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パピヨンは助けられたパリア湾の貧しい漁師たちも信頼したが、自由の身になったベネズエラという国も信用してみる気になったと最終章「自由」に記していた。

私も今お世話になっている所はある自治体に割と近い。始めてみるとこれがやれそうどころか興味を持ってしまう。ここに私の仕事を根付かせることはできないだろうか、などすぐに我田引水的なことを考えてしまう。

自治体の発展とはどういうことなのか、岡山にドップリ浸かっていたのではわからないことも見えてくるような日々だ。私の仕事を活かすことは市民に情報を提供することだ。それと今の仕事との関わり、つながりがハッキリすればこれは夢ではないように思えて来た。

それこそ、まさにこの自治体を信用してみるということ。理由は些細なことだ。ちょっと仕事をしただけでわかる。生きているという実感が湧く。本来の仕事の意義だろう。私の小さな想いが現実のものとなればいいのに。
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いいものにありついたわけではないのだが、超えるべきハードルの手前まで来た感じだ。日雇いに変わりはないのだが、超絶重労働ではなさそうなのでしばらくは続くのではないかと判断した。仕事の内容も多岐にわたり飽きないらしい。仲間たちも聡明そうだ。私は時間と環境を用意してもらったと感じた。

もちろん私の目標は会社を復活してデジタルの仕事に復帰すること。何の根拠も無いが、新しい環境で新しい関係を築けないか考えている。前の仕事では無理だった関係を。今のところはゼロに等しいが、数年後の状況が可能にするのかもしれない。私にもわからないのだ。言えることは、準備をしておけ、そなえよつねに、ということだ。

私は今日一日中、いろんな事を思い出していた。そう、こういう落ち着いた時間を求めていたのだった。東京にいる間も、岡山に帰って来てからもおそらく持ったことはなかった。こちらではバイトすら無いのであった。何とか見つけた仕事はパートだったり、短期のバイトであったりした。直前の仕事は超ハードな力仕事であった。やる気はあっても続かない仕事ばかりだった。
私は高校の2年までテニスに明け暮れていた。特に好きというわけではなく、中学時代からやっているという思いもあった。何かに押されるかのように入部した。当時の私は人見知りも激しく、部の先輩たちは扱いに困ったようだった。私は兄貴の同級生にいじめを受けていたのだと思う。特に練習をさせてもらうでもなく、走ってばかりだった。ただ、同級と仲良くやっていたのかというとそうでもなく、何となく居場所が無いような感じだった。

それにしても私が部を続けたのは何だったのか。それは親友との出会いだったと思う。彼は中学で浪人していたので一級上だったが当時はよくわかっていなかった。部の合宿で寝起きしたし、風呂場で奴の股間を見た仲でもあった。立派なものだったように記憶している。

よくわからないが、一緒にいると安らぐ、そんな彼だった。一時期彼が先輩とケンカして部をやめたのだが、その時は私が仲介をして復活した。わずか2年くらいの間のことだがかなり長い時間だったような気がする。彼の父が亡くなったのもこの頃だった。私は肉親の死というのもよくわかっていなかった。親友との楽しい思い出を作った2年だった。部を卒業したら帰りに本屋とか百貨店のゲームコーナーで遊ぶのが楽しみだった。今では懐かしいバーだけのホッケーゲームだった。電気コーナーにあるので無料だった。

楽しい時間が終わり、私も受験に備えて勉強に入ったのは3年の初め頃だったように思う。私も勉強したのだが、それはわからないことをわかるようにするということだったので受験向きではなかった。高校の勉強としては何でも直感的に理解することが求められた。しかし、誰に教えられるでもなく私は我流の勉強を続け浪人に突入したのであった。私の時代は浪人すると次の年からは共通一次が始まるという年代だった。非常に不利な状況だったようだ。

私の勉強は、とにかくわからないことをわかるようにという本当の勉強なので受験が変わろうと関係無いと思っていた。確かに無制限一本勝負ならそうなのだが試験には制限時間があった。決められた時間に量をこなさなければゼロだった。私の知識ゼロから組み立てる勉強ではとても時間は足らないのだった。浪人も4年になり、私もいよいよ大学をあきらめることになった。無論、発狂せんばかりの苦悩はあった。京都に出てチャンスがあれば大学を狙うという気持ちでとりあえず大学受験はやめたのだった。

数学にこだわって勉強をしていたが受験数学が嫌でともかくやろうとするが眠ってしまうという有様だった。受験代に参考書代に通信添削代に使った金は果てしないものがあった。しかし、私の母は、大したことはないと言ってくれたのだった。

今の時代に必要なのは私がやって来たようなゼロから組み立てる勉強ではないのか。今起こっている様々な不具合は、そういう勉強ができない連中が引き起こしているのではないのか。
不調ではないが、また時間が経った。

とうとう仕事は辞めた。さすがに私の体はもたなかったのだ。体力勝負の仕事はもう無理のようだ。時間が勝負の引越しなども去年無理だと悟った。膝をいわしているだけに非常に重いものとかは無理なのだった。

しかし、探す方は貪欲だ。先日も行って来た。すでに一つは決めているので心の余裕がある。ただ、事務系で女性を希望しているらしいので無理だろう。私が生涯行くこともないような場所だったので偵察がてら行って来たのだった。

件の職場は古そうだった。何十年も変わっていない、そんな感じだ。仕事も古いのだろう。ホームページが文字化けしたり、読みにくかったり。とにかくIT分野はよくわからない、金も使いたくない、そんな雰囲気だった。魅力だったのは賃金だけだが、やってみると安く感じるかもしれない。私が悩むことではないのだろう。

だから、次の仕事に集中しよう。何といっても一度は落ちた所だ。私に回って来たのも何かの縁だろう。体力勝負の所に違いないのだが、重い荷物は無いのではないかと思う。こちらに帰って来てようやくありつけたまともそうな仕事と思うが。事務ではないだけに体力の限界を感じた時にはウンザリするかもしれない。自分としては、いろいろ調べていて提案もできるようになっておきたいと思っている。

今はちょうど慣らしの時間のように感じる。強烈な仕事で傷めた体を癒す時間。そして家の片付けをしたり、必要なものを揃えるために。春を余裕を持って迎えられるのは何年ぶりか。ただし、状況はそんなにいいわけではない。私はデジタルの仕事をやってなんぼだからだ。

明るく素直に温かくで頑張ろう。
ずいぶん時間が経ってしまった。前に書いたように、私の会社復活までに幾つかのハードルを越えなければならない。まだまだそのハードルの前までにも辿りつけないと書いてきた。昨年の夏からようやく兆しが見えたと思ったが秋から暗雲が立ち込め、今年初めには期待もしぼんでしまった。

生活があるので、ショボくれているわけにも行かず、必死で応募し面接に行く日々だった。それでも、相変わらず落ちまくりの日々だった。それが、この3月に入って一気に好転の兆しが見えて来た。ずっと行きたいと思っていた所は早々に落ちたのだが、なんと補欠が回って来たのであった。

それでも収入的には好転とは言えず、依然と霧中なのだが期間という意味ではほぼ満足できる内容だった。後は現実の仕事なのだが、これがわかりにくい。行ってみて仰天することの無いように覚悟をしておきたいのだが。仮に、やれそうであれば、ようやくハードルの前には来た感じだ。

岡山といえども何のツテも無い私だ、仕事をするのは大変なことなのだ。何とか続ける仕事を見つけてからだろう、より良い仕事を見つけられるのは。その後、ハードルを越えるかどうかはデジタル化の仕事ができるのかどうかによる。私としてはせっかくのチャンスなのでいろんな挑戦をしてみたいが、余計なことはしないでと言われるだろう。

まさかのデジタル化の仕事に結びつくようなハプニングがあれば嬉しいが。まだ、それには準備することもある。明るく素直に温かくで頑張ろう。
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