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本業では、しばらく食えないのでアルバイトでもと動き始めたのが6月。そこで知ったのは、もう私の歳ではバイトすら無いということ。その後は、役所関連に集中したが、ことごとくケラれた。これは、もちろん年齢のこともあろうが男であることがダメらしい。収入が10も無い所がほとんどだから。

体調がイマイチのまま、近く健康診断にも行く予定だ。今年は、終わりになってしまったが、年に一回はいいだろう。

お金が無いことばかりに着眼すると気が滅入る。何とか、夢を見ることではないかと思う。良くなる時は一気だ。悪くなる時は徐々にだった。

まだ、課題も残っているので気が滅入ることも仕方ない面もある。今年中にやるのはもちろんだが、そこから反転攻勢に出たい気分だ。

日雇いは、まだ続いている。私の足が動かなくなるまでやるつもりだ。同僚のおじさんにはなんで、こんな最底辺の仕事に?と聞かれた。私も本業で頑張れるならそうしたいのだが、と答えた。おじさんは、60を超えている。おじさんもたまに、面白がって職安に行くらしいが、仕事は無いという。しかし、ネットを使いこなしているようで放射能以外は詳しいようだった。岡山にいると、やはり、よそ事なのかもしれない。

80を超える人たちが亡くなっている。巨泉は、3度目のガンになったという。フクイチ由来の放射能に違いないと思うが、そんなに騒がれていない。若い人が亡くならなければ、納得できないとでも言うのだろうか。来年が恐ろしい。
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体がやわにもかかわらず、日雇いに出ているからか、ちょっと体調が悪い。ぐたーとしたい感じだから、体が疲れているようだ。自分でもわかるのだが、かなり口も臭くなっている。睡眠不足が続いた時のあの臭さだ。しかし、それはかなり疲れている時しかないのだが。

これまで、ずっとぷー太郎をしてきたこともあり、夜遅くまで起きていることが多かった。それで体調が悪いということもないのだが、まあ、睡眠不足というのが大きい。体も調節がきかず、結果として、気分が良くない状態なのかもしれない。

体が動かなくなると仕事もできないわけで、その時には辞めるしかないと思っている。せめて数ヶ月はやって、結果を出してからにしたいと思ったが、意外に早い終わりになるかもしれない。ただ、決めてはいない。どうなるのかわからない、というのが正しい判断だ。どうなっても受け入れるしかないわけだ。

ここでは、悲観的なことだけを書いておく。年末、年始、働いている状態で過ごしたかったのだが、もしかすると辞めなければならないかもしれない。誰にもわからないことだ。私は私で膝のために良い運動もしている。これだけで、けっこう痛みは軽減されている。しかし、来るときには一気に来るので、そうも言っていられないのだろう。あまり、こういうことに運命など考えないようにしたいところだ。

ただし、私の風邪らしい症状は今の所ない。しんどい、だけだ。私の場合、熱が出るか、のどが痛くなるかがないと風邪とは言えない。熱が出た場合は、インフルエンザだと思う。今ならデング熱かもしれない。
日雇い労働をする前に、収入が見込めるのだからと、ボーズのミニスピーカを購入した。でかいのは持っているが、Bluetoothが無いし使い勝手も良くなかった。これが今ではなかなか役立っている。夜中にライブ録音など聴くと本物っぽくて癒される。また、ネイティブアメリカンフルートの演奏などを聴いているのだが、ちゃんと雰囲気を伝えてくれる。フォルクローレも合う。龍雲の声もなかなかよく出ている。

明日もいろいろと用事があるのだが、どれも重要なこと。てきぱきとこなしたい。今日の休養で膝は少し持ち直したようだ。やはり、連続すると良くないようだ。休みが必ず必要だ。しかし、連続してくれと言われるようになる日も来るかもしれない。その時はピンチだ。

現実にはお金はなかなかたくさんいる。来年はいよいよ保険も解約しなければならなくなる。切実だ。私のやってきた結果が今出ている。何が起きても受け入れて、乗り越えて行くしかない。せめて、心だけは前向きでありたい。出ることばかりに着眼すると気分はますます落ち込む。目の前に仕事の山があるだけに悔しい気もするのだが。実の所、今、私はゆっくりしている余裕などないのだ。一秒でも惜しんでデータ作りに専念しなければならないほどなのだ。

心が苛立ち、焦りだすとやはり音楽と言うか音が役立つ。ゆったりした気分になる。さらにこれが、カメラにまで流れてくれるとありがたいのだが。今は、カメラを持つ気分にもなれないので困っている。サギはほとんどどこかへ行ってしまった。

ややこしい、辞書のデータを作りたい。今はそれが一番の願いだ。
18年前の東京行きは、私なりの総決算だった。親父が亡くなり、何とか岡山で暮らし始めるも、たちまち貧乏に転落。会社も危なくなり、他に仕事も無し。今と同じような感じだった。そこに降ってわいたのが東京での仕事だった。もちろん、私の小さな小さな営業努力もあった。一つだけ心配なことは、東京に出るということだった。今なら仮想サーバーを作り、月に何回行きましょうか?という話で済むが、当時はそういうことも苦しかったように思う。

結局、周囲の理解、励ましもあり、行くことになったのだった。あとで考えれば、選択の余地など無かったのだろうが、当時は、それなりに悩んだのだった。阪神大震災があったりして、世の中は不安に満ちていた。その前に、京都時代で培った、一人暮らしのマニュアルが私にはあったので、何とかなるという思いはあった。しかし、未知の街であるし、危ない街という認識には変わりはなかった。田舎もんの私が暮らせる街ではないのではないかと思っていたからだ。

現実に、総武線の通勤をしばらく続けた時には、「これまでか」とさえ考えたほどだった。そう、地下鉄が恐くて乗れなかったのであった。今も思い出すが、どこかよそに連れて行かれるのではないかという、田舎もん独特の発想があったのだ。同僚によく話を聞いて、都営地下鉄に乗るようにすると、何とか落ち着いて通勤できることを知った。ただ、アパートにはバスも乗り継がなければならなかったため、非常に時間がかかった。

何を食っていたのか思い出せないが、夕食には困っていて、コンビニの弁当を食っては、口内炎を作っていた。3日、コンビニ弁当を食べると具合が悪くなる、というのが当時の経験則だった。311前なので、適当に食っても被曝することはなかったのでマシだとは思うが、それでも食品添加物の嵐だったのだろう。とにかく、食うものに困ったというのが当時の思い出にある。

精神衛生上、趣味を何か考えていたが、やはり音楽くらいだった。こちらで買ったボロステレオを持って行ったが、すぐに壊れた。龍雲のライブにはとにかくよく行ったと思う。年に4回くらいはあった。当時は、渋谷エッグマンとかでやっていた。その他は覚えていないが、とにかく仕事と一体化していたため、日曜日にはアキバのホコ天に行っていた。何度か同僚と行き、次第に一人で行くようになったのだろう。本や新しいパソコンに触れることが本当に楽しかった。まだ、ヨドバシが進出していない頃だったので、電気街も泥臭く楽しかった。

仕事は楽しかったのだが、責任も同時にあり、できないということは許されなかった。優しく言ってはいるが、できないということは即仕事が無くなることを意味していた。そのため休みの日も平日も常に仕事の悩みを抱えていた。具体的にデータベースの使い方がわからない、プログラミングの仕方がわからないという悩みだった。失敗するとデータを壊すことになり、一大事だった。土日でも私がパソコンから離れられなかった所以だった。5月の連休などは、トイレと風呂以外は、ずっとパソコンの前だった。仕事にくらいつくことで、知識も少しづつ付いて行ったのだろうと思う。

グループで付き合っていた仲間といろいろ行ったのだが、大島や今では行けない那須にも行った。私は、その中で恋もしたのだが、結果はさっぱりだった。どうも私の器の小ささが原因のようだった。今では付き合いは絶えているのだが、その中の一人だけとは、お別れをしてきた。メールだけなのだが。彼女を好きになった私だったが、先着がいたのだった。しかし、それでも楽しい仲というのは彼女の人柄なのだろうか。出会いから、ずっと優しいのだった。

以後は、よく書いてきたことだが、精神的にまいったり、仕事場でもめたりといろいろなことがあった。私が会社を作り、新しい仲間と付き合うようになり、また交友関係も変わった。というと何か別の人との付き合いがあるようだが、そんなことはなく、基本は一人だった。調子を崩して写真を撮りに行くようになった時も一人だった。

振り返ってみて、あの時にあれをやっておけば、というのはあるのだが、全ては過ぎ去ったこと。どうにもならない。付き合いのあった会社の変化は、私の力でどうにかなるものではない。できれば、私が去った時にいた連中は消えて欲しいと思うが、そうでもないのだろう。素人にできる仕事ではないだけに、心配だ。

特に依頼されたわけでもないのだが、行きがかり上、辞書のデータを作りたいと思っている。それもかなり面倒なものだ。時間もかかると思う。私がやらなくてもいいのなら、それでいいのだが、私がやらなければならない理由は、品質にこだわるからだ。ここにコストパフォーマンスなど言い出すとデータが壊れてしまう。作る時は、本気で作らなければならない。

私もいろんな人間と付き合ってきたのだが、自分を変える必要もあったのかもしれない。ただ、それはできずに衝突する所では衝突し、今に至っている。しかし、それで良かったのかもしれないと思うこともある。私を嫌う人間は結局、どう振舞おうと嫌いなのであって相手は変わらないのだから。東京に行きずっと直接の担当になっていた人や、衝突した人などは、そもそも私を信用すらしていなかったのだろう。その他の人は、私の実質だけを見て私の過去には興味無いかのようだった。その意味で友好的だったのだ。

そういう私なので、新たに付き合いを作るのは非常に難しく、現に今もってできていない。仕事本位で動いてくれる人がいいのだが。今のこの時期に辞書をやらせてくれるようであれば、私もラッキーだが、その人も幸運なのではないか。あのしんどい仕事をやらせてくれとまで言っているのだから。なかなか探すのは難しいはずだ。

千里の道も一歩から。今日も明るく、素直に、温かくの精神で仕事を待ちたい。
気分も体調も最悪なのだが、天気がいいと不思議と気持ちも明るくなる。気分がすぐれない、体調が悪いというのは、仕事のせいだろう。慣れない労働なので、どうしても調子は崩れる。睡眠不足もさらに悪化している。ただし、眠れないということではない。そして、最近は、下半身の調子が悪いということはない。これは、男として「体調がいい」ということになる。(^_^;)

年末年始もなく仕事になる。そんな正月は久しぶりだ。東京にいた頃、それだけ忙しいという時は確かにあったのだが、休めないことはなかった。今は、本業で忙しいというわけではないのが、さみしい。やはり、文字と格闘しつつの日々が私っぽい。

気分が良くないのは、そうではなく切実なものだ。というのも、仕事でちょっと足をひねってしまい、仕事の継続が困難になるやもしれない危機に直面しているからだ。ただ、動いた歩いただけでは、こんなことにはならなかったと思う。しかし、動けなくなると、即、クビだろう。がんばるつもりだが、本当に歩けなくなると、断念せざるを得ない。

そういうことをも考えていると暗くなったのだった。こればっかりは、様子を見ないことにはわからない。今日一日完全休養してみてどうかということだろう。今年は本当に逆風が吹く。(;_;)

ただ、本当に首の皮一枚でつながっているのは、やる気だろう。仕事中にもメモに次の構想などもメモるくらいだ。これだけ積極的なことはかつてあっただろか。本当に仕事をしたいという気持ちだ。せめて、希望している辞書はこの数年のうちに完成させて、製品で見たい気持ちだ。

いくら、いいデータを作ってみても、実際に使える環境にないと、有り難みはない。食うための仕事であっても、実際に素直に明るく温かく過ごしていたら見つかったわけだから、本業も当然、その心意気で臨むつもりだ。仕事とは、そうやって手に入れるものだと思っている。欲望だけでは無理な世界だ。
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