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心を正常に戻すためのツールを今朝からツイートしている。カモミールティーやアロマなどはよく知られたことだが、「買い物」ということも意外に機能する。けちな人はけっこう、落ち込むことはあると思う。買うという行為を有機的につなげれば、仕事にもつながるし、趣味にもつながるし、自己満足もできるのだ。
これまで私が買い続けてきたものは、確かに仕事につながり役に立ったこともあったが、大半はくだらない買い物だったことを思えば、ここを何とか抑えれば金は節約できると思われる。ただ、無駄は一切認めないということになれば、いかにも息苦しい。大きな無駄は認めて、これからはできるだけ有効なお金使いをするよう心がけるしかない。
言いたいことは、買うという行為がいかに魅力的かということ。買うことは、それがいかにロクでもないものであっても、我を忘れるくらいなのだ。それは、他人が買うものに関心が無いことを思えばわかりやすい。まさに自分だけの行為であって、他人には価値が無いものなのだ。
さすがの私も最近は、しょうもない買い物は少なくなったが、無駄な買い物は多い。特に、タブレットなどは1つでも多く欲しいのでついつい仕事と称して買うが失敗は多い。いいものというものに巡り会えないのだ。
男が好きそうなものは、ミリタリーというか、サバイバルゲーム的なものだ。私も好きだが、この方面は調べるのに時間がかかる。みすみすどぶに棄てるようなことはしたくないので調べるのだが、これに失望して買わないこともある。
今の私の買い物は、生活に根ざしたものが多くなっている。ネズミやネコの撃退とかである。それらは、成功してきているものの、もう少しいいものが欲しくなる。それを探すのが楽しかったりする。
そして、そこから始まって車用品を物色したりする。そのように興味を広げていくと、何もしたくないという気持ちはどこかに消えて、前向きな気分になれるのだった。だから、単純に買うという行為は意外に大きい。多少の無駄は覚悟して買い物をすることは気持ちを前向きにしてくれる。
これまで私が買い続けてきたものは、確かに仕事につながり役に立ったこともあったが、大半はくだらない買い物だったことを思えば、ここを何とか抑えれば金は節約できると思われる。ただ、無駄は一切認めないということになれば、いかにも息苦しい。大きな無駄は認めて、これからはできるだけ有効なお金使いをするよう心がけるしかない。
言いたいことは、買うという行為がいかに魅力的かということ。買うことは、それがいかにロクでもないものであっても、我を忘れるくらいなのだ。それは、他人が買うものに関心が無いことを思えばわかりやすい。まさに自分だけの行為であって、他人には価値が無いものなのだ。
さすがの私も最近は、しょうもない買い物は少なくなったが、無駄な買い物は多い。特に、タブレットなどは1つでも多く欲しいのでついつい仕事と称して買うが失敗は多い。いいものというものに巡り会えないのだ。
男が好きそうなものは、ミリタリーというか、サバイバルゲーム的なものだ。私も好きだが、この方面は調べるのに時間がかかる。みすみすどぶに棄てるようなことはしたくないので調べるのだが、これに失望して買わないこともある。
今の私の買い物は、生活に根ざしたものが多くなっている。ネズミやネコの撃退とかである。それらは、成功してきているものの、もう少しいいものが欲しくなる。それを探すのが楽しかったりする。
そして、そこから始まって車用品を物色したりする。そのように興味を広げていくと、何もしたくないという気持ちはどこかに消えて、前向きな気分になれるのだった。だから、単純に買うという行為は意外に大きい。多少の無駄は覚悟して買い物をすることは気持ちを前向きにしてくれる。
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またぞろ会社をどうするかの選択に迫られている。言うまでもなく、仕事が無いからだ。私に営業能力がほとんど無いため、継続してもあまり意味が無い。もちろん、希望とか夢とかはあるのだが、現実はあまりにも厳しいということ。このまま終わらないにしても忙しいさなかに作った私の会社もここで終わりにすることも考えている。それが、ひとまずなのか、永遠なのかわからない。普通は私の年齢を考えれば、次は無い。ただ、それでは生きる元気も無くなる、そういうことだ。
今月中に決断することになる。またパートナーを大きく失望させることになるし、二度と相手にされないかもしれない。私のようなのが一番たちが悪い。悪いと思いながらも最悪のことを実行してしまうのだから。何も言わず、再起できればよし、できなければ黙っておくしかないだろう。
なかなか、田舎で生きていく厳しさも実感している。いくら東京で技を磨いたとしても現実に田舎では必要はないわけだ。その点が非常に苦しい。しかも、まだ東京の会社に色気を示している。本来ならば、いい関係でやれるはずなのだが、私の関知しないところで何かが起きているのだろう。
ただ、今後も強気で生きるべきだと思っているのに変わりはない。弱気でいっても仕方がないからだ。やるべきことはやっていきだめならあきらめる。そんな生き方をやって来た。今後もそれは変わらない。希望としては、私の持つものを何とか伝えてからあちらに行きたいというだけのこと。できるだけ小さな組織がいいのだが、なかなか田舎でもんもんとしていただけでは見つからない。
今後もつらいことがあってもとりあえず書くことは続けよう。久しぶりにThinkPadを立ち上げたのだが、やはり使いやすい。画面がそれほど美しくはないのだが肝心のキーボードはものすごく使いやすい。
今月中に決断することになる。またパートナーを大きく失望させることになるし、二度と相手にされないかもしれない。私のようなのが一番たちが悪い。悪いと思いながらも最悪のことを実行してしまうのだから。何も言わず、再起できればよし、できなければ黙っておくしかないだろう。
なかなか、田舎で生きていく厳しさも実感している。いくら東京で技を磨いたとしても現実に田舎では必要はないわけだ。その点が非常に苦しい。しかも、まだ東京の会社に色気を示している。本来ならば、いい関係でやれるはずなのだが、私の関知しないところで何かが起きているのだろう。
ただ、今後も強気で生きるべきだと思っているのに変わりはない。弱気でいっても仕方がないからだ。やるべきことはやっていきだめならあきらめる。そんな生き方をやって来た。今後もそれは変わらない。希望としては、私の持つものを何とか伝えてからあちらに行きたいというだけのこと。できるだけ小さな組織がいいのだが、なかなか田舎でもんもんとしていただけでは見つからない。
今後もつらいことがあってもとりあえず書くことは続けよう。久しぶりにThinkPadを立ち上げたのだが、やはり使いやすい。画面がそれほど美しくはないのだが肝心のキーボードはものすごく使いやすい。
私は目を閉じる直前まであきらめないと決めているので「疲れた」と言うことは無いのだが、それでも日々へこむことは多い。あまりにプログラミングから遠ざかっているとやれることまで「難しい」と思ったりする。この点は何とかしないと思う。その方面の勉強は常にやらないといけない。
仕事にしてもそうだ。なかなか決まらないと、これはもう永久にダメではないかと思ったりする。出費もそこそこあるので後が無いという切実な問題もある。仕事の募集は時折あるのはいいのだが、私の年齢だとなかなか採用まで行かない。雇う側にも経歴以前に年齢で不可のようだ。営業活動はどうかというと、これがさっぱり。先日もある所にメールだけだが出してみたが反応すらない。これは、相手方のやる気以前の問題で、何を判断しなければいけないのか、理解すらできていないのではないか。
私の構想は、最近では図書館を何とかしなければならないという方向に向かっている。そのために何とか仕事をしてからあちらへ、という発想になっている。現時点では図書館は単なる無料の貸本屋だ。現実には税金が投入されているので無料ということはないのだが、感覚として。これを図書館組織を独立させて、図書館でもデジタル化作業をするようにする。順番としては、必須の情報が急がれる。今なら、クスリや原発、放射能汚染、政治、歴史の情報が優先されるべきだろう。
国会の中継でももっと全面的に放送されなければならない。図書館チャンネルを設けて、図書館が独自に必要なものを放送してアーカイブする。書籍のデジタル化は、中身まで公開が原則で、権利の問題はクリアーできるように法律も整備すべきだ。現時点ではなかなか公開できない問題がありそうだ。
国民が仕事をしつつ普通に生きて行く場合に必要な情報。それは日々どんどん大きくなって行く。新聞やテレビ、ラジオでは誤解するような情報を図書館が情報提供して更正して行くことができればいい。マスコミの提供する情報は基本誤りがあるという常識ができるといいと思う。
仕事にしてもそうだ。なかなか決まらないと、これはもう永久にダメではないかと思ったりする。出費もそこそこあるので後が無いという切実な問題もある。仕事の募集は時折あるのはいいのだが、私の年齢だとなかなか採用まで行かない。雇う側にも経歴以前に年齢で不可のようだ。営業活動はどうかというと、これがさっぱり。先日もある所にメールだけだが出してみたが反応すらない。これは、相手方のやる気以前の問題で、何を判断しなければいけないのか、理解すらできていないのではないか。
私の構想は、最近では図書館を何とかしなければならないという方向に向かっている。そのために何とか仕事をしてからあちらへ、という発想になっている。現時点では図書館は単なる無料の貸本屋だ。現実には税金が投入されているので無料ということはないのだが、感覚として。これを図書館組織を独立させて、図書館でもデジタル化作業をするようにする。順番としては、必須の情報が急がれる。今なら、クスリや原発、放射能汚染、政治、歴史の情報が優先されるべきだろう。
国会の中継でももっと全面的に放送されなければならない。図書館チャンネルを設けて、図書館が独自に必要なものを放送してアーカイブする。書籍のデジタル化は、中身まで公開が原則で、権利の問題はクリアーできるように法律も整備すべきだ。現時点ではなかなか公開できない問題がありそうだ。
国民が仕事をしつつ普通に生きて行く場合に必要な情報。それは日々どんどん大きくなって行く。新聞やテレビ、ラジオでは誤解するような情報を図書館が情報提供して更正して行くことができればいい。マスコミの提供する情報は基本誤りがあるという常識ができるといいと思う。
今日はこの国を変えてしまうくらいの暴挙に対して大規模な抗議行動がある。私も行きたいのだが、仕事も無いようでは難しい。むしろ、今の私のやるべき事は仕事を見つけること。営業でもいいし、アルバイトでもいい。
連日、受験や学問に対する書き込みをしたのだが、これは今でも私が受験や学問にこだわっていることを示している。勉強したいが、受験勉強したいわけではない。数学をやりたいが、「大学への数学」をやりたいわけではないのだ。先人がどう考えたのかを学びたいだけのこと。もちろん、それによって応用問題が解けるようになるのであれば、うれしいのだが。
ツイッターでは反論を頂いたが、受験は不要というのが私の結論だ。ただ、残すならばバイパスをというのが私の妥協点だ。私のように受験不適合の人間はけっこう多いと思うからだ。かつて読んだ『大学受験の教育学的研究』という本にもその記述があった。この本がスゴイのは共通一次が始まってすぐの頃に「一刻も早くやめるべき」と結論していたところ。それから、浪人の実態を把握していないという指摘をしたことであった。
考えてみれば、高校の用意する補習科に行けば、高校も把握はするが、面倒まで見ない。私の例だとかつての英語の教師が街でバッタリ出会った時「また、高校にけえ。」と言うくらいだ。彼は本当に心配してくれていたのだろうが、私は聞く耳を持っていなかった。高校は、確かに私の悩みを共に考えてくれる場ではないからだ。点数を見て、おめーはこの大学なら通る、などといった子供でもできることをやる場だった。私は嫌というほどそれを見て来たのだった。
私の悩みはそういう所には無く、勉強したいが受験がある以上、大学へは行けない、この矛盾をどう解決するのか、という点にあった。私が興味を持ったのは2浪の時に出会った教師だった。彼は、私の無謀な志望に対して反対しないどころか、がんばれと言うのだった。私立の受験を薦めたのも彼だった。結局、私はどこも受からず、彼を失望させたかもしれないが、いい人に出会ったという思いだった。彼にもどうしていいのかわからなかったかもしれない。成績が上がらない以上、受験は失敗する他ないのだから。それに対して議論は無いのだ。
現実の私は、さらにもう2年考えなければ結論を出せなかったのだった。私の性格上、教わる気はないのだから、何年かかろうとも自分で結論を出すことが重要だった。2浪の時に出会った恩師がそこまで考えていたのかどうかわからない。私の親と同じ世代だったので、子供の考えていることなど自明だったかもしれない。未熟だが、私も悩んだ。クスリなど飲んだことはないが、症状としては鬱状態だったのではないかと思う。確かに体はだるく、無駄に性欲を処理するのが日課だったような気がする。
社会の動きなど知る由もない当時の私だったが、微妙に感じていてがんばれば、何とかなる的な発想だったと思う。しかし、現実はびくともしない。どうするのか、を毎日悩み、ベロは真っ白、痔疾は悪化という日々だった。食欲は無いが、死なないために食していたという感じだった。4浪は最後の時間だった。これでがんばっても無理ならば、仕事をしながらでも勉強するというのが私のギリギリの判断だった。
連日、受験や学問に対する書き込みをしたのだが、これは今でも私が受験や学問にこだわっていることを示している。勉強したいが、受験勉強したいわけではない。数学をやりたいが、「大学への数学」をやりたいわけではないのだ。先人がどう考えたのかを学びたいだけのこと。もちろん、それによって応用問題が解けるようになるのであれば、うれしいのだが。
ツイッターでは反論を頂いたが、受験は不要というのが私の結論だ。ただ、残すならばバイパスをというのが私の妥協点だ。私のように受験不適合の人間はけっこう多いと思うからだ。かつて読んだ『大学受験の教育学的研究』という本にもその記述があった。この本がスゴイのは共通一次が始まってすぐの頃に「一刻も早くやめるべき」と結論していたところ。それから、浪人の実態を把握していないという指摘をしたことであった。
考えてみれば、高校の用意する補習科に行けば、高校も把握はするが、面倒まで見ない。私の例だとかつての英語の教師が街でバッタリ出会った時「また、高校にけえ。」と言うくらいだ。彼は本当に心配してくれていたのだろうが、私は聞く耳を持っていなかった。高校は、確かに私の悩みを共に考えてくれる場ではないからだ。点数を見て、おめーはこの大学なら通る、などといった子供でもできることをやる場だった。私は嫌というほどそれを見て来たのだった。
私の悩みはそういう所には無く、勉強したいが受験がある以上、大学へは行けない、この矛盾をどう解決するのか、という点にあった。私が興味を持ったのは2浪の時に出会った教師だった。彼は、私の無謀な志望に対して反対しないどころか、がんばれと言うのだった。私立の受験を薦めたのも彼だった。結局、私はどこも受からず、彼を失望させたかもしれないが、いい人に出会ったという思いだった。彼にもどうしていいのかわからなかったかもしれない。成績が上がらない以上、受験は失敗する他ないのだから。それに対して議論は無いのだ。
現実の私は、さらにもう2年考えなければ結論を出せなかったのだった。私の性格上、教わる気はないのだから、何年かかろうとも自分で結論を出すことが重要だった。2浪の時に出会った恩師がそこまで考えていたのかどうかわからない。私の親と同じ世代だったので、子供の考えていることなど自明だったかもしれない。未熟だが、私も悩んだ。クスリなど飲んだことはないが、症状としては鬱状態だったのではないかと思う。確かに体はだるく、無駄に性欲を処理するのが日課だったような気がする。
社会の動きなど知る由もない当時の私だったが、微妙に感じていてがんばれば、何とかなる的な発想だったと思う。しかし、現実はびくともしない。どうするのか、を毎日悩み、ベロは真っ白、痔疾は悪化という日々だった。食欲は無いが、死なないために食していたという感じだった。4浪は最後の時間だった。これでがんばっても無理ならば、仕事をしながらでも勉強するというのが私のギリギリの判断だった。
私は気分で勉強して来た口なので、やりたくない人間はやらなくていいという考えだが、政治家はその国民の鏡だという考えに立てば、放置も難しい。情報弱者がそのまま国会に行っても困るのは、送った側だ。問題は、「なぜ?」をなぜ問えないかだろう。有名大学へ行くような連中でも受験には「慣れる」方針で臨んでいたと思う。なぜかを問うていたら、高校の3年では合格するための勉強はできないからだ。
だが、大学か仕事先で「なぜ?」を問える人間に転換できるのかというとそうではないかもしれない。ひとたび慣れる勉強になじむと考えることは難しいし、ゼロから学ぶことなど煩わしいはずだ。結局、やらないことになる。やらなくても「大卒」という免罪符があるのだから。
311で被曝しなかった者にとって、放射能のことを考えたり、被害者の存在を想像するのは難しいかもしれない。これは、情報を伝達する側の問題が大きいかもしれない。勉強とはまた違った要素だが、それも勉強に含まれるかもしれない。どういう情報を仕入れるかもまた勉強だからだ。
結局、その気になればできる環境を用意しておくというのが大事で私の我田引水的な表現で言えば、図書館を情報拠点にするということになる。それは、従来の紙の本の図書館ではなく、デジタルな電子図書館だ。これで、居ながらにして詳細な情報にありつけるとしたらどうか。仕事を始めると、そうそう簡単に勉強などできないものだ。しかし、時間さえ作れば後は情報はいっぱいあるとしたら。
ただし、これも考えものでマスコミが御用になったのは食えないからだ。この反省に立てば、図書館とて今が示しているように、予算を削減されたら一発で情報は途絶える。だから、公的な存在だが、政府とは独立した機関であるべきだろう。教育委員会が牛耳るなど論外だろう。全国にわりと細かくあるというのは非常に良くて、たとえ時の政権が図書館を襲撃しても代理図書館がいくつもあり、情報隠蔽は難しいわけだ。
図書館に情報を提供するのは個人でもネットメディアでも何でもいい。とにかく、国民に利する情報を持つ人、組織がやればいい。費用は税金でまかなうことになろう。絶対的に必要な情報なので当然のことだろう。うまく機能すれば、全国の図書館が連係してデータを作ったり、共有したりもできるだろう。個人のツイキャスを図書館が流すとすると、その個人に謝礼金があってしかるべきだろう。選択は図書館側がやればいいと思う。
従来のような紙の本での勉強は非常に手間がかかり、時間的にも厳しい。それよりも、面倒だがデジタル化して自宅で検索できるようなデータベースをできるだけたくさん作る、これが教育の第一歩と考える。さすがに実験のようなことはできないが、ことによれば、実験のビデオをいくつも用意することで、ひとまず学習はできるかもしれない。
だが、大学か仕事先で「なぜ?」を問える人間に転換できるのかというとそうではないかもしれない。ひとたび慣れる勉強になじむと考えることは難しいし、ゼロから学ぶことなど煩わしいはずだ。結局、やらないことになる。やらなくても「大卒」という免罪符があるのだから。
311で被曝しなかった者にとって、放射能のことを考えたり、被害者の存在を想像するのは難しいかもしれない。これは、情報を伝達する側の問題が大きいかもしれない。勉強とはまた違った要素だが、それも勉強に含まれるかもしれない。どういう情報を仕入れるかもまた勉強だからだ。
結局、その気になればできる環境を用意しておくというのが大事で私の我田引水的な表現で言えば、図書館を情報拠点にするということになる。それは、従来の紙の本の図書館ではなく、デジタルな電子図書館だ。これで、居ながらにして詳細な情報にありつけるとしたらどうか。仕事を始めると、そうそう簡単に勉強などできないものだ。しかし、時間さえ作れば後は情報はいっぱいあるとしたら。
ただし、これも考えものでマスコミが御用になったのは食えないからだ。この反省に立てば、図書館とて今が示しているように、予算を削減されたら一発で情報は途絶える。だから、公的な存在だが、政府とは独立した機関であるべきだろう。教育委員会が牛耳るなど論外だろう。全国にわりと細かくあるというのは非常に良くて、たとえ時の政権が図書館を襲撃しても代理図書館がいくつもあり、情報隠蔽は難しいわけだ。
図書館に情報を提供するのは個人でもネットメディアでも何でもいい。とにかく、国民に利する情報を持つ人、組織がやればいい。費用は税金でまかなうことになろう。絶対的に必要な情報なので当然のことだろう。うまく機能すれば、全国の図書館が連係してデータを作ったり、共有したりもできるだろう。個人のツイキャスを図書館が流すとすると、その個人に謝礼金があってしかるべきだろう。選択は図書館側がやればいいと思う。
従来のような紙の本での勉強は非常に手間がかかり、時間的にも厳しい。それよりも、面倒だがデジタル化して自宅で検索できるようなデータベースをできるだけたくさん作る、これが教育の第一歩と考える。さすがに実験のようなことはできないが、ことによれば、実験のビデオをいくつも用意することで、ひとまず学習はできるかもしれない。