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ゴミを出しに行くと霜が降っているのが目立つ。小学生時代には、こういう寒さの中、学校へ行った。小学校も中学校もストーブの立派なのがあったので学校で寒いということはあまり無かったと思う。高校が問題だった。暖房が無いのでカイロが普通だった。よくインフルエンザにかかったもんだった。今の私の生活ぶりと同じく、厳しい寒さだと言いたかったわけだ。

いろいろと買い物をしたおかげで、気分はかなり裕福だ。現実の仕事がなかなか厳しいことや、肉体的に大丈夫かというのがあるので不安がよぎるだけだ。デジタルの仕事に少しでも希望が見えれば私も元気が出るのだが。

食うための仕事であっても何でもいいというわけではない。私もそれなりに選んでみたのだが、私に選択権は無いようだった。女性で若いというのがほとんど共通した条件ではないかと思う。私などは研究所的な仕事場を好むのだが、そういうところではますます、おっさんは厳しい。若い女性ならば、研究者の嫁さん候補にもなるという発想なのかもしれない。

よくよく考えれば、私もこの歳になって失業というのもおかしい。私の失敗はあるにしてもいろんなバイパスがあっていいのではと思うからだ。お世話になった会社はそこのところどうかというとウソで逃げられた。電子書籍の仕事があるよ、と言ってくれたものの、仕事は勝手にとってね、ということだった。私たちの経験などお呼びではないと言いたかったのだろうか。

私が失業した時点で仕事をしていた、中国語の先生、担当などは同じことをしていればいいのでもちろん失業は無い。私の仕事の場合は、どうも担当の上の営業畑の人間がとにかく私を嫌っていたようだった。それは理解できないことと軌を一にしている。電子書籍などどうにでもなると思っていたようだった。だから、電子書籍の仕事があっても私の会社に出すことは無かった。私がバグを見つけても、無いことにしたようだ。お世話になった会社なので発展して欲しいのに、こういう姿勢では堕ちていくしかないのではないか。

来年あたり、この担当にもそれなりの処分が下されるのではないか。わからない人間がいい結果を出せるはずがないのだった。残念だが。

買い物といっても食うための仕事に必要な防寒着であったりするのがわびしいところだ。足の運動のためのグッズも欲しいところだ。年末まで足がもてば、それなりに忙しい年末年始になる。来年の本業復帰に何とか夢を見たい。
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こと仕事に関しては、性急な方だった。そして、それが成功に結びついたことが多い。仕事というのは、必ずスケジュールがあり、「いつでもいい」ということはあり得ない。だから、性急に仕上げたり、性急に返事を求めたりは、ごく普通のことだった。しかし、出版社の社員は露骨に嫌がっていたのも事実だ。私には「すぐ」と言うくせに、私が「いつできますか?」と聞くと露骨に嫌がるのだった。

交渉ごとについても基本、性急だった。ただし、これは相手もこちらを求めている場合にだけ成功してきただけなのかもしれない。出し渋っているのを「早く出せ!」と言うと、そこで交渉も終わりのような気がする。今、そういう微妙な段階にあると思う。

私の弱点は、経歴が汚いということか。どこまで行っても学歴や社歴を求める人には私は無力だ。これまでの経験でもそうだった。バカでも有名大学、有名企業をありがたがる者は少なからずいる。私の方がいい仕事をしても、「何かの間違いだ!」と言わんばかりの態度なのだから、私も手が出ない。目の前の事実ではなく、「資格」を優先させるわけだ。こういう人間が優勢な企業は、必ず堕ちていく。だから、前にお世話になった企業が心配だ。

私を東京に呼んでくれた人間や、トラブルがあった時に仲裁してくれた人間は、目の前の私にしか興味は無かった。過去を言っても始まらず、意味が無いことをわかっていたのだろうか。人は成長するものだという考えならば、そういう発想にしかならないと思う。そして、決して売り上げは良くなかったものの、仕事は楽しく、未来が描けた。311以降はわからないが、それは単に放射能に注意するようになるだけで、仕事は楽しかったかもしれない。

私と彼らの共通点は、無用な争いはせず、ひたすら仕事をどうするかだけで生きているところだ。あの時必要だったのは、さらに楽しい話題を作ることだったのかもしれない。デジタルでそれを実現できていれば、今こんな状態になることは無かったかもしれない。
体が痛い。もしかしたら、東京へ行ったことによる影響なのだろうか。今の所何もわからない。首の周りのリンパ腺も痛い。311以降もずっとこんな感じだった。今は、仕事ができるかどうかにも関わるのでけっこう神経質になっている。どちらにしても、足が動かなくなったら終わりだ。

何の根拠もないのだが、それでも私の心は暗くはない。やはり、デジタルの仕事から遠ざかれば遠ざかるほど、私の情熱は燃え上がるばかりだ。逆にやらなければならないことが見えて来る。もちろん、そうするために現実は非常に厳しい。現に私はデジタルの仕事をしていないのだ、今は。

援軍は現れるのだろうか。それについては、わからないのだが、デジタルデータが大量に生まれて困る人はいないということは言えるだろう。私のやるべきは、デジタルの良さをひたすら説くことと、いざ仕事が始まったらすぐに動けるようにいろんな準備をしておくことだろう。プログラミングもそうだが、会社のシステムもだ。

先日から、「よくわからない」「先のことはわからない」という表現をしきりに使っているのだが、これは正直なだけで特に意味はない。私の将来など誰もわかるはずがないからだ。大方の予想はつくかもしれないが、それとて不確かなものだ。ましてや、自分で悲観して萎縮するのも良くないことだ。私もわからないが、頑張って生きていこうという姿勢を学びたいと思っている。

突然、東京に行ったりすることができるのならば、まだまだやれると見るか、とうとうきてしまったと見るか。私自身は、行動を喜んでいる。岡山でよく見る新幹線、あれに乗ることはもう無いかもしれないなどと弱気になることもよくあったからだ。約1年ぶりにまた乗って東京に行けたことは大きなことだった。多少の出費は致し方なかった。
木曜日、12月4日になんと東京に行って来た。最初は、霞が関の中心で愛を叫ぶ!のライブをサラリと聴いてこっそり帰るつもりだったのだが、それでは仕事人としてどうかと思われ、取引したい会社に飛び込みで営業をかけることにした。

結果は惨敗。会えるには会えたのだが、「せめて電話くらいしていただきたかった。」と言わせてしまった。先方は、どうしても出なければならない用事があるとかで数分後には、私の前から消えていた。先のことはわからないのだが、また連絡をくれると言っていた。半年も連絡が無かったので、私から動くべきだと思い、アポなしで出かけたのだった。

忘れられないように1月に1度は必ず強引な話題を作りメールしていたのだが、相変わらず返事は無かった。返事がないというのが答えであり、返事であると理解していたのだが、私の事情も説明する必要があると思えた。私のやる気も生きていればこそなので、できるだけ早くそこのところを伝え、仕事をさせてもらう必要があると考えたのだった。

仕事といっても、おいしい話ではない。やはり、文字を相手の仕事なので複雑な話だ。お金をもらえるにしても、そんなに莫大になるわけでもない。しかし、十分理解している相手と時間をかけて付き合うことができれば、やがては大きなことになると思っている。先方は儲けることができ、私は、相変わらずお金は少ないものの、会社の復興も可能ということだ。

そうであればこそ、私の存在意義があり、使命を果たすことにつながる。私を頼ってくれる人たちに仕事を用意してお金を払う、そしてさらに発展させ、社会そのものをも変えてしまう。そこまでできれば私も生きていた甲斐があるというもの。

私のやり方はまっとうではなかったかもしれないが、先方のやりたい事はほぼ正確に掴んでいるつもりだった。要するに、一時的にデジタルをやったらおしまいということではなく、継続的に改訂して行く体制を整えたいということだった。それこそ、まさに私が昨年までいた東京でやって来たことだった。私の経験を伝えることで、収入を期待できないか、あるいは、請け負うことでこれまでのような仕事が継続できないかと思ったのだった。

過度な期待は禁物なのだが、先方にかすかでもやる気があり、私に経験も実力もあるとなると話はそんなに難しくないように思えるのだが。どうなるかはわからないのだが、今後も冷静に付き合い、求められれば行き、打ち合わせをして、仕事をこなしたいと思う。できればある段階で私がクビにした我が社員を呼び戻したい。もう、相手にされないかもしれないが、一番に声をかけるとしたら、彼らしかいない。

特に根拠もないのだが、来年は本業に復帰したいと思ったが、あるいはこんなことから開けて来ることもあるのかもしれない。私の気まぐれが生んだ幸運だろう、うまく行けばの話だが。仕事で行く場合は、今度こそパートナーと連絡をとるつもりだ。拒否されたら、それは仕方ないことだ。

東京で見た光景は、いた頃とたいして変わらないのだが、健康に不安が無いとか仕事があれば、私もまだ東京にいたのだろうなと思えた。マスクもせず、雨に濡れて歩いている姿を見ると、ひょっとしてこの人たちは、放射能汚染を忘れたいのではないかとさえ思った。どうもないのなら、いいことなのだが、自分の寿命には確実に跳ね返って来ることだろう。

もちろん、私の役割は、彼らを冷笑することではなく、粘り強く啓蒙すること。情報を発信して、仲間になること。まずは辞書から始めて、しまいには書籍全体に広げて行く。著作権や肖像権を十分確保しつつ、デジタルの流れを本物にして行く。そこまでやれるかどうかということだろう。あるいは、辞書で終わるかもしれないが、それでも流れを作ることができれば大きいと思う。

まさに、一度作れば終わりではない継続的な作業をやって行く体制を作るにはどうするかということであれば、私にはいくつもの提案はあるし、実力もある。問題は、それを聞いてくれ、投資してくれる相手がいるのかどうかということだろう。現時点でも、それをやって行くためのマシンやツールはある。今後も進化して行くことだろう。

突然の東京に自分自身も驚いたのだが、東京は汚染されていたと思うが、見た目は変わらなかった。イイノホールの地下は小綺麗になり、飲食店がひしめいていた。発展するかどうかは未知数ではないのか?霞が関の連中が利用するのだろうか。私が、抗議行動で通っている間じゅう、工事をやっていた。あんなに綺麗になるとは。

名残惜しいが9時前には現場を立ち去った。昼間は散髪屋のアーさんのところへ行きカットしてもらって、久しぶりに大話しをして来た。いる間は、これが楽しみだった。1000円カットの店に行っているのだと言うと絶句していた。散髪業界を侵食しつつあるそうだ。今後も来ると宣言して帰って来た。

本当に、何の根拠もないのだが、また来るという思いで帰って来た。本当は昨年と同じで乗り場がよくわからず、お土産を買う暇もなかった。今回でよくわかったので、次回からは大丈夫だろう。どうなるのかわからないが、明るく、素直に、温かな姿勢でいよう。そういう状態を保つことで仕事も自然に入るかもしれない。
昨日は、けっこう脚に負担のかかる仕事だった。寒い日だったが、汗がポトポト落ちるくらいの。階段を駆け下りたり、走ったり。その時は、さほどではなかったが、今朝はちょっと苦しかった。脚そのものは、まだ大丈夫だと思うが、来る時は一気だろうとも。朝になってもなかなか起き上がる元気が無かったくらいだ。(; ̄ェ ̄)

また、行ったことの無い風景が見えたりする。単に忘れたのか、ドラマの中の風景と混同しているのか。京都では、確かに伝統工芸品を作っている所にバイトで入ろうとしたこともあった。現場は、ドラマで見るような静かな綺麗な場所ではなかった。駅近くのゴミゴミした所でおっさんが、一人、作っているような場所。西陣織りなんかの現場は、もう少し違うのかもしれないが。私は、高校時代以外は、信州とかに行ったこともない。あの辺りの雰囲気と京都の街のほんの一角と混同しているのか。

ともかく、脚が動かなくなるまでやる。同僚は優しい人で、私が脚をいわしていると告白すると、無理をさそうとせず、後から来るように言ってくれたのだった。そういう心意気に触れると私も元気を出してしまい、走ってしまったのだった。確かに、昨日はそれで良かったのだが。今後はちょっと心配だが、どうなるかは誰にもわからない。

寒いので、防寒着を用意している。どこまで使えるかだろう。問題は、ずっと寒いわけではないという点。汗もかくので、その落差はどうなのだろうか。昨日の状態が何日も続くと私はダウンする。それは、自分でもわかっている。そうならないよう、抵抗を試みるつもりだ。
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