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今の情況を、数十年前の事故の状態ではないかと思い、『アンデスの奇蹟』という本を購入。非常に読みづらい本だが、肝心な所から読めば攻略できる感じだ。一度、ドキュメンタリーを見たことがあるので、それを思い出しつつ味わうつもりだ。
つまり、このままでは助からないということに尽きる。東京だからまだ大丈夫という認識ではいけないと思っている。汚染地帯であることに変わらない。要するに時間の問題だ。犠牲者となりうる対象者は、一説には5千万という途方もない数の人だ。もちろん、何もしなくても生き延びることもできる人もいるだろう。
だが、放射能によるダメージは個人差があり、一律には決められない。この国のどこへ行こうとも、福島由来の放射能を浴びないわけにはいかないが、程度問題でもある。より、少ない方がより助かる確率は高くなるだろう。すなわち、移住するしかない。
ただし、その決断は非常に大きなものだ。東京であるいは、その他で仕事を得、家族があり、家もある場合、どうすべきなのか。移ることはお金があれば可能だが、その後はどうする?仕事も無く家族が生きていけるのか。その結果、誰もが沈黙して東京あるいは、その他の汚染地帯で生きている。
私の場合、まず仕事を失った。しかも、東京には仕事があるというので出てきただけのこと。仕事が無いならば帰るだけのこと。前にも書いたが、そんな私でも心残りなのは、私と一緒に仕事をしてくれた人々のこと。わしゃ、仕事が無いけー帰るわ、ではあまりにも無責任ではないか。しかし、私には何のつても無く、次の仕事を紹介することもできずだ。
それでも私が東京を離れるという決断はなかなかできなかった。東京が好きだということではなく、放射能を軽く考えていたというのが正直なところだろう。私の歳では、そんなに影響ないとして、がんばることも可能だったろう。しかし、インフルエンザにかかってしまい、その治りの遅さに着目したのだった。これを気のせいと見るか、予防原則を適用して「これはアブナイ」と見るかだろう。
私は、アブナイと予測した。その予想で、改めてネットでの情報やら新刊から得られる情報を集めてみると、やはり、ここは、大袈裟に考えた方が良さそうだという結論になったのだった。これは、自分の決断であり、数年後には、あれは失敗だったということになるかもしれない。だから、自分一人でしか動けないのだ。今後、決断を迫られる人が多数出てくると思う。
私の結論は、ここで脱出しなければ、助からないのではないかというもの。果たして、それで正しいのかどうか。
つまり、このままでは助からないということに尽きる。東京だからまだ大丈夫という認識ではいけないと思っている。汚染地帯であることに変わらない。要するに時間の問題だ。犠牲者となりうる対象者は、一説には5千万という途方もない数の人だ。もちろん、何もしなくても生き延びることもできる人もいるだろう。
だが、放射能によるダメージは個人差があり、一律には決められない。この国のどこへ行こうとも、福島由来の放射能を浴びないわけにはいかないが、程度問題でもある。より、少ない方がより助かる確率は高くなるだろう。すなわち、移住するしかない。
ただし、その決断は非常に大きなものだ。東京であるいは、その他で仕事を得、家族があり、家もある場合、どうすべきなのか。移ることはお金があれば可能だが、その後はどうする?仕事も無く家族が生きていけるのか。その結果、誰もが沈黙して東京あるいは、その他の汚染地帯で生きている。
私の場合、まず仕事を失った。しかも、東京には仕事があるというので出てきただけのこと。仕事が無いならば帰るだけのこと。前にも書いたが、そんな私でも心残りなのは、私と一緒に仕事をしてくれた人々のこと。わしゃ、仕事が無いけー帰るわ、ではあまりにも無責任ではないか。しかし、私には何のつても無く、次の仕事を紹介することもできずだ。
それでも私が東京を離れるという決断はなかなかできなかった。東京が好きだということではなく、放射能を軽く考えていたというのが正直なところだろう。私の歳では、そんなに影響ないとして、がんばることも可能だったろう。しかし、インフルエンザにかかってしまい、その治りの遅さに着目したのだった。これを気のせいと見るか、予防原則を適用して「これはアブナイ」と見るかだろう。
私は、アブナイと予測した。その予想で、改めてネットでの情報やら新刊から得られる情報を集めてみると、やはり、ここは、大袈裟に考えた方が良さそうだという結論になったのだった。これは、自分の決断であり、数年後には、あれは失敗だったということになるかもしれない。だから、自分一人でしか動けないのだ。今後、決断を迫られる人が多数出てくると思う。
私の結論は、ここで脱出しなければ、助からないのではないかというもの。果たして、それで正しいのかどうか。
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暇なのに忙しい状況。
今日も午前中は、スキャン作業。
午後からは、お勉強といつものやつ。
暇なのに忙しい。選挙の日までそれも仕方なし。
ことによると、選挙以降、この日以降この国は
無いかもしれないので。
今日も午前中は、スキャン作業。
午後からは、お勉強といつものやつ。
暇なのに忙しい。選挙の日までそれも仕方なし。
ことによると、選挙以降、この日以降この国は
無いかもしれないので。
更新怠っていますが、まあまあ元気です。
明日には帰ります。
明日には帰ります。
これまで、断続的には書いてきたように、私の会社が瀕死の病人で倒産間近なのは、私の読みが浅かったからだった。相手もわかりにくいもののメッセージを送ってきていたし、そもそもが相手にしていい相手かどうかも疑問だった。それを、忙しいのを理由に軽く考えていたところに今回の失敗があった。
ちょうど、20年近く前にも同じような煮え湯を飲まされたことがあった。その時は、経営側ではなく、サラリーマンとしてであった。年下の課長をうらめしく思ったものだったが、どうしようもなかった。会社関係はまったく頼りにならないことを知った。今回の私もまったく同じであった。せめて、従業員の行く末を見てから東京をとんずらするならするがスジだろう。それすらできないのだから、私も相当なダメ人間だった。
私が目測を誤ったのは、私には経験があるという一点だった。しかし、今回知ったのは、経験を冷笑する体制側の人間がいるということ。会社の中にそんな人間がいるのを知った。確かに、これでは勝ち目がない。唯一のウリである経験が邪魔なものとして写る連中に私を売ることなど無理な話だった。経験ではなく、安いことが必要とされるようだった。どうりで、端末に下駄が表示されるようなことがあるにもかかわらず、気にしないわけだ。
だが、それも本当は空しいことだ。出版社である以上は、消費者に新しいもの、珍しいものを提供して売っていかなければならないのだが、まず、金を使わないということが先に来る発想。これは、ずいぶん前からあったように思うが、私のいる所ではいい考えの人がいたので影響されなかったわけだ。つまり、「ウソのデータは作らせない」という方針だ。これにより、面倒な作業も手を抜くことなくかかれた。提供できたデータは自信を持って薦められるものばかりだと思う。
今後、金をかけずにデータを作ることを目指した連中は、消費者のクレームに、バカな回答をしつつ対処することになる。方針が決まっているので、言われても「ご理解ください」という言葉しか出ないのだ。こういう組織は、早晩つぶれる。私はむしろ、幸運だったのかもしれない。
年下の課長と同じだというのは、その課長も当時付き合っていた企業を妄信していた。「苦しくなったら、連中が支援するはず」だと。私も、ずっと仕事には苦しんできたので、仕事ができなくなることをいつも心配していて、課長にストレートな疑問をぶつけていたのだ。ちょうど、この役割をパートナーがやってくれていた。私は課長のように答えていた。「この仕事は、まだまだこれから、ここから我々の経験が生かされる。まだ、我々を切るには早すぎる」と。
私の判断ももっともな点もあった。確かに私が東京に出てきた世代の経営側は、とにかくやる気があった。赤字は続くものの、どうやれば、会社というものは動くのかを知っていた。よそ者の私にも対応は丁寧だった。お金のことでもめたことがあったが、「友好的にやりましょうや。」といきなり切り出されて、目をぱちくりしたこともあった。とにかく、一緒にやろうという雰囲気に満ちていた。
今の政治を引き出すまでもなく、企業の中にも暗愚の時代が来ているようだった。これだけダマされても、会社ぐるみで自民党に入れたりするような企業もあるようだ。東電もそうらしい。その意味では、私も今風の企業人にまんまとダマされたわけだ。連中は、北朝鮮の人かと思える。いかに消費者が興味を引くものを作るのか、が関心ではなく「いかに責任を取らないか」が重要なのだ。これでは、いいものも出てこないと思えた。悲しいことにこういう雰囲気が蔓延しているようだ。
この汚染地帯に新社屋を建てるというのも狂気の沙汰だろう。経営者には、社員を被曝から守るという発想すら無いようだ。ここで関係が無くなったことを喜ぶべきだろう。失敗をむしろ、喜びと感じる。
ちょうど、20年近く前にも同じような煮え湯を飲まされたことがあった。その時は、経営側ではなく、サラリーマンとしてであった。年下の課長をうらめしく思ったものだったが、どうしようもなかった。会社関係はまったく頼りにならないことを知った。今回の私もまったく同じであった。せめて、従業員の行く末を見てから東京をとんずらするならするがスジだろう。それすらできないのだから、私も相当なダメ人間だった。
私が目測を誤ったのは、私には経験があるという一点だった。しかし、今回知ったのは、経験を冷笑する体制側の人間がいるということ。会社の中にそんな人間がいるのを知った。確かに、これでは勝ち目がない。唯一のウリである経験が邪魔なものとして写る連中に私を売ることなど無理な話だった。経験ではなく、安いことが必要とされるようだった。どうりで、端末に下駄が表示されるようなことがあるにもかかわらず、気にしないわけだ。
だが、それも本当は空しいことだ。出版社である以上は、消費者に新しいもの、珍しいものを提供して売っていかなければならないのだが、まず、金を使わないということが先に来る発想。これは、ずいぶん前からあったように思うが、私のいる所ではいい考えの人がいたので影響されなかったわけだ。つまり、「ウソのデータは作らせない」という方針だ。これにより、面倒な作業も手を抜くことなくかかれた。提供できたデータは自信を持って薦められるものばかりだと思う。
今後、金をかけずにデータを作ることを目指した連中は、消費者のクレームに、バカな回答をしつつ対処することになる。方針が決まっているので、言われても「ご理解ください」という言葉しか出ないのだ。こういう組織は、早晩つぶれる。私はむしろ、幸運だったのかもしれない。
年下の課長と同じだというのは、その課長も当時付き合っていた企業を妄信していた。「苦しくなったら、連中が支援するはず」だと。私も、ずっと仕事には苦しんできたので、仕事ができなくなることをいつも心配していて、課長にストレートな疑問をぶつけていたのだ。ちょうど、この役割をパートナーがやってくれていた。私は課長のように答えていた。「この仕事は、まだまだこれから、ここから我々の経験が生かされる。まだ、我々を切るには早すぎる」と。
私の判断ももっともな点もあった。確かに私が東京に出てきた世代の経営側は、とにかくやる気があった。赤字は続くものの、どうやれば、会社というものは動くのかを知っていた。よそ者の私にも対応は丁寧だった。お金のことでもめたことがあったが、「友好的にやりましょうや。」といきなり切り出されて、目をぱちくりしたこともあった。とにかく、一緒にやろうという雰囲気に満ちていた。
今の政治を引き出すまでもなく、企業の中にも暗愚の時代が来ているようだった。これだけダマされても、会社ぐるみで自民党に入れたりするような企業もあるようだ。東電もそうらしい。その意味では、私も今風の企業人にまんまとダマされたわけだ。連中は、北朝鮮の人かと思える。いかに消費者が興味を引くものを作るのか、が関心ではなく「いかに責任を取らないか」が重要なのだ。これでは、いいものも出てこないと思えた。悲しいことにこういう雰囲気が蔓延しているようだ。
この汚染地帯に新社屋を建てるというのも狂気の沙汰だろう。経営者には、社員を被曝から守るという発想すら無いようだ。ここで関係が無くなったことを喜ぶべきだろう。失敗をむしろ、喜びと感じる。
13日、木曜日、午後1時とかはどうかな?
メールください。
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