忍者ブログ
知りうる限りの情報をとにかく書く
Admin  +   Write
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

まったく進展の無いままに、もう10月が終わりだ。自分としてもかなり焦りや不完全燃焼感は強い。どうにかしなければならないのに、どうにもならない。すべては、「流れ着く」方向に進んでいるかのようだ。自分の努力は何ともならないのか。とはいえ、努力らしい努力はしていないわけだが。もっと、毎日、面倒なプログラミングに挑戦してこそ、私らしい努力と言えると思っている。その日はいつ来るのか。

楽なので、どうしても私たちの仕事の成果を確認するマシンのことばかりが話題になるのだが、本当は、どういう経緯で語学やら実用書やら百科が必要なのかを説いた方がいいのかもしれない。最初に接するのは、いろんなマスコミのニュースなのだが、これらは程なく役に立たない糞情報だとわかる。問題はその後だ。いかに真実に迫ったニュースを仕入れるのか。実際には、そんな都合のいいものは無く、日々、ウソニュースと自分の調査との戦いでしかない。これが正しいニュースというものは無い。

私の中では、そこまでは自明のことなので、今はいかにしてデータを作るのかということ、成果を確認するマシンであるiPadやらAndroidやらを選定している。後必要なことは、これらのマシンをいかに便利に使うのかということだろう。メーカーが準備したソフトでは便利とは言えないからだ。ブラウザやメーラー、地図ソフトなどは必須だろうか。こういうもののちゃんとしたわかりやすい説明が必要なのだろう。

そこまでそろうと、なぜ自分から求めて情報を得なければならないのか、どうすればそれはできるのか、結果どういうふうにお得になるのかがわかるかもしれない。さらには、ますます便利になり、夢が広がるようになればいいのだが。私がデータ作成に乗り出せば、そういうことも可能になる。手始めに医薬ビジランスセンターの『薬のチェックは命のチェック』誌をやりたいところだが、ネットで公開もするが、有料でアプリも売るというのがいいように思う。情報を伝えるというのが目的なので。しかし、そんなことに許可が出るのかどうか。

おもしろいことに情報は、探れば探るほどに増えて来る。喜んでばかりはいられない。仕事も増えることを意味するからだ。単に観光のデータベースを考えると、画像とちょっとした文章を用意すれば終わりかと思うとそうでもない。正確な日付、建物のの由来、遺跡についての解説となると簡単ではなくなる。田舎の歴史となると歴史書にも無い。けっこう大変な仕事になるのだ。数年後、いろんな経歴の人が、こういう仕事をすることになると思う。ただ、こういう作業が好きではない人にとっては苦痛になるが、そういう場合はどうすべきなのか。

PR
大切な時期でもあるので、週末、東京に飛んで火にいる夏の虫作戦を決行しようと思ったが、できないことになりそうだ。もちろん、お金などあるわけないのだが、お金の問題ではない。東京に仕事とか打ち合わせの用事があるわけでもない。まさに、勝手に行くだけのことだ。それでも私には意味があると思えての行動だった。また、次の機会をうかがうか。ただ、来月以降はちょっと複雑な要素も出てきたので、今度はいつになるかわからない。何もしないうちに来年を迎えるということだけは避けたい。

基本は、自分の足元をまずは固めてから、というのがある。未だ、固まるどころか、流動状態なのだ。にもかかわらず、私は日々フワフワしている。何とかしたい、という思いだけが、上滑り。肉体的にどうということはない。むしろ、歩きたいくらいなのだが、散歩コースにいい所が無いので困っているくらいだ。田舎なのでどこでもいいようなもんだが、田舎であるがゆえに物騒な場所もあったりする。田舎でもさみしいところは危ないと思わなければなるまい。男であっても。それなりに覚悟を持ってでないと行けない。

急に寒くなったということもあり、風邪をひきそうというのはある。ここで無茶をしたら、一気にということもある。ただ、それを言っていると、今日も抗議行動に出ている人を思うとどうなのかと思う。それぞれが、体に不安を持ちつつも、言わなければならないことを言い続けている。まるで、戦前の桐生悠々のごとく。紆余曲折はあるのだが、歴史は、正しいことを言っている人のようになる。もっと声が大きければ、紆余曲折せずにもっと早く正しい方向に向かうかもしれないのだ。私のような者でも参加することで声になるかもしれない。

今は浪人時代と思っている。事実、大学受験の浪人時代と似ている。何の縛りも無いのだが、社会には何にも関わっていない。良さそうだが、なかなか苦しい。やはり、不安でたまらないが、難しいことに挑戦する日々が楽しいのだ。仕事をしつつ、問題解決を考える、そんな生活を夢想している。
たまたま野球をやっていたので、古いがTVチューナーのついたタブレットを持ち出してつけて見ている。たまたま野球のやっているチャンネルだけ受信可能だった。田舎だと、ワンセグでも満足に入らない。これが、くっきり映りどのチャンネルも見られるようになれば、見なくともうれしいだろうと思える。実は、タブレットでTVチューナー付はあるものの、あくまでもアンテナ受信なので厳しい。ケーブルを使うのもいいが、それではちょっと使い勝手悪い。どうしてもネットで配信されるようにならなければ、難しいのだろう。TVもタブレットでとなれば、買う人も増えないか?

ラジオは不十分ながら、今ではネットでクッキリ音声で聞くことができる。これも法律の改正が必要ならばして、ネットで自由に全国のものを聞けるようにしなければ、情報が偏ってしまう。テレビ、ラジオは今後も真実を放送することは無いと思うが、その分、ネットを通じて正しい情報を作り、配信するシステムを作ればいい。図書館を利用したい。何でもそうなのだが、情報がすべてだ。

ラジオ、テレビ、図書館、ネット図書館、ツイキャスなどが情報源になれば、まあまあの情報を誰もが得られる時代が来る。それらをすべてタブレットがこなしてくれるならば、売れるのだろう。手の届くところにある、というのが重要だ。本当のテレビ、ラジオなどでは構えてしまう。


特に自分のことではないのだが、川内の再稼働に向けての動きを見るにつけ不安は増す。とにかく声をあげるしかない状況だ。

自分の仕事や会社の将来に不安は無いわけは無く、それは大不安だ。しかし、社会の不安はそういうものをはるかに超える。努力してもその努力を打ち消すような社会変化があればどうにもならないからだ。未来が無くなるような、そんな不安だ。

私の最近の行動そのものが不安から来たものだと思う。停電した時とかの準備に走ったり。不安商売にマンマと乗せられて行動しているのだ。こんな時こそ、悠然と本を読むのもいいのだが、そちらの手当てもしたりした。しかし、当然のことながら、そんな気分にはなれるはずもない。少し前から気になっている分野にも手を出したりした。こちらもすぐには読めない本だと思う。

ただ、気分が安定することはありがたいので、せこい投資で済むものならば、遠慮しつつするつもりでいる。様子を見ながら、ここは切り抜けるしか手が無い感じだ。運動して、体を鍛えることも一つの方法だ。それには、クツが必要だとか。

出ることに着眼すると、身動きがとれなくなるが、大事なことは、飛び上がるための資金は、ある程度だが、覚悟は必要だということ。それは、何も物を買うだけにとどまらず、どこかへ行くということも含まれる。実際、そういうことも既にやっている。

お金が無いので罪悪感を感じるのは正常な反応。どこまで行っても「できるだけ」という修飾が付いてしまうが、がんばろう。明るく、素直に、温かく!
私も仕事柄、たくさん辞書を持っている。好奇心が出た時は、これでもかというくらいまで辞書をひく。中国語であっても同じだ。調べることは、難しいことではない。動けば知識が増やせるのだからこれほどお得なことはない。

しかし、私はプログラマーであっても語学研究者ではない。辞書は仕事上必要な時にしかひかない。大半の時間は閉じられたままだ。これはいいと思った辞書も目に見えるところに置きっぱなしで何日も閉じられたまま。いつもそれをうらめしい気持ちで見てしまう。私は別にやることがあるので、辞書にはそんなに思い入れを強く持たなくていいはずだとは思うのだが。

このあたりが、ユーザーを作れるかどうかの分かれ目なのだろうかと考えたりもする。私も、他のユーザーと同じく、まったく外国語などには興味は無かったのだ。国語だけは興味があり、漢字そのものもよく調べたりはしていたが。外国語については、必要に迫られた人を待つということでいいのではないかと思うが。

ただ、それを言い出すと、他の実用書なども皆そうだ。誰も必要もないのに辞書や事典をひいたりしないのだ。深くしる必要がないのであれば、調べることすらしないものだ。そこへ、必要に迫られたら、などといって待っていたら、これは必要ないのと同じか。

それにしても、外国語をやっていてお得なことは滅多にないとは思う。とりあえず、人々の悩みは目の前にある。それを解決しないことには、なかなか他をやる余裕は出てこない気がする。私が出くわして来た困難とは、ほとんどがコンピューターやプログラミングについてだ。もちろん、これらを解説するノウハウ本でもいいのだが、これがまたニーズは小さいだろう。

結局、私が書ける本も含めて、ニーズは多くあり、これは売れるというものは無いくらいの覚悟でなければならないのだろう。私の建設する電子図書館は、よろず、わからないを解決するというスローガンだった。資料や知見の限界で調べられない、ということを無しにする計画だ。すべてわかって、判断するというもの。中には、資料のそろわないものも出てこようが。

明らかななのは、これまでの図書館では資料はあまりに少な過ぎて、目でしか追えないということ。改善の余地は果てしなくある。
≪ 前のページ   *HOME*   次のページ ≫
カレンダー
12 2026/01 02
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新コメント
[02/19 管理人]
[02/19 ゆん]
[05/27 管理人]
[05/26 すだれ]
[05/24 管理人]
最新記事
最新トラックバック
プロフィール
HN:
papillon234
性別:
男性
バーコード
ブログ内検索
カウンター
お天気情報
アクセス解析
material by bee  /  web*citron
忍者ブログ [PR]