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といっても、実際に二つの環境を生きているわけではない。要するに、自己嫌悪と弱気の行ったり来たりという意味だ。先に進めないので会社にまつわることは、あえて前向きに考えて来たが、清算となるとやはり、ショックは大きい。そして、弱気の虫。
これではなかなか前には進めない。悪いこと、自分には経営の才は無かったことは、ハッキリしたので弱気になったり、自己嫌悪しても始まらないので強気で行こうと決めたのだった。ここまで仕事が無いと、さすがに弱気にもなるわ、ということ。
本来なら、営業車でガンガン仕事をしたいところだ。それが、さっぱりできていない。プログラミングからも遠く離れている。
今週、また動きがある。今週、来週がこの8月の山場で、これを過ぎるとちょっとわからない。もちろん、個人的に営業もする。
今の心境は、あきらめでもなく、ヤケクソでもなく、絶望でもなく、希望でも無い。それでも、いつもの通り、この言葉、がんばろう。(^_^;)
これではなかなか前には進めない。悪いこと、自分には経営の才は無かったことは、ハッキリしたので弱気になったり、自己嫌悪しても始まらないので強気で行こうと決めたのだった。ここまで仕事が無いと、さすがに弱気にもなるわ、ということ。
本来なら、営業車でガンガン仕事をしたいところだ。それが、さっぱりできていない。プログラミングからも遠く離れている。
今週、また動きがある。今週、来週がこの8月の山場で、これを過ぎるとちょっとわからない。もちろん、個人的に営業もする。
今の心境は、あきらめでもなく、ヤケクソでもなく、絶望でもなく、希望でも無い。それでも、いつもの通り、この言葉、がんばろう。(^_^;)
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いつも失意の私を勇気づけるのは、紙の辞書の存在だ。紙の書籍でも何十巻にもなる大きなものもそうだ。昨日は落ち着くとか癒されると書いたが、今日はもっと突っ込んでみたい。
紙の辞書の良さは、電力も要らないし、下手をすると一生使える。スイッチなど無く、手に持ったその時から使える。弱点は、コミック本を見れば分かるように、時とともに朽ちて行く。辞書の紙は中性紙なので、100年はもつようだ。しかし、日焼けはするし、汚れてくるし、価値は明らかに落ちる。
一方、表面的な弱点だけではなく、使用において重大な弱点も存在する。それは、情報を目でしか追えないということ。検索は、あくまでも目でしかない。ちょっとしたことを調べるだけでも恐ろしく時間を要することがある。結局、紙の本というのは、時間がタップリある時代に作られたものだからではないのか。少々時間がかかっても、見落としても可のような時代だったのではないのか。
私が某社の編集部に提案した時に発覚したのだが、今でも古い本を利用しているという。これは、新刊本に引用資料として載っているから事実だろう。問題なのは、目でしか追えないということだ。つまり、見落としも十二分に見込めるということ。それくらいのゆるい仕事をしているということだ。私の提案は、この元本をデジタル化しようというものだった。担当は、私の提案がダメなような書き方で却下していた。上を説得できないとのこと。やる気も無いくせに。最新の彼の仕事を見たが、確かにぬるい仕事ぶりだった。そして、それが許される組織なのだろう。
私に言わせれば、元のネタ本は確かに古い。しかし、これをデータベースとして持つと、次の仕事がやりやすい。また、間違いがあれば、修正して新しいデータベースを作ることもできる。特に、新しい本を作る時のデータベースとしての価値は抜群だろう。よほど下手な検索をしない限り、見逃すことも難しい。目で追わないだけに、新たな視点に立ったデータも用意できる。
辞書にしても同じことだ。辞書も普通は、どんどんデータを追加するデータベースなので、デジタル化する意味は大きい。この分野だけは、アプリでも少しあるのは、そのせいだと思われる。しかし、出版社から見ると魅力的な商品ではないようだ。これは、手間とかを考えずに、儲け、手柄のみを考えるからではないかと思う。製品化して、少しでも世間に知らせ、話題にしてもらう努力も必要だった。
今、私が欲しいのは、新たなものだ。国語辞典でも外国語でも。数があるだけ、新しい発見もある。電子書籍ではなく、辞書のように使う書籍が欲しい。別ジャンルとなるが、必要なデータベースという意味では同じことだ。
紙の辞書の良さは、電力も要らないし、下手をすると一生使える。スイッチなど無く、手に持ったその時から使える。弱点は、コミック本を見れば分かるように、時とともに朽ちて行く。辞書の紙は中性紙なので、100年はもつようだ。しかし、日焼けはするし、汚れてくるし、価値は明らかに落ちる。
一方、表面的な弱点だけではなく、使用において重大な弱点も存在する。それは、情報を目でしか追えないということ。検索は、あくまでも目でしかない。ちょっとしたことを調べるだけでも恐ろしく時間を要することがある。結局、紙の本というのは、時間がタップリある時代に作られたものだからではないのか。少々時間がかかっても、見落としても可のような時代だったのではないのか。
私が某社の編集部に提案した時に発覚したのだが、今でも古い本を利用しているという。これは、新刊本に引用資料として載っているから事実だろう。問題なのは、目でしか追えないということだ。つまり、見落としも十二分に見込めるということ。それくらいのゆるい仕事をしているということだ。私の提案は、この元本をデジタル化しようというものだった。担当は、私の提案がダメなような書き方で却下していた。上を説得できないとのこと。やる気も無いくせに。最新の彼の仕事を見たが、確かにぬるい仕事ぶりだった。そして、それが許される組織なのだろう。
私に言わせれば、元のネタ本は確かに古い。しかし、これをデータベースとして持つと、次の仕事がやりやすい。また、間違いがあれば、修正して新しいデータベースを作ることもできる。特に、新しい本を作る時のデータベースとしての価値は抜群だろう。よほど下手な検索をしない限り、見逃すことも難しい。目で追わないだけに、新たな視点に立ったデータも用意できる。
辞書にしても同じことだ。辞書も普通は、どんどんデータを追加するデータベースなので、デジタル化する意味は大きい。この分野だけは、アプリでも少しあるのは、そのせいだと思われる。しかし、出版社から見ると魅力的な商品ではないようだ。これは、手間とかを考えずに、儲け、手柄のみを考えるからではないかと思う。製品化して、少しでも世間に知らせ、話題にしてもらう努力も必要だった。
今、私が欲しいのは、新たなものだ。国語辞典でも外国語でも。数があるだけ、新しい発見もある。電子書籍ではなく、辞書のように使う書籍が欲しい。別ジャンルとなるが、必要なデータベースという意味では同じことだ。
さすがに、昨日は落ち込んでいた。今日は、ましだがそれでも先が見えないという意味では苦しい。そんな時に、一服の清涼剤としての中国語辞典。最近は、紙のものをひいたり、アプリをひいたりどちらもやってみる。紙の方は、落ち着くが遅いし、情報のモレがあったりする。アプリは、楽だが、イマイチ安心感というか、ええなあという実感が無い。損得で言えば、圧倒的にアプリだが、紙の良さも欲しいということか。
ここで私の従来の主張である、紙を買えば、デジタルはオマケでついて来るという発想が出て来る。これにより、アプリの使用者も増えるし、紙の辞書も買う人が増えるというものではないか。アプリというかデジタルの開発費用は、当面は出版社が持たなければならないが、これはその後の努力次第というところではないか。
中国語も気まぐれでやる分には楽しいし、苦にならない。こういうやり方で勉強できれば一番いいのだが。今、中国語を必須としている受験生ならば、アプリがあるのでかなりはかどる。英語をやるのでもロングマンのアプリがあれば、かなりはかどる。受験生でないのが残念なくらいだ。といって、二度と受験生などやりたくないが。
私は、元来、あくせくしてやるタイプではなく、自分のペースでしつこくやるタイプだ。だから、仕事もそれにつなげよう、つなげようとしている。つまり、資料というのは、あり過ぎて困ることは無いのだ。むしろ、無くて困っている。これまでだと、紙しか無いので調べるのが大変なわけだ。ちょっとのことで数時間費やしたりする。これは、これからのやり方ではない。
私が直面したように、あれもこれも調べたいが、全てそろっているという状態がいい。まさに夢に見た光景だが、本当は、そんなもん夢でも何でもない、ただの資料だ。現実は厳しい。資料でここまで調べた、だからどんなことが言えるのか、考えられるのか、という創造力が必要なわけだ。これこそ、まさに勉強の醍醐味ではある。
私の夢は夢で終わるのか。夢にまで到達できないのか。社会の要請は明らかにあると思うのだが、私は、なぜかその売り込みにおいて成功しているとは言い難い。昨日もプロジェクト名だけを紹介して終わった。アースという名のプロジェクトだ。何かを生み出すという思いが込められている。
ここで私の従来の主張である、紙を買えば、デジタルはオマケでついて来るという発想が出て来る。これにより、アプリの使用者も増えるし、紙の辞書も買う人が増えるというものではないか。アプリというかデジタルの開発費用は、当面は出版社が持たなければならないが、これはその後の努力次第というところではないか。
中国語も気まぐれでやる分には楽しいし、苦にならない。こういうやり方で勉強できれば一番いいのだが。今、中国語を必須としている受験生ならば、アプリがあるのでかなりはかどる。英語をやるのでもロングマンのアプリがあれば、かなりはかどる。受験生でないのが残念なくらいだ。といって、二度と受験生などやりたくないが。
私は、元来、あくせくしてやるタイプではなく、自分のペースでしつこくやるタイプだ。だから、仕事もそれにつなげよう、つなげようとしている。つまり、資料というのは、あり過ぎて困ることは無いのだ。むしろ、無くて困っている。これまでだと、紙しか無いので調べるのが大変なわけだ。ちょっとのことで数時間費やしたりする。これは、これからのやり方ではない。
私が直面したように、あれもこれも調べたいが、全てそろっているという状態がいい。まさに夢に見た光景だが、本当は、そんなもん夢でも何でもない、ただの資料だ。現実は厳しい。資料でここまで調べた、だからどんなことが言えるのか、考えられるのか、という創造力が必要なわけだ。これこそ、まさに勉強の醍醐味ではある。
私の夢は夢で終わるのか。夢にまで到達できないのか。社会の要請は明らかにあると思うのだが、私は、なぜかその売り込みにおいて成功しているとは言い難い。昨日もプロジェクト名だけを紹介して終わった。アースという名のプロジェクトだ。何かを生み出すという思いが込められている。
私が今度手がけるシステムには、アースという名前を付けようと思っている。まさに空想なのだが、そうでもしないと日々が面白くない。
それにしても、どん詰まりだ。何もうまく行かない感じだ。これは決して誇張ではなく100%
正味だ。それとギャップがあり過ぎる。いつも書くように私が何もやる気の無い人間ならば、特に悩むことはなかったはずだ。時間もあるし、いい天気だ。
仲間となるべき人が近づきつつあるとは思うのだが。確かにこう思い通りにならないと毎日がつまらなく思える。仕方のないことだろう。もちろん、これで終わりではなく、また何かやって、そして、また停滞する。ただ、次の停滞まで生きていられるかどうか。私の生命力は、どこらまで持つのだろうか。こう、面白くないと体にも来てしまいそうだ。
いろいろ、楽しくなれる仕組みは研究している。それが追いつかないくらい、辛いことも多い日々。苦しいが、頑張ろう。アースのためにも。
それにしても、どん詰まりだ。何もうまく行かない感じだ。これは決して誇張ではなく100%
正味だ。それとギャップがあり過ぎる。いつも書くように私が何もやる気の無い人間ならば、特に悩むことはなかったはずだ。時間もあるし、いい天気だ。
仲間となるべき人が近づきつつあるとは思うのだが。確かにこう思い通りにならないと毎日がつまらなく思える。仕方のないことだろう。もちろん、これで終わりではなく、また何かやって、そして、また停滞する。ただ、次の停滞まで生きていられるかどうか。私の生命力は、どこらまで持つのだろうか。こう、面白くないと体にも来てしまいそうだ。
いろいろ、楽しくなれる仕組みは研究している。それが追いつかないくらい、辛いことも多い日々。苦しいが、頑張ろう。アースのためにも。
特にボロボロの状態ではないのだが、凹むことが多く更新できないでいる。やはり、それは仕方の無いこと。近しい人がピンチだということもある。やはり、無駄に長く生きていると、昔、お世話になった人が病気したりして、大変になる機会も数多くなって来る。
仕事は、まだまだ厳しい。とても社会の変革を唱えられるような状態ではない。しかし、やりたいことは山のようにある。肉体はいつまでもあるわけではないので、こう言いいつつ冷たくなることもあるのかな、と弱気になったりする。データを作ることは、細かく難しい。それだけに誰もやりたがらないのだ。
今日は、ちょっとプログラムの調べをやっみたりした。やはり、実践で常に磨いていないとどんどん腕は落ちて行く。焦る気持ちもある。しかし、まずは自分の足場を固めてからと思っている。いろんなことに手を出せるのも、足場を固めていてこそだ。
近く遠出をすることがあるかもしれない。もちろん、仕事を求めての話だ。来月は、なんとなくまだ難しい感じがするのだが、秋口には何とかなり、パートナーを保養と称して呼べたらいいなと考えている。もちろん、私の足場が固まらないと言うだけで終わる。そして、その可能性も高い。夢が無いと生きるのが苦しいので夢見ている。
今のところ、出版社が相手だったのだが、将来は違うことになるかもしれない。私に、将来があればの話なのだが。やはり、この国では個人がやりたいという気持ちをすくいあげるようなシステムが無いのが痛い。私は、そうしたしくみを作ってから、あちらへ行きたいのだが。
この夏も私は悩みつつ過ごすことになりそうだ。(; ̄ェ ̄)
仕事は、まだまだ厳しい。とても社会の変革を唱えられるような状態ではない。しかし、やりたいことは山のようにある。肉体はいつまでもあるわけではないので、こう言いいつつ冷たくなることもあるのかな、と弱気になったりする。データを作ることは、細かく難しい。それだけに誰もやりたがらないのだ。
今日は、ちょっとプログラムの調べをやっみたりした。やはり、実践で常に磨いていないとどんどん腕は落ちて行く。焦る気持ちもある。しかし、まずは自分の足場を固めてからと思っている。いろんなことに手を出せるのも、足場を固めていてこそだ。
近く遠出をすることがあるかもしれない。もちろん、仕事を求めての話だ。来月は、なんとなくまだ難しい感じがするのだが、秋口には何とかなり、パートナーを保養と称して呼べたらいいなと考えている。もちろん、私の足場が固まらないと言うだけで終わる。そして、その可能性も高い。夢が無いと生きるのが苦しいので夢見ている。
今のところ、出版社が相手だったのだが、将来は違うことになるかもしれない。私に、将来があればの話なのだが。やはり、この国では個人がやりたいという気持ちをすくいあげるようなシステムが無いのが痛い。私は、そうしたしくみを作ってから、あちらへ行きたいのだが。
この夏も私は悩みつつ過ごすことになりそうだ。(; ̄ェ ̄)