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このタイトルは、もちろん鎌田慧氏の『自動車絶望工場』に由来している。若い頃に少しかじっただけだが、仕事が、何か罰を受けているような気がして来る、というフレーズに共感したのだった。私が二十代の頃、大日本印刷京都工場でバイトをした時も同じ感想を持ったものだ。この「罰を受ける」という言葉を思い出して空港でもよく使った。先輩も気に入り、よく使った。
前に書いたように仕事を始めて2ヶ月を経過した頃、私はダウンした。過労と風邪がダブルで来たような感じだった。網走のみならばいいのだが、ターミナルの中は暑く外気との温度差が半端ではない。出入りで暑いと寒いを何度も繰り返すのでどうしても風邪を引きやすい環境だった。
都合3日くらい休んだろうか。さすがに病み上がりは不安でもあり出づらかった。しかも、いきなり早出だった。5時から出ている先輩がさっそく私を見つけ「回復したかな?」とニッコリ笑って一言。これはうれしかった。やはり、新しい職場でもあり全員が敵に思えるような環境の中で体調を気遣ってもらえるのは安心する。私は弱々しく「いまいちです。」と答えた気がする。
私と先輩が流行らせた「罰を受ける」とは早出残業のことだ。実際には、6時前から仕事は始まっておりそうしないと時間が無い。さすがに冬場はキツイ。しかし、遅くとも2時頃に帰ることができるならば、それは結構うれしいもんだ。現実はそうではなくその日の人員配置や飛行機の都合とかで早出した上に夕方5時まで残業ということも普通にあった。私はこの早出残業を2日続けてやってみたのだが体力的にしんどいものだった。文句を言うと「早出残業は2日続けない方がええです。」と主任もちゃんと認識しているのには驚いた。その上でやらせているというわけだ。これは当日に本人に意志確認することなく決められているので強制残業だ。空港というきれいな雰囲気の場所で似つかわしくないタコ部屋的な労働が強いられているのだ。「罰を受ける」という言葉がぴったりではないかと思った。この頃知ったのだがウルトラ・ブラック企業の東電では、夜勤明け残業も普通にあるという。下には下があるもんだ。
早出しても手当てがあるわけでもなく、日曜祭日出勤しても手当てがあるわけでもない。一月を終えてみると少なくとも5万は損しているように思える。これは体の疲れ方やこれまでの経験から言えることだ。この頃はまだ辞めることは具体的になっていなかったが金銭的には最初から答えは出ていたのだった。
早出時に見えるオリオン座が何とか仕事を続ける気分にしてくれていた。少年の頃に見た星空を思い出しつつ何とか現状を改善できないものか、考える日々が続いた。
つづく
前に書いたように仕事を始めて2ヶ月を経過した頃、私はダウンした。過労と風邪がダブルで来たような感じだった。網走のみならばいいのだが、ターミナルの中は暑く外気との温度差が半端ではない。出入りで暑いと寒いを何度も繰り返すのでどうしても風邪を引きやすい環境だった。
都合3日くらい休んだろうか。さすがに病み上がりは不安でもあり出づらかった。しかも、いきなり早出だった。5時から出ている先輩がさっそく私を見つけ「回復したかな?」とニッコリ笑って一言。これはうれしかった。やはり、新しい職場でもあり全員が敵に思えるような環境の中で体調を気遣ってもらえるのは安心する。私は弱々しく「いまいちです。」と答えた気がする。
私と先輩が流行らせた「罰を受ける」とは早出残業のことだ。実際には、6時前から仕事は始まっておりそうしないと時間が無い。さすがに冬場はキツイ。しかし、遅くとも2時頃に帰ることができるならば、それは結構うれしいもんだ。現実はそうではなくその日の人員配置や飛行機の都合とかで早出した上に夕方5時まで残業ということも普通にあった。私はこの早出残業を2日続けてやってみたのだが体力的にしんどいものだった。文句を言うと「早出残業は2日続けない方がええです。」と主任もちゃんと認識しているのには驚いた。その上でやらせているというわけだ。これは当日に本人に意志確認することなく決められているので強制残業だ。空港というきれいな雰囲気の場所で似つかわしくないタコ部屋的な労働が強いられているのだ。「罰を受ける」という言葉がぴったりではないかと思った。この頃知ったのだがウルトラ・ブラック企業の東電では、夜勤明け残業も普通にあるという。下には下があるもんだ。
早出しても手当てがあるわけでもなく、日曜祭日出勤しても手当てがあるわけでもない。一月を終えてみると少なくとも5万は損しているように思える。これは体の疲れ方やこれまでの経験から言えることだ。この頃はまだ辞めることは具体的になっていなかったが金銭的には最初から答えは出ていたのだった。
早出時に見えるオリオン座が何とか仕事を続ける気分にしてくれていた。少年の頃に見た星空を思い出しつつ何とか現状を改善できないものか、考える日々が続いた。
つづく
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早出勤務が始まったのは1ヶ月くらい経った頃からだった。それまでは、先輩たちがどうして昼過ぎにはいなくなるのかよくわかっていなかった。つまり、早く出勤したぶん早く帰っていたわけだった。その頃は人がいたので早出残業などという強制残業はほとんど無かったようだ。
私の仕事は、Air Do!、JTA、中国東方航空の機内清掃、大韓航空のチェックで始まる。これだけを朝の2時間でこなさなければならない。8時40分にはANAがやって来る。それが終わって第4駐車場、いわゆる網走行きだ。11時には食事休憩、11時15分にはANA。これが終われば1時前まではゆっくりできる。
Air Do!(北海道の翼)の機内清掃は、ある時期から楽勝になった。機内誌と吐袋と呼ばれるゴミ袋をセットするだけだからだ。毎日の繰り返しを面倒とみるかどうかだ。JTA(沖縄の翼)は、慣れるまでに時間がかかった。いっぱいセットするものがあるからだ。最後まで小さいがミスが続いたことを記しておこう。ちょうど2ヶ月目くらいに私はダウンして休むことになるのだが、病み上がりで入ったJTAの機内清掃には、さすがに眠気が出たくらいだ。私に限らず同じことの繰り返しは苦痛なのだ。
というのも夜のバイトをした経験があった私であったが、夜はほとんどの場合、手分けして機内清掃をしていたからだ。JTAは場合によってはほとんどを一人でやることもあった。ベルトの揃え方も各社異なるので、いちいち面倒なのだ。馬鹿げた習慣だ。大韓航空のものが最も現実的で客にも扱いやすいだろうと思う。一人でやるとなかなか終わらない。これがホトホト疲れ私の場合は眠気となったわけだ。最底辺のバイトの悲哀を味わう瞬間だった。
一連の勤めが終わった後に一人で行く網走は、それなりに解放感があった。寒いが一人になれるという利点もあったのだ。ただ、早出が始まるとそんなに時間をかけて掃除もできなくなった。網走の吸い殻拾いといっても歩いて回るには広大過ぎる。ゴミは車と車の間に落ちているもので全部舐めるように見て行かなければ見えない。やる以上はキッチリやりたいという願望も次第にできるだけのことをという風に後退してしまう。
ダメ押し的な事件は、そんな折に起きたのだった。
つづく
私の仕事は、Air Do!、JTA、中国東方航空の機内清掃、大韓航空のチェックで始まる。これだけを朝の2時間でこなさなければならない。8時40分にはANAがやって来る。それが終わって第4駐車場、いわゆる網走行きだ。11時には食事休憩、11時15分にはANA。これが終われば1時前まではゆっくりできる。
Air Do!(北海道の翼)の機内清掃は、ある時期から楽勝になった。機内誌と吐袋と呼ばれるゴミ袋をセットするだけだからだ。毎日の繰り返しを面倒とみるかどうかだ。JTA(沖縄の翼)は、慣れるまでに時間がかかった。いっぱいセットするものがあるからだ。最後まで小さいがミスが続いたことを記しておこう。ちょうど2ヶ月目くらいに私はダウンして休むことになるのだが、病み上がりで入ったJTAの機内清掃には、さすがに眠気が出たくらいだ。私に限らず同じことの繰り返しは苦痛なのだ。
というのも夜のバイトをした経験があった私であったが、夜はほとんどの場合、手分けして機内清掃をしていたからだ。JTAは場合によってはほとんどを一人でやることもあった。ベルトの揃え方も各社異なるので、いちいち面倒なのだ。馬鹿げた習慣だ。大韓航空のものが最も現実的で客にも扱いやすいだろうと思う。一人でやるとなかなか終わらない。これがホトホト疲れ私の場合は眠気となったわけだ。最底辺のバイトの悲哀を味わう瞬間だった。
一連の勤めが終わった後に一人で行く網走は、それなりに解放感があった。寒いが一人になれるという利点もあったのだ。ただ、早出が始まるとそんなに時間をかけて掃除もできなくなった。網走の吸い殻拾いといっても歩いて回るには広大過ぎる。ゴミは車と車の間に落ちているもので全部舐めるように見て行かなければ見えない。やる以上はキッチリやりたいという願望も次第にできるだけのことをという風に後退してしまう。
ダメ押し的な事件は、そんな折に起きたのだった。
つづく
私と会社とのもめごとで最初のものは、同僚の密告だったらしい。前職で必要かと思い買っていたウエストバッグというかベルトに付けて使う方式の袋。もったいないので、空港で利用しようと思い持っていった行ったのが運の尽き。実際に手袋やゴミ袋、ニット帽、ネックウォーマーを入れて持ち歩くにも必要だった。網走に行くにはそれなりの装備が必要だったのだ。ターミナルだけの勤務の同僚は、そんなものは必要無いので「怪しい」と思ったのかもしれない。おかげで私は疑われ、二人に注意された。現場の主任と空港の主任からだ。
確かに私にも後ろめたい気持ちもあった。収入が順調であればファーウェイの8インチのタブレットでも購入し、専用のケースに入れて持ち歩きたいという願望はあったからだ。実際には、ここの収入では、そんなものは買えず、タブレットを見る余裕も無かった。タブレットが必要な理由は、flightradar24をチェックするためだった。あまりにスマホを使うと1日もたない可能性もあるから。
時間的な理由でタブレットを出す余裕もスマホを見る余裕も無かった。だから、早くにタブレットを持ち歩くという選択肢は消えていた。そんな折に同僚らしき人からの密告事件があったのだから、私も苛立った。後に「密告されるで!」という言葉が私と先輩のジョークになった。空港の主任は私がバッグの中を見せようかと言うと「そりゃ、ええです。」と断っていた。それならもう少し、配慮した発言をして欲しいものだった。
またある時から私はゴミ拾いの際にサングラスをかけるようにした。11月や12月の日差しはかなりキツく目が悪くなりそうだった。しかも、サングラスをした方がゴミ拾いを効率的に出来る。一種のマスク効果というか、空港を利用する人を気にせず出来るのだった。もちろん、私も不審者に思われないよう、出会う人には積極的に挨拶をしていた。
これが、空港の掃除を任されている研美社の部長とやらには胡散臭く映ったらしい。先輩は「あんたはどうも監視されとるようじゃな。」と言っていた。今度は正社員の同僚からやんわりと注意された。外すか目が見える程度の薄い色のものにして欲しいと部長が言っていたと。私としては目を悪くするかもしれないので、空港の主任と話してみると、その同僚には話した。
「今度見かけたら僕が直接注意する、と言うとったけー是非ともやめていただきたい。今度見つかったら、僕が何も言うていないことになり怒られるけー。」というのが主任の言い分だった。私は交渉するつもりで話をしたのだが、この「怒られる」という言葉に萎えてしまった。責任ある立場の人間が、上役に「怒られる」かどうかを判断基準にしていることが呆れるし、そのような組織は早晩崩れて行かざるを得ないのだ。つまり、自分の責任で動くことは一切無いということだ。問題を問題と認識できない組織は崩壊しかないだろう。
私が得た情報では、注意を受けた段階で私の他にもサングラスを着用している者もいるということ。ちゃんと人を選り好みしているかのような印象を受けた。私はこの段階ではまだ辞めるところまで傾いていなかったのでどうしたのかと言えば、帽子をかぶることでしのいだのだった。ガラスに映る自分の姿を見ると、こちらの方がよほど不審人物に見えるのだが。
後日、サングラス事件をベテランの方に話す機会があったが、ああそんなことがあったのかと呆れていた。私は、話すことですでに心折れていることを自覚した。こうなると、もうそう長くは続かないのが仕事というもの。ベテランさんは、連中に話すことはあまり無かったのだろうと思うが、私のような新人にもズバズバ本音を話してくれていて心強かったのだが、年内で退職となった。腕のしびれが強く、これが限界と考えたそうだ。
同じ掃除をする仲間であっても正社員とバイトは峻別していて正社員にはいろいろと資格をとらせたりして箔をつけるのだが、バイトは何十年いても同じ時給。ベテランさんは、バイトにも資格を取得させ、それを給料に反映させるなどすれば意欲も増すだろうにとも語ってくれていた。辞める時に知ったのだが、主任は私のことを正社員として扱っているつもりだった。契約書にも正社員とある。保険があることがかなり重く扱っているという意味なのだそうだ。週一時間の仕事でも保険には加入しないといけない建前であり、罰則が無いので現実はそうなっていないだけの話なのに!
話のできる先輩に出会えたこともあり、しばらくは仕事をしつつ様子を見るつもりだったのだが、この件があった時から徐々にではあるが、心が離れているのを感じつつ仕事をこなしていた。しかし、次第にそれは大きな不満に膨らみつつあった。さらに、ダメ押しのような事件が続くのだが、それはまたの機会にしよう。
つづく
確かに私にも後ろめたい気持ちもあった。収入が順調であればファーウェイの8インチのタブレットでも購入し、専用のケースに入れて持ち歩きたいという願望はあったからだ。実際には、ここの収入では、そんなものは買えず、タブレットを見る余裕も無かった。タブレットが必要な理由は、flightradar24をチェックするためだった。あまりにスマホを使うと1日もたない可能性もあるから。
時間的な理由でタブレットを出す余裕もスマホを見る余裕も無かった。だから、早くにタブレットを持ち歩くという選択肢は消えていた。そんな折に同僚らしき人からの密告事件があったのだから、私も苛立った。後に「密告されるで!」という言葉が私と先輩のジョークになった。空港の主任は私がバッグの中を見せようかと言うと「そりゃ、ええです。」と断っていた。それならもう少し、配慮した発言をして欲しいものだった。
またある時から私はゴミ拾いの際にサングラスをかけるようにした。11月や12月の日差しはかなりキツく目が悪くなりそうだった。しかも、サングラスをした方がゴミ拾いを効率的に出来る。一種のマスク効果というか、空港を利用する人を気にせず出来るのだった。もちろん、私も不審者に思われないよう、出会う人には積極的に挨拶をしていた。
これが、空港の掃除を任されている研美社の部長とやらには胡散臭く映ったらしい。先輩は「あんたはどうも監視されとるようじゃな。」と言っていた。今度は正社員の同僚からやんわりと注意された。外すか目が見える程度の薄い色のものにして欲しいと部長が言っていたと。私としては目を悪くするかもしれないので、空港の主任と話してみると、その同僚には話した。
「今度見かけたら僕が直接注意する、と言うとったけー是非ともやめていただきたい。今度見つかったら、僕が何も言うていないことになり怒られるけー。」というのが主任の言い分だった。私は交渉するつもりで話をしたのだが、この「怒られる」という言葉に萎えてしまった。責任ある立場の人間が、上役に「怒られる」かどうかを判断基準にしていることが呆れるし、そのような組織は早晩崩れて行かざるを得ないのだ。つまり、自分の責任で動くことは一切無いということだ。問題を問題と認識できない組織は崩壊しかないだろう。
私が得た情報では、注意を受けた段階で私の他にもサングラスを着用している者もいるということ。ちゃんと人を選り好みしているかのような印象を受けた。私はこの段階ではまだ辞めるところまで傾いていなかったのでどうしたのかと言えば、帽子をかぶることでしのいだのだった。ガラスに映る自分の姿を見ると、こちらの方がよほど不審人物に見えるのだが。
後日、サングラス事件をベテランの方に話す機会があったが、ああそんなことがあったのかと呆れていた。私は、話すことですでに心折れていることを自覚した。こうなると、もうそう長くは続かないのが仕事というもの。ベテランさんは、連中に話すことはあまり無かったのだろうと思うが、私のような新人にもズバズバ本音を話してくれていて心強かったのだが、年内で退職となった。腕のしびれが強く、これが限界と考えたそうだ。
同じ掃除をする仲間であっても正社員とバイトは峻別していて正社員にはいろいろと資格をとらせたりして箔をつけるのだが、バイトは何十年いても同じ時給。ベテランさんは、バイトにも資格を取得させ、それを給料に反映させるなどすれば意欲も増すだろうにとも語ってくれていた。辞める時に知ったのだが、主任は私のことを正社員として扱っているつもりだった。契約書にも正社員とある。保険があることがかなり重く扱っているという意味なのだそうだ。週一時間の仕事でも保険には加入しないといけない建前であり、罰則が無いので現実はそうなっていないだけの話なのに!
話のできる先輩に出会えたこともあり、しばらくは仕事をしつつ様子を見るつもりだったのだが、この件があった時から徐々にではあるが、心が離れているのを感じつつ仕事をこなしていた。しかし、次第にそれは大きな不満に膨らみつつあった。さらに、ダメ押しのような事件が続くのだが、それはまたの機会にしよう。
つづく
私の勤務時間は当初、8時から5時までだった。しかし、ほとんどは4時40分頃には帰れていた。2時間の休憩のうち、20分は取っておいて、その分早く帰るということだ。しかし、飛行機が遅れたりするとたちまちこれは崩れる。その可能性がある時には確実に2時間は休憩しておかなければ損するというわけだ。早出勤務がある時は、6時から3時までだ。しかし、実際には食事に30分くらいしか取れず、1 時半に帰るということも認められていた。ただ、これは先輩に釘を刺されていた。それができるなら誰でも早出をするだろうということだ。私は早く帰りたいのでかまわず帰っていた。
空港の仕事で機内清掃以外に何があるのか。ゴミ掃除に違いはないのだが、建物の掃除かなと思っていた。実際、ターミナルの掃除は重要で、長くJALやANAの待合室の掃除機あてはやらされた。他の人に聞いたのだが、先輩は半年くらいやらされていたそうだ。特に決まりがあるわけでもなく、いろんな条件で決めるのかなと思っていた。ANAラウンジなど男が女子トイレを掃除したりするわりと神経を使う部署の掃除は、終わってみるとそんなに多くは任されなかったと思う。私はトイレの掃除を美しくすることは苦手だったと思う。それに比べ待合室の掃除機あては、最後の方にはわりと上手くなっていた。ブロックごとにやって行けば、くまなく機械的にできるのだった。これは、ベテランの手法を見ていて真似したものだ。そして、管制塔や税関などはとうとう半年の勤務では任されることはなかった。多分、私には向いていないと思われたのだろう。
建物以外の掃除では何があるのか?私が入社したのが10月で、まだ暖かい感じの季節だった。当時は、先輩に連れられて行って呑気に考えていたのが、第4駐車場のゴミ掃除だった。一人でやれることには限界があるので多くは手分けしてやった。私は第4が気楽でいいのでいつも志願していた。時には駐車場を一人でやることもあった。第1から第4まで全てということだ。ただ、これには限界があって第1のゴミ箱掃除を終えると第2に行き、ざっと見るだけ、第3は第4の行きがけにチェックということをしなければ追いつかなかった。
第4駐車場の本当の厳しさを知るのは12月に入ってからだったろうか。待っていても会社から防寒着が支給されることは無いと聞いたので件の主任に尋ねたら、最近辞めた人のお古ならばあるという。私は自分の物を用意してもいいつもりだったが、ゴミから汁が出て汚れるのが嫌だったのでできれば仕事着が欲しかったわけだ。12月いっぱいは着ただろうか。この冬は岡山でも数年に一度の寒い冬だった。会社からあてがわれた防寒着はクソの役にも立たなかった。おかげでクリーニング代だけ損した格好になった。第4駐車場は「網走」と先輩が名づけていた。側にある池の影響なのかことの外厳しい冷たい風が吹く。結局、自分で用意した米軍の軍服がちょうど良かった。
私は、こうして第4駐車場、網走の掃除人となった。2、3回先輩が付いてきてくれ、何をすればいいのかを教わった。要するにゴミ箱のゴミ取りとその他の突発的なゴミ拾いだった。もっと言えば吸い殻拾いだった。いなかっぺ大将の漫画でしか見たことのなかった吸い殻拾いを今自分がやっているという自覚が必要だった。ちなみに火箸は先輩が持って来たもので会社からの支給は何も無い。ただ、使い捨てのゴム手袋があるだけで、これで拾えということらしかった。
会社と私の間には何かしらもめ事があった。次回にまた書くつもりだが、しょうもないことだった。しかし、私はそれで本当に心が折れてしまったほどだ。
つづく
空港の仕事で機内清掃以外に何があるのか。ゴミ掃除に違いはないのだが、建物の掃除かなと思っていた。実際、ターミナルの掃除は重要で、長くJALやANAの待合室の掃除機あてはやらされた。他の人に聞いたのだが、先輩は半年くらいやらされていたそうだ。特に決まりがあるわけでもなく、いろんな条件で決めるのかなと思っていた。ANAラウンジなど男が女子トイレを掃除したりするわりと神経を使う部署の掃除は、終わってみるとそんなに多くは任されなかったと思う。私はトイレの掃除を美しくすることは苦手だったと思う。それに比べ待合室の掃除機あては、最後の方にはわりと上手くなっていた。ブロックごとにやって行けば、くまなく機械的にできるのだった。これは、ベテランの手法を見ていて真似したものだ。そして、管制塔や税関などはとうとう半年の勤務では任されることはなかった。多分、私には向いていないと思われたのだろう。
建物以外の掃除では何があるのか?私が入社したのが10月で、まだ暖かい感じの季節だった。当時は、先輩に連れられて行って呑気に考えていたのが、第4駐車場のゴミ掃除だった。一人でやれることには限界があるので多くは手分けしてやった。私は第4が気楽でいいのでいつも志願していた。時には駐車場を一人でやることもあった。第1から第4まで全てということだ。ただ、これには限界があって第1のゴミ箱掃除を終えると第2に行き、ざっと見るだけ、第3は第4の行きがけにチェックということをしなければ追いつかなかった。
第4駐車場の本当の厳しさを知るのは12月に入ってからだったろうか。待っていても会社から防寒着が支給されることは無いと聞いたので件の主任に尋ねたら、最近辞めた人のお古ならばあるという。私は自分の物を用意してもいいつもりだったが、ゴミから汁が出て汚れるのが嫌だったのでできれば仕事着が欲しかったわけだ。12月いっぱいは着ただろうか。この冬は岡山でも数年に一度の寒い冬だった。会社からあてがわれた防寒着はクソの役にも立たなかった。おかげでクリーニング代だけ損した格好になった。第4駐車場は「網走」と先輩が名づけていた。側にある池の影響なのかことの外厳しい冷たい風が吹く。結局、自分で用意した米軍の軍服がちょうど良かった。
私は、こうして第4駐車場、網走の掃除人となった。2、3回先輩が付いてきてくれ、何をすればいいのかを教わった。要するにゴミ箱のゴミ取りとその他の突発的なゴミ拾いだった。もっと言えば吸い殻拾いだった。いなかっぺ大将の漫画でしか見たことのなかった吸い殻拾いを今自分がやっているという自覚が必要だった。ちなみに火箸は先輩が持って来たもので会社からの支給は何も無い。ただ、使い捨てのゴム手袋があるだけで、これで拾えということらしかった。
会社と私の間には何かしらもめ事があった。次回にまた書くつもりだが、しょうもないことだった。しかし、私はそれで本当に心が折れてしまったほどだ。
つづく
空港の仕事で気になったことと言えば、休憩が2時間だということ。目をあげて見れば、最近のアルバイトには2時間休憩というのが目立つ。これは、単に拘束時間が長いというだけのことで労働者にはメリットは無い。空港もまた同じことだった。ただし、空港ではどこまでいっても飛行機の運航スケジュールで動くので早出とか仕事が早く終わった時などは、その休憩時間分だけ早く帰ることが認められていた。この件は、また次の機会に記述しようと思う。
機内清掃のことは夜の仕事で経験していたので、それほど戸惑うこともなかった。ANA、JAL、大韓しかやったことがなかったので中国東方航空や香港航空、Air Do!、JTAでは慣れるのに時間がかかった。仕事を始めて1ヶ月くらい経った頃だったろうか、早出を依頼され、私も早出出勤するようになった。聞けば、長く勤めていた人が病気で長期欠勤となったとのこと。私は前職で早出にも慣れていたので最初は早出を志願していたが「今は間に合っている」と言われて断られていたくらいだ。
今でも思い出すが、10歳年上の先輩との出会いは大韓航空の機内清掃だった。通常、昼間の仕事では大韓航空の清掃は無いのだが、チャーター機として利用される場合のみ私たちが清掃もやることになっていた。私は夜の仕事で大韓航空の清掃はお手のもんだった。ただ、1年以上経っているので忘れていた。現場の主任的な人に「あの人を手伝って」と言われたのが、その先輩だった。風貌はイカツイが物腰は丁寧だったことを覚えている。先輩も忙しく、手が回らず「教えることができん!」と悲鳴をあげていた。ただし、私は段取りこそ忘れていたがやる事はわかっていた。
こうして、先輩との付き合いが始まり、私の知らない昼間の仕事を先輩から教わることになった。
つづく
機内清掃のことは夜の仕事で経験していたので、それほど戸惑うこともなかった。ANA、JAL、大韓しかやったことがなかったので中国東方航空や香港航空、Air Do!、JTAでは慣れるのに時間がかかった。仕事を始めて1ヶ月くらい経った頃だったろうか、早出を依頼され、私も早出出勤するようになった。聞けば、長く勤めていた人が病気で長期欠勤となったとのこと。私は前職で早出にも慣れていたので最初は早出を志願していたが「今は間に合っている」と言われて断られていたくらいだ。
今でも思い出すが、10歳年上の先輩との出会いは大韓航空の機内清掃だった。通常、昼間の仕事では大韓航空の清掃は無いのだが、チャーター機として利用される場合のみ私たちが清掃もやることになっていた。私は夜の仕事で大韓航空の清掃はお手のもんだった。ただ、1年以上経っているので忘れていた。現場の主任的な人に「あの人を手伝って」と言われたのが、その先輩だった。風貌はイカツイが物腰は丁寧だったことを覚えている。先輩も忙しく、手が回らず「教えることができん!」と悲鳴をあげていた。ただし、私は段取りこそ忘れていたがやる事はわかっていた。
こうして、先輩との付き合いが始まり、私の知らない昼間の仕事を先輩から教わることになった。
つづく