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毎年この季節になると夕方、目に入る光景がきれいだ。普通の草花もきれいに見える。私の中でも何か変化があるような気がするが、現実の世界は厳しく何の変化も無い。相変わらず厳しい現実があるのみだ。
仕事は厳しい。毎日、本当に疲れるのでワインを飲んだりするといつの間にかうたた寝して2時3時くらいまでになっていることが何回かあった。転職も良いのだが、選ぶ立場にないのが痛い。いつも求人の情報は見ている。
タイミングもこの時期なのだが、クシャミがそろそろ出だした。必殺のアロマも購入して待機しているのだが、どこまで効果があるのか。マスクに垂らしておくという使い方もいいらしい。ただ、仕事場ではメガネが曇るので閉口する。
私も何か期待しているのだが、状況が変化しない。努力が足らないと言われれば、それまでのことだが。企画の立案もあまりできていない。例の所からのお誘いも基本無さそうだ。やる気が無いと見るべきなのか、やりたいが情勢を見ているのか。
確かにiPad用のアプリを出したところで爆発的な売れ行きを示すようなものがあるわけではない。そもそもそんなものすら求められていない。私が欲しいものは、多くのユーザーが求めるものではないのか。語学関係だけでは、さすがにつまらないと思うこの頃だ。
仕事は厳しい。毎日、本当に疲れるのでワインを飲んだりするといつの間にかうたた寝して2時3時くらいまでになっていることが何回かあった。転職も良いのだが、選ぶ立場にないのが痛い。いつも求人の情報は見ている。
タイミングもこの時期なのだが、クシャミがそろそろ出だした。必殺のアロマも購入して待機しているのだが、どこまで効果があるのか。マスクに垂らしておくという使い方もいいらしい。ただ、仕事場ではメガネが曇るので閉口する。
私も何か期待しているのだが、状況が変化しない。努力が足らないと言われれば、それまでのことだが。企画の立案もあまりできていない。例の所からのお誘いも基本無さそうだ。やる気が無いと見るべきなのか、やりたいが情勢を見ているのか。
確かにiPad用のアプリを出したところで爆発的な売れ行きを示すようなものがあるわけではない。そもそもそんなものすら求められていない。私が欲しいものは、多くのユーザーが求めるものではないのか。語学関係だけでは、さすがにつまらないと思うこの頃だ。
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最近まで勤めていた仕事。今週あたりで解散と聞いていたのだが、なんと1年間延長になったという。つまり、私のような異分子を切ってからそのお話をしたのかと思うと俄かに腹が立って来た。結局、休憩も取らず働いてくれる人間が欲しかったのかもしれない。全員残留かと思ったが、辞退した人間もいたというのが意外だった。
少し前までそういう話をしていたのだが、いつからかしなくなった。私の辞めるのを待っていたかのようだ。その点がまた悔しい。ただ、どのみち、評価される基準がそういう異常な点であれば、どのみち長続きしなかったろう。早めに追い出されて良かったのだと思うが。
私を嫌っていた女が辞退したのが意外だったが、これは自分を引き立ててくれる者がいなくなったことや、事務所での勤務に嫌気がさしてのことだろう。よくミスをおかす私がいなくなると困るということだろう。その他の連中は順当なところか。
実は、私にもいいことがあって、今日次が決まった。再統一行動もある。これで良かったと思うが、これからの道の険しさを思うと身が引き締まる思いだ。まだ、どれだけの山や谷をくぐらなければならないのかと思うと。
今週は営業にも行く。本当ならこちらをメインに考えなければいけないところだろうが、苦しい事情があるわけだ。仕事があっても単純にもらえないのが今時の標準だ。だから、いかにすれば仕事につながるのかという問いを抱きつつ行く営業なのだ。これが万一成功すれば、意外な所からの静かなスタートということになる。私にも幸運だが、多くの人にも明るい兆しが見える一歩となるだろう。
時間はあまり無いのだが、よく考えて話をしてみたいと思っている。前回のようなプレゼン的な動きはやめて、じっくり話を聞きたいという思いが強い。私の構想を話すことでヒントももらえるかもしれない。
それにしても、去年からの動きは生きている。やはり、自分が好む方向に選んだ方へ向かっているということ。今回の件も前の仕事で助けられた人と会話する中で得られたもの。口添えしてくれたことが大きなポイントだったかもしれない。私としては、今後もそういう関係というか仲間意識のようなものは生かして会社の復活につなげたいと思う。何年もとは行かないかもしれないが、しばらくはやってみたいという気分になっている。
仕事が楽しいと思うようなことが大きく、何らかの発展にもつながると信じている。がんばろう。
少し前までそういう話をしていたのだが、いつからかしなくなった。私の辞めるのを待っていたかのようだ。その点がまた悔しい。ただ、どのみち、評価される基準がそういう異常な点であれば、どのみち長続きしなかったろう。早めに追い出されて良かったのだと思うが。
私を嫌っていた女が辞退したのが意外だったが、これは自分を引き立ててくれる者がいなくなったことや、事務所での勤務に嫌気がさしてのことだろう。よくミスをおかす私がいなくなると困るということだろう。その他の連中は順当なところか。
実は、私にもいいことがあって、今日次が決まった。再統一行動もある。これで良かったと思うが、これからの道の険しさを思うと身が引き締まる思いだ。まだ、どれだけの山や谷をくぐらなければならないのかと思うと。
今週は営業にも行く。本当ならこちらをメインに考えなければいけないところだろうが、苦しい事情があるわけだ。仕事があっても単純にもらえないのが今時の標準だ。だから、いかにすれば仕事につながるのかという問いを抱きつつ行く営業なのだ。これが万一成功すれば、意外な所からの静かなスタートということになる。私にも幸運だが、多くの人にも明るい兆しが見える一歩となるだろう。
時間はあまり無いのだが、よく考えて話をしてみたいと思っている。前回のようなプレゼン的な動きはやめて、じっくり話を聞きたいという思いが強い。私の構想を話すことでヒントももらえるかもしれない。
それにしても、去年からの動きは生きている。やはり、自分が好む方向に選んだ方へ向かっているということ。今回の件も前の仕事で助けられた人と会話する中で得られたもの。口添えしてくれたことが大きなポイントだったかもしれない。私としては、今後もそういう関係というか仲間意識のようなものは生かして会社の復活につなげたいと思う。何年もとは行かないかもしれないが、しばらくはやってみたいという気分になっている。
仕事が楽しいと思うようなことが大きく、何らかの発展にもつながると信じている。がんばろう。
もうじきだが、56年前の2月3日に私は生まれた。そして、2歳にもならない時に川に落ちて溺死するはずだった。たくさんの偶然と愛で幸運にも救われ、今日まで生きて来られた。しかし、これで何度になるだろうか、誕生の日をプー太郎で迎えることとなった。
私の弱点である自信の無さにより、精神的にはけっこう落ち込んでいる。本来ならば、仕事さえあればすぐに復活できるとして堂々としていればいいのだろうが。実際に仕事というのは微妙なもので、あっという間に無くなったり、生まれたりする。
まだまだ老け込んでいる時間は無いし、やらなければならないことも山にようにあると感じている。こんなことで挫折している暇はないのだ。
今、ちょっと思いつきだが、図書館の本は追加料金を出せば自宅に居ながらにして、その中身も見られるとなるといくらぐらいならば出せるだろうか。月々100円とやっても年間には1200円、高いということになるのだろうか。
そんなことを考えつつ、実際にデジタル化を進め、もうやることがないというまでやったら私も使命を果たせたと思うだろう。どうにも、今のままではあまりにも使命から遠ざかり過ぎだ。
頑張りが足らないのかもしれない。明るく素直に温かく、で頑張ろう、頑張ろう、頑張ろう。
私の弱点である自信の無さにより、精神的にはけっこう落ち込んでいる。本来ならば、仕事さえあればすぐに復活できるとして堂々としていればいいのだろうが。実際に仕事というのは微妙なもので、あっという間に無くなったり、生まれたりする。
まだまだ老け込んでいる時間は無いし、やらなければならないことも山にようにあると感じている。こんなことで挫折している暇はないのだ。
今、ちょっと思いつきだが、図書館の本は追加料金を出せば自宅に居ながらにして、その中身も見られるとなるといくらぐらいならば出せるだろうか。月々100円とやっても年間には1200円、高いということになるのだろうか。
そんなことを考えつつ、実際にデジタル化を進め、もうやることがないというまでやったら私も使命を果たせたと思うだろう。どうにも、今のままではあまりにも使命から遠ざかり過ぎだ。
頑張りが足らないのかもしれない。明るく素直に温かく、で頑張ろう、頑張ろう、頑張ろう。
今関わっている会社にある提案を出した。企画書では、面白くなくなる傾向があると思い、一ユーザーの声という形でホームページから出した。興味があればメールを欲しいと。しかし、何も反応は無かった。
確認するために、別の部署の人と話す機会があったので私の提案を口頭で説明すると、いいんじゃないかという返事。知り合ってまだ数日なのに、数ヶ月付き合った者よりも打ち解け合うのだった。人生そういうものなのだろうか。
私は、また提案してみるとは言ったが具体案は無い。私自身が、企画書に重要性を感じていないからだ。また違った形での提案になるのかもしれない。プロトタイプというか、実際のイメージがわかりやすいと思う。
ちょうど今、ぶち当たっている壁もあることだし、しばし考えてからにしよう。自分としては面白いことをやっていると思っている。わかる人に伝えるというのは、なかなか難しい。
確認するために、別の部署の人と話す機会があったので私の提案を口頭で説明すると、いいんじゃないかという返事。知り合ってまだ数日なのに、数ヶ月付き合った者よりも打ち解け合うのだった。人生そういうものなのだろうか。
私は、また提案してみるとは言ったが具体案は無い。私自身が、企画書に重要性を感じていないからだ。また違った形での提案になるのかもしれない。プロトタイプというか、実際のイメージがわかりやすいと思う。
ちょうど今、ぶち当たっている壁もあることだし、しばし考えてからにしよう。自分としては面白いことをやっていると思っている。わかる人に伝えるというのは、なかなか難しい。
図書館というのは、図書館に行かなければ利用できない。紙の本だから当たり前ではある。しかし、デジタル化してネットで公開すれば自宅からでも利用可能にはできる。そのくらいは誰でも理解できるが、著作権というものがあるので勝手にはできない。しかし、郷土史のようなものなら可能だし、死蔵されることがほとんどのものだけに意義もあるというのが私の主張だった。
だが、これとて俄かに進みそうにもないのは、図書館側に原因があるかもしれない。なぜなら、昨日、同僚と交わした言葉にヒントがあった。デジタルにすればリアルな図書館自体が廃れる。私などは呑気に並行運用で行くと考えていたが、便利な方向に動くに決まっているからだ。現状でもバイトを雇ったりして苦しい図書館運営、自分たちの職を奪われることにつながる。したがって決してデジタル化は図書館の側からは起こらない。
私に話が来ないだけではなくて、誰にも話は行かないかもしれない。この国の公務員というのはどこまでも小汚い。自分の仕事を維持するためならば進歩も止めるかもしれない。やはり、この国自体を変えなければどうにもならないのか。
実は、昨日急な雨に襲われて県北の某図書館に逃げ込んだ。外気温は冷たかったが部屋の中は暖かすぎるほど暖かかった。ものすごく平和な雰囲気で気に入ってしまった。図書を見回したが大きな百科事典とか辞書は少し、誰でも買えるような本が大半だった。文庫も置いているのが萎える。文庫は自分で買うべきだろう。私も持っている歴史物を一冊持って席についた。
家では少しも読めない本だが、場所が場所だとスラスラ読めるのが不思議だった。図書館の雰囲気がそうさせるのだろうか。仕事の調べもやりつつしばらくは雰囲気を楽しんだ。図書館を守る側は、ここをデジタルになんぞ空け渡したくはなかろう。しかし、現実にはこの図書館の蔵書はものの数ではないのでリアルな調べをする機関としては役に立たない。人があまりいないのも宜なるかなだ。
私は、この矛盾を解決してこそ仕事をする資格を持つのだろうと思う。現図書館は存続し、しかもデジタルは取り入れるという体制ができてこそ私にも仕事が入って来る。できないという前提では何も進まない。できると思ってこれからも案を練ろう。
キーワードはデジタル化による長所と短所だろう。歴史民俗資料館というのも併設されている場合もあるのだが、ここがまた利用されていない。別館の場合は、閉まっている場合が多い。月に一度の開館というのもある。実際、訪れる人もいないのだろう。ここもまたリアルな資料館とデジタルな世界が必要な空間だ。そして、現実にはデジタル化すると利権を奪われるという意識でデジタル化というか情報発信は少しも進んでいないのだろう。愚かな話だ。
デジタルの威力で税金を有効に使えるのに。そこを前面に打ち出して行こう。出禁かもしれないが、前に行った所にもう一度行ってみるかな。
だが、これとて俄かに進みそうにもないのは、図書館側に原因があるかもしれない。なぜなら、昨日、同僚と交わした言葉にヒントがあった。デジタルにすればリアルな図書館自体が廃れる。私などは呑気に並行運用で行くと考えていたが、便利な方向に動くに決まっているからだ。現状でもバイトを雇ったりして苦しい図書館運営、自分たちの職を奪われることにつながる。したがって決してデジタル化は図書館の側からは起こらない。
私に話が来ないだけではなくて、誰にも話は行かないかもしれない。この国の公務員というのはどこまでも小汚い。自分の仕事を維持するためならば進歩も止めるかもしれない。やはり、この国自体を変えなければどうにもならないのか。
実は、昨日急な雨に襲われて県北の某図書館に逃げ込んだ。外気温は冷たかったが部屋の中は暖かすぎるほど暖かかった。ものすごく平和な雰囲気で気に入ってしまった。図書を見回したが大きな百科事典とか辞書は少し、誰でも買えるような本が大半だった。文庫も置いているのが萎える。文庫は自分で買うべきだろう。私も持っている歴史物を一冊持って席についた。
家では少しも読めない本だが、場所が場所だとスラスラ読めるのが不思議だった。図書館の雰囲気がそうさせるのだろうか。仕事の調べもやりつつしばらくは雰囲気を楽しんだ。図書館を守る側は、ここをデジタルになんぞ空け渡したくはなかろう。しかし、現実にはこの図書館の蔵書はものの数ではないのでリアルな調べをする機関としては役に立たない。人があまりいないのも宜なるかなだ。
私は、この矛盾を解決してこそ仕事をする資格を持つのだろうと思う。現図書館は存続し、しかもデジタルは取り入れるという体制ができてこそ私にも仕事が入って来る。できないという前提では何も進まない。できると思ってこれからも案を練ろう。
キーワードはデジタル化による長所と短所だろう。歴史民俗資料館というのも併設されている場合もあるのだが、ここがまた利用されていない。別館の場合は、閉まっている場合が多い。月に一度の開館というのもある。実際、訪れる人もいないのだろう。ここもまたリアルな資料館とデジタルな世界が必要な空間だ。そして、現実にはデジタル化すると利権を奪われるという意識でデジタル化というか情報発信は少しも進んでいないのだろう。愚かな話だ。
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