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昼前から、叔母さんの告別式へ行って来た。滅多に会わない人と会えるのが楽しみだった。叔母さんは若い頃の顔と違って見えたが、ある人の言葉で理解できた。何と私の祖父の顔だった。病気とか心配事が重なると顔も変わってくるのか。仏壇には、かなり若い頃の顔が飾ってあったが、こちらの方がしっくりきた。年末、会いに行っておいて良かったと思う。付き合いが無いのだが、わしゃ知らんとも言えない。その時も人相が違うことに戸惑った。

いとこの子供たちと、わずかな時間だが話せたのが収穫だった。非常に社交的で今を生きているという感じ。私の20そこそこの頃は何ともニソニソしていて気味悪い青年だったと思う。すぐに仕事に結びつけるのが悪い癖だが、少しヒントをもらった。また、営業してみようと思った。直感と説明の言葉が大事な、この仕事、ちょっとのヒントも見逃せない。

あまりに質素なものだったので面食らった。しかし、もっともっと質素な家庭もあるのかもしれない。私などは、火葬しなくていいなら風葬でもいいと思うくらいだ。さすがにそれは許されないので、焼くだけは焼いてもらい、散骨を遺言しておこうかと本気で思っている。あまり、死後は飾ってもらっても意味が無いからだ。

親戚の人たちとも少し話せた。さすがに、お互いの加齢は隠せなかった。私も白いものが目立ち、肌もおっさんくさい。相手も、髪は白く後退している。祖母にそっくりの叔父さんは、元気そうだった。ホットスポットに住むことの危険性など認識していないのかもしれない。それなりに楽しんでいるようだが、救われなければならないのは、こういう人たちなのだ。

何もしていないのだが、疲れた。お骨になった叔母の骨を拾わせてもらった。人ごとだった葬式だが、確実に近づきつつある。
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私は去年の11月いっぱいで国会周辺の抗議行動は行っていない。二年前の大飯原発再稼働に触発されて行くようになった。当初は、もっと早く決着がつくと思えたが、歴史的な経験ではそんなはずもなかった。そのうち、私の会社も危なくなり、私の体調も思わしくなくなった。仕事はやりたいものの、放射能にやられたかもしれないという不安を抱えたままでは、先に進めない気がした。営業もままならず、心ならずも撤退を決めた。

撤退したからといって急速に体調がよくなるわけでもない。やはり、いろんな所にガタが来ているのではと思う。もちろん、やる気とは裏腹に仕事も見つからず、ここまで来た。私の場合、就職といっても年齢的に難しい。私自身も就職ではなく会社の復興を目指していた。先日、方針転換して職安に行ってみた。景気がいいなど誰も信用していないが、大にぎわいだった。やはり、想像以上に深刻なのだ。目についた所を紹介してもらったが、返事も無かった。私の歳では企業から見れば「頼むから死んでくれんか!」というところか。

もちろん、死んでもいいのだが、誰もすぐには死ねないから困っている。そして、勇気づけられ、何かしてから考えればいいことと思い直す。しかし、仕事は探すと見つからないという法則があるような気がする。私のように東京に17年もいたがコネを作れなかった者は、なかなか仕事を探すことは難しいのだ。一応、これでも質にこだわって仕事をしてきた。出版社にはいい加減な人間が多い。苦労したということだ。(; ̄ェ ̄)

それで、これからどうするのか。今週は、それを考えていたのだが、何かをやりながら営業は続けるということしかないなという結論となった。見つからないならば、永遠にプーだろう。それは覚悟した方がいいと思った。私は、18年前の失職が非常に心細かったので、東京ではそれなりに頑張った。文字を扱う仕事では、そこそこやれるのではという自負はある。私が予測できなかったのは、確かに自分は高まったかもしれないが、仕事先の連中、とりわけ私に金を出していた連中は少しも進歩していなかったのだ。電子書籍元年だとぶち上げながら、文字コードの区別すらつかない。( ̄◇ ̄;)

彼らのような、遺物からすれば、私などはもう要らない存在だった。金は持っているので即、打ち切りはしなかったようだが、私には地獄だった。彼らと付き合いがあったわけではなく、この2年の間に世代が勝手に入れ替わっただけのこと。文字を扱うには、それなりの経験がいるのだが、自分たちが高まろうとせずに、「経費」を削減し、見かけ上、出入りを改善したかったようだ。文字をどう扱うか、というのがこれからのポイントだと思うが、扱えないと宣言したも同然だった。堕ちて行くしかないのだろう。

私は、どう思うかと言われれば、そのように答えるのだが、連中の考えを受け入れる気は無い。やはり、愚直にデジタルデータを作って行き、支持されることを考えるしかないのだ。先日、営業の文章を書いていて、その一部を先方に披露したが、気がついてくれただろうか。目先の儲けに目が眩む人間には見えないと思う。

誰も好き好んで東京で抗議行動をしているわけではない。今でも首都であるし、支配者たちが蠢いているだけに仕方なく、命がけの行動をしているに過ぎない。しばらく通った私にはわかるような気がする。去年の秋口だったが、いつも私の近くに座り、おにぎりを食べつつ「再稼働反対!」を唱えるおばあちゃんがいた。私が今でもいたら、親しくなっていたかもしれない。

だから、思ったのだ、また、東京の会社と仕事をしてーなと。そうすれば、出張と称して月に何日かは行けるだろう。当然、抗議行動のある日は参加するだろう。世の中を変えるとは、そういう所から始まるような気がして。今こうしてあてもなく書いているのは、言葉にしないと何事も始まらないから。口にすることから、スケジュールも動き出す。
18年前、田舎もんの私は仕事を求めて迷うことなく東京に飛んだ。文字通り、一度は飛行機で行った。その後は新幹線だったが、気持ちは飛ぶようなもの。それが、昨年の終わりに突然の終了となった。私は、状況が理解できずこちらに帰って来ても、東京の街角が、生活がフラッシュバックする有り様だった。

私の東京とはお粗末なもので仕事場とアパートの行き帰りしかなかった。アパートの光景と買い出しに出かけるスーパーのリアルな光景がよく蘇る。決してそれが懐かしいとかという話ではない。それは、京都の生活が今でもフラッシュバックするのと同じこと。

こちらでの仕事の厳しさを考える時、改めて東京の存在を考えている。また、行こうという話ではないのだが、もし、私などに興味を示してくれるところがあれば、行ったり来たりはアリかなと思うようになっている。東京にはパートナーを残して帰って来た。あの寒い日に名残惜しむように長時間話をした。彼女は、私を非難することはせず、逆に励まされたのだった。

2年前からは、特に誰かと親しくなったわけではないのだが、国会周辺へ行くのが生活の一部となった。週一ならば無理なく行ける感じだった。これも、去年の11月いっぱいで行けなくなった。まさに突然の終了だった。

中国語勉強会での打ち上げでは、新たな友人ができた。私よりもずっと年輩の方だが、やる気満々だった。引っ越しが迫る中、挨拶もできないまま帰って来てしまった。仕事でまだまだ付き合いたい人だった。私が東京の会社と付き合うことで、またつながりができるかもしれない。

本当ならば、東京の会社に岡山とかに引っ越して欲しい気がする。社員のほとんどは、そう思っているのではないのか。印刷会社と詰める必要があるのなら、東京に行けばいいだけの話ではないのか。その方が、経済が活性化されるのではないのか。

誰もが出費を惜しみ節約することで何も売れず、少しも経済は動かない。私は、買い過ぎだったが、適切に無駄をすることはむしろいいのではないかと思えた。私であれば、それなりのマシンを買うことなどだ。そして、車を買うことなども収入があれば考えるべきなのではないかと思う。

田舎で暮らしていると、もう収入が途絶えているので何も買えないということばかりが頭の中にある。ほとんど全てのことは諦めることになる。太宰府へのお礼参りすら断念した。本当に苦しい生活があるわけだ。

しかし、私が東京に行ったり来たりすることでお金が動く。移動にお金が動く。向こうで何泊か宿泊すること、食べることでお金が動く。私が仕事をし、収入を得ることでこちらにお金が動く。税収も増えることになる。私の会社は零細企業だったが、税金をよく払う会社だった。

もちろん、東京でなければならないことはない。東北でも九州でも北海道でも沖縄でもいい。とにかく私が動けばお金が動く体制を作れればいいなと思っている。今の私には、東京にまだ愛着があるというだけのことなのだと思う。突然の終わりを告げたのだが、これから、時間をかけてお別れをするというのもいいだろう。
それにしても、仕事がしたい。先日、職安に行ってから無性にそう思うようになった。数年前から、年齢制限してはいけないことになったとかで、私のようなおっさんでも見かけ上、仕事はあるのだ。調子こいて紹介してもらい、今の状況をつかもうとしたが甘かった。(; ̄ェ ̄)何と、まさかのブラカシ戦法だった。連絡を入れるといって、連絡は無い。後で言っても断るだけで、文句を言えば、そういう消極的なことでは仕事にならないとか言うのだろう。

それで、やはり作業でもしながら、営業を続けようという腹になっている。あくまでも私らしい、ややこしいデータを相手にプログラムを作るのがよほど世の中に貢献できるのだが、状況はそうではないのだ。そうは言っても私は自分の方が正しいと思っている。タブレットを使ってみればわかる。今はデータが重要だ。まともなデータは少しでもあるだろうか、というのが私の言い分だ。やはり、ちゃんと考えられたものを正しく作って行かなければならない。

この仕事は、経験が必要だ。誰にでもできるものではない。それ故に、わからないからやらない、というのが今だ。しかし、わかる者が現れたらどうなるのか。それは、キチンとしたものを作れ、ということになるのだろう。その時まで、私が生きていられるかどうかが問題だろう。だから、焦っている。うまく行けば流れは一気に私の方に来るのだと思う。まともな事をやって来たのだから当然だろう。まだまだ、声をかける数が少ないと思うので、めげずに営業は続けよう。

私でも頼ってくれる人がいる。それだけにがんばろうと思う。諦めないことだ。努力するのは好きなので、どこまでも努力し、がんばる生涯をまっとうしたい。まだまだ、へこたれるには早すぎる。
親しいというほどの友人ではなかったが、仕事で知り合った人にクルマのことを聞いたが音信不通だった。返事もないというのは異常な感じがする。相手に何か良くないことがあったのか、それとも私には関わらない方がいいという判断なのか。いずれにせよ、311以降に起こった非常にせつない現象。

人間同士の温かい友情すら引き裂いてしまう、非情の世界。そんなものを感じる。全ては金が支配する世界ではないだろうか。協力するならば、仕事も与えるが、反対するならば全てを奪う。経産省は、いったいどれだけ多くの企業を丸めているのか。干す人間のリストすら作っているのかもしれない。

私は既にリストラリストに入って久しい。今さら転向も不可能だし、そのつもりもない。だが、仮に変心することで食って行けるのならどうする。いや、連中には1ミリとて同意はできない。原発や放射能を放置していいことは何もない。私が気分良く一生を終わっても意味が無い。未来はどうなる。そこが問われている。東電ほか原発に消極的であれ賛成する企業は、今しか見えていない。どのみち、ここで反対しない人間は破綻する。未来は生きられない。

逆に、そのことを強く訴えれば、翻意を促せるかもしれない。国会周辺でがんばってくれている勇者たちは、まさにそれをやっている。今でこそ声は小さいが、大きくすることも可能だ。訴えるタイミング、内容次第だろう。私も仕事を何とかしなければならないという弱みがある。どこまでも耐え切れるわけではないのだ。自ずと限界はあると認めて、声をあげて行くことだろう。今のままでは未来は無いということを。子供たちに誇れる姿勢を今は示せていないということを。
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