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龍雲の「夜・風・雨」というアルバムに『暮色』という暗い歌がある。浪人時代、夕暮れがなんともつらい光景に見えていた。この傾向は、父の死で決定的になり、私にとって夕暮れは、悲しいもの、さみしいものになってしまった。「涙」なくして見られない光景になってしまった。そう、「落日」と言った方がしっくりくる。
私の実家にはクラスメートが何人かいるのだが、西隣に住んでいたクラスメートの家が最近、無くなった。更地にしたということだ。とうとう売りに出したと思ったが、単に更地にしただけのようだ。誰も住まないようになって久しいが、思い出の地でもあるので売りたくないのだろう。少なくとも自分たちが生きている間は。ものすごく気持ちがわかる。
西隣に家があるので、実家の敷地からは夕焼けは見られなかったのだが、おかげですっきりと見渡せるようになってしまったというわけだ。珍しいのでしばらく見てみたのだが、すぐにもの悲しくなり家に入った。
妙な縁だが、去年から帰省したら会うようになったクラスメートと西隣のクラスメートが友達だという。西隣の彼女もおとなしい性格で私とは、ほとんど話もしていない。明るく、「また電話してあげて~よ。」と言われて電話番号まで聞いているのだが、まだしていない。さすがに、突然電話するのも憚られた。
私にも事情があって、小学校の高学年になると悪ガキとつるんでよく、いじめをやっていたのだった。クラスメートと会う際にはいつもこの時の記憶が思い出されてしまい、ついつい口ごもってしまう。何人かに覚えているかどうか聞いてみても、そんな事実さえ記憶に無いという。相当、しつこくやっていたと思うが、記憶にさえとどめてもらっていないようだ。西隣の彼女も私が直接、いじめたわけではないのだが、険悪な雰囲気であったことだけは覚えている。
夕焼けがつらくなって30年近くになるのだが、私にも夕焼けが楽しい時代もあった。それこそ、最近、再会し始めた小学校・中学校時代のクラスメートたちとつきあっていた時代は、悩みなど無かった。夕焼けは、明日につながる希望に満ちた時間だったように思う。少なくとも終わりではなかった。
私は、これからでも仕事で、愛情で夕焼けを取り戻したいと思っている。私の性格上、暗いものは明るくしなければならないし、終わりではなく、始まりにしなければ気が済まない。どこまでも前向きで、理想にこだわる生き方でありたい。それこそ、私らしいと言える。
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