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後でメモがてら少しまとめるつもりだが、Emacsというエディタ、もうWindowsで使うなら、作法に慣れないといけないようだ。昔と設定も異なり、ファイルの位置も異なる。私もそれなりに頭を切り替えないといけないようだ。不自由だが、新しいマシンを買うことの意義は、こんなところにある。ただ、ええもん買うたーと喜ぶばかりではないわけだ。つらいことの方が多いくらい。
【設定ファイルと置き場所】
C:\Users\ユーザー名\AppData\Roaming\.emacs.d
にある、
init.el
が設定ファイル。
【使用したバージョン】
http://www.vector.co.jp/soft/dl/winnt/writing/se494046.html
【設定に参考になるサイト】
http://yohshiy.blog.fc2.com/blog-entry-169.html
http://blog.quoll-mobile.com/2013/02/windows-emacs-emacs.html
【設定ファイルと置き場所】
C:\Users\ユーザー名\AppData\Roaming\.emacs.d
にある、
init.el
が設定ファイル。
【使用したバージョン】
http://www.vector.co.jp/soft/dl/winnt/writing/se494046.html
【設定に参考になるサイト】
http://yohshiy.blog.fc2.com/blog-entry-169.html
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今週も、暇なのに忙しいという日々だ。会社のやるべきことをやらないといけない。仕事の件もある。昨日の香港抗議行動にまつわるお話で知り合いにメールしたくなった。もちろん、世間話ではない、仕事につながらないかなと思ってだ。頑張ろう。
キンモクセイの香りがもう漂うようになった。夏前に遠出した時に、遊園地で嗅いだ香りは、また別のものだったが、夏の訪れを感じたものだった。結局、あの遠出も無駄に終わったのだが、記憶には残っている。今、キンモクセイの香りがしても、私に楽しいことは何もない。浪人時代から、いつもキンモクセイの香りは辛い季節の訪れを告げる香りだったかもしれない。東京で忙しくしていた間は、ほとんどこの香りは忘れていたかもしれない。
今日は土井たかこ氏が亡くなった。85歳だというから、寿命だったと思うが、昨今の長寿を思えば、80代は、まだ若手のように思えるから不思議だ。普通には、80まで生きることは難しい。私などは、もう音を上げているのに。やはり、311で寿命が縮まっているという思いがある。
今は、けっこう貴重な時間だという思いはある。私のためにえらい目にあった人々には申し訳ないが、しばし、時間を与えて欲しいという思いだ。やはり、長考することがないと私という人間は何もできない。生活も徐々に苦しくなって行くが、これも深刻に考えるとシンドイので、どうにかなるというふうに考えるようにしている。実際、そうなって欲しい。これまでの経験でもそうだった。
タイミングとしては、叔母の49日が済み、これからは年末に向けて動くという期間だ。何か仕事を始めれば、ぜいたくではあるが、何か買って励みにしようと思っている。今でも無茶をすれば、何とかなるが、さすがにどうしても必要なものしか買わない。このタブレットも無駄と言えば無駄なのだが、次に活かせるかもしれないという「言い訳」も可能だ。実際に、使ってみて頭を悩ますことも多く、刺激になりいい。何も考えずに使うことは考えられないが、そう使ったとしても意味はある。そこそこいい買い物だったと、今は思う。キーボードが使いやすい感じだ。
今のところ、私はそんなに反省はしているとは言い難いが、不遇にある人々への思いやり、深い愛情を持つことができなければ、いいことは何も無いと思っている。いとこの死に際しては、少し考えを改めたのは、前に書いた通りだ。私には少し運があった。いとこは、運が無かった。そのことを一緒に嘆き悲しむ。本人が努力を怠ったことがあるかもしれないが、それは、本人に任せる。
「生活の木」で購入した、電池式のアロマディフューザーが、そこそこいい。熱でオイルを温めて、ファンで香りをまくだけの簡単構造だが、自分の周りだけをいい香りにしてくれるのだ。今、これを書いている間にもつけていて、なかなか具合がいい。体がだるいのだが、頭はスッキリしている。なかなか、こういう状態はいいと言える。
今日は土井たかこ氏が亡くなった。85歳だというから、寿命だったと思うが、昨今の長寿を思えば、80代は、まだ若手のように思えるから不思議だ。普通には、80まで生きることは難しい。私などは、もう音を上げているのに。やはり、311で寿命が縮まっているという思いがある。
今は、けっこう貴重な時間だという思いはある。私のためにえらい目にあった人々には申し訳ないが、しばし、時間を与えて欲しいという思いだ。やはり、長考することがないと私という人間は何もできない。生活も徐々に苦しくなって行くが、これも深刻に考えるとシンドイので、どうにかなるというふうに考えるようにしている。実際、そうなって欲しい。これまでの経験でもそうだった。
タイミングとしては、叔母の49日が済み、これからは年末に向けて動くという期間だ。何か仕事を始めれば、ぜいたくではあるが、何か買って励みにしようと思っている。今でも無茶をすれば、何とかなるが、さすがにどうしても必要なものしか買わない。このタブレットも無駄と言えば無駄なのだが、次に活かせるかもしれないという「言い訳」も可能だ。実際に、使ってみて頭を悩ますことも多く、刺激になりいい。何も考えずに使うことは考えられないが、そう使ったとしても意味はある。そこそこいい買い物だったと、今は思う。キーボードが使いやすい感じだ。
今のところ、私はそんなに反省はしているとは言い難いが、不遇にある人々への思いやり、深い愛情を持つことができなければ、いいことは何も無いと思っている。いとこの死に際しては、少し考えを改めたのは、前に書いた通りだ。私には少し運があった。いとこは、運が無かった。そのことを一緒に嘆き悲しむ。本人が努力を怠ったことがあるかもしれないが、それは、本人に任せる。
「生活の木」で購入した、電池式のアロマディフューザーが、そこそこいい。熱でオイルを温めて、ファンで香りをまくだけの簡単構造だが、自分の周りだけをいい香りにしてくれるのだ。今、これを書いている間にもつけていて、なかなか具合がいい。体がだるいのだが、頭はスッキリしている。なかなか、こういう状態はいいと言える。
東京から離れて、そろそろ1年近くになる。正確には12月が来てからだが、この頃になると頻繁に行き来していいたので、そう思うのだろう、とは前に書いた通りだ。実際に、毎月のように帰っていた。そして、どことなく他人事のようでもあった。それは、あまりにもたくさんの荷物があったので、果たして予定通りできるのか、という疑問があったからだった。ただ、やるもやらないも自分次第、私にやる気があるのかどうかだった。
こちらで、茫然自失の日々を送っていると、ちょうど311前で体調は良くないが、何とか仕事はできていた頃のことを思い出す。つまり、何も考えずに生きていた頃のことは、今となっては、香しい時代だったのかもしれない。愚かな考えだが。
当時の私の悩みと言えば、自分のことだけだったかもしれない。もちろん、会社のことは考えていた。そして、まさに会社のことを優先させたために自分のことは、健康診断を受けることくらいで済ませていた。もっと快適にやれないかということを考えていたのだ。仕事が仕事なので机の上での仕事が効率的だと思えなかったのだ。
在宅で、出勤は週に2~3回で済ませたかった。ただ、社員もいるし、先方はそういう労務体系に慣れていない古い会社でもあった。私の都合だけでは動けなかったのだ。だから、何とか出勤して、眠らないように苦労していたくらいだ。ラジオや音楽を聴くくらいでは寝てしまうという毎日だった。それだけ生活も荒んでいたのだと思う。それが、何とかしたかったが、できなかったという言いわけでもあった。
結局、どっちつかずの私の性格が最悪の結果を招いてしまった。東京で仕事をする以上、311のような天災は予測していた。そして、助からないことも。だが、実際にはもっと苦しい現実が来てしまった。地震では死ななかったが、放射能で生殺しだったわけだ。311以降の3年もまさに茫然とした日々だったように思う。
そして、私には香しい時代だったかもしれないが、二度と戻ることは無いし、まったく希望のない発想だということもわかっている。単に心のバランスを保つために私の頭が勝手に動いているのではないかと思っている。東京でもっとがんばるべきだったということもあるが、一方で放射能を心配しつつ生きることにも限界を感じていた。私自身の体調悪化が決定的だった。
そんな東京の結末だったのに、今ではなつかしく思えてしまう。現実の東京は、311以前は、それなりにいい街だった。金さえあれば、何でも手に入る、汚い街という感じだった。カラオケで映る東京らしい街は、それなりに真実を投影している。
こちらで、茫然自失の日々を送っていると、ちょうど311前で体調は良くないが、何とか仕事はできていた頃のことを思い出す。つまり、何も考えずに生きていた頃のことは、今となっては、香しい時代だったのかもしれない。愚かな考えだが。
当時の私の悩みと言えば、自分のことだけだったかもしれない。もちろん、会社のことは考えていた。そして、まさに会社のことを優先させたために自分のことは、健康診断を受けることくらいで済ませていた。もっと快適にやれないかということを考えていたのだ。仕事が仕事なので机の上での仕事が効率的だと思えなかったのだ。
在宅で、出勤は週に2~3回で済ませたかった。ただ、社員もいるし、先方はそういう労務体系に慣れていない古い会社でもあった。私の都合だけでは動けなかったのだ。だから、何とか出勤して、眠らないように苦労していたくらいだ。ラジオや音楽を聴くくらいでは寝てしまうという毎日だった。それだけ生活も荒んでいたのだと思う。それが、何とかしたかったが、できなかったという言いわけでもあった。
結局、どっちつかずの私の性格が最悪の結果を招いてしまった。東京で仕事をする以上、311のような天災は予測していた。そして、助からないことも。だが、実際にはもっと苦しい現実が来てしまった。地震では死ななかったが、放射能で生殺しだったわけだ。311以降の3年もまさに茫然とした日々だったように思う。
そして、私には香しい時代だったかもしれないが、二度と戻ることは無いし、まったく希望のない発想だということもわかっている。単に心のバランスを保つために私の頭が勝手に動いているのではないかと思っている。東京でもっとがんばるべきだったということもあるが、一方で放射能を心配しつつ生きることにも限界を感じていた。私自身の体調悪化が決定的だった。
そんな東京の結末だったのに、今ではなつかしく思えてしまう。現実の東京は、311以前は、それなりにいい街だった。金さえあれば、何でも手に入る、汚い街という感じだった。カラオケで映る東京らしい街は、それなりに真実を投影している。
長らくFreeBSDやらUbuntuを使うことが無かったので、Emacsの設定などが面倒に思えてきている。昔はそうではなかった。むしろ、知らないことを積極的に知ろうという気風があった。非常に悪い傾向だ。問題は、やり易さではなく、自分の自由になるエディタを使うのかどうかという点にある。どうもWindowsを使っているとお手軽に走る傾向にある。Macでもそうなる。私には良くないことだろう。
ThinkPad10のキーボードが昨日、届いたこともあって、改めてWin環境でのUNIX環境の構築を考えている。WinでもPostgreSQLを使っていれば、それなりに使えてしまうからだ。また、そうなると仕事上の発見も出てくる。面倒だが、Win上でEmacsを使う意義はあるのだ。容量が限られているので、全部を使えるとは限らないが、最小限でも開発環境は入れておこうと思っている。Cygwinは入れまいと思っていたが、入れることになりそうだ。仕事をしていた時代、これがメインと思えるくらいの大活躍だった。
こうして、自分の中からも次の仕事への意欲とか、萌芽が出始めているのに気がつく。やはり、私は複雑で面倒なことに挑戦しなければならない。そして、ユーザーが見やすいものを作るわけだ。それは、必ず喜ばれるはずだ。できれば、そういう技を次の世代に伝えることが私の使命だ。がんばろう、現実は厳しくても私自身は、やる気満々なのだから。明るく、素直に、温かくの心意気で!
ThinkPad10のキーボードが昨日、届いたこともあって、改めてWin環境でのUNIX環境の構築を考えている。WinでもPostgreSQLを使っていれば、それなりに使えてしまうからだ。また、そうなると仕事上の発見も出てくる。面倒だが、Win上でEmacsを使う意義はあるのだ。容量が限られているので、全部を使えるとは限らないが、最小限でも開発環境は入れておこうと思っている。Cygwinは入れまいと思っていたが、入れることになりそうだ。仕事をしていた時代、これがメインと思えるくらいの大活躍だった。
こうして、自分の中からも次の仕事への意欲とか、萌芽が出始めているのに気がつく。やはり、私は複雑で面倒なことに挑戦しなければならない。そして、ユーザーが見やすいものを作るわけだ。それは、必ず喜ばれるはずだ。できれば、そういう技を次の世代に伝えることが私の使命だ。がんばろう、現実は厳しくても私自身は、やる気満々なのだから。明るく、素直に、温かくの心意気で!