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昨夜は、永井龍雲のデビュー30周年記念コンサートに出かけてきた。今年という意味では初のコンサートだった。5月にこの日のことが放送されるとかでカメラが何台か入っていた。
私は、最初、龍雲はリラックスしているのかと思ったが、終わってみればカチンコチンに緊張していると感じた。歌詞を間違ったり、忘れたり、呼吸を誤ったりしていたから。本来ならば、こういうことは「プロらしくない」と言われるのが普通だが、私にはより「本物らしく」感じられうれしかった。龍雲という男は、30年この仕事をやろうとも緊張するし、ちょっとしたことで調子を崩したりするのだ。それだけ繊細な人間なのだ。そのことがわかるだけに本気でやってくれているのだなと思った。アンコールも2度あった。マイクを通さない生声で歌ってくれるというサービスもあった。もちろん、ファンは大喜びだった。
「未来へのメッセージ」でも書いたのだが、龍雲自身は、この30年間「なかず飛ばず」だったことをどのように感じているのだろうか。日頃のライブの中での語りでは、万人に歌われるような曲を作りたいというのはよく言っていた。そして、子供もいることだし、一般的には無いより有る方がいいに決まっている。お金のことだ。ひょっとすると、「売れる曲を作ってやる」と野心を抱きつつ、そうできなかった30年間だったのだろうか。
真相は、どうあれ結果的には「大ヒットしなかった」ことが龍雲を人間的に大きく育てたとは言えないだろうか。歌手の世界でも「一発屋」とか、幸運にもデビューまもなくして大ヒットに恵まれその後ずっとスター街道を歩む人も少なくはない。それもまた人生なのだが、ともかく龍雲には大ヒットと呼べる曲が無かったことは事実だ。
詞をみれば明らかなのだが、これまで「売ってやる」という野心を抱いての作詞・作曲はあまり無かったのではないかと思える。その時代のヒット曲を参考にしたり、刺激されたり、示唆されたりしたことはあったと思うが。一ファンとしては、横文字の入った詞など作らないで欲しいと思ったが、龍雲も時代に乗っていくつか作っている。もちろん、ヒットはしていない。
今日、ファンクラブの同窓会があったのだが、なんと龍雲本人が来てくれていた。私はもう、このことだけで胸一杯になり、食事など目に入らなかった。非常に楽しいひとときだった。ファンクラブの代表の方が記念にと龍雲にファイルを贈っていたのだが、アルバムのようなものだった。なんと、今月12日必着でみんなから集めたはがきを直に貼り付けているものだった。ワープロで打ったものや、きれいな絵が描かれているものがあった。
私の送ったものは、ミミズがはったような小汚い字で書いたそっけない文章のみだ。とっさだったのでいい文句が浮かばなかったが、気に入った言葉が一つだけあった。龍雲のどこが好きなのかを書いた部分で、「一点の曇りもない龍雲の詞が好きです」、と書いた。今夜でも龍雲が実際に読んでくれるのかと思うとぞくぞくするようだ。
帰りにおもしろいことがあった。名残惜しいのか、誰もなかなか帰ろうとしない中、龍雲は今日、沖縄に帰るので先に挨拶をしてみんなからの拍手の中、帰っていった。私も特に残る用事も無かったので少し後に帰った。エレベータで下に下りて帰ろうとするとなんと、ここでまた龍雲とバッタリ会った。私が会釈すると気がついてくれて龍雲の方から「ありがとうね。」と言って握手をしてくれたのだった。私だけ1つ余分に握手してもらったのだ。このことがうれしくてたまらない。
次の東京でのライブは秋になるそうだ。新しいアルバムを作っているからだ。代表の方と少し話す機会があったのだが、龍雲にはまだまだ、創造する能力と意欲がある。そこが強みなのだと力説していた。私もそう思う。「鳥のようなもの」以来だが、次の新曲に期待している。
私は、最初、龍雲はリラックスしているのかと思ったが、終わってみればカチンコチンに緊張していると感じた。歌詞を間違ったり、忘れたり、呼吸を誤ったりしていたから。本来ならば、こういうことは「プロらしくない」と言われるのが普通だが、私にはより「本物らしく」感じられうれしかった。龍雲という男は、30年この仕事をやろうとも緊張するし、ちょっとしたことで調子を崩したりするのだ。それだけ繊細な人間なのだ。そのことがわかるだけに本気でやってくれているのだなと思った。アンコールも2度あった。マイクを通さない生声で歌ってくれるというサービスもあった。もちろん、ファンは大喜びだった。
「未来へのメッセージ」でも書いたのだが、龍雲自身は、この30年間「なかず飛ばず」だったことをどのように感じているのだろうか。日頃のライブの中での語りでは、万人に歌われるような曲を作りたいというのはよく言っていた。そして、子供もいることだし、一般的には無いより有る方がいいに決まっている。お金のことだ。ひょっとすると、「売れる曲を作ってやる」と野心を抱きつつ、そうできなかった30年間だったのだろうか。
真相は、どうあれ結果的には「大ヒットしなかった」ことが龍雲を人間的に大きく育てたとは言えないだろうか。歌手の世界でも「一発屋」とか、幸運にもデビューまもなくして大ヒットに恵まれその後ずっとスター街道を歩む人も少なくはない。それもまた人生なのだが、ともかく龍雲には大ヒットと呼べる曲が無かったことは事実だ。
詞をみれば明らかなのだが、これまで「売ってやる」という野心を抱いての作詞・作曲はあまり無かったのではないかと思える。その時代のヒット曲を参考にしたり、刺激されたり、示唆されたりしたことはあったと思うが。一ファンとしては、横文字の入った詞など作らないで欲しいと思ったが、龍雲も時代に乗っていくつか作っている。もちろん、ヒットはしていない。
今日、ファンクラブの同窓会があったのだが、なんと龍雲本人が来てくれていた。私はもう、このことだけで胸一杯になり、食事など目に入らなかった。非常に楽しいひとときだった。ファンクラブの代表の方が記念にと龍雲にファイルを贈っていたのだが、アルバムのようなものだった。なんと、今月12日必着でみんなから集めたはがきを直に貼り付けているものだった。ワープロで打ったものや、きれいな絵が描かれているものがあった。
私の送ったものは、ミミズがはったような小汚い字で書いたそっけない文章のみだ。とっさだったのでいい文句が浮かばなかったが、気に入った言葉が一つだけあった。龍雲のどこが好きなのかを書いた部分で、「一点の曇りもない龍雲の詞が好きです」、と書いた。今夜でも龍雲が実際に読んでくれるのかと思うとぞくぞくするようだ。
帰りにおもしろいことがあった。名残惜しいのか、誰もなかなか帰ろうとしない中、龍雲は今日、沖縄に帰るので先に挨拶をしてみんなからの拍手の中、帰っていった。私も特に残る用事も無かったので少し後に帰った。エレベータで下に下りて帰ろうとするとなんと、ここでまた龍雲とバッタリ会った。私が会釈すると気がついてくれて龍雲の方から「ありがとうね。」と言って握手をしてくれたのだった。私だけ1つ余分に握手してもらったのだ。このことがうれしくてたまらない。
次の東京でのライブは秋になるそうだ。新しいアルバムを作っているからだ。代表の方と少し話す機会があったのだが、龍雲にはまだまだ、創造する能力と意欲がある。そこが強みなのだと力説していた。私もそう思う。「鳥のようなもの」以来だが、次の新曲に期待している。
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