×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
『太平記』から一転して『白線流し』を見ている。高三の夏前あたりからを描いているので、見てみるとうちの高校と同じようなので興味を持った。卒業アルバムのための写真撮影とか模試とか進路指導の面談とかだ。多くの同級生は、この半年を有意義に過ごして大学に行ったのだろうと思う。私は確かに高三の6ヶ月は普通に過ごしたのだが、その後が長かったから、別の記憶としてあるのだろう。なにしろ4年もの長きにわたった。
今は、あれで良かったと思っているが、当時は気も狂わんばかりだったのだ。大学へ行きたいのだが、受験がある限り入れない。普通には進路を変更するのだが、私はできなかったのだ。浪人時代、好きな先生に薦められて、私立大学も受けてみたのだが、ことごとく不合格だった。先生も宿泊の世話をしてくれた友人も内心、驚いたのではなかったか。「なぜ入れない?」ということだ。受験勉強に興味が無く、身が入らなかったというのは事実だが、それだけではないのかもしれない。
精神的な症状が出だしたのは、三浪くらいからだった。食事をしたら吐きそうになったり、痔疾が悪化したり、常時胃痛があったり。最後には指が震えて文字が書けない、書痙という症状まで経験した。これは、共通一次で英語の問題を丸々1問やり忘れた時だった。分厚い問題用紙だが、コースを選ぶようになっていて、それに惑わされたのだった。あまりの衝撃で指が動かなくなったのだ。これは、あるいは2浪の時だったかもしれない。この頃は、先生に支えられて英語の成績も少しは上がり、私立には入れるのではないかという淡い期待をしていた。
心配そうに、合格したら私立に行きんさいと言っていた母の顔を今でも思い出す。しかし、一つも合格できなかったのだった。私もできた記憶が無いのだが、要するに水増しで合格者を取ると聞いていたので、できなくても合格すると踏んでいたわけだ。私立に不合格が続き、仕上げに共通一次で問題をやり忘れたわけだから、また1年を棒に振ったわけだ。それが口惜しくてわなわなと震えた。3浪4浪は、もう放心状態だったのではないか。勉強したいという気持ちは強かったが、米軍に竹槍で応戦するようなものだった。
他の受験生に自明で私には最後まで理解できなかったことは、今の大学はフィルターとして大学受験を使用しているということと、それは学問ではなくパズルのようなものだという事実だった。いくら受験勉強を掘り下げてみたところで何も出て来ないということ。パズルなので解ければよし、解けないならやり方を学び、速く反応できるようにすることだった。私はそのことを3浪の頃少し気がついていたのだが、やり方が同じだったことを思うと最後までわからなかったと見るべきだろう。
数学の参考書のあるページに数学の理解の仕方があった。本当は厳密な証明が要るのだが、高校段階では、直感的な理解で済ましておこうという記述。これは、無限の概念についての説明だった。皆さんは、厳密な証明などなくとも「なんとなく」微分・積分を理解して問題もそつなく解いて行ったのだろう。私は、最後まで無限をどう考えるかで悩み、問題も解けなかったのだった。
無限というか極限の概念は物理や化学に通じていて、物理では気体の数値計算などをする問題でつまずいた。化学では、ご存知、原子はあるのだろうか、ということでとうとう4浪まで持ち越してしまった。その代わり、数学や物理、化学へのあこがれは強く持っているのだが、大学へ行くための能力は1ミリも育てることはできなかったのだった。
私自身がそのような受験生になるという気持ちは無かったのだが、その予兆というか先輩がいた。高校で浪人を預かってくれる場があった。補習科と呼ぶのだが、岡山では普通にどこでもあったと思う。その大先輩のような人がいていつも補習科の人間がくすくす笑っていたのだった。見るからに異様で牛乳瓶の底メガネに油でヌタヌタの髪、じいさんのような茶色ベースのシャツ、おじさんぽいズボン。授業が終わると質問に出ていたのを覚えている。「○○君、今年はどこを受けるんだい?」と聞かれて「東大です!」と元気よく答えていたのが痛々しかった。私はそれを見て笑えなかったのだ。
数年後、それは私の姿だった。姿こそ違うが、そのやり方はたぶんまったく同じだったのではないか。そもそも、やり方が間違っているのでいくらがんばっても合格はできないのだが、本人はいたってまじめで本気だった。極限をしっかり理解することで問題も解けると信じていたのだった。しかし、3浪ともなると「大学への数学」をやろうにもあくびが出る始末だった。だから、私の興味はそういうところにあるのではなく、極限の概念、ものの考え方を学ぼうとしていたのだった。
物理や化学では、実験したこともない気体についてあれこれ想像をめぐらせるのがつらかった。想像しようにも何も実験などしていないのだ。磁界についての問題でもなぜ地図のような線を描けるのか疑問でならなかった。ファラデーの本を読もうとしたり、ラボアジエの論文を読もうとしたり、受験とはますます離れるばかりだった。
今、おっさんになって図書館に興味を持っているのは、当時、疑問に対する答えを求めてよく通っていたからだった。当時見ていた百科事典などは、今でもあるものだが、それはもう大味で使えない情報だった。私が長らく関わった、小学館のニッポニカも理科系の分野ではまるで使い物にならなかった。私の調べた限りでは、本当に必要な情報など無いという結論だった。最後は1冊1冊の本に解答を求めたが、それこそ気が遠くなるような話で、時間切れになったのだった。
1970年代の終わりから1980年代の初めで、世の中もまだまだ「やれる」というような雰囲気ではなかったか。私も高校時代のような雰囲気を思いつつ、気も狂わんばかりの日々を何とか抑えつつ生きて来たと思う。男の場合、性欲の処理も大変で飽き飽きするような問題を見る度に下半身が元気になり、非常に困った。この頃、男性誌というものを毎週のように買いあさった。
すべてが終わり、大学受験全敗が明らかになった時、私はここを出る決意をした。といってもすねをかじっての旅立ちだったのだが。他人から見れば、私の不合格など明らか過ぎて話にもならないかもしれないが、私には意外であって、やる気のある私がなぜ合格できないのか、この状態は何なのか、理解できないのだった。その後に、泣きたい気持ちもあったが、こらえて「40年かかっても同級生が大学でやったこと以上のことを独学でやってやる!」と決意したのだった。むしろ、私自身がやる気を失うことを非常に恐れていた。京都に出たのだが、まだチャンスがあれば受験に打って出るような気持ちだったと思う。
数年後、コンピュータと出会い、東京で新たな世界を知った時、大学は行けなかったが、それよりも大きなものを得たなという感じを持った。コンピュータを理解したり、プログラミングを行う方が難しいような気がして。そして、それが仕事につながるのだから、喜びも大きかった。しつこく調べるという性質がまた役に立った。浪人という大きな無駄をしたと思って悔やむ事も多かったのだが、この段階でもうそれも無くなったような気がした。
まだ、勉強の意欲は衰えてはいないのだが、正直、時間が無いのではと思っている。今は暇だが、まだまだ私は隠居できないと思う。やらなければならないことは多いと思う。出版社やその他の場でも私を必要としていないみたいだが、それは現実を甘く見ている証拠だ。本気でやらない者には、コンピュータやデジタルのデータは襲いかかって来るからだ。大きな失敗をやらかす。私に声がかかるとしたら、大ピンチの時だろうか。
今は、あれで良かったと思っているが、当時は気も狂わんばかりだったのだ。大学へ行きたいのだが、受験がある限り入れない。普通には進路を変更するのだが、私はできなかったのだ。浪人時代、好きな先生に薦められて、私立大学も受けてみたのだが、ことごとく不合格だった。先生も宿泊の世話をしてくれた友人も内心、驚いたのではなかったか。「なぜ入れない?」ということだ。受験勉強に興味が無く、身が入らなかったというのは事実だが、それだけではないのかもしれない。
精神的な症状が出だしたのは、三浪くらいからだった。食事をしたら吐きそうになったり、痔疾が悪化したり、常時胃痛があったり。最後には指が震えて文字が書けない、書痙という症状まで経験した。これは、共通一次で英語の問題を丸々1問やり忘れた時だった。分厚い問題用紙だが、コースを選ぶようになっていて、それに惑わされたのだった。あまりの衝撃で指が動かなくなったのだ。これは、あるいは2浪の時だったかもしれない。この頃は、先生に支えられて英語の成績も少しは上がり、私立には入れるのではないかという淡い期待をしていた。
心配そうに、合格したら私立に行きんさいと言っていた母の顔を今でも思い出す。しかし、一つも合格できなかったのだった。私もできた記憶が無いのだが、要するに水増しで合格者を取ると聞いていたので、できなくても合格すると踏んでいたわけだ。私立に不合格が続き、仕上げに共通一次で問題をやり忘れたわけだから、また1年を棒に振ったわけだ。それが口惜しくてわなわなと震えた。3浪4浪は、もう放心状態だったのではないか。勉強したいという気持ちは強かったが、米軍に竹槍で応戦するようなものだった。
他の受験生に自明で私には最後まで理解できなかったことは、今の大学はフィルターとして大学受験を使用しているということと、それは学問ではなくパズルのようなものだという事実だった。いくら受験勉強を掘り下げてみたところで何も出て来ないということ。パズルなので解ければよし、解けないならやり方を学び、速く反応できるようにすることだった。私はそのことを3浪の頃少し気がついていたのだが、やり方が同じだったことを思うと最後までわからなかったと見るべきだろう。
数学の参考書のあるページに数学の理解の仕方があった。本当は厳密な証明が要るのだが、高校段階では、直感的な理解で済ましておこうという記述。これは、無限の概念についての説明だった。皆さんは、厳密な証明などなくとも「なんとなく」微分・積分を理解して問題もそつなく解いて行ったのだろう。私は、最後まで無限をどう考えるかで悩み、問題も解けなかったのだった。
無限というか極限の概念は物理や化学に通じていて、物理では気体の数値計算などをする問題でつまずいた。化学では、ご存知、原子はあるのだろうか、ということでとうとう4浪まで持ち越してしまった。その代わり、数学や物理、化学へのあこがれは強く持っているのだが、大学へ行くための能力は1ミリも育てることはできなかったのだった。
私自身がそのような受験生になるという気持ちは無かったのだが、その予兆というか先輩がいた。高校で浪人を預かってくれる場があった。補習科と呼ぶのだが、岡山では普通にどこでもあったと思う。その大先輩のような人がいていつも補習科の人間がくすくす笑っていたのだった。見るからに異様で牛乳瓶の底メガネに油でヌタヌタの髪、じいさんのような茶色ベースのシャツ、おじさんぽいズボン。授業が終わると質問に出ていたのを覚えている。「○○君、今年はどこを受けるんだい?」と聞かれて「東大です!」と元気よく答えていたのが痛々しかった。私はそれを見て笑えなかったのだ。
数年後、それは私の姿だった。姿こそ違うが、そのやり方はたぶんまったく同じだったのではないか。そもそも、やり方が間違っているのでいくらがんばっても合格はできないのだが、本人はいたってまじめで本気だった。極限をしっかり理解することで問題も解けると信じていたのだった。しかし、3浪ともなると「大学への数学」をやろうにもあくびが出る始末だった。だから、私の興味はそういうところにあるのではなく、極限の概念、ものの考え方を学ぼうとしていたのだった。
物理や化学では、実験したこともない気体についてあれこれ想像をめぐらせるのがつらかった。想像しようにも何も実験などしていないのだ。磁界についての問題でもなぜ地図のような線を描けるのか疑問でならなかった。ファラデーの本を読もうとしたり、ラボアジエの論文を読もうとしたり、受験とはますます離れるばかりだった。
今、おっさんになって図書館に興味を持っているのは、当時、疑問に対する答えを求めてよく通っていたからだった。当時見ていた百科事典などは、今でもあるものだが、それはもう大味で使えない情報だった。私が長らく関わった、小学館のニッポニカも理科系の分野ではまるで使い物にならなかった。私の調べた限りでは、本当に必要な情報など無いという結論だった。最後は1冊1冊の本に解答を求めたが、それこそ気が遠くなるような話で、時間切れになったのだった。
1970年代の終わりから1980年代の初めで、世の中もまだまだ「やれる」というような雰囲気ではなかったか。私も高校時代のような雰囲気を思いつつ、気も狂わんばかりの日々を何とか抑えつつ生きて来たと思う。男の場合、性欲の処理も大変で飽き飽きするような問題を見る度に下半身が元気になり、非常に困った。この頃、男性誌というものを毎週のように買いあさった。
すべてが終わり、大学受験全敗が明らかになった時、私はここを出る決意をした。といってもすねをかじっての旅立ちだったのだが。他人から見れば、私の不合格など明らか過ぎて話にもならないかもしれないが、私には意外であって、やる気のある私がなぜ合格できないのか、この状態は何なのか、理解できないのだった。その後に、泣きたい気持ちもあったが、こらえて「40年かかっても同級生が大学でやったこと以上のことを独学でやってやる!」と決意したのだった。むしろ、私自身がやる気を失うことを非常に恐れていた。京都に出たのだが、まだチャンスがあれば受験に打って出るような気持ちだったと思う。
数年後、コンピュータと出会い、東京で新たな世界を知った時、大学は行けなかったが、それよりも大きなものを得たなという感じを持った。コンピュータを理解したり、プログラミングを行う方が難しいような気がして。そして、それが仕事につながるのだから、喜びも大きかった。しつこく調べるという性質がまた役に立った。浪人という大きな無駄をしたと思って悔やむ事も多かったのだが、この段階でもうそれも無くなったような気がした。
まだ、勉強の意欲は衰えてはいないのだが、正直、時間が無いのではと思っている。今は暇だが、まだまだ私は隠居できないと思う。やらなければならないことは多いと思う。出版社やその他の場でも私を必要としていないみたいだが、それは現実を甘く見ている証拠だ。本気でやらない者には、コンピュータやデジタルのデータは襲いかかって来るからだ。大きな失敗をやらかす。私に声がかかるとしたら、大ピンチの時だろうか。
PR
この国では大学へ行っても学問をやれないのかもしれない。1980年代、私は大学へ行くべくがんばっていたのだが、どこも入れなかった。受験勉強では成績が及ばなかったのだ。しかし、それは言い訳で、受験しか大学へ行く術が無い以上、何とか受験を突破するしかなかった。
私も自分が飽きっぽいのを知っているので、やりたい学科がある所しか行きたくなかった。天文学を置いている大学は限られていた。私の成績ではとても入れない大学ばかりだったのだ。というよりも、別に大学など行くつもりが無い連中が、就職先を考えて受験したのだと思っている。
興味があるものなど限られているので、とても受験でいい成績などあげられるわけがないのだが、当時は何とかできるのではないかと思っていた。共通一次があっても無くても入れなかったと思う。受験では成績を出せない感じだった。しかし、今でも受験はすべてなので、今でも入れないと思う。
だから、私としては大学受験など不要という結論になるし、卒業も廃止するべきだという意見になる。卒業という名の免罪符を与えるから、企業は人を見る目が養われないし、大卒者は実力があると勘違いする。結果、社会が劣化する。時の首相を見ればよくわかる。あの御仁は憲法がなぜあるのかさえわかっていないのだ。
このままで社会が良くなるならば、システムもそのままでいいかもしれないが、現実には良くなっていない。原発は爆発し、被害者は棄てられ、今、他の国民も棄てられようとしてしている。政治家や省庁の人間のバカな発想でだ。これは、容認できる話ではないだろう。
大学がものを考え、学問を研究する場として生きていたら、こんな社会にはならなかったのではないのか。そこそこいいものが開発され消費されていったのではなかったか。現状、私も先立つものが無くなったのだが、たとえあったとしても欲しいものが無いくらいだ。仕事で使うパソコンやタブレットすらボロくなってしまった。今は、最悪の時代と言える。贅沢品のカメラは言うまでもない。
すべては考えることをしなくなったからではないか。戦前もこういう傾向があったと思う。どんどん社会が荒んで行くのだが、せめて自分の立場は確保しようとして、ものを言わなくなるのだ。そうすると、さらに支配者はつけあがり、ごり押しして来る。これはどこまで行くのかというと「命を出せ」と言われ、差し出すところまで行く。そして、犬死にすることで終わる。
7月初め、良くも悪くも私の運命も動く。たいしたことではないのだが、変化はある。そして、この社会も運命づけられるのではないだろうか。嫌だと主張できない者は堕ちて行くだろう。
私も自分が飽きっぽいのを知っているので、やりたい学科がある所しか行きたくなかった。天文学を置いている大学は限られていた。私の成績ではとても入れない大学ばかりだったのだ。というよりも、別に大学など行くつもりが無い連中が、就職先を考えて受験したのだと思っている。
興味があるものなど限られているので、とても受験でいい成績などあげられるわけがないのだが、当時は何とかできるのではないかと思っていた。共通一次があっても無くても入れなかったと思う。受験では成績を出せない感じだった。しかし、今でも受験はすべてなので、今でも入れないと思う。
だから、私としては大学受験など不要という結論になるし、卒業も廃止するべきだという意見になる。卒業という名の免罪符を与えるから、企業は人を見る目が養われないし、大卒者は実力があると勘違いする。結果、社会が劣化する。時の首相を見ればよくわかる。あの御仁は憲法がなぜあるのかさえわかっていないのだ。
このままで社会が良くなるならば、システムもそのままでいいかもしれないが、現実には良くなっていない。原発は爆発し、被害者は棄てられ、今、他の国民も棄てられようとしてしている。政治家や省庁の人間のバカな発想でだ。これは、容認できる話ではないだろう。
大学がものを考え、学問を研究する場として生きていたら、こんな社会にはならなかったのではないのか。そこそこいいものが開発され消費されていったのではなかったか。現状、私も先立つものが無くなったのだが、たとえあったとしても欲しいものが無いくらいだ。仕事で使うパソコンやタブレットすらボロくなってしまった。今は、最悪の時代と言える。贅沢品のカメラは言うまでもない。
すべては考えることをしなくなったからではないか。戦前もこういう傾向があったと思う。どんどん社会が荒んで行くのだが、せめて自分の立場は確保しようとして、ものを言わなくなるのだ。そうすると、さらに支配者はつけあがり、ごり押しして来る。これはどこまで行くのかというと「命を出せ」と言われ、差し出すところまで行く。そして、犬死にすることで終わる。
7月初め、良くも悪くも私の運命も動く。たいしたことではないのだが、変化はある。そして、この社会も運命づけられるのではないだろうか。嫌だと主張できない者は堕ちて行くだろう。
こう空白の時間が長いと、東京での17年間、何か得たものはあるのかと、東京に行ったこと自体を後悔するような気持ちになることもある。その度に、いやいや会社も作ったし、その関係でいろんな人にも出会えたしと否定する自分もいる。311で全ては崩壊するわけだが、それも含めて得たものとしないといけないとか。会社をダメにしたのは私の能力不足であることを認めて久しいが、いつまでもこのままでいいと思ってはいない。つまり、復活してはじめて昔こうだったと言える権利があるということ。今のままではただの無能だ。チャンスがなかなか見出せない焦りがあると思う。
今なら適切な見積もりが可能かというとそんなことはない。コンピュータを使っての泥仕事の意味をわからない連中が多い中で適切な評価は難しい。一番説得的な話だと思うのは、人が増えるということと同じだということ。会社員は何もしなくとも給料をもらえる。我々の仕事は、それは無いが基本は霞を食って生きるわけではないので毎月の生活費は必要だ。その上で技術料としてのプラスが無いと研究費用も出ないのだ。世話になった会社の若ぇ衆は、それも最初から「費用」に含まれていると考えると言っていた。改めて言われても困ると。
こういう発想は、自分の仕事がわかっていない証拠だ。今でもつまらない仕事をしていると思う。何らかの連絡があるかと思ったが、意見を言わない社員なので基本それは無いのだろう。全ては言われるままに。そして、つぶれる時も言われるままなのだろう。やる事はわかっているのだからもう少し勉強すればいいだけのことだが、それもしない。私に聞く事もせずに最後は敵対する側になってしまった。よくない関係になった。最初からいた連中ではないので、そんなものなのか。
京都でも東京でも行った事自体を後悔するようなことは無いと思う。そうなりそうな気持ちにもなるのは事実だが。歌ではないが、その街にはキミだけのドラマがある、ということ。共通しているのは、厳しい、つらい思い出しか残っていないということ。自分の性格によるものと思うが、甘くせつない恋の話など無い。力一杯ふられたことはあるのだが。
今週末は緊張する。良くも悪くも動きはある。そして、来月初めにも。私にとっていい動きであって欲しいと思う。今は、うまく行くように祈るだけだ。そして、研究を怠らないこと。これに尽きる。ふたたび、がんばろう。
今なら適切な見積もりが可能かというとそんなことはない。コンピュータを使っての泥仕事の意味をわからない連中が多い中で適切な評価は難しい。一番説得的な話だと思うのは、人が増えるということと同じだということ。会社員は何もしなくとも給料をもらえる。我々の仕事は、それは無いが基本は霞を食って生きるわけではないので毎月の生活費は必要だ。その上で技術料としてのプラスが無いと研究費用も出ないのだ。世話になった会社の若ぇ衆は、それも最初から「費用」に含まれていると考えると言っていた。改めて言われても困ると。
こういう発想は、自分の仕事がわかっていない証拠だ。今でもつまらない仕事をしていると思う。何らかの連絡があるかと思ったが、意見を言わない社員なので基本それは無いのだろう。全ては言われるままに。そして、つぶれる時も言われるままなのだろう。やる事はわかっているのだからもう少し勉強すればいいだけのことだが、それもしない。私に聞く事もせずに最後は敵対する側になってしまった。よくない関係になった。最初からいた連中ではないので、そんなものなのか。
京都でも東京でも行った事自体を後悔するようなことは無いと思う。そうなりそうな気持ちにもなるのは事実だが。歌ではないが、その街にはキミだけのドラマがある、ということ。共通しているのは、厳しい、つらい思い出しか残っていないということ。自分の性格によるものと思うが、甘くせつない恋の話など無い。力一杯ふられたことはあるのだが。
今週末は緊張する。良くも悪くも動きはある。そして、来月初めにも。私にとっていい動きであって欲しいと思う。今は、うまく行くように祈るだけだ。そして、研究を怠らないこと。これに尽きる。ふたたび、がんばろう。
歴史の本を読み進めるためにけっこうな時間を使った一日。良くも悪くも今週は動きがある。少し、頭も鍛えておく必要があった。しかし、さすがに疲れる。夕方少しうたた寝してしまった。結局のところ、私は高校時代、歴史の勉強などしていなかったと思える。理解していない。
そのことを今、大河ドラマを見たり、歴史書を読んだりして確認している。とても受験などできる状態ではなかったのかもしれない。しかし、多くの受験生は、そんなものなのかもしれない。よく歴史は暗記物と言われる。私のようにいちいち理解しようとしていたら、それこそ、いくら時間があっても足りない。実際、私はプラス4年かけても勉強は進まなかった。
今のように勉強を続けると一応の通史的な知識は得られると思うが、私の好む玄人っぽい研究は、とてもおぼつかない。もっともっと史書や様々な説を知らなければどうにもならない。ドラマすら理解できないのだから。歴史において、おもしろい企画をやりたくてずっと案を練っているのだが、結局は著作権の問題でどうにもならないかもしれない。しかし、そんな中でも私たちは、歴史事典をこしらえた。
とにかく興味のおもむくままに、やるだけのことはやろうとまた、古本を購入した。文庫なのでかさばらないが、量が多い。他にも欲しかったが、あえて先延ばしにした。よほどのことが無い限り、古本が逃げて行くことは無い。怖いのは私の好奇心が消えること。そのためにもあえて、複数は買わないようにしている。
出版社の本をデジタル化することはかなわないのだろうか。そんなことはない、ここでデジタル化しないと次の世代に先送りするだけのこと。何も変わらない。儲けは不明かもしれないが、確実にデジタル化をして次につなげることが大事だ。過去の本を利用しないならともかく、堂々利用しておきながら、デジタル化はしないと言い切ったバカな担当もいた。
自分が何を言っているのかさえ理解できていないのかもしれない。その担当が作った本は確かにぬるい内容だった。自分は調べたつもりかもしれないが、従来の通り、気が付く範囲で調べて作ったに過ぎないのだろう。誰が書いたのかわかるデータというのは、今後重要になるのではないか。そして、ネットの情報とは、署名入りのデータを意味するようになるのでは。ウィキペディアでは、結局、引用しても意味が無いのだ。
そのことを今、大河ドラマを見たり、歴史書を読んだりして確認している。とても受験などできる状態ではなかったのかもしれない。しかし、多くの受験生は、そんなものなのかもしれない。よく歴史は暗記物と言われる。私のようにいちいち理解しようとしていたら、それこそ、いくら時間があっても足りない。実際、私はプラス4年かけても勉強は進まなかった。
今のように勉強を続けると一応の通史的な知識は得られると思うが、私の好む玄人っぽい研究は、とてもおぼつかない。もっともっと史書や様々な説を知らなければどうにもならない。ドラマすら理解できないのだから。歴史において、おもしろい企画をやりたくてずっと案を練っているのだが、結局は著作権の問題でどうにもならないかもしれない。しかし、そんな中でも私たちは、歴史事典をこしらえた。
とにかく興味のおもむくままに、やるだけのことはやろうとまた、古本を購入した。文庫なのでかさばらないが、量が多い。他にも欲しかったが、あえて先延ばしにした。よほどのことが無い限り、古本が逃げて行くことは無い。怖いのは私の好奇心が消えること。そのためにもあえて、複数は買わないようにしている。
出版社の本をデジタル化することはかなわないのだろうか。そんなことはない、ここでデジタル化しないと次の世代に先送りするだけのこと。何も変わらない。儲けは不明かもしれないが、確実にデジタル化をして次につなげることが大事だ。過去の本を利用しないならともかく、堂々利用しておきながら、デジタル化はしないと言い切ったバカな担当もいた。
自分が何を言っているのかさえ理解できていないのかもしれない。その担当が作った本は確かにぬるい内容だった。自分は調べたつもりかもしれないが、従来の通り、気が付く範囲で調べて作ったに過ぎないのだろう。誰が書いたのかわかるデータというのは、今後重要になるのではないか。そして、ネットの情報とは、署名入りのデータを意味するようになるのでは。ウィキペディアでは、結局、引用しても意味が無いのだ。
昨夜、一瞬ひらめいてある行動に。しかし、これが実を結ぶのかどうかわからない。小さな勇気が何かのきっかけになればうれしいのだが。
毎日が苦しいのだが、これは病気とか不眠とかではない。やはり、好きな仕事ができないからだ。目の前にやるべきことがあるにもかかわらず手が出せない故にだ。もっとも私にやれと言われているわけではないのだが。単に私が自分がやるべき仕事だと言っているに過ぎない。
私が苦しいと周りの人間まで巻き込んでしまう。うっとうしいこの空気を何とか打ち破りたいと思っている。だから、こうして書いておく。苦しい現実にぶち当たれば、希望が生まれる。その心が昨夜の仕事をさせたのではないか。
考えてみれば、私がくすぶっている理由も無い。私の営業下手は認めるのだが、能力不足までは認められない。不足していると思うことは、この十数年間磨いて来たつもりだ。もちろん、まだ磨き足りないという批判は甘んじて受けるつもりだ。今、能力が無いとしても取り入れ、自分のものにする自信はある。
通常ならば、まだまだ先は長いとのんびり構えていれば良かったのだが、私は311被曝をしているだけに時間はあまりないと思わなければならない。のんびりと構えることは命取りになることは確実だ。自分が思うよりも数年は前倒しで事を運ばなければならないと思っている。しんどいには違いないが、自分の使命と思えばできることだ。
相手に単なる金儲け屋と思われては動かないかもしれないが、仕事本意に生きる人間であることをしっかり知ってもらうことで何とかならないかと思っている。そもそも、ボロ儲けは難しい仕事。スマホやタブレットのOS作りにも似た微妙な仕事だ。スケジュールがなかなか組めない。見事、成果が出来たとしても今度は買い手の問題がある。勉強ばかりする人はそんなに多くはない。ここにボロ儲けできない原理がある。立派な内容であっても売れない所以だ。
売れないからやらないというのが普通の経営者の判断なのかもしれない。今まで私がお世話になっていた会社の役員が変わっていたのかもしれない。しかし、私には正しい判断だったと思っている。状況は違っているが、私たちを手助けしてくれたし、その後も応援してくれていた。ただ、時間が無かったとは言えるだろう。内訌があったことや私自身が体調を崩したのも痛かった。
私自身の都合は、うまく時代をとらえているのではないかと思う。歴史書にしても辞典にしても、とにかくデジタル化されていなければ、目で確認する他ない。これはさすがに情報の伝達という意味からも弱すぎる。これまでは、のんびりした時代だということもあって、見過ごされて来たのだが、今後もそうであっていいということではない。明らかに矛盾している。この矛盾の原因は「売れないからデジタル化はやらない」と判断したことから来るものだ。
となると、いかにデジタル化するのかということを考えなければならないということになるだろう。従来私が聞かされて来たような「できない理由」をダラダラ並べても、それはまったく意味の無いことに過ぎない。これまでずっと自社を生き延びさせるために仕事を作っていると批判されて来た、私が出て行かなければならない理由だ。私はやることだけを考えて生きて来たのだから。
毎日が苦しいのだが、これは病気とか不眠とかではない。やはり、好きな仕事ができないからだ。目の前にやるべきことがあるにもかかわらず手が出せない故にだ。もっとも私にやれと言われているわけではないのだが。単に私が自分がやるべき仕事だと言っているに過ぎない。
私が苦しいと周りの人間まで巻き込んでしまう。うっとうしいこの空気を何とか打ち破りたいと思っている。だから、こうして書いておく。苦しい現実にぶち当たれば、希望が生まれる。その心が昨夜の仕事をさせたのではないか。
考えてみれば、私がくすぶっている理由も無い。私の営業下手は認めるのだが、能力不足までは認められない。不足していると思うことは、この十数年間磨いて来たつもりだ。もちろん、まだ磨き足りないという批判は甘んじて受けるつもりだ。今、能力が無いとしても取り入れ、自分のものにする自信はある。
通常ならば、まだまだ先は長いとのんびり構えていれば良かったのだが、私は311被曝をしているだけに時間はあまりないと思わなければならない。のんびりと構えることは命取りになることは確実だ。自分が思うよりも数年は前倒しで事を運ばなければならないと思っている。しんどいには違いないが、自分の使命と思えばできることだ。
相手に単なる金儲け屋と思われては動かないかもしれないが、仕事本意に生きる人間であることをしっかり知ってもらうことで何とかならないかと思っている。そもそも、ボロ儲けは難しい仕事。スマホやタブレットのOS作りにも似た微妙な仕事だ。スケジュールがなかなか組めない。見事、成果が出来たとしても今度は買い手の問題がある。勉強ばかりする人はそんなに多くはない。ここにボロ儲けできない原理がある。立派な内容であっても売れない所以だ。
売れないからやらないというのが普通の経営者の判断なのかもしれない。今まで私がお世話になっていた会社の役員が変わっていたのかもしれない。しかし、私には正しい判断だったと思っている。状況は違っているが、私たちを手助けしてくれたし、その後も応援してくれていた。ただ、時間が無かったとは言えるだろう。内訌があったことや私自身が体調を崩したのも痛かった。
私自身の都合は、うまく時代をとらえているのではないかと思う。歴史書にしても辞典にしても、とにかくデジタル化されていなければ、目で確認する他ない。これはさすがに情報の伝達という意味からも弱すぎる。これまでは、のんびりした時代だということもあって、見過ごされて来たのだが、今後もそうであっていいということではない。明らかに矛盾している。この矛盾の原因は「売れないからデジタル化はやらない」と判断したことから来るものだ。
となると、いかにデジタル化するのかということを考えなければならないということになるだろう。従来私が聞かされて来たような「できない理由」をダラダラ並べても、それはまったく意味の無いことに過ぎない。これまでずっと自社を生き延びさせるために仕事を作っていると批判されて来た、私が出て行かなければならない理由だ。私はやることだけを考えて生きて来たのだから。