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片付けをしていたら、今度は料理本だ。よく見たが最近は見なくなっていた。この間買ったやつだと思っていたら、なんと10年も前だった。そうそうと思いながらまた少し眺めてみた。いろんな思いが頭に浮かぶ。こういう本もかつてはデジタル化しようとなったもんだった。今でこそ無料のサービスがあるので、さすがにこれのデジタル化は無いかなと思える。ただ、当時も紙の本として売れたのだろうか。しっかりとした本ではあるが、3800円はなかなか高いと思われるのではないか。
手間はかかるが、内容次第ではデジタル化もいいと私なら思える。やはり、いろんな所で使えるからだ。写真なども含めてデジタル化しておけば使い勝手が全然違う。また、自分たちの商売にも生かせる。こういう発想が欲しい。
手間はかかるが、内容次第ではデジタル化もいいと私なら思える。やはり、いろんな所で使えるからだ。写真なども含めてデジタル化しておけば使い勝手が全然違う。また、自分たちの商売にも生かせる。こういう発想が欲しい。
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向こうでは、野心がある方が評価されるというのを海外のドラマで見ることができるのだが我が国ではどうか。自分はこんなことができるのだが、買ってもらえないか的な売り込みをしてもとんと反応は無い。やはり、今や、儲かることしか興味はないのだろうか、この国の企業は。
私としては、ややこしいデータをわかりやすく表現することに魅力を感じている。そんな仕事はないものか。
結局、そういうものは辞書的なデータであり、出版関係が近い。他には映像関係でもあるにはあるが、映像と結びつけるということで少し勝手は違ってくる。たとえば、赤影の検索をするにしても映像そのものを検索することはできない。やはり、人間が何かマークを入れない限り不可能だ。文章と映像を関連づけるとしても、時間で呼ぶのかなというくらいだ。
先日、話をしていて出版社におけるデジタルの意味とは、ズバリ補完だと悟った。私は「売れないものは作らない」としてお払い箱になったわけだが、それまでは紙の本では売れないのでデジタル化をお願いできるか、という依頼だったわけだ。そして、それは成功してきた。しかし、必要無くなるとすぐにその関係を忘れ、売れないものは作らないと言い出す。まさに、手柄で仕事をしている連中らしい発想だ。
出版社では、ほとんど役職というのはあって無いようなもの。売れたかどうかで評価される。当然、売れたら「おれの手柄」ということになる。デジタル化で助けられたことなどどこ吹く風、となるのだろう。わからないのでなおさらのこと。そういうのを目の当たりにしたこともある。
おもしろいことに理解していない出版社、あるいはその中の担当者は逆に考える。売れないから作らないとなるのだ。では、紙の本は売れているのかというとサッパリだ。考えてみると私の企画というのも広い意味での補完だ。これまで紙でしか展開したことのないものをデジタル化することで新たな需要を切り開こうというもの。単純なようで斬新な営為だったのではないか。
これから先もいい展開があるとは思えないが、なんといってもデジタル化と文字の相性の良さは消えることはない。わからない相手には実物を見せるしかない。時間はかかるが私の挑戦は続ける。時間はあまり無いのだが、その方がはりがあっていいかもしれない。
私としては、ややこしいデータをわかりやすく表現することに魅力を感じている。そんな仕事はないものか。
結局、そういうものは辞書的なデータであり、出版関係が近い。他には映像関係でもあるにはあるが、映像と結びつけるということで少し勝手は違ってくる。たとえば、赤影の検索をするにしても映像そのものを検索することはできない。やはり、人間が何かマークを入れない限り不可能だ。文章と映像を関連づけるとしても、時間で呼ぶのかなというくらいだ。
先日、話をしていて出版社におけるデジタルの意味とは、ズバリ補完だと悟った。私は「売れないものは作らない」としてお払い箱になったわけだが、それまでは紙の本では売れないのでデジタル化をお願いできるか、という依頼だったわけだ。そして、それは成功してきた。しかし、必要無くなるとすぐにその関係を忘れ、売れないものは作らないと言い出す。まさに、手柄で仕事をしている連中らしい発想だ。
出版社では、ほとんど役職というのはあって無いようなもの。売れたかどうかで評価される。当然、売れたら「おれの手柄」ということになる。デジタル化で助けられたことなどどこ吹く風、となるのだろう。わからないのでなおさらのこと。そういうのを目の当たりにしたこともある。
おもしろいことに理解していない出版社、あるいはその中の担当者は逆に考える。売れないから作らないとなるのだ。では、紙の本は売れているのかというとサッパリだ。考えてみると私の企画というのも広い意味での補完だ。これまで紙でしか展開したことのないものをデジタル化することで新たな需要を切り開こうというもの。単純なようで斬新な営為だったのではないか。
これから先もいい展開があるとは思えないが、なんといってもデジタル化と文字の相性の良さは消えることはない。わからない相手には実物を見せるしかない。時間はかかるが私の挑戦は続ける。時間はあまり無いのだが、その方がはりがあっていいかもしれない。
先週出しておいた提案だが、先ほど返事が来ていて見送りにしました、とあった。会社員なのか、帰る間際に名前を出さないように、余計な情報は与えないようにメールしたのだなあというのがわかる。もっと話のできる人とここで出会えれば変わっていたかもしれないが、彼の会社もそういう会社になりつつあるのかと思った。予想通りに動いてきたので驚きではないが、残念だった。( ̄(工) ̄)
他を当たるしかないのだが、なかなか難しい。この十数年がんばってきたことが何の経歴にもならないのが虚しい。皆が同じようなことができるのならば、そうかと思うのだが、現実にはそんなことはなく、何一つわからない者が決めている現実。東京を離れる条件はこうしてどんどん整いつつある。抵抗したくもあり、このまま何もしない方がいいという考えもある。この土日で、また考えよう。
他を当たるしかないのだが、なかなか難しい。この十数年がんばってきたことが何の経歴にもならないのが虚しい。皆が同じようなことができるのならば、そうかと思うのだが、現実にはそんなことはなく、何一つわからない者が決めている現実。東京を離れる条件はこうしてどんどん整いつつある。抵抗したくもあり、このまま何もしない方がいいという考えもある。この土日で、また考えよう。
大部な全集には索引巻というものが付く。紙の本しか無い時代にはこういうものが必須だったのだろう。いちいち中身を開かなければ目的にたどり着けないのでは時間がいくらあっても足りない。私が全集を手にする度に興奮するのは、これをデジタル化できたら、という思いからだ。私がそういう思いに駆られるほど、大部な全集のデジタル化というのは無い。
今、片付けながら、それらを再確認している。索引とは文字通り索引で、キーワードと巻数とノンブルの羅列でしかない。今の時代であっても紙の全集を出す場合には必要で、おもしろくなくとも付けないといけないものなのだろう。もちろん、デジタル化する際には不要となる。索引はデータベースが受け持つからだ。紙のものよりずっと賢いものが付く。
私もやるとなったら本気でやるもんで去年から7つもの全集を購入している。全部古本だが、荷造りに大変だ。かさばるので売るということも考えられるが、まだ諦めきれないでいるのでひとまず持ち帰る予定だ。むろん、ここで役に立てば幸運なのだが。いや、それを願っている。誰かが骨を折らないとデジタル化というのは無理で、どうしても焼き直しだけに終わる。私はあえて火中に飛び込もうとしているわけだ。大局的には、これも子供たちのためと言えなくもない。今の大人が骨を折らなければ、伝えることができないのだ。
何巻にも及ぶ本は何が不便かと言うと、その重さや場所をとる様だ。ちょっと置くにも置く場所が無いというのが今日の常識だろう。そうこうしている間に仕事が忙しく、忘れてしまうというのが私のよくやるパターンだ。今は暇でもなかなか読む時間は無い。結局、大部な全集を読んだりできるのは、学生かリタイアした人以外は難しいというのが結論だ。大半の人にとって文学全集とか歴史全集とかは辞書的に使えるだけだ。その際に、紙のままでは使えないのでデジタル化を、というのが私の主張だったのだが、返ってきた返事は、よそでどうぞというものだった。
そしてそのようにしているのだが、もちろん、そんなに簡単に見つかるわけがない。今の私ならこのつらいだけの仕事を楽しくする自信はある。年輩の協力者もいる。恩師にも協力を依頼したいくらいだ。
今、片付けながら、それらを再確認している。索引とは文字通り索引で、キーワードと巻数とノンブルの羅列でしかない。今の時代であっても紙の全集を出す場合には必要で、おもしろくなくとも付けないといけないものなのだろう。もちろん、デジタル化する際には不要となる。索引はデータベースが受け持つからだ。紙のものよりずっと賢いものが付く。
私もやるとなったら本気でやるもんで去年から7つもの全集を購入している。全部古本だが、荷造りに大変だ。かさばるので売るということも考えられるが、まだ諦めきれないでいるのでひとまず持ち帰る予定だ。むろん、ここで役に立てば幸運なのだが。いや、それを願っている。誰かが骨を折らないとデジタル化というのは無理で、どうしても焼き直しだけに終わる。私はあえて火中に飛び込もうとしているわけだ。大局的には、これも子供たちのためと言えなくもない。今の大人が骨を折らなければ、伝えることができないのだ。
何巻にも及ぶ本は何が不便かと言うと、その重さや場所をとる様だ。ちょっと置くにも置く場所が無いというのが今日の常識だろう。そうこうしている間に仕事が忙しく、忘れてしまうというのが私のよくやるパターンだ。今は暇でもなかなか読む時間は無い。結局、大部な全集を読んだりできるのは、学生かリタイアした人以外は難しいというのが結論だ。大半の人にとって文学全集とか歴史全集とかは辞書的に使えるだけだ。その際に、紙のままでは使えないのでデジタル化を、というのが私の主張だったのだが、返ってきた返事は、よそでどうぞというものだった。
そしてそのようにしているのだが、もちろん、そんなに簡単に見つかるわけがない。今の私ならこのつらいだけの仕事を楽しくする自信はある。年輩の協力者もいる。恩師にも協力を依頼したいくらいだ。
私の行動原理は、生きがいを感じられるかどうかだ。だから、他意はない。全ての選択はそこを原理としてしか成り立たないしくみだ。楽しくない仕事は続かない。人間関係も同じく。しかし、他人にも近しい人にも生きがいを感じるような人生であって欲しい。邪魔など考えたこともない。だから、本当にがんばって欲しいと思う。苦しんで生きる必要は無いということ。( ̄(工) ̄)
お金を使うこともボーっとすることも、遊ぶことも全ては生きがいを感じたいからこそだ。それは、安くはない。無駄もある。しかし、経験しなければ学べないこともある。無駄にお金を使う所以だ。そこには必ず意味がある。
お金を使うこともボーっとすることも、遊ぶことも全ては生きがいを感じたいからこそだ。それは、安くはない。無駄もある。しかし、経験しなければ学べないこともある。無駄にお金を使う所以だ。そこには必ず意味がある。