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ちょっとした事情があり、帰省している。差し迫った心配事というほどではないものの、お気楽な帰郷ではないのでそんなに浮かれてはいられない。それにしても、家の周りの草、葉っぱについた露を見るだけで幸せな気分になれるのはどういうことか。こんなことで幸福な気分になれるのなら非常に「安上がり」だ。



もう1枚

東京に帰ってからの仕事、会社の決算とかを考えると気が重いが、ここでもなぜか根拠の無い自信がある。2ヶ月おきくらいに「旅」までいかなくとも、電車に乗っての移動というのは気分転換にいいということを経験的に知っている。その意味では今回の帰省も「おいしい」ものだと言える。

自家製トマト(ピントが甘いか?)

今年の夏は、日程上どうしても京都へ行けないことがわかっている。だからといって早めの7月に行くということも難しい。仕事の締め切りの月でもあるし、相当に体が弱っていると思われるからだ。この数年間は、真夏に京都に行っていたが、確かにあまりいいことは無かった。京都の夏は、尋常ではないからだ。ずっと京都に住んでいてその中での「送り火」の日というのは、それなりに風情があるのだが。

好きなアングル

私自身が余裕の無い人間なので、いろいろと予定を立てたり、グループでどこかへ行ったりということができない。しかし、だからといって一人で行く気分ではない。その精神的なゆとりが無いからだ。ゆとりができるということはこの先無いと思う。私の場合、死ぬまで仕事をやることになるはずだから。

葉っぱから見た風景

遅い時間からの上京となった。しかし、最近は、7時頃まで明るいので思わず風景を見ながら帰った。この春までは、よく新幹線の中で気分が悪くなったものだが、今日は空いていたこともありなんとも無かった。岡山よりも稲を植えたのが早いのか、真緑の田んぼがきれいだ。京都を抜けて、米原までの田園風景が特に美しい。私が少年時代に見た光景に似ている。田んぼがあって、神社があって、鎮守の森があってという風景だ。

携帯で撮った(ブレブレ~)

座席に付いている雑誌のルートマップを見ながら帰った。何度も東京と岡山を行き来しているのだが、今日のように「鉄っちゃん」をやったのは初めてだった。風景を見るのが楽しく、ルートマップで確かめるのも楽しいという感じだ。駅で写真を撮っている鉄っちゃんの気持ちがよくわかった。

東京に近づいて来ると、オフィスの明かりが気になった。7時過ぎても仕事をしているなどロクなもんではないと思ったからだった。仕事の無い時代には、東京のオフィスビルがうらめしかった。仕事があること自体がうらやましいものだった。今では、そんなことよりも、何でこんな時間にも仕事をしているのかと思う。7時過ぎと言えば、食事の時間だからだ。こんな時間まで拘束されなければ仕事は与えられないのだろうか。

ときおり、オフィスではなく家族の明かりがもれて来て、夕食らしい光景も映るのがおもしろい。居酒屋らしいものが見えたりもする。月曜日の7時過ぎにゆっくり飲めるのもいいな、と思いつつ眺めた。私も、本当ならば、6時頃に仕事をあがってパートナーを連れて飲みに行ったりしたかった。今にして思えば、一度もそんなことはなかった。余裕の無い私なので、誘っても付いてきてくれなかったかもしれない。私が東京に来た13年前には、よく行ったものだった。あの頃の雰囲気が良かったのだと思う。

東京に着いてからは、またぞろ、人と仕事について考え込んでしまった。いつの時代にも、いい仕事をしたいと思う人の周りには、進歩的な人材が集まるのではないか。私は、決してそうではなかったのでどんどん人が離れてしまった。今さら、いい仕事をしたいと言っても信用されないのだ。だが、私は変わりたいと思っている。個性的な人にこそ、仕事をやって欲しいと思う。今年後半は、課題として、「人間の研究」ということをあげておきたい。仕事とは、「人」がすべてなのだから。

かつて富士通の社長は、「従業員が仕事をしないからいけない」とアホな発言をしていた。この者は今どうしているのかと思ったら、まだ会長に居座っているそうだ。そういうことは、バカでも言える。問題は、にもかかわらず、いかに仕事をやってもらうかなのだ。ここに思慮が及ばない会社組織は、どんどん崩壊して行くことだろう。どこの世界でも「アブナイ人」「不思議ちゃん」「ぷっつん」等は嫌われる。だが、出会いでどうにでもなる話だと私は思っている。何よりも私のような人間が仕事をやっているのだから。

私は、大学へも行けなかったのだが恩師との出会いがあったから、今の私があると思っている。つまり、反社会的な行動をとることに情熱を注ぐのではなく、わけのわからないコンピュータに全精力を傾けるという生き方を選んでいるのだ。仕事でもいろんな出会いがあったが、この私を受け入れてくれる人もいたのだ。私の能力というよりも出会った人の直感ではないだろうか。そして、今までのところ、それは成功しているのではないか。本人に合った仕事を用意すること、簡単ではないが、非常に重要なことだ。
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私は、年に2度ほど京都に行く。以前、京都に7年間ほど住んだことがあるので非常に懐かしく感じるわけだ。何をするでもなく、ただボーとしているだけの京都が好きだ。

京都←こんな夕暮れを見るのが好きだ


だから、普通の観光客相手のホテルなどでは困る。私の苦手な「食事」をいやいや食べるはめになるからだ。私の望む「泊まる所」とは、黙っていると何も出てこないというところだ。朝食も夕食も自分が動かないと何も無いというところがいい。普通のホテルは、まさにその通りなので不都合は無いようなものだが、近所に買い食いできる店が無いことが多い。必然的にホテルの高めの食事を食べさされるハメになるわけだ。今は、私の要求にぴたりのホテルがあるので常用しているが、問題は「とれない」ことだ。真夏とか、真冬とかしか空いていないということ。

京都へ行ったからといっておいしいものにありつけるわけではない。ましてや、普通のホテルではとうてい望めないことだろう。それなりの高い月謝を払ってこそ、うまいものにありつける。ただ、私は、うまいものなど欲しくもないので自分でうまいものを食べに行ったことは一度も無い。ただし、連れて行ってもらったことはある。湯豆腐のお店とか、鳥を食べさせるお店とか、和食のお店とかだ。

真冬の京都も好きだが、真夏は困ることが多い。真夏といっても大文字の送り火の日は、絶対にとれないし、観光地に行きたくなってもうだるような暑さなのでクラクラして倒れそうになるのだ。去年がそうだった。東京にいても熱疲労でダウンしたのに京都で無事なわけがない。案の定、妙心寺を歩いていた時に倒れそうになり、ふらふらでホテルにたどり着いたのであった。

市内でもまだ少しは田んぼが残っている京都は、根っからの田舎者の私にはうれしい街だ。ものすごく落ち着く。こんな街で私は過去、7年間過ごしたのだった。あの当時は、夕暮れなど嫌だったのだが、今は京都で仕事をしているわけではないので少し余裕を持って見られるのかもしれない。今でもあの当時と同じく、仕事があるわけでもなく、住宅事情が良くなっているわけでもないのだろうが、いつかまた京都に住みたいと思い、行ってしまうのだ。

興味の無い人にとって、JRのコマーシャルなど気にもとめないかもしれないが、私などは毎回、気になる。詩仙堂は、近所に住んでいたこともあるので格別の思い出がある。場所的には良かったのだが、建物はイマイチで快適とまでは言えなかった。上賀茂神社には京都時代も行ったことがなかったが、コマーシャルのせいで行くハメになった。京都行きも年3回くらいにしたいのだが、さすがにチャンスがなかなか無い。自分の「行きたい」という気持ちと休み、体調がなかなか合わないということだ。お金があれば、別荘よろしく京都に家でも建てるところだろう。

(つづく)


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