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私は自分でもあの世に強いと思っていたが、実は何も知らない。幽霊とかお化けとか宇宙人とか亡霊とか悪魔とかひっくるめて恐くないということくらいだ。臨死体験も無い。あれが真実だったとしても、自分が死ぬ間際の記憶が残っているに過ぎない。
2歳になる前に私は自宅前の川に落ちて死んでいたはずだった。しかし、母親の発見が早かったこと、祖父がとっさに飛び込み、心臓マッサージっぽいことをやってくれたこと、私が食い意地が張っていて、口の中にお菓子をいっぱいほおばっていたために、ほとんど水を飲んでいなかったこと、などが幸いして生還した。医者が到着した頃には遊びまわっていたという。
母はもちろん安堵しただろうが、それまで祖父と険悪なムードになっていたのが、一転して感謝するようになったという。そういうハプニングをもたらした私の溺死未遂事件だったらしい。なぜ川に落ちたのかわからないが、ちょうど田植えの時期だったので川の水の勢いが強く、吸い込まれるように流されたのかもしれない。私も驚いたのか、ばたばたして水中から明るい太陽光が見えるのを覚えている。もしかすると、それが死の直前の光景だったのかもしれない。
祖父は、若いころには戦争に駆り出され、戦後は仕事に恵まれず、50代から隠居を決め込んでいたという。頭は悪くないが、大ぼら吹きで、なかなか他人とうまく付き合えなかったらしい。人と付き合うのが苦手なのは私も同じだ。そして、めぐり合ったのが、孫の死という場面だったわけだ。母は気が動転して私が死んだと思ったわけではなく、本当に水面に浮いていてもう少し流されれば、橋の下にさしかかるところだったという。助け上げられた時もほとんど死人の顔で目も半開き状態だったそうだ。
ともあれ、私は助けられ、その後、無駄な?人生を送ることになる。そして、命の恩人の祖父を思いやることもなく罰当たりな口をきいて生きてきた。大ぼら吹きの性格が若い私には付いていけず、別の星の人間のように思えたのかもしれない。大酒飲みな点も嫌でたまらなかった。それにしても、冷たい態度だったろう。浪人時代に、突然のように肺がんで逝ってしまった。この時も、特に悲しいとも思わないという非情な私であった。恥を知るべきだろう。
結局、祖父は、あの時の私を助けるために生まれてきて、生きてくれていたのではないかという気がしている。祖父の亡霊が私の夢とかに出てきたことなど一度も無いが、私の日常生活そのものが何か見守られているような気がする。どう生きようが自由なのだが、やはり人助けをしながら生きる人生でないとロクなことはないという直観はある。祖父に示したような非情な態度では人間関係うまく行かないのは明白だ。
今年の初め、いとこを亡くした時もそうだった。しばらくは、いとこが悪いのだと思えた。仕事をやり、普通に生きれば、こんなに早く死ぬこともないのに、とか。しかし、自分が窮地に立たされてみればよく見えてくる。そんなことは誰でもわかることだ。それでも、どうしようもない時に、酒でも飲まないとやっていられなかったのだろう。つい最近、そういうことに思い至ったのだった。私は、隠れた人の心を思いやるような生き方をしなければ、決して何をやってもうまくはいかないと悟ったのであった。
いとことて、仕事を得て、まっとうな働きをしたかっただろう。だが、周囲はそれを許さない。単純に運が無いこともあったかもしれない。私は、ちょびっとだけだが、ついていただけだったのだ。少しの期間であっても、仕事を得て実力もつけることができたのだから。誰にもそういう可能性とかチャンスを与えることができる社会でないといけないだろう。
祖父やいとこの死は、私の生き方そのものを改めて考えさせてくれる。私のその後に、何もない。単に小さい頃、死にぞこなっただけのこと。特別に霊感が鋭いわけでもない。だが、自分が死ねば、楽になるのだなという考えは無い。いかに生きるかに悩み、問題解決を試み、できるだけのことを周囲の人にも施し、応援する。あきらめるのは、最後に目を閉じる瞬間でいい、という発想だ。あちらの世界があるとか無いとか言っても、知らないだけに何とも言いようがない。とにかくがんばる生き方を誰にも実践して欲しいと思うだけなのだ。
2歳になる前に私は自宅前の川に落ちて死んでいたはずだった。しかし、母親の発見が早かったこと、祖父がとっさに飛び込み、心臓マッサージっぽいことをやってくれたこと、私が食い意地が張っていて、口の中にお菓子をいっぱいほおばっていたために、ほとんど水を飲んでいなかったこと、などが幸いして生還した。医者が到着した頃には遊びまわっていたという。
母はもちろん安堵しただろうが、それまで祖父と険悪なムードになっていたのが、一転して感謝するようになったという。そういうハプニングをもたらした私の溺死未遂事件だったらしい。なぜ川に落ちたのかわからないが、ちょうど田植えの時期だったので川の水の勢いが強く、吸い込まれるように流されたのかもしれない。私も驚いたのか、ばたばたして水中から明るい太陽光が見えるのを覚えている。もしかすると、それが死の直前の光景だったのかもしれない。
祖父は、若いころには戦争に駆り出され、戦後は仕事に恵まれず、50代から隠居を決め込んでいたという。頭は悪くないが、大ぼら吹きで、なかなか他人とうまく付き合えなかったらしい。人と付き合うのが苦手なのは私も同じだ。そして、めぐり合ったのが、孫の死という場面だったわけだ。母は気が動転して私が死んだと思ったわけではなく、本当に水面に浮いていてもう少し流されれば、橋の下にさしかかるところだったという。助け上げられた時もほとんど死人の顔で目も半開き状態だったそうだ。
ともあれ、私は助けられ、その後、無駄な?人生を送ることになる。そして、命の恩人の祖父を思いやることもなく罰当たりな口をきいて生きてきた。大ぼら吹きの性格が若い私には付いていけず、別の星の人間のように思えたのかもしれない。大酒飲みな点も嫌でたまらなかった。それにしても、冷たい態度だったろう。浪人時代に、突然のように肺がんで逝ってしまった。この時も、特に悲しいとも思わないという非情な私であった。恥を知るべきだろう。
結局、祖父は、あの時の私を助けるために生まれてきて、生きてくれていたのではないかという気がしている。祖父の亡霊が私の夢とかに出てきたことなど一度も無いが、私の日常生活そのものが何か見守られているような気がする。どう生きようが自由なのだが、やはり人助けをしながら生きる人生でないとロクなことはないという直観はある。祖父に示したような非情な態度では人間関係うまく行かないのは明白だ。
今年の初め、いとこを亡くした時もそうだった。しばらくは、いとこが悪いのだと思えた。仕事をやり、普通に生きれば、こんなに早く死ぬこともないのに、とか。しかし、自分が窮地に立たされてみればよく見えてくる。そんなことは誰でもわかることだ。それでも、どうしようもない時に、酒でも飲まないとやっていられなかったのだろう。つい最近、そういうことに思い至ったのだった。私は、隠れた人の心を思いやるような生き方をしなければ、決して何をやってもうまくはいかないと悟ったのであった。
いとことて、仕事を得て、まっとうな働きをしたかっただろう。だが、周囲はそれを許さない。単純に運が無いこともあったかもしれない。私は、ちょびっとだけだが、ついていただけだったのだ。少しの期間であっても、仕事を得て実力もつけることができたのだから。誰にもそういう可能性とかチャンスを与えることができる社会でないといけないだろう。
祖父やいとこの死は、私の生き方そのものを改めて考えさせてくれる。私のその後に、何もない。単に小さい頃、死にぞこなっただけのこと。特別に霊感が鋭いわけでもない。だが、自分が死ねば、楽になるのだなという考えは無い。いかに生きるかに悩み、問題解決を試み、できるだけのことを周囲の人にも施し、応援する。あきらめるのは、最後に目を閉じる瞬間でいい、という発想だ。あちらの世界があるとか無いとか言っても、知らないだけに何とも言いようがない。とにかくがんばる生き方を誰にも実践して欲しいと思うだけなのだ。
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中国の会社だが、レノボがんばっている。私はThinkPadでお世話になるだけだが、そこそこまともな中国製マシンだ。IBM時代から確かに質感は落ちたが、無駄を省いたとも言える。頑丈だけでも良くないということもあるからだ。パソコンは寿命が短いので一台一台を頑丈に作りすぎると値段が高くなりすぎるのだ。実際、私が最初に購入したマシンは50万近かった。次のも同じくらいだった。結局、儲けにならんということでレノボに売却した。今はNECとくっついているが、やがてNECに売り飛ばすのだろうか。そして、消滅。
今日は、それでもレノボの広告が一人がんばっていた。ThinkPadの新製品がまだ出ていないが、それでも、おっとと思わせるような製品が出ている。私は買わないと思うが、羽振りのいい頃なら欲しいものだ。品質もそこそこいいことをかつて確認している。この点、うまいと思った。このThinkPad10も、質感はそんなにいいわけではなかったが、使ってみると、そこそこ使えるので、まあ満足しかけている。
Nexusがまだ出ていないので何とも。使えるマシンに常に飢えている私としては、新製品が待ち遠しい。なんといっても画面がきれい、速いましんが結局、勝つ。使っていても飽きない。使う時間が長くなるから、情報も仕入れやすい。他のマシンを使わなくなるので無駄と言えば無駄なのだが、これも仕事のためと思うとやむを得ない。
どうか、この秋、びっくりするくらい、いいマシンが出てくれることを期待する。
今日は、それでもレノボの広告が一人がんばっていた。ThinkPadの新製品がまだ出ていないが、それでも、おっとと思わせるような製品が出ている。私は買わないと思うが、羽振りのいい頃なら欲しいものだ。品質もそこそこいいことをかつて確認している。この点、うまいと思った。このThinkPad10も、質感はそんなにいいわけではなかったが、使ってみると、そこそこ使えるので、まあ満足しかけている。
Nexusがまだ出ていないので何とも。使えるマシンに常に飢えている私としては、新製品が待ち遠しい。なんといっても画面がきれい、速いましんが結局、勝つ。使っていても飽きない。使う時間が長くなるから、情報も仕入れやすい。他のマシンを使わなくなるので無駄と言えば無駄なのだが、これも仕事のためと思うとやむを得ない。
どうか、この秋、びっくりするくらい、いいマシンが出てくれることを期待する。
先ほど、わからない点を質問したので後は本当に書くだけの作業で済みそうだ。長らく時間を費やしたが、あと少しで終わりそうだ。
この種の仕事は、考えてもダメで聞くのが一番だ。彼らに都合よくできているので考えても無駄なのだ。普通は丁寧に教えてくれるが、葛飾の税務署は冷たかった。岡山と違うのはなぜかと考えるが、質の違いだろうか。私が冷たくあしらわれていた時代は、たくさん税金を払っていた時だ、にもかかわらずだ。岡山の税務署は、税金を払っていない私に、税金を払える会社に復帰できるようできるよう、説明してくれた。
私も一時は会社をたたむところまで追い詰められたのだが、この税務署氏の言葉で継続しようという気になったのだった。私の仕事も実物で説明するとわかってくれ、必要なものだと言ってくれた。私は、今後も説明の仕方次第だと感じたものだった。
ともあれ、この事務作業が終わることが悲しいのではなく、ヤレヤレという気分なのだ。ようやく次の段階に移れるというもの。残る大きな課題は、辞典の構想だろう。いいものというよりも、わかりやすいものができればいいと思う。結局、わかりにくいと評価はされにくい。
この種の仕事は、考えてもダメで聞くのが一番だ。彼らに都合よくできているので考えても無駄なのだ。普通は丁寧に教えてくれるが、葛飾の税務署は冷たかった。岡山と違うのはなぜかと考えるが、質の違いだろうか。私が冷たくあしらわれていた時代は、たくさん税金を払っていた時だ、にもかかわらずだ。岡山の税務署は、税金を払っていない私に、税金を払える会社に復帰できるようできるよう、説明してくれた。
私も一時は会社をたたむところまで追い詰められたのだが、この税務署氏の言葉で継続しようという気になったのだった。私の仕事も実物で説明するとわかってくれ、必要なものだと言ってくれた。私は、今後も説明の仕方次第だと感じたものだった。
ともあれ、この事務作業が終わることが悲しいのではなく、ヤレヤレという気分なのだ。ようやく次の段階に移れるというもの。残る大きな課題は、辞典の構想だろう。いいものというよりも、わかりやすいものができればいいと思う。結局、わかりにくいと評価はされにくい。
この秋、コンピュータ各社から新製品が出る。もちろん、全部のものに手を出せるはずもなく、いくつかは、ヨダレをたらしながら、見送ることになる。タブレット類はほとんどが見送りになるはずだ。実際には、NexusとかiPadかThinkPadしか使い物にならないので当然なのだが、この3種に限ってもすべてを買えるわけではない。あくまでも仕事にどう関わるかで決まることになるだろう。仕事ならば、少々の出費も許されようということだ。
やはり、画面がきれいで情報の分析に役立つものは欲しい。開発環境に有利なものも欲しい。使い勝手のいい、開発環境や情報収集マシンは常に求めている。これに遠慮するようならば、仕事をする意味が無い。必要なものは貪欲に求め利用して結果を出すこと。311までは、本当に疲れてはいたが、確かに貪欲に追求していた。秋葉で事件があって以来、あまり行かなくなってはいたが。
矛盾しているようだが、小さいものと大きいものが欲しいという要求がある。iPadも大小持っていると本当にバランスがいいと思う。PCであっても同じで、小さなマシンと大き目のマシンがあればかなり使い勝手はいいだろう。場所によって使い分けるという意味で。それでいて、遅いマシンではなく、素早く動くマシンであれば、コーフンして仕事がはかどるというパターンだ。
その後は、私たちが作り出すデータの精度で勝負か。知り合いも言っていた。これからは、情報の質が問われると。ネットの情報が信用できないのであれば、信用できるようにすればいい。ただし、これは只ではできないのだが、お金をかける価値は大有りだ。問題は、それをわかるように説明することだ。
昨夜はできなかったので、今夜は新たな提案をしてみるつもりだ。私の中ではぼんやりと見えているものだが、形にするとそれなりにまとまるかもしれないと思うようになった。新しい辞書の話だ。時代の要請がこの辞書を作らせるかもしれない。わかっていることは、一度作れば、後々に活かせるということ。その意味で非常に大きな仕事なのだが、相手に伝わるだろうか。青臭いかもしれないが、情熱をもって書いてみよう。
やはり、画面がきれいで情報の分析に役立つものは欲しい。開発環境に有利なものも欲しい。使い勝手のいい、開発環境や情報収集マシンは常に求めている。これに遠慮するようならば、仕事をする意味が無い。必要なものは貪欲に求め利用して結果を出すこと。311までは、本当に疲れてはいたが、確かに貪欲に追求していた。秋葉で事件があって以来、あまり行かなくなってはいたが。
矛盾しているようだが、小さいものと大きいものが欲しいという要求がある。iPadも大小持っていると本当にバランスがいいと思う。PCであっても同じで、小さなマシンと大き目のマシンがあればかなり使い勝手はいいだろう。場所によって使い分けるという意味で。それでいて、遅いマシンではなく、素早く動くマシンであれば、コーフンして仕事がはかどるというパターンだ。
その後は、私たちが作り出すデータの精度で勝負か。知り合いも言っていた。これからは、情報の質が問われると。ネットの情報が信用できないのであれば、信用できるようにすればいい。ただし、これは只ではできないのだが、お金をかける価値は大有りだ。問題は、それをわかるように説明することだ。
昨夜はできなかったので、今夜は新たな提案をしてみるつもりだ。私の中ではぼんやりと見えているものだが、形にするとそれなりにまとまるかもしれないと思うようになった。新しい辞書の話だ。時代の要請がこの辞書を作らせるかもしれない。わかっていることは、一度作れば、後々に活かせるということ。その意味で非常に大きな仕事なのだが、相手に伝わるだろうか。青臭いかもしれないが、情熱をもって書いてみよう。
相変わらず、快適だ。入力するにはという意味でだ。閲覧するだけなら、iPadというのに変わりはない。開発環境ももう少しだ。全部入ると、自分用のシステムを作ることを宣言したが、先になるかもしれない。嫌々やるのは良くないのでじっくりと待つつもりだ。一日の中でも気分が変わり、さっきまで見えていたことが見えなくなったりする。なかなか難しいわけだ、仕事を続けるということは。
そして、タブレットの限界も見えてきた。このThinkPad10はせっかく分離できるようになっているのだが、携行には向かない。キーボードをかっちり止める機構が無いからだ。強引に運ぶと、移動中に外れてしまい、うれしくないことが起きそうだ。液晶が傷つくとか、割れるとか。この点、痛いと思った。やはり、薄いノートをタブレット代わりに使うしかないのか。しかし、それではタブレットの持つ気軽さがなかなか得られない。ThinkPad10の良さはキーボードとセットで使う時だから、分離して使ってもあまり、ありがたくないのだ。Helixに期待してしまうが、あれば液晶の解像度が大したことない。この点ががっくりくる。
良さとしては、当初ぼろいと思えたマグネシウム合金の天板がいい味を出している。剛性が高いので本当に何かあっても大丈夫な気がする。ふせておいた時に何か落としたとかした場合にだ。他の会社のもここまで剛性が高いのだろうか。さすがに買い比べる余裕はないのだが。実験はそこそこ成功しつつある。これで開発環境とプロトタイプ作成がうまく行けば、これはもう、そこそこ使えるということになる。使いたおして、Ubuntuを入れてしまうという手もある。
こちら方面は順調なのだが、新たな提案作業は難航している。やはり、私にそうたくさんアイデアがあるわけではないからだろう。思い付きはメモしてあるが、これはあくまでも思い付きだ。現実に商売になるのかどうかは不透明だ。救いは、私はあくまでも自信満々だということ。さすがに不透明だけに、企業が食いついてきにくい。はっきり言えば、無視される可能性の方が高いのだ。
私の仕事は、そこそこ伸びると思っている。幅広く人を集めることができるからだ。ただ、運営は難しい。実際にそうであったように、メンタルの管理とかいろんな不調を訴える人が出て来るのでそれらにすべてこたえられるようでなければ、経営者は務まらないと思う。どうして、ここまで強気でいられるのかというと、この社会がそろそろ限界に来つつあるのではと思うからだ。ここまで国民を痛めつけると、さすがに反撃も起きるのではないか。その引き金は大まかだがわかってきた。
皮算用に過ぎないのだが、それよりも自分自身を心配している。私は、精神的にまいることがあっても何とか対処できると思っているのだが、肉体的な終わりが近づいているかもしれない。特に兆候があるわけではないのだが、心配しないといけない身ではある。病気しても精神的なもろさでそのままあちらへ、ということもありそうだ。正直、そのことを心配するときりがない。そういう心配は、「老い」であることも知っている。
歳を重ねるごとにいろんなことが見えてきた私だった。女の心は見えないが、昔よりは話せるようになった。ひょっとすると、ねんごろになる女も出現するかもしれない。
そして、タブレットの限界も見えてきた。このThinkPad10はせっかく分離できるようになっているのだが、携行には向かない。キーボードをかっちり止める機構が無いからだ。強引に運ぶと、移動中に外れてしまい、うれしくないことが起きそうだ。液晶が傷つくとか、割れるとか。この点、痛いと思った。やはり、薄いノートをタブレット代わりに使うしかないのか。しかし、それではタブレットの持つ気軽さがなかなか得られない。ThinkPad10の良さはキーボードとセットで使う時だから、分離して使ってもあまり、ありがたくないのだ。Helixに期待してしまうが、あれば液晶の解像度が大したことない。この点ががっくりくる。
良さとしては、当初ぼろいと思えたマグネシウム合金の天板がいい味を出している。剛性が高いので本当に何かあっても大丈夫な気がする。ふせておいた時に何か落としたとかした場合にだ。他の会社のもここまで剛性が高いのだろうか。さすがに買い比べる余裕はないのだが。実験はそこそこ成功しつつある。これで開発環境とプロトタイプ作成がうまく行けば、これはもう、そこそこ使えるということになる。使いたおして、Ubuntuを入れてしまうという手もある。
こちら方面は順調なのだが、新たな提案作業は難航している。やはり、私にそうたくさんアイデアがあるわけではないからだろう。思い付きはメモしてあるが、これはあくまでも思い付きだ。現実に商売になるのかどうかは不透明だ。救いは、私はあくまでも自信満々だということ。さすがに不透明だけに、企業が食いついてきにくい。はっきり言えば、無視される可能性の方が高いのだ。
私の仕事は、そこそこ伸びると思っている。幅広く人を集めることができるからだ。ただ、運営は難しい。実際にそうであったように、メンタルの管理とかいろんな不調を訴える人が出て来るのでそれらにすべてこたえられるようでなければ、経営者は務まらないと思う。どうして、ここまで強気でいられるのかというと、この社会がそろそろ限界に来つつあるのではと思うからだ。ここまで国民を痛めつけると、さすがに反撃も起きるのではないか。その引き金は大まかだがわかってきた。
皮算用に過ぎないのだが、それよりも自分自身を心配している。私は、精神的にまいることがあっても何とか対処できると思っているのだが、肉体的な終わりが近づいているかもしれない。特に兆候があるわけではないのだが、心配しないといけない身ではある。病気しても精神的なもろさでそのままあちらへ、ということもありそうだ。正直、そのことを心配するときりがない。そういう心配は、「老い」であることも知っている。
歳を重ねるごとにいろんなことが見えてきた私だった。女の心は見えないが、昔よりは話せるようになった。ひょっとすると、ねんごろになる女も出現するかもしれない。