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ここに来て慣れない事をするものだから、疲れが出て来た。休みをきっちり取れていないのも影響しているのだろう。ノルマが無いようである仕事では、どうしても自分の時間が犠牲になってしまうこともある。今日も時間が無くて早めに切り上げたのだった。胃の調子が悪くなるのでやめたいのだが。
私の提案も出せずに終わってしまうのか、そんな予感がしている。私の提案は魅力的だが、困難な事だ。困難を好まない者にとってお荷物でしかないだろう。私の場合、東京の経験が困難を好むように変えてしまった。出来るだけ実現困難な方が楽しいし、興味が尽きない。
思い返してみると、何もわからなかった時代の方が楽しかった。とにかく時間が速く過ぎて行った。そんな中で、やり方を研究し、クリアーして行った。できると、それなりの達成感、満足感はあった。しかし、一つできれば、また困難に出くわした。そういう事の繰り返しが楽しかったように思う。一時も安らぎは無かったように思えたが、それでも日々工夫して生きていたのだろう。
今日は、朝から体がだるかった。お得意のビタミンCもあまり摂れていない。仕事に出ている最中も、ちょっとした坂がしんどく思えた。思いっきりゼイゼイいったものだ。午前中の時間ロスが後半にこたえ、結果的には休み時間を削られることにつながった。明日はどうか。やめられないことだけは、ハッキリしているので頑張るつもりだが。
ただ、私の仕事をしたいのだ、という思いは強い。こんなことでは終われないという感じだ。これまでやって来たのは、ほんの助走くらいに思っている。やはり、本当の仕事はこれからだと。ただ、誤解されないように私の野望を伝えることは容易ではない。経験も異なるので、私の説明を一発でわかることは難しいと思う。
今のオーナーは、どんな事をやりたいと思っているのか、そこから研究した方がいいのかもしれない。私の分析では、明らかに何かが欠けていると思っていた。そして、それは時間軸であることがわかったのだが、果たして必要なのかどうかということだろう。分析という面からは必須なのだが、面倒を嫌がる世代からは必要無いとされることだろう。そもそも、意味がわからないかもしれない。
とにかく、地図というものにもっと経過の説明が欲しい、地名の由来も欲しい。突如として妙な名前が出るとそちらの方が気になる。経過とは、先月どうだったかということではなくて、歴史的な単位で何があったのかというレベルだ。それがわかれば、その土地もどうして今のようであるのかがわかると思う。全く無意味に寂れて行くわけではないようだ。
例えば、池の名前であってもデータを探せば、いろんな情報が出て来るとか。かつて、そこでどんなものが獲れたのかあるいは、何かの事件があったとか。今はそんな情報も無いわけだ。私がやろうとしていることは、結局のところ情報の蓄積によって地域をより良く生きようとすることに他ならない。
私の提案も出せずに終わってしまうのか、そんな予感がしている。私の提案は魅力的だが、困難な事だ。困難を好まない者にとってお荷物でしかないだろう。私の場合、東京の経験が困難を好むように変えてしまった。出来るだけ実現困難な方が楽しいし、興味が尽きない。
思い返してみると、何もわからなかった時代の方が楽しかった。とにかく時間が速く過ぎて行った。そんな中で、やり方を研究し、クリアーして行った。できると、それなりの達成感、満足感はあった。しかし、一つできれば、また困難に出くわした。そういう事の繰り返しが楽しかったように思う。一時も安らぎは無かったように思えたが、それでも日々工夫して生きていたのだろう。
今日は、朝から体がだるかった。お得意のビタミンCもあまり摂れていない。仕事に出ている最中も、ちょっとした坂がしんどく思えた。思いっきりゼイゼイいったものだ。午前中の時間ロスが後半にこたえ、結果的には休み時間を削られることにつながった。明日はどうか。やめられないことだけは、ハッキリしているので頑張るつもりだが。
ただ、私の仕事をしたいのだ、という思いは強い。こんなことでは終われないという感じだ。これまでやって来たのは、ほんの助走くらいに思っている。やはり、本当の仕事はこれからだと。ただ、誤解されないように私の野望を伝えることは容易ではない。経験も異なるので、私の説明を一発でわかることは難しいと思う。
今のオーナーは、どんな事をやりたいと思っているのか、そこから研究した方がいいのかもしれない。私の分析では、明らかに何かが欠けていると思っていた。そして、それは時間軸であることがわかったのだが、果たして必要なのかどうかということだろう。分析という面からは必須なのだが、面倒を嫌がる世代からは必要無いとされることだろう。そもそも、意味がわからないかもしれない。
とにかく、地図というものにもっと経過の説明が欲しい、地名の由来も欲しい。突如として妙な名前が出るとそちらの方が気になる。経過とは、先月どうだったかということではなくて、歴史的な単位で何があったのかというレベルだ。それがわかれば、その土地もどうして今のようであるのかがわかると思う。全く無意味に寂れて行くわけではないようだ。
例えば、池の名前であってもデータを探せば、いろんな情報が出て来るとか。かつて、そこでどんなものが獲れたのかあるいは、何かの事件があったとか。今はそんな情報も無いわけだ。私がやろうとしていることは、結局のところ情報の蓄積によって地域をより良く生きようとすることに他ならない。
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外に出ることが多いので、キンモクセイの香りを嗅ぐことが多い。この香りにもあまり、いい思い出は無いが、それは季節的なものかもしれない。中学時代も高校時代も私は、恋していたのだが、伝える方法がわからず、ただ悶々としているだけだった。多くの場合、この季節だった。
提案を考えているのだが、これといって目新しい案はまだ出ていない。いい案であっても受け取る相手によれば、カスになる。今度の相手はどうなのか。もうじきわかると思うが、相手にも私は努力を要求する。完全に受け身の相手に商売は難しいのだ。
私の考えることなので、当然、文字を処理する提案に決まっている。悩んでいるのは、その動機についてだ。なぜ、それが必要なのか私には自明のことなのだが、考えても無い人には唐突に思えるだろう。キーワードは、地元ということになろう。地元のデータをいかに活かすかが証明したい事柄。
もう一つは突拍子もないことだ。今、行っている地方に触発されたもの。バカらしいかもしれないが、私は真剣だ。基本の考え方は、わからないことをわかるようにする、ということ。デジタルをやりだして私が思うのはいつもそのことだ。紙の本の時代には、そのわからないことも一つの味だった。しかし、デジタルになってからは、そんな暇は無いというか、悩まなくてよくなった。ただ、実現するためには多くの知識を必要とするので、協力者を求めることになる。
今のところ、どちらも雲をつかむようなお話だ。聞く相手によれば、仕事欲しさにでっち上げたな、と思われるだろう。データを大切に扱って来た組織だけに、私の夢をわかって欲しいし、ことによれば大きな商売にもなる。実現すればいいのにと思うばかりだ。
がんばろう。明るく、素直に、温かく!
提案を考えているのだが、これといって目新しい案はまだ出ていない。いい案であっても受け取る相手によれば、カスになる。今度の相手はどうなのか。もうじきわかると思うが、相手にも私は努力を要求する。完全に受け身の相手に商売は難しいのだ。
私の考えることなので、当然、文字を処理する提案に決まっている。悩んでいるのは、その動機についてだ。なぜ、それが必要なのか私には自明のことなのだが、考えても無い人には唐突に思えるだろう。キーワードは、地元ということになろう。地元のデータをいかに活かすかが証明したい事柄。
もう一つは突拍子もないことだ。今、行っている地方に触発されたもの。バカらしいかもしれないが、私は真剣だ。基本の考え方は、わからないことをわかるようにする、ということ。デジタルをやりだして私が思うのはいつもそのことだ。紙の本の時代には、そのわからないことも一つの味だった。しかし、デジタルになってからは、そんな暇は無いというか、悩まなくてよくなった。ただ、実現するためには多くの知識を必要とするので、協力者を求めることになる。
今のところ、どちらも雲をつかむようなお話だ。聞く相手によれば、仕事欲しさにでっち上げたな、と思われるだろう。データを大切に扱って来た組織だけに、私の夢をわかって欲しいし、ことによれば大きな商売にもなる。実現すればいいのにと思うばかりだ。
がんばろう。明るく、素直に、温かく!
コスモスを見ても思うが、街の使われなくなった家を見ても思う。生きていればこそ、なのだ。死んでしまえば、それまでのこと。個人の意志など余程のことがない限り忘れ去られてしまう。田舎でも比較的街中でも急速に空き家が増えているらしい。全部を見たわけではないが、中には独りで亡くなる方もいるのだろう。私もその一人かもしれない。
蔵のある家がうらやましいが、それ程の家が今も使われていることは珍しいようだ。多くは手入れもされず、崩れ落ちるようにして街の田舎の風景として残っているだけだ。造りがそもそも陰気なので、本当に幽霊が出そうなのには驚く。私には何か出て来そうな気配の方が効く。正直に怖いと思う。
東京でも毎日のように原発に、棺おけ法制に、不当逮捕に抗議をする人々が立ち上がっている。年内、既に3ヶ月を切った。東京も肌寒い季節になっているようだ。3年前を思い出すが、確かにそんな雰囲気だった。週に一度の参加でもしんどかったものだった。だが、この3ヶ月重要だ。私にもできそうであれば、どんどん行くつもりでいる。
もちろん、収入の面で厳しいというのはある。そこで、生きていればこその精神を出さなければならない。お金があったらやるというのであれば、多分一生やらないと思う。熱さであり、意志の問題だ。これまで、私が少額であってもカンパしたりして来たのはそういうことだ。お金があれば、するというのではいつまで経ってもしない。
現在、知恵を絞っているのだが、生来の気弱ぶりが出て来て最近は思考が萎縮して来ている。大胆でなければ、企画自体意味が無いものだが、無難にまとめようとしている私がいるのだった。結果、自分が見てもつまらないものになる可能性は大きい。私のやりたいことでなければ意味が無いわけだ。
がんばろう。明るく、素直に、温かくで!
蔵のある家がうらやましいが、それ程の家が今も使われていることは珍しいようだ。多くは手入れもされず、崩れ落ちるようにして街の田舎の風景として残っているだけだ。造りがそもそも陰気なので、本当に幽霊が出そうなのには驚く。私には何か出て来そうな気配の方が効く。正直に怖いと思う。
東京でも毎日のように原発に、棺おけ法制に、不当逮捕に抗議をする人々が立ち上がっている。年内、既に3ヶ月を切った。東京も肌寒い季節になっているようだ。3年前を思い出すが、確かにそんな雰囲気だった。週に一度の参加でもしんどかったものだった。だが、この3ヶ月重要だ。私にもできそうであれば、どんどん行くつもりでいる。
もちろん、収入の面で厳しいというのはある。そこで、生きていればこその精神を出さなければならない。お金があったらやるというのであれば、多分一生やらないと思う。熱さであり、意志の問題だ。これまで、私が少額であってもカンパしたりして来たのはそういうことだ。お金があれば、するというのではいつまで経ってもしない。
現在、知恵を絞っているのだが、生来の気弱ぶりが出て来て最近は思考が萎縮して来ている。大胆でなければ、企画自体意味が無いものだが、無難にまとめようとしている私がいるのだった。結果、自分が見てもつまらないものになる可能性は大きい。私のやりたいことでなければ意味が無いわけだ。
がんばろう。明るく、素直に、温かくで!
仕事先でコスモスが咲いているのを見かける。東京でコスモスをきれいだと思ったのは、311以降だったが、あの時も相当に危ない場所だったのだろう。コスモスがなぜか、仏花のように感じられた。私は、あれから実に3年間何も決められず、柴又で過ごし被曝して行った。
仕事で、いい感じの田舎へ行って来た。そこで、よく見かける古い蔵のある造りの家。もう数年前から人が住んでいないようで中を覗くと破れた障子が見えた。塀は往時には、しっかりした造りだったのだろうが、今や瓦が波打っている状態だ。
我が家にも使われていない部屋があるが、これは祖父母が住んでいた部屋だ。私の父がそもそも気味悪がって、祖父が亡くなった後には行かなくなったのだった。自分の家だと気が付かないが、他人の家を見るとよくわかる。どこの家庭にも事情があり、今は誰も住んでいないのだ。決して余裕をかましているわけではないのだろう。倒すには数百万の金がかかるのだ。
それにしても、立派な蔵のある家が放置されているのはもったいないと思った。同時にこの世は、家は生きていればこそなのだという感慨にふけった。家で愛情表現を積み重ね、やがて子供が出来て育ち、また二人きりになり、自分たちもあちらに行くことになる。それを真近に見るようで、いたたまれない気持ちになる。そして、これが自分の跡だったらと思えるのだった。
諦めていないが、私がこれから家を建てて、子作りをして子育てをしてというのは、ほとんど不可能だ。気力はあるのだが、私の体力も落ちて来た。ややもすれば病気で意外に早くということもあり得る。いろいろと理想や夢の多い男だったが、こればっかりは読めない。2歳であちらに行っていたことを思えば、随分と長生きしたのだが、私の使命という意味では何もやっていないに等しい。
今、私の周りでいや私自身に必要なものは、私の能力を活かす仕事だ。私が忙しくなれば必然的に手伝って欲しくなる。それこそ仕事の原点だ。そうやって会社も大きくなるものではないのか。あまり、人のためにと考えると力んで良いことにはならないので、ここはひとつ自分のために頑張ってみよう。うまく行けば、前のメンバーを呼ぶつもりだし、かつての仕事相手とも付き合いを復活したい。
空想の世界だが、アイデアはある。昨日、メモしておいたがこれが役に立つようであって欲しい。やはり、仕事に幅や深みを付けたいという場合に私の提案に乗って来るのではないか。ここでも私自身は楽しんでいる。つまり、私がやりたいと思うことをやるだけの話なのだ。
我が家にも使われていない部屋があるが、これは祖父母が住んでいた部屋だ。私の父がそもそも気味悪がって、祖父が亡くなった後には行かなくなったのだった。自分の家だと気が付かないが、他人の家を見るとよくわかる。どこの家庭にも事情があり、今は誰も住んでいないのだ。決して余裕をかましているわけではないのだろう。倒すには数百万の金がかかるのだ。
それにしても、立派な蔵のある家が放置されているのはもったいないと思った。同時にこの世は、家は生きていればこそなのだという感慨にふけった。家で愛情表現を積み重ね、やがて子供が出来て育ち、また二人きりになり、自分たちもあちらに行くことになる。それを真近に見るようで、いたたまれない気持ちになる。そして、これが自分の跡だったらと思えるのだった。
諦めていないが、私がこれから家を建てて、子作りをして子育てをしてというのは、ほとんど不可能だ。気力はあるのだが、私の体力も落ちて来た。ややもすれば病気で意外に早くということもあり得る。いろいろと理想や夢の多い男だったが、こればっかりは読めない。2歳であちらに行っていたことを思えば、随分と長生きしたのだが、私の使命という意味では何もやっていないに等しい。
今、私の周りでいや私自身に必要なものは、私の能力を活かす仕事だ。私が忙しくなれば必然的に手伝って欲しくなる。それこそ仕事の原点だ。そうやって会社も大きくなるものではないのか。あまり、人のためにと考えると力んで良いことにはならないので、ここはひとつ自分のために頑張ってみよう。うまく行けば、前のメンバーを呼ぶつもりだし、かつての仕事相手とも付き合いを復活したい。
空想の世界だが、アイデアはある。昨日、メモしておいたがこれが役に立つようであって欲しい。やはり、仕事に幅や深みを付けたいという場合に私の提案に乗って来るのではないか。ここでも私自身は楽しんでいる。つまり、私がやりたいと思うことをやるだけの話なのだ。