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今日は厄日のような一日だ。例の仕事も今日中に何らかの連絡が無いとダメだろうと予測したが、何もなかった。(-_-) ちょっと期待していた取引先から、完ぺきに近いお断りもあった。言葉は丁寧なのだが、要するに拒絶だということ。

私の望みは同時に二つとも絶たれてしまった。しかし、あきらめてはいない。さっそく仕事をやるための行動をしてきたのだが、担当者が私のことを覚えていてくれて、本の少しだが有意義な時間を持てた。私の電子図書館構想に理解を示してくれる珍しい人だ。彼女の勧めもあってちょっと違うことに応募したこともあった。物は試しなので失敗したが、意味のある失敗だった。

これからどうするのかと聞かれても、答えは一つで前を向いて生きるのみだ。私にはやりたいことがあり、できるのはデジタルの仕事だが、ここにはまだ無い。どうするのかというところ。汚染地帯からいかに脱出するのか、辺野古の新基地をいかに止めるのかと同じくらい私には重大なことなのだ。恐らくは、皆さんの不幸が無くならない限り、私の成功も無い。

有意義な話で少しだけヒントがあった。彼女は電子図書館ができて、まず喜ぶのは研究者だと言う。それはそうかもしれないが、最初から研究者がいるわけではなく、電子図書館を活用した人間が研究者だということ。今後も偽の研究者ははびこると思うが、電子図書館構想で多くの偽研究者淘汰されるはずだ。つまり、研究とか勉強、学問は難しく、誰にでもできることではないのだということ。大学を卒業すれば才能があるわけではないのだ。

一方でなんちゃって研究者が本物の研究者になることを期待している。自分の愚かさに気がつき本物の学問を志した時に整理されたデジタル情報があれば、本当に活きて来るわけだ。私の電子図書館構想もそこにポイントがある。既存の研究者には、まどろっこしい、退屈な情報なのだと思う。本物を目指す者のみが活用する情報となるだろう。

お話の女性には、「でも、がんばりますよ。」と言って帰って来た。心の中では泣いていても、表面はさわやかな笑顔であった。このところ私のモットーである「明るく、素直に、温かく」で生きることは、そういうことなのだ。一つ、つまづきがあるごとに、自尊心はこなごなに砕け、自分の能力に疑いを持ってしまう。しかし、それも仕方のない事。ここは、相手が見る目を持っていないと思うことだろう。死ぬまで、私を買ってくれる相手を探し続ける。たとえ、いないとしても、それは私が探せなかっただけ。この宇宙のどこかにいたのだと。
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もうじき黄金週間を迎え、世の中的には本格的な春だ。しかし、当然ながら私の心が晴れるわけがない。仕事も無い、希望もない、金もないでは当たり前のことだろう。無駄にやる気だけあるのだから、始末が悪い。

しかし、世の中では活躍している人はいくらでもいる。辺野古で長くヒロジーはがんばってくれていた。ヒロジーが倒れたのは、明らかに極端なストレスによるものと思う。悪性リンパ腫は、なぜそうなるのかわかっていないそうだが、ストレス以外があったら教えて欲しいくらいだ。日々、圧倒的な権力悪にさらされながら、希望も見いだせない状況の中、そして自らも拉致監禁されながらも闘って来た。病気しない方がおかしい。

ずっと前から漠然とヒロジーが倒れたらどうしようと思ったこともあったが、本人が用事がある時以外はずっと毎日ツイキャスに登場していたので、頑丈な人かとも思った。しかし、いくら頑丈でも、あの毎日のぶつかり合いだ、体がもつはずもない。ネットだけでは何もできなかったが、何か伝えることもできたのかもしれない。同じ心配は、東京のテツさんにもある。ただ、どちらの方も人に言われて自身の行動を変えるような人たちではない。

少し前に、私が望むような世界は目前まで来ていると楽観論を書いたのだが、それは大きな犠牲を伴うもの。放射能の影響という意味だ。それを見るのが嫌だったので、手を変え品を変え警告してきたつもりだが、あまり伝わらなかったようだ。多くの人が死ななければならない。他人事と言って無視できることではないのだ。それだけ多くの悲しみが増えるだけ。

さすがに身内の死を前に誰しも声をあげずにはいられない。では、どういう社会を国を作るのか。そこから考えて行かなければならない。定番政治家と公務員の作る世の中では、破たんすることがわかった。ではどうするのかということ。それは、多くの公聴会を持つ国会を形成することだと思う。川内原発で辺野古で起きている不条理を裁判のように長引かせることなく、即、公聴会を開く。犯罪者が警察や海保であれば、独立検察官をその都度選ぶ。

国会は、常時開催されており、テレビでも24時間放送されアーカイブも即見られるように。そして、3院制も議論する。直接国会に集まった市民が直接民主院となる。文句があれば、仕事を休んででも出かける。企業は、その休暇を欠勤ではなく有給としなければいけない。

食料についても大きく変えなければならない。税金を使ってでも農業を保持しなければならない。安全保障の一環としても。私が変えなければいけないと思うのは、大学受験のシステムだ。基本は、行かなくても資料や文献は電子図書館であるいはリアルな図書館で閲覧できるようにする。実験や実習が必要な場合は、基本制限が無いように。リアルな大学も残し、そこも入学に制限があってはならない。
まんじりともせず、その日を迎えようとしている。合格するというのはどういうことになるのか。私は大学に合格したことが一度も無いだけに発表がどんなものなのかもしれない。知り合いの例だと、新聞に載るのが最初らしい。電報を頼んだこともあるが、近所の人が届けに来るのでかえって恥ずかしい思いをしたものだ。

当時の心境を思い出すが、誰にも知られたくない心境だった。しかし、学問をやりたいという思いはますますつのるばかり。無駄なことなのだが、家族にも教えなかったくらいだ。冷静に考えれば、落ちて当たり前の成績なのだが、当時の私は自分が行かないで誰が大学に行くのかという心境だった。基本、今も同じだが、現在では入試がある以上、私は大学には行けないという認識はある。しかし、能力不足とは思っていない。

私の進めようとしているデジタル革命は、大学を不要とするほど膨大な情報革命だ。実験が必要な学問以外は、すべてネットにつなげば入手できるというくらいすさまじいものにしたい考えだ。基本、フリーだが国内に限るという制約があってもかまわない。しかし、フリーにして初めて学問は活きるだろう。学問とはそういうものだ。いろんな批判を受けて進化して行くものだからだ。

大学に首尾よく合格した同級生、知り合いを見てきたが、本当に学問を目指した者がどれだけいるのか。医学の分野で一人だけいるのだが、おそらくは例外的な存在なのだろうと思っている。どいつもこいつも、腰掛に過ぎないわけだ。いや、学問を修得するということは、それだけ難しいということ。大学受験に合格すれば、学問をやる資格があるわけではないということなのだ。

もっとも今回は大学を受験したわけではない。待ち時間が苦しいので妄想しているだけのこと。しかも、ほとんど無理だろうと思いつつ、一縷の望みをつなぐのが痛々しい。その理由は、いつか書くこともあるだろう。下世話なお話だ。今日はちょっとご勘弁願いたい。
ネットに中途半端に依存すると、ネットで全てわかるという錯覚に陥る。薬に頼っていた時代には、ネットだけが頼りだった。実に危ない時間だったと思うが、本当に薬の情報は少なかった。医薬ビジランスセンターに出会い、ようやく満足する情報は得られるようになったが、それは私が薬を必要としなかった時だった。

今、私が望むのは「確かな情報」だ。ネットで確かなと言っても自己満足なのだが、しかるべき機関が作らなければ、この状況は変わることがない。歴史から、医学情報、薬の情報、科学の情報、政治の情報。とにかく限られた範囲でも膨大な情報をデジタル化して行く作業が必要だと思っている。既に成されているのならば、検索システムに組み込むことが重要なのだ。

私の案では、それを図書館がやるというものなのだが、ここでもネックがあり、教育委員会が牛耳っているようなのだ。とても、図書館を忙しい、情報発信の組織になどしたくないだろう。楽ではないからだ。混沌としたネットに【〇〇図書館発】というデータが出始めるとどうか。それなら信頼性は高いという情報になれば便利だ。

私の構想では、できるところから始めるというものなのだが、「やろう!」と言う責任者に出会ったことがない。たぶん、市なり、県から指示されたらやってみようということなのだろう。どこまでも自分たちが基準だろう。そうなると永遠に私の言うようなことは実現するわけがない。

どこかで転換しなければならないのだが、その時期は目前だとは思う。一気に変えて行くしかないのだが、今度はかなり時間もかかる。その時のために準備したい。
ツレは私のやりたいことを把握してくれているので、今度こんなことをやろうと思っていると言うと、常に応援してくれる。今度のこともそうだ。しかし、現実は厳しい。私に責任が無いわけではない。集団であろうが、ちゃんと発言はできるわけだから、ちゃんと言えばいいだけのことだ。

もっともそれ以上の何かがあるとしたら、それはあずかり知らないことだ。今度の応募は、あくまでも私に特別な思いがあったというだけで、先方には特に何も無かったかもしれない。あの時言っていた以上に何かあるのなら別なのだが。しかし、要するに話題にしたいという思いは強いだろうと思う。それには、私必要なはずなのだが。

それも夢物語だ。どこまで行ってもあちらの必要だけだ。こちらの願いとか祈りは通用しない。まさに大学受験も同じようなものだった。これだけ祈りとか程遠いものに私はよく祈っていた。最後には祈りしか無かったのだろう。受験は、何も完璧でなくとも競争に勝てば合格するのだろうが、私ははるかに及ばなかったわけだ。

高校時代の進路指導と呼ばれていた連中の言うことは間違いではなかった。私の成績は合格最低点に200点も足らないという結果も返って来ていた。思い出したくない記憶なので最近まで忘れていたことでもある。つまり、受験生としては、ほとんど落第点しかとれなかったということ。だが、大学へ行き本物の学問をやりたいという思いはどうすることもできなかった。

二浪時代のHは、私の思いに応えてくれた恩師だった。それにしても点を上げなければどうにもならないことは常に言ってくれていた。結局、期待した以上には点は伸びないのを見て、どうにもならないと感じたことだろう。その後、彼は高校を変わったのでつながりも無くなった。ただ、点数を上げなければどうにもならないという事実は変えられないので、私の勉強したいという思いを理解してもどうにもならなかっただろう。

私自身は、今でも乗り越えられたわけではない。大学の代わりに自分でと思ったが、やはり壁は厚く高く、歴史であっても大したことはできていない。京都時代に何でも手を出してみたのだが、結局、何も身に付かなかった。プログラミングを志したのは、岡山に帰って来てからだった。京都時代の最後のアルバイトで目覚めたのだった。

実際には、岡山では大したことをやる前に会社がおかしくなり、私は東京に逃げたのだった。そこでは、プログラミングとは大きく離れたことをすると思えたのだが、言語は違うが、コテコテのプログラマーをやることになった。そして、本当にプログラミングの面白さを学ぶことができたと思っている。

大学へ行かなくとも、そこそこ食って行けるという実感を得た時代でもあった。そして、私の大学へ行きたい行きたい病も消えた。努力次第ではプログラミングを極めることもできるからだ。実用を超えてOSの領域まで踏み込めばいいだけだ。

ただし、小さな頃目指していた夢には程遠い。さすがに今の時代でも大学でないと実験器具や必要な文献とか資料はなかなか入手できなそうな気がする。もう少し時代が下れば、大学は実験をするだけの所、あるいは、資料を見る所になるかもしれないのだが、私の生きる時代には、それは難しいかもしれない。むしろ、その仕事を私が買って出ているということ。

何かこう未来につながることをしたいという夢はある。新しい研究に大学もクソもない。やるかやらないかだけの差だ。それは、私がプログラミングで得た教訓。
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