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体が重いと思ったら、風邪をひいたかもしれない。やらなければならないことがある時に限って、こういうことになる。それまでは何をしていたのかというとゴロゴロしていたのだった。まだ、それほどまでに絶望はしていないのだが、あまりに暇だと気力も失せてくる。仕方のないことだと今はやり過ごすことにしている。深刻に悩んでもどうにもならないからだ。
それにしても、歳をとるということを感じる。若い頃は、肉体から生命が消えるとか考えたことも無かった。「死」など眼中に無かったのだ。小学生の頃は、何故か不思議な世界に行くような感覚がして、「死」そのものが恐かったような気がする。その後、運動を始めたので、そんなことなど考える暇も無くなった。不健康な私が元気になった瞬間だった。
その後、40を超えるくらいまではテニスをやったので結構、運動はした方だと思っていたが、さほど体は強くもない。筋肉も特別な運動をしたわけでもないので、特に発達しているわけではない。40の後半だったか、体調を崩し、かなり自信を失った。東京に行って、何度もインフルエンザにかかったことを覚えている。休めない仕事だったが、こればかりは、休むほかなかった。食事もままならず、苦しかったことを覚えている。
それでも1週間もあればピンピンしていた。昨年初めのインフルエンザとはわけが違う感じだった。とにかく、自分が死ぬという感覚など無かったということ。最近は、ちょっと苦しかったりすると、死ぬんではないかと、本気で心配してしまう。そして、そう深刻ではないにしても胸が苦しかったり、頭がフラフラしたりすることもあるのだ。
今のように特に無理をしているわけでもないのに、体調不良に陥ったりする。気合いが足らないことも事実だろう。もう少しするとプレッシャーを感じるようになると思う。年内になんとかと思っているからだ。お金も無いことだし、急がないければならないのだが、たぶん、気持ちが十分になり次第ということになるだろう。今のように弱気になっていてはいいことはない。仕方がないので、体調の回復を待とう。
それにしても、歳をとるということを感じる。若い頃は、肉体から生命が消えるとか考えたことも無かった。「死」など眼中に無かったのだ。小学生の頃は、何故か不思議な世界に行くような感覚がして、「死」そのものが恐かったような気がする。その後、運動を始めたので、そんなことなど考える暇も無くなった。不健康な私が元気になった瞬間だった。
その後、40を超えるくらいまではテニスをやったので結構、運動はした方だと思っていたが、さほど体は強くもない。筋肉も特別な運動をしたわけでもないので、特に発達しているわけではない。40の後半だったか、体調を崩し、かなり自信を失った。東京に行って、何度もインフルエンザにかかったことを覚えている。休めない仕事だったが、こればかりは、休むほかなかった。食事もままならず、苦しかったことを覚えている。
それでも1週間もあればピンピンしていた。昨年初めのインフルエンザとはわけが違う感じだった。とにかく、自分が死ぬという感覚など無かったということ。最近は、ちょっと苦しかったりすると、死ぬんではないかと、本気で心配してしまう。そして、そう深刻ではないにしても胸が苦しかったり、頭がフラフラしたりすることもあるのだ。
今のように特に無理をしているわけでもないのに、体調不良に陥ったりする。気合いが足らないことも事実だろう。もう少しするとプレッシャーを感じるようになると思う。年内になんとかと思っているからだ。お金も無いことだし、急がないければならないのだが、たぶん、気持ちが十分になり次第ということになるだろう。今のように弱気になっていてはいいことはない。仕方がないので、体調の回復を待とう。
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重厚長大は良くないと書いたが、実は文章もそうだと思う。明快なことを言うのに、そうたくさんの言葉は要らない。私もくだらないものをどんどん大きくしてしまう傾向がある。よほど暇な人以外は、長大な文章を読んだりはしない。
書籍も同じことなのだが、売る場合は、重厚長大な方が売れるのではないか?薄い新書とか文庫は、いかにも情報が少なそうで買う気になれないからだ。しかし、現実に長大な新書とか文庫はあるが、読まれないのではないか。
ただ、仕掛けはあると思う。それは、「まえがき」だ。これが長大な人が多いのだが、そういう人の本は、まずしんどい。しかし、1ページ程度の本は、逆に内容が濃かったりする。短い文章の中に伝えたいことが凝縮されているようだ。もちろん、例外もあるのだが。
個人の全集などあるが、売り物としてはいいものだが、読むとなるとシンドイのではないか。私も矢内原のものを買ったが、案の定、買っただけだ。これを何とかできるとしたら、デジタルの方法だけだ。紙の本よりも小さくできることは確実だからだ。しかも、探すのは目だけではないのが使えると思うが、まだ弱い。やはり、プラス何かの情報なのだと思うが、私も気がつかないでいる。
それがわかれば、天下をとれる!
書籍も同じことなのだが、売る場合は、重厚長大な方が売れるのではないか?薄い新書とか文庫は、いかにも情報が少なそうで買う気になれないからだ。しかし、現実に長大な新書とか文庫はあるが、読まれないのではないか。
ただ、仕掛けはあると思う。それは、「まえがき」だ。これが長大な人が多いのだが、そういう人の本は、まずしんどい。しかし、1ページ程度の本は、逆に内容が濃かったりする。短い文章の中に伝えたいことが凝縮されているようだ。もちろん、例外もあるのだが。
個人の全集などあるが、売り物としてはいいものだが、読むとなるとシンドイのではないか。私も矢内原のものを買ったが、案の定、買っただけだ。これを何とかできるとしたら、デジタルの方法だけだ。紙の本よりも小さくできることは確実だからだ。しかも、探すのは目だけではないのが使えると思うが、まだ弱い。やはり、プラス何かの情報なのだと思うが、私も気がつかないでいる。
それがわかれば、天下をとれる!
当面、必要なものを買うのは仕方ないとして、運動靴を買うことにした。この運動靴が役立つようであればいいのだが。いろんな意味で。仕事を始めてからというもの、ブーツしか持っていない私だった。今でもブーツは好きだが、さすがにこれで細かな動きは難しい。
その他に必要なものは何なのか、よく考えて余計なことはしないようにしたい。パソコンの費用はちょっと難しいかもしれない。私のことだから、グレードの高いものを買うので予算が足らないという意味だ。パソコンは、速く、美しいものでなければ買う意味が無い。そういうものは高いと決まっている。3年も使えば壊れてしまうパソコンだが、その時点でベストなものを買わなければ、仕事がかったるくなるのだ。処理速度が遅いということは、仕事が遅くなるということ。
意表をついて元気づけにカメラという作戦もありだが、さすがに今はそういう気分ではない。あれば撮るかもしれないが、未来がかかっている今、やはり風景写真を撮って悦に入る時間は無い。となると、さすがの私も買うものはもう無いかもしれない。どこまでも仕事中心の買い物をしてきた弊害かもしれない。iPodの新しいものが出れば欲しかったが、それも今に至るまで何の情報も無い。出ないということなのかもしれない。
小さなものを削る傾向にあるのはAppleの戦略なのだろうか。iPad miniにしても。老眼だが、こういうものは最低限残して欲しいものだ。それでも会社の戦略であれば仕方なかろう。そのかわり、この選択が会社の運命すら変える可能性もある。だから、慎重にやらなければならない。
無駄遣いな私の経験から言うと、重厚長大なものは、ものとしてあまりよくない。大画面のパソコン、大きなステレオ、大きなノート、大きなタブレット。ものは小さく作るのが難しいので様々な技術が使われる。大きくていいのなら、何も苦労しない。小さいものがいいと思う。
一時期、7インチのタブレットに凝ったのは良かったが、昨年末は、やられたと思う。ZOTACという会社のもの、あまり良くなかった。今でも時折使うが、どうもWi-Fiを乱すのではないかと思っている。というのも、他のマシンではそういうことは無いからだ。これでも2万以上の投資をしているだけに残念に思う。ASUSのものもボロだが、個体によって違いがある。
我が国のメーカーも、ここで勝負の芽はあるのだが、勝負しない。国産のものでは、なかなかこれというものが無いのだ。sharpが初期に出していたが、少しも萌えなかった。まだ、無線LANはそれほど広まっていなかったということも原因ではないかと思うが。
故障に強い、小さく、速く、画面のきれいなパソコンやタブレットは、いつでも欲しいが、今に至るまで、そういうものは無いのだ。ずっと、「とりあえず」で使って来ただけのことだ。
私の使い勝手がいいというのは、タブレット型のクラムシェルパソコンだ。ThinkPad10は、なかなか理想に近い。もう少しだと思うのは、キーボードだろう。これに、バッテリーを積んだり、360度回転できる仕掛けが欲しかった。それが、できるのはHelixなのだろうが。早く現物を見てみたい。
その他に必要なものは何なのか、よく考えて余計なことはしないようにしたい。パソコンの費用はちょっと難しいかもしれない。私のことだから、グレードの高いものを買うので予算が足らないという意味だ。パソコンは、速く、美しいものでなければ買う意味が無い。そういうものは高いと決まっている。3年も使えば壊れてしまうパソコンだが、その時点でベストなものを買わなければ、仕事がかったるくなるのだ。処理速度が遅いということは、仕事が遅くなるということ。
意表をついて元気づけにカメラという作戦もありだが、さすがに今はそういう気分ではない。あれば撮るかもしれないが、未来がかかっている今、やはり風景写真を撮って悦に入る時間は無い。となると、さすがの私も買うものはもう無いかもしれない。どこまでも仕事中心の買い物をしてきた弊害かもしれない。iPodの新しいものが出れば欲しかったが、それも今に至るまで何の情報も無い。出ないということなのかもしれない。
小さなものを削る傾向にあるのはAppleの戦略なのだろうか。iPad miniにしても。老眼だが、こういうものは最低限残して欲しいものだ。それでも会社の戦略であれば仕方なかろう。そのかわり、この選択が会社の運命すら変える可能性もある。だから、慎重にやらなければならない。
無駄遣いな私の経験から言うと、重厚長大なものは、ものとしてあまりよくない。大画面のパソコン、大きなステレオ、大きなノート、大きなタブレット。ものは小さく作るのが難しいので様々な技術が使われる。大きくていいのなら、何も苦労しない。小さいものがいいと思う。
一時期、7インチのタブレットに凝ったのは良かったが、昨年末は、やられたと思う。ZOTACという会社のもの、あまり良くなかった。今でも時折使うが、どうもWi-Fiを乱すのではないかと思っている。というのも、他のマシンではそういうことは無いからだ。これでも2万以上の投資をしているだけに残念に思う。ASUSのものもボロだが、個体によって違いがある。
我が国のメーカーも、ここで勝負の芽はあるのだが、勝負しない。国産のものでは、なかなかこれというものが無いのだ。sharpが初期に出していたが、少しも萌えなかった。まだ、無線LANはそれほど広まっていなかったということも原因ではないかと思うが。
故障に強い、小さく、速く、画面のきれいなパソコンやタブレットは、いつでも欲しいが、今に至るまで、そういうものは無いのだ。ずっと、「とりあえず」で使って来ただけのことだ。
私の使い勝手がいいというのは、タブレット型のクラムシェルパソコンだ。ThinkPad10は、なかなか理想に近い。もう少しだと思うのは、キーボードだろう。これに、バッテリーを積んだり、360度回転できる仕掛けが欲しかった。それが、できるのはHelixなのだろうが。早く現物を見てみたい。
静かにパソコンに向かうのもいいのだが、傍らに小型の液晶を置いて、ビデオを流したり、ネットのドラマを見るのもかえって仕事がはかどったりする。東京にいる間、よくやっていたことだ。だから、大型画面のパソコンを用意して、小窓でテレビが見られる環境が好きだった。仕事だけでは、どうしても滅入ってしまい能率が悪かったりする。仕事をしつつ何かをやる、見ないでもビデオを流すというのは結構有効な手段だった。
実は、今でもやってみたら結構調子が出た。いちいち動画を処理するのが面倒なので、小さなプレーヤーを用意した時もあったが、これはやり過ぎだった。回転部を持つ小さな機械は難しいようだ。しかも、怪しいメーカーだった。確か、引っ越しの時にやむなく捨てたと記憶している。調子が悪かった時に結構、こんなことをやっている。
結局は、仕事のためだった。311までは、この試行錯誤が繰り返されたと思う。そして、時に息抜きとして利用したのが、カメラだったのだろう。東京での後半は、飽きてきたというのもあった。だから、この時点で新しいことを始めなければならなかったということ。始められなかったことが、私の敗因ではなかったか。
今でも思い出すが、当時の私に欲しいのはぼーとする時間だった。あまりにも張りつめているだけではいいアイデアも出なかった。だが、それ以上何もできなかった。帯状疱疹やら突発的な喘息とか動悸にも見舞われたのが、この頃だった。私もボツボツ故障が起きがちだったのだった。
それまでは、無軌道に走って来たが、ここにきていちいち体の心配をしなければならないという事態にもなっていた。仕事相手とうまく付き合えなかったということも私の責任だろうが、かといって、衝突無しでうまくやれたのかどうかは疑問だった。すべてを肯定するつもりはないのだが、否定しても何も出てこない。最後を見てわかるように、もともとは、何かあれば斬りやすい相手を斬っていくという連中だった。そして、私も同類項だった。
実は、今でもやってみたら結構調子が出た。いちいち動画を処理するのが面倒なので、小さなプレーヤーを用意した時もあったが、これはやり過ぎだった。回転部を持つ小さな機械は難しいようだ。しかも、怪しいメーカーだった。確か、引っ越しの時にやむなく捨てたと記憶している。調子が悪かった時に結構、こんなことをやっている。
結局は、仕事のためだった。311までは、この試行錯誤が繰り返されたと思う。そして、時に息抜きとして利用したのが、カメラだったのだろう。東京での後半は、飽きてきたというのもあった。だから、この時点で新しいことを始めなければならなかったということ。始められなかったことが、私の敗因ではなかったか。
今でも思い出すが、当時の私に欲しいのはぼーとする時間だった。あまりにも張りつめているだけではいいアイデアも出なかった。だが、それ以上何もできなかった。帯状疱疹やら突発的な喘息とか動悸にも見舞われたのが、この頃だった。私もボツボツ故障が起きがちだったのだった。
それまでは、無軌道に走って来たが、ここにきていちいち体の心配をしなければならないという事態にもなっていた。仕事相手とうまく付き合えなかったということも私の責任だろうが、かといって、衝突無しでうまくやれたのかどうかは疑問だった。すべてを肯定するつもりはないのだが、否定しても何も出てこない。最後を見てわかるように、もともとは、何かあれば斬りやすい相手を斬っていくという連中だった。そして、私も同類項だった。
デジタルの仕事でなぜ「慣れ」が必要なのかと言えば、使えるものを作る必要があるからだ。私も素人から始めた口だが、素人ではそういう余裕は無い。ただ、デジタル化することがデジタル化と思ってしまう。できたものは、他人が見てどう感じるのかは全く考慮されていない、ひどい代物だ。そして、これがデジタルか、と思われてますます人々は遠ざかる。
しかし、ある程度の経験があれば、いかに見せるかに努力するようになる。やはり、見てもらってこそのデータだからだ。使えるデータを作るためには、どうしても経験が必要なのだ。経験者の中に素人が入って来ても指導できるからいいのだが、素人がトップだと始末が悪い。どんどん、使えないデータが出来て行き、ユーザーが不利益をこうむることになる。一番、避けなければならないことだ。
今は、この「慣れ」の効果を忘れている会社ばかりだ。「慣れ」た者は、金が高いという発想をするのだ。いいものを作り、回収するという発想にならないのは、自分が手柄を独り占めしたいからだということ。そうすると、このシステムを放置しているのはなぜなのか。組織の上にはものを言わず、手柄は手に入れたい、ということか。つまらないが、悲しい現実なのだろう。
私の心身のだるさが取れないのは、仕事とか会社に由来するものだと思う。放射能の影響もあると思うが。会社を再稼働させて、元のメンバーを呼び寄せて、新人もどんどん雇い、未来のビジョンを描けるようになってはじめて、私の憂鬱も晴れるのだろう。
しかし、ある程度の経験があれば、いかに見せるかに努力するようになる。やはり、見てもらってこそのデータだからだ。使えるデータを作るためには、どうしても経験が必要なのだ。経験者の中に素人が入って来ても指導できるからいいのだが、素人がトップだと始末が悪い。どんどん、使えないデータが出来て行き、ユーザーが不利益をこうむることになる。一番、避けなければならないことだ。
今は、この「慣れ」の効果を忘れている会社ばかりだ。「慣れ」た者は、金が高いという発想をするのだ。いいものを作り、回収するという発想にならないのは、自分が手柄を独り占めしたいからだということ。そうすると、このシステムを放置しているのはなぜなのか。組織の上にはものを言わず、手柄は手に入れたい、ということか。つまらないが、悲しい現実なのだろう。
私の心身のだるさが取れないのは、仕事とか会社に由来するものだと思う。放射能の影響もあると思うが。会社を再稼働させて、元のメンバーを呼び寄せて、新人もどんどん雇い、未来のビジョンを描けるようになってはじめて、私の憂鬱も晴れるのだろう。