痛い目に遭ってしまった。熱のこもりやすいパソコンではあったが。サーバーも同時にメンテナンスしていたのだが、こちらも故障してしまい次第に使わなくなって行った。面倒と言えば面倒だったのだが、もともと嫌いどころかこういうことが好きだったのでやりたかった。しかし、時間が何とも足らないという現実があり、次第に使わなくなっていった。
マイクロソフトやボーランドの開発ソフトが大好きな元同僚との連絡が一切無くなったのも5年くらい前からだ。彼は、私がマイクロソフトの戦略に興味が無いと言うとメールも来ないようになった。今でもC#とか、.NETとかをやっているのだろうか?さっそく、今はやりのVistaも入れているのだろうか。私は、マイクロソフトがどうなろうと興味は無いのだが、買うコンピュータにプリインストールされているということや、従業員や取引先の人、家族に説明する場合にどうしてもWindowsを使うハメになるため少しはやらないといけないと思っている。が、気持ちとしてはやりたくもない。リチャードではないが、彼らのやることに「理念」が無いから。あるとしても金儲けだけだ。
それよりも重大なのは、「調べる気力」が無くなってきたこと。FreeBSDをやっていたころは、とにかくよく勉強した。連休5日間をコンピュータの前から動かなかった記録もある。向こうで生まれたOSなので日本語を使うときに困った。日本語を入力できる環境から作っていかなければならないのだ。その前に、キーボードも向こうと違うので、@マークや:が入力できず、よく泣かされた。何でも打ってみて探し当てるというやり方で入力したのだった。こういう使い勝手の悪さが知らず知らずのうちに考えるという作業を支持したのだと思う。それが、「使い勝手のいい」Windowsを使うようになって調べることを次第にしなくなって行った。これは、マイクロソフトが嫌いというわけではなく、調べたところで今度のVista換えのように過去との互換性を無視した改造をするものだから調べても無駄と思えてしまったわけだ。おかげで、プリンタの設定までもやらなくなったものだ。マスターブートレコードの書き換えもXPからは、簡単にできなくなった。マイクロソフトは、段々とユーザーをバカにしたがっているような気がする。Debian GNU/Linuxのような発展をすれば、心から愛されるOSになるだろうにと思う。ソースコードを開示できないという「弱さ」を持つOSだけにIBM OS/2のようにいつかは消えていくソフトウエアなのかもしれない。
WindowsやMacしか使ったことのない人には、FreeBSDとかGNU/LinuxのようなフリーのOSは、抵抗感があるだろう。調べることが多すぎるからだろう。脅すわけではないのだが、これは本当にそうだ。最近では、やさしいが詳しい本がたくさん出ているので昔ほど苦労は少ないだろうが。コンピュータを触ってから日が浅い人には、そんなものを入れてコンピュータを壊してしまったらどうしよう、という心配があるだろう。これは、ズバリ、実際に壊してみないと抜けることはできない不安だ。私も、ハードを壊したことはないのだが、ソフト的な意味では何度も壊している。それ故に、だいたいのことは対処できると思っている。これで度胸がつくと思っていい。
今回、DebianやKNOPPIXという名前の種類のGNU/Linuxを使ってみて思ったのは、アップデートということに配慮されているということ。KNOPPIXは、Debianをベースに開発されているらしいが、互換性の無い所もあり単純なアップデートはできないそうだ。Debianの方は、押しつけではなく、自分がアップデートしたい時にコマンドを打てばシステムが最新になる。よほどのことがない限り、システムを入れ替えるということはないらしい。こういう点は、先見の明があると思う。今のようにネットワークが発達していないとどうにもならないことだが。FreeBSDでも可能だが、私はやったことがない。これからは、やってみようと思う。
Windowsは、いつまで続くだろうか?そもそもがオリジナルなものではなかったものがここまで広まっただけのことだ。UNIXも、もともとはマルチタスクOSを目指したプロジェクトに対する新しい考え方として生まれた。最初から、公開という原則で生まれただけに今では、文字通り只で入手できるようになった。「お得感」が無いのは、果てしなく難しいからだ。しかし、中身が見えるだけに基本的に「安全」であり、作業することで学べるという特典がある。世界を見ると、ゆるやかであるが公的な機関でもフリーのOSを採用するようになった。Windowsが「使いやすいから」とかいって導入しても、結局、興味を持てない者には進歩をもたらさないことがわかってきた。ますます、マイクロソフトは、窮地に立たされるのではないだろうか。あと何年間かは優位を保つものの、急速に衰えるのではないか?
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