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仕事のためのピースを集めつつ、なかなかそろわないので苛立つ日々だ。勝手なことは素早く集まるのだが、肝心のソフトの部分はなかなか集まらないというか、交渉が進まない。体力や気持ちも重要で、これらもそろわないと仕事は進まない。
最近は、映像をしかも古い映像を見ながら思索する日々だ。ちょうど忙しくて見られなかった番組が好みのようだ。特別おもしろいわけではないのだが、それなりに考えさせられることもある。見て良かったと思うことも多い。ちょっと最近は精神的にもろくなっているのだが、それによって引きこもるといった深刻なものではない。調子のいい頃のような、元気さが無いというだけのこと。
もうじき、事務処理も終わる。完全に次の仕事のために時間を使える。これはいいことだが、多くの場合失敗する。力みが原因だ。これは仕事にも言えるのではないか。若いころ、私ができる仕事とは本屋の仕事のみだった。それを見込まれて、店長候補に選ばれたこともあった。バイトをやって、他者に勝ったことなどあれが一度きりだった。しかし、そのあとがいけなかった。一人でやり遂げるという意識に乏しかったので、すぐにケツを割った私であった。
その苦い経験が生かされて、東京ではがんばった。一人でもやり遂げる覚悟が、仕事を曲りなりにでも続けられた理由だ。結局、競争には負けてしまったが、実力は身についた。それで十分だった。逆に今、仕事を探しているのだが、経験したことが無いとか、ちょっと不安と感じる方が合うように思うが、相手はそうは思わないようだ。見ていると無難な相手を選んでいるようだ。私から言わせれば、だから進歩が無いのだと思うが。
なぜか、前にも書いたように東京に出てからの不安な日々、楽しかった日々がフラッシュバックする日々が続く。実に去年の12月までの17年間なのでいろんな思いがあるようだ。後悔しても始まらないのだが、後悔も多い。多くは、一人で歩いた秋葉や新宿、渋谷の光景がよみがえる。楽しいわけではないのだが、やはり、あのあたりを一人であるくには不安があったのだろう。
もちろん311までの日々だ。311以降は、基本的に私の記憶から遠ざかっているらしい。あれ以後は、東京を探索して何になる?という意識だった。汚染地帯という位置づけなので、そんな危険な行為はやめておこう、という意識だった。しかし、仕事をやっている人々には、そうもいかない。離れたいがどうしようもない。
私は、どうすればいいのか、わかりやすく説くことがいいのだろう。そうすれば、だんだんとだが、人は理解してくれる。私の場合もそうだ。わからないことを熱心に説明してくれる人には親近感を感じるし、自分も勉強して共感してしまう。私もそれをやらなければならないだろう。苦しいのだが、早く自分の足元を固めて、外に出るということだろう。
最近は、映像をしかも古い映像を見ながら思索する日々だ。ちょうど忙しくて見られなかった番組が好みのようだ。特別おもしろいわけではないのだが、それなりに考えさせられることもある。見て良かったと思うことも多い。ちょっと最近は精神的にもろくなっているのだが、それによって引きこもるといった深刻なものではない。調子のいい頃のような、元気さが無いというだけのこと。
もうじき、事務処理も終わる。完全に次の仕事のために時間を使える。これはいいことだが、多くの場合失敗する。力みが原因だ。これは仕事にも言えるのではないか。若いころ、私ができる仕事とは本屋の仕事のみだった。それを見込まれて、店長候補に選ばれたこともあった。バイトをやって、他者に勝ったことなどあれが一度きりだった。しかし、そのあとがいけなかった。一人でやり遂げるという意識に乏しかったので、すぐにケツを割った私であった。
その苦い経験が生かされて、東京ではがんばった。一人でもやり遂げる覚悟が、仕事を曲りなりにでも続けられた理由だ。結局、競争には負けてしまったが、実力は身についた。それで十分だった。逆に今、仕事を探しているのだが、経験したことが無いとか、ちょっと不安と感じる方が合うように思うが、相手はそうは思わないようだ。見ていると無難な相手を選んでいるようだ。私から言わせれば、だから進歩が無いのだと思うが。
なぜか、前にも書いたように東京に出てからの不安な日々、楽しかった日々がフラッシュバックする日々が続く。実に去年の12月までの17年間なのでいろんな思いがあるようだ。後悔しても始まらないのだが、後悔も多い。多くは、一人で歩いた秋葉や新宿、渋谷の光景がよみがえる。楽しいわけではないのだが、やはり、あのあたりを一人であるくには不安があったのだろう。
もちろん311までの日々だ。311以降は、基本的に私の記憶から遠ざかっているらしい。あれ以後は、東京を探索して何になる?という意識だった。汚染地帯という位置づけなので、そんな危険な行為はやめておこう、という意識だった。しかし、仕事をやっている人々には、そうもいかない。離れたいがどうしようもない。
私は、どうすればいいのか、わかりやすく説くことがいいのだろう。そうすれば、だんだんとだが、人は理解してくれる。私の場合もそうだ。わからないことを熱心に説明してくれる人には親近感を感じるし、自分も勉強して共感してしまう。私もそれをやらなければならないだろう。苦しいのだが、早く自分の足元を固めて、外に出るということだろう。
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ツイトモが何か音楽を聴くのにいいものは無いかというのでListen Radioというアプリを紹介したことがあった。入れると全国のコミュニティFMが聴けるので音楽もほぼ一日中聴ける。しかし、件の彼女は、アプリを入れようにもアップルのパスワードがわからないという。普段からアプリなど使わない人だったのだ。しかし、iPhoneでアプリを使わないとういうのは相当にもったいない。私が長いこと使わずにいたのと同じだ。iPhoneやiPadはアプリを使ってなんぼの機械なのだ。
私たちが作って来たデータがなかなかアプリになったりしないのがわかるような気がする。まだまだアプリを使う人は少ないのであり、しかも有料のものを使う意志が無いということだろう。セイコーが電子辞書から撤退する中、タブレットで使うアプリの使い勝手の良さが見直されて欲しいところだ。辞書は、タブレットで使うべきだとさえ思う私だ。
私たちが作って来たデータがなかなかアプリになったりしないのがわかるような気がする。まだまだアプリを使う人は少ないのであり、しかも有料のものを使う意志が無いということだろう。セイコーが電子辞書から撤退する中、タブレットで使うアプリの使い勝手の良さが見直されて欲しいところだ。辞書は、タブレットで使うべきだとさえ思う私だ。
夕べも疲れたので昔のドラマをネットで探して見ていた。例の野島伸司「未成年」だ。彼のドラマに繰り返し出て来るセリフがある。「世界中のみんなが敵になっても私だけはあなたの味方になる」というもの。もっと言えば、深い深い愛情ということではないかと理解した。そんなに現実味があるわではなく、ある種のファンタジーとして見るのだが、それでも私が経験したことにない、深い愛情がそこには出て来ると思う。
歳を重ねると、多くの人の死に出会うので、後悔することも度々だ。その際に、愛情ということを思うのだ。そんなに大げさなものではなく、ちょっとした気遣いと言ってもいい。それをしなかったことに大きく後悔させられるのだ。私の父で言えば、ちょっと車いすで外に出てあげればよかったのに、と。体がじっとしていられないくらいだるく、外に出れば気がまぎれるようだった。私は、規則を盾に拒んだのだが、父は恐ろしく怒ったのだった。病気の父を相手に、そこまでがんばる必要があったのだろうか。
私の恋愛遍歴は特殊なようでありふれたものだと思う。つまり、女に相手にされない男によくあるパターンで珍しくもないということ。常に勘違いで惚れ込み、無視されるというものだ。だから、ドラマに見るようなドロドロしたものはほとんど無い。ただ、一例だけ、私が望まないのに一方的にドロドロにさせられたということもあった。むしろ、その時に人の感情の深い深いものを垣間見た感じだった。子供なら許されるかもしれない掟破りを平気でやってくるわけだ。それは、形を変えた愛情表現だったのかもしれない。私が勘違いしてきた女性にそれほどまでの行為をしたのかと言えば、それもなかった。つまらない男だと思われたかもしれない。私は、あまり露骨な表現は好きではなかっただけのことだが。
逆に私は常にそういう深い愛情にあこがれていたとも言える。成功しなかっただけのこと。難しいもので、一方的な思い込みでは成立しないのが、男女の仲。私はこわもてというか、人相が悪いので、ほとんどの女から外面的なことで好意を持たれることはない。だから、非常に厳しいのだが、それも多くの男が経験することだろう。性が異なるのでどうしても荒々しく見えるのは仕方のないことだ。問題は、私の内面にあることを知らなければならない。
だから、私はいつも野島ドラマのような、本当に信頼できる際限のないような愛情にあこがれるのだが、そういう人格なのかという反省もある。自分がそれなりの人物になって、はじめて得られるような信頼を求めすぎていないだろうか。失敗も弱点も短所も認めた上での愛情というものに最近はあこがれる。いつまでも自分はつまらない人間だと思うのも自由だが、それでは発展はない。率直に認め、乗り越えることだ。実は、今、ようやくそういう心境だ。おっさんにして、まだ恋愛に挑戦しようとしているのだ。下半身が元気でないこともある、おっさんなのに。
歳を重ねると、多くの人の死に出会うので、後悔することも度々だ。その際に、愛情ということを思うのだ。そんなに大げさなものではなく、ちょっとした気遣いと言ってもいい。それをしなかったことに大きく後悔させられるのだ。私の父で言えば、ちょっと車いすで外に出てあげればよかったのに、と。体がじっとしていられないくらいだるく、外に出れば気がまぎれるようだった。私は、規則を盾に拒んだのだが、父は恐ろしく怒ったのだった。病気の父を相手に、そこまでがんばる必要があったのだろうか。
私の恋愛遍歴は特殊なようでありふれたものだと思う。つまり、女に相手にされない男によくあるパターンで珍しくもないということ。常に勘違いで惚れ込み、無視されるというものだ。だから、ドラマに見るようなドロドロしたものはほとんど無い。ただ、一例だけ、私が望まないのに一方的にドロドロにさせられたということもあった。むしろ、その時に人の感情の深い深いものを垣間見た感じだった。子供なら許されるかもしれない掟破りを平気でやってくるわけだ。それは、形を変えた愛情表現だったのかもしれない。私が勘違いしてきた女性にそれほどまでの行為をしたのかと言えば、それもなかった。つまらない男だと思われたかもしれない。私は、あまり露骨な表現は好きではなかっただけのことだが。
逆に私は常にそういう深い愛情にあこがれていたとも言える。成功しなかっただけのこと。難しいもので、一方的な思い込みでは成立しないのが、男女の仲。私はこわもてというか、人相が悪いので、ほとんどの女から外面的なことで好意を持たれることはない。だから、非常に厳しいのだが、それも多くの男が経験することだろう。性が異なるのでどうしても荒々しく見えるのは仕方のないことだ。問題は、私の内面にあることを知らなければならない。
だから、私はいつも野島ドラマのような、本当に信頼できる際限のないような愛情にあこがれるのだが、そういう人格なのかという反省もある。自分がそれなりの人物になって、はじめて得られるような信頼を求めすぎていないだろうか。失敗も弱点も短所も認めた上での愛情というものに最近はあこがれる。いつまでも自分はつまらない人間だと思うのも自由だが、それでは発展はない。率直に認め、乗り越えることだ。実は、今、ようやくそういう心境だ。おっさんにして、まだ恋愛に挑戦しようとしているのだ。下半身が元気でないこともある、おっさんなのに。
今は大変な時代なので何を優先して生きればいいのかわからなくなることもある。もちろん、食っていくことを優先させるべきだろうが、その食う道も絶たれた場合はどうする。今の私に近い立場だ。ほとんどの人がそうなれば、それはもちろん立ち上がって行動するのだと思うが、少数の場合は、そうもならない。まさに、今のことだろう。
我が国の状況も決して安泰ではなく、汚染の状況は知らされていないだけで、どんどん未来につけを回しているだけのこと。主犯の東電は、それによって逃げ切るつもりだ。国家の関係者も逃げ切り、免責すら勝ち取るかのようだ。そうはさせじと、抗議行動を続ける人もいる。私は、そこまでは至らず、まずは自分の立てる場所を模索している段階だ。
夕べは、眠れないというほどではないが、寝つきが悪かったので、私の描く、辞書の構想をメモに書いたりした。いずれも、こうあったらいいということであり、あまり具体的ではない。具体的には、プロトタイプを作ってみるのがいい。それで見てもらうことが一番の売りにできるのだろう。売れるかどうかはその時の状況によるだろう。社会が必要とすれば、売れるがそうでもなければ売れない。ただし、お互いの理解のための基本であることは動かない。言葉というのは、そういうものだ。調べるものがある、そういう状況を作りたいというだけだ。
だから、売れそうにもないということを理由にやらないというのは、勝負を放棄したのに等しい。私がこれまでずっと付き合ってきた人間と言うのは、その放棄した人ばかりだった。権限が無いので当然かもしれない。
我が国の状況も決して安泰ではなく、汚染の状況は知らされていないだけで、どんどん未来につけを回しているだけのこと。主犯の東電は、それによって逃げ切るつもりだ。国家の関係者も逃げ切り、免責すら勝ち取るかのようだ。そうはさせじと、抗議行動を続ける人もいる。私は、そこまでは至らず、まずは自分の立てる場所を模索している段階だ。
夕べは、眠れないというほどではないが、寝つきが悪かったので、私の描く、辞書の構想をメモに書いたりした。いずれも、こうあったらいいということであり、あまり具体的ではない。具体的には、プロトタイプを作ってみるのがいい。それで見てもらうことが一番の売りにできるのだろう。売れるかどうかはその時の状況によるだろう。社会が必要とすれば、売れるがそうでもなければ売れない。ただし、お互いの理解のための基本であることは動かない。言葉というのは、そういうものだ。調べるものがある、そういう状況を作りたいというだけだ。
だから、売れそうにもないということを理由にやらないというのは、勝負を放棄したのに等しい。私がこれまでずっと付き合ってきた人間と言うのは、その放棄した人ばかりだった。権限が無いので当然かもしれない。
昨日は、結局、2時過ぎまで起きていた。眠れないというのは、確かにあったが、眠らなかったというのが正しい感じだ。ドラマを見たり、事務作業をしたりして過ごした。本当は、こんな時間は起きていない方がいいのだが、仕方がないこともある。なぜ、眠るのか、それは疲れるから。疲れていない日は眠れないのだ。
2000年代の初め、私は非常に忙しかった。頑張りすぎたのかもしれない。眠ることさえ、医者に相談したことが不幸の始まりだった。医者とて個人の睡眠まで管理できるわけもなく、最終的には精神安定剤を出すことになる。よほどの状況でないと、睡眠薬は出さないようだ。事実、私はもらったことがない。ただ、精神科に行ったらよくなるのかもと思って行ったことが失敗だった。コンスタンという新たな薬を出され、これが悪くなるきっかけだった。
その医者はイカレており、私がコンスタンが効かないのだと言うと、それでは毎食後飲めと言い出し、副作用を心配すると「無いって!」と声を荒げる始末だった。彼の予を定では、これからどんどん薬を増やて行くらしかった。それなのに副作用など心配されたら商売あがったりだったのだろう。強い意志でグイグイ押してくる感じだった。私は、それ以来この医者とは訣別した。
不安もあった。まだネット上で断薬の情報はそんなに多くはなかった。大まかには、漸減法といって、少しずつ無理のないように薬の量を減らしていくのが良さそうだったのだが、本当にそれでいいのかどうかわからない。しかし、夜は眠れないという状態が続いた。ある時、歩けばいいということを知り、とにかく歩いた。仕事を終えて40分くらい歩いた。神保町から京成上野までだから、けっこうな距離だったろう。歩くごとに生命力が増してくるようでむしろうれしかった。見知らぬ街並みにも感動した。数ヶ月続いただろうか、歩くことの治療は、膝をいわしてしまうというおちで中断する羽目になった。
その後は、週一に江戸川の土手を歩くことが日課になり、その時に植物や風景写真を撮ることを覚えたのであった。同時に水元公園に遠征に行ったこともあった。今にして思えば、静寂の中で行われたような気がするが、もちろん、ちゃんと音もあった。そして、不安な気持ちを掻き消すためであるかのようにいろいろな買い物をしてしまい、柴又の住居をゴミ屋敷にしてしまったのだった。疲れていたのだろうと思う。考えることができなくなっていた。私がおかしくなり、パートナーも体調を崩し、経理も歳のせいなのか一番重症で、入院するはめになった。
順番としては、経理、私、パートナーという順で調子が悪くなったと思う。記憶があいまいかもしれない。パートナーはもっと先に不調を訴えていたかもしれない。すべては私が無茶な仕事を強行したことによる。経理が回復し、パートナーが回復し、そして私がという順で回復はしたのだが、苦しい感じだった。311までそういう状態が続くことになる。
この間、私がもっとも恐れたのは、なんと睡眠だったように思う。悩み出すと、本当にどうしようもなくなるのが睡眠なのだ。気にしないのが一番だが、気にしないで済むならば、病気になどならない。そこが一番難しい。睡眠のメカニズムは難しいが、単純には頭と体の疲れが必要で、多くの場合、それがバランスよくないと不眠になる。頭も体もほどよく疲れたというのがいい。一日中パソコンの前、という仕事は非常によろしくないのだ。
そして、昨夜私がやったように、疲れていない夜は、睡眠をあきらめて、いろいろやることを用意することがいい。男の場合、自慰で眠れることもあるが、眠れない時にしても疲れるだけのことの方が多い。むしろ、やることを用意しておいて、次々とこなして行くのがいい。意外に疲れてしまい、途中で眠ってしまう。私は癒されたい気持ちがあって、久しぶりにマイケルの笛を聴いた。久しぶりだったが、一発で眠れた。不眠との長き闘いの中で見つけた私にとっての癒しの音は、ホピの笛の音色だったようだ。以来、神経質に必ず眠る前の儀式として聴いたものだった。多くは成功し、そこそこの眠りは得られたのだった。
結論としては、自分に合った眠りの儀式を見つけることがいい。カモミールティーを飲むとかも意外に有効だったりする。あらゆる手を使った方がいい。死を考えているような場合は薬も仕方ないのかもしれないが、通常は薬は使ってはいけない。離脱症状から逃れることに大きな時間を費やすことになるからだ。
最近ではネットでラジオを聞いたりもできるので、ラジオを聞くということもいい場合がある。次の日のスケジュールをぼんやり考えることが良かったりする場合もある。私の場合、目を閉じた時の残影がいろんな形に見えるのだが、それでいろんなことを想像するのが良かったりする。考えているうちに朝が来ている。
基本は、頭と体の疲れをバランスさせること。これができていれば、まず大丈夫だ。
2000年代の初め、私は非常に忙しかった。頑張りすぎたのかもしれない。眠ることさえ、医者に相談したことが不幸の始まりだった。医者とて個人の睡眠まで管理できるわけもなく、最終的には精神安定剤を出すことになる。よほどの状況でないと、睡眠薬は出さないようだ。事実、私はもらったことがない。ただ、精神科に行ったらよくなるのかもと思って行ったことが失敗だった。コンスタンという新たな薬を出され、これが悪くなるきっかけだった。
その医者はイカレており、私がコンスタンが効かないのだと言うと、それでは毎食後飲めと言い出し、副作用を心配すると「無いって!」と声を荒げる始末だった。彼の予を定では、これからどんどん薬を増やて行くらしかった。それなのに副作用など心配されたら商売あがったりだったのだろう。強い意志でグイグイ押してくる感じだった。私は、それ以来この医者とは訣別した。
不安もあった。まだネット上で断薬の情報はそんなに多くはなかった。大まかには、漸減法といって、少しずつ無理のないように薬の量を減らしていくのが良さそうだったのだが、本当にそれでいいのかどうかわからない。しかし、夜は眠れないという状態が続いた。ある時、歩けばいいということを知り、とにかく歩いた。仕事を終えて40分くらい歩いた。神保町から京成上野までだから、けっこうな距離だったろう。歩くごとに生命力が増してくるようでむしろうれしかった。見知らぬ街並みにも感動した。数ヶ月続いただろうか、歩くことの治療は、膝をいわしてしまうというおちで中断する羽目になった。
その後は、週一に江戸川の土手を歩くことが日課になり、その時に植物や風景写真を撮ることを覚えたのであった。同時に水元公園に遠征に行ったこともあった。今にして思えば、静寂の中で行われたような気がするが、もちろん、ちゃんと音もあった。そして、不安な気持ちを掻き消すためであるかのようにいろいろな買い物をしてしまい、柴又の住居をゴミ屋敷にしてしまったのだった。疲れていたのだろうと思う。考えることができなくなっていた。私がおかしくなり、パートナーも体調を崩し、経理も歳のせいなのか一番重症で、入院するはめになった。
順番としては、経理、私、パートナーという順で調子が悪くなったと思う。記憶があいまいかもしれない。パートナーはもっと先に不調を訴えていたかもしれない。すべては私が無茶な仕事を強行したことによる。経理が回復し、パートナーが回復し、そして私がという順で回復はしたのだが、苦しい感じだった。311までそういう状態が続くことになる。
この間、私がもっとも恐れたのは、なんと睡眠だったように思う。悩み出すと、本当にどうしようもなくなるのが睡眠なのだ。気にしないのが一番だが、気にしないで済むならば、病気になどならない。そこが一番難しい。睡眠のメカニズムは難しいが、単純には頭と体の疲れが必要で、多くの場合、それがバランスよくないと不眠になる。頭も体もほどよく疲れたというのがいい。一日中パソコンの前、という仕事は非常によろしくないのだ。
そして、昨夜私がやったように、疲れていない夜は、睡眠をあきらめて、いろいろやることを用意することがいい。男の場合、自慰で眠れることもあるが、眠れない時にしても疲れるだけのことの方が多い。むしろ、やることを用意しておいて、次々とこなして行くのがいい。意外に疲れてしまい、途中で眠ってしまう。私は癒されたい気持ちがあって、久しぶりにマイケルの笛を聴いた。久しぶりだったが、一発で眠れた。不眠との長き闘いの中で見つけた私にとっての癒しの音は、ホピの笛の音色だったようだ。以来、神経質に必ず眠る前の儀式として聴いたものだった。多くは成功し、そこそこの眠りは得られたのだった。
結論としては、自分に合った眠りの儀式を見つけることがいい。カモミールティーを飲むとかも意外に有効だったりする。あらゆる手を使った方がいい。死を考えているような場合は薬も仕方ないのかもしれないが、通常は薬は使ってはいけない。離脱症状から逃れることに大きな時間を費やすことになるからだ。
最近ではネットでラジオを聞いたりもできるので、ラジオを聞くということもいい場合がある。次の日のスケジュールをぼんやり考えることが良かったりする場合もある。私の場合、目を閉じた時の残影がいろんな形に見えるのだが、それでいろんなことを想像するのが良かったりする。考えているうちに朝が来ている。
基本は、頭と体の疲れをバランスさせること。これができていれば、まず大丈夫だ。