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生まれてから47回目の朝を迎えた。今日からまた、次の半世紀を迎えられるよう、がんばりたい。

意外なほど平穏な朝だった。東京に来てからの嵐のようなこの10年間を思うとなおさらだ。まさにコンピュータと文字との格闘の日々だった。過去はともあれ、今は、仕事の仲間にも恵まれて「浪人上がり」としては、そこそこ幸せな日々と言えるのではないだろうか。今後も「守り」に入るのではなく、得た知識を元にさらに発展させて行きたいと思う。

さて、最近の悩みは、病気の経験や仕事の知識を他人に伝えられないという事実。いくら自分が経験から「こうやったらいい」と言っても伝わらない。問題が、「心の病気」だったりするとなおさら難しい。ついでにコンピュータの知識も習得しがたく、伝えがたい。そういう意味では、ままならぬ日々だ。

病気の経験といえば、今や世の中は、精神科医が花形だ。いい加減な診察で患者に説明もなく危険な薬を処方している。抗うつ薬(SSRI)、抗不安薬(ベンゾジアゼピン誘導体系)、これらは「死なない」という意味では確かに「安全」だが、薬から離れられなくなるという意味では極めて危険な薬だ。長期服用の影響、実際の効果があいまいにされたまま現実が進行している。脳のことは、わかっていないことが多すぎる。少なくとも常用などは避けるべきではないのか?このことを強く言う医師、学者は、極めて少ない。いくつかの文献はあるが、メジャーな存在ではない。

ベンゾジアゼピン誘導体系の抗不安薬については、私にも経験があるのである程度のことはわかる。たいへん危険な薬だ。風邪薬のようにやめようとすればいつでもやめられる薬と混同しないようにするのが賢明だ。コンスタンを1年間、朝・晩と服用したが半年も常用すると体に耐性ができて、思ったほど効かなくなる。こうなると薬の量を増やすなり、さらに強力な薬に変更することになる。経験の少ない医者が、こういうことをやり出すと永遠に薬から離れられない体になってしまう。私の主治医だった医者も「君にはもっと薬を出さないといけないと思っている。どうしてやめようという結論になるのか。」と薬に疑念を抱きやめようとした私に言い放ったものだ。私がこの医者を見限ったから大事には至らなかっただけのことだ。

何が疑念なのかというと、「原因」をそのままにして「結果=症状」を薬で強制的に除去しようとしていることだ。不安感や動悸は確かに薬で落ち着かせることはできる。しかし、いつやめられるかわからない状態をこれから先も続けることには大きな不安があった。精神科では、最初こそ詳しく話を聞くがその後は、薬の処方場と化している。しかも、薬の副作用なども詳しく説明しないのが通例だ。こちらがやめたいと言うと、医者もようやく本気で向き合おうとする。ただし、この時には普通、薬をやめられない体になっているので医者も強気だ。誰しも同じだと思うが薬漬け「治療」をやって欲しいのではなく、治して欲しいから病院に行ったのだ。この責任は大きいのではないか?

心が弱っている人にとって、そうなった「原因」と言われても困るだろう。多くの人は仕事をしているから、問題は所属している組織の人間関係に求めることだろう。そして、それはおそらく当たっていると思う。どこに問題があるのかは、やはり本人が一番よくわかっている。では、「原因」が特定の人物であった場合どうすればいいだろうか?相手を「除去」すれば、とりあえず問題は消えそうだが、もちろんそんなことができるはずもない。これは、暴力に訴えても、裏工作を仕掛けても、どちらの場合にもだ。仮にそんなことが可能だったならば、最初から何も問題は起きていなかっただろう。できないからこそ、その怒りのエネルギーは自分に向かい、精神的にまいってしまったというのがことの本質なのだ。つまり、原因となる人物や体験は存在するにしても、問題は本人がそれをどう考えるかにある。

では、どうしたらいいのか?人の性格は、そう簡単に変えられるものではない。ここでは「考え方を変える」ということに気がつけばいいのではないか?そう、理不尽な相手に左右されることのない強力な「心」を自分が持てばいい。おおざっぱな言い方をすれば、「仕方ない」でいい。妙な考え方の持ち主である原因となった人物は、「仕方ない」と考えればいいことだ。仕方ない相手に怒るよりも、他で楽しむ道を考えるということ。そして、何事も杓子定規にしか考えられない思考方法をこれを機会に解放すること。いろんな意見、いろんな考え方を受け入れてみること。宗教でさえも、過度にのめり込んだり、狂信的にならないという覚悟があるならば恐いことなどないので受け入れてみて自分の目で確かめてみてみることだ。自分の人生を楽しむことに全力を尽くすように考えること、これに注意していれば大丈夫だ。

考え方は、それでいいとしてもまだ十分ではない。腹が立って眠れないということもあるだろう。あるいは、他の原因で不眠となっているかもしれない。そういう時にはとにかく歩いて体を疲れさせることだ。歩くことでかなりの問題は解決する。最近読んだ本には、ことによると脳の形が変わるくらい「効く」のだという。もちろん、変形するということではなく、帯状回前部という部分が厚くなるということらしい。ここは、意欲やストレス抑制に働く部分だそうだ。要するに、まず、考え方を変え、歩くことで脳も変えるということだ。

※参考文献『大人にもできる脳細胞の増やし方』(角川新書)

ここに「薬」の入る余地があるだろうか?今まで、薬に頼り切っていた人は、歩くことで薬を漸減して行くことに思い至るのではないだろうか?精神科は今のこの国では大繁盛だが、本質的な解決はできていない。遠回りに思えても「心」を鍛えることから始めなければ、「心」の失調は治らない。

私が自分でも「変わった」と思えたことがあった。それは、約1年前に歩き始めた時からだ。この10年間、仕事が忙しいとかで歩くことさえしなかった。ただ歩くことさえサラリーマンには、難しいことなのだ。逆に言えば、そこを変えることができれば、治ったも同然なのではないか?なかなか意見を聞いてもらえないのだが、今後も「歩こう、そして薬をやめよう」を言い続けるつもりだ。次の半世紀のために。
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