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いつも頭の中を支配している状態の女性がいたとして、それは本当の恋なのだろうか。私は小学校2年生からそういう異性がいた。次は中学生、次は浪人時代、その次は京都時代、そして今。側にいてくれるだけで幸せな気分になる。

京都時代は何と数回だがデートをしたこともあるのだった。私にしては珍しい経験だった。だが、私が仕事場を離れることで無惨に終わった。気持ちを伝えることもできないままに。遅れて一緒にテニスをした時の写真をなぜかシールにしたものを贈って自分の中では終了した。「気になった」というのが写真に添えた言葉だったが私の最高の愛情表現だったが理解できる女性はいないかもしれない。彼女は貧乏長屋出身だと言っていた。だから医者になるのだと。しかし家の事情で医学部を断念してバイトをしていた。そこで出会ったのだったが私は彼女を愛する方法を知らなかった。絵心も無いのに彼女のイラストを描いて贈ったこともある。素朴な真面目な田舎の青年の恋だったかもしれない。お互いに貧乏ではどうにもできなかった恋なのか。彼女も今では結構な婆さまの歳だ。会ってみたい気もする。

浪人時代の彼女は実はよくある一方的な入れあげだ。彼女はなかなかのべっぴんで恋愛も慣れているようだった。高校の補修科で一緒だった。私が当時は二浪中だったので出会ったのだった。浪人時代なので受験勉強をやらなければならないのだがいつも彼女の姿が頭にあり離れることがなかった。私は四浪まで逝ったので事務のおばちゃんに彼女の行く末を聞くチャンスがあった。何と彼女は外国人と結婚したのだという。大学は断念したのかもしれない。京都に出る前のかなり強烈な失恋経験だった。彼女はお節介で私に友人を紹介するという役割りだった。それで少しだけ話をする機会があっただけだ。だが私は彼女に惚れてしまった。役割り的に手を出せない感じで悶々とした二浪時代を過ごした。もちろん受験は失敗した。

今の彼女は何とその彼女によく似ているのだった。気にならないはずがなかった。そして「気になる」という表現は私の女性への最上位の愛情表現だ。そして今の私も女を愛する術を知らないのだった。一緒にいるだけ心が踊るほど嬉しく幸せな気分になる。なのに私は何も出来ないのだった。もちろん無職だという弱みもある。年齢差もある。条件面では何一つ合格は無いのだった。しかも私には愛を表現する言葉すらない。気になる、ではさすがに「何が??」と言われそうだ。
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