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昨年の原発事故以来、国家とは何かを考えることが多い。毎日、ニュースを追いかけているだけでは、現実に起きていることを忘れてしまう。国のやることを批判してみても、むしろ、自分の方がおかしいのではないかという錯覚に陥ったりする。それだけ、今、世の中には異常な意見がまかり通っている。
私は、自分としててはできる限りのことをやろうと思い、ガイガーカウンターを購入したり、正しいニュースを出してくれている人にカンパしたりしている。周りの人にも注意をうながしたりしている。しかし、大事な人であるパートナーには伝えられないことがもどかしい。ネットで話を聞くが、同じような人が多いことを知る。つまり、日常会話で「放射能」を口にすることができないのだ。
岡山に帰ってみると、親友、いとこは放射能に無頓着だった。ガイガーカウンターを見せると、驚いていた。私が東京で感じているような危機感は無い。確かに、放射線量については、さほど気にしなくともいいかもしれないが、食事には十分注意しなければならない。岡山でも下手に流通が発達しているので、内部被曝は十分にあり得る。
2012年に入っても何も変わらない。私は、今年も原発や放射能に向き合って生きるだけだ。放射能に対して正しい知識を持たない人にはできるだけ伝えられるようにしたい。仕事を通じて世の中の知識レベルを上げることによって世の中を変えたい。仕事に、趣味に、原発に対して正面から向き合う。分からないことは分かるようにして行くだけのことだ。
仕事上の悩みが無いわけではないのだが、私にはやる気もあるし、それなりの実力もある。未知の分野に立ち向かう意志もある。そんな人間を必要とする組織はいつの時代にもあると思っている。今後、東京では何が起きるかわからない。それだけ放射能の影響は大きいのだ。大部分が「移住」ということになるかもしれない。そうなると、仕事どころの話ではなくなる。
誰もが放射能抜きでも厳しい状況だ。さらに、そこに放射能が加わっている。こういうことが、放射能を甘く見る傾向を作るわけだ。私も、そんなにいろいろできるタイプではないので、時として忘れたいと思うこともある。できないこともある。それでも、目の前のおかしな事態には声を上げたいと思っている。仕事もやらなければならないし、社会に対して発言することもしなければいけない。そういう世の中に生きている。
今年もネットをフルに活用しての一年になるだろう。機械を用意するだけでは済まないので理解し、活用する努力も怠ってはならない。年末、アリバイ的にObject-Cの本を読んでみたが、なかなか難しい。今年は、Macを準備してぜひ、プロトタイプくらいは作れるような実力を持ちたいと思っている。
〔追記〕
何か書き忘れていたと思ったら、今年の生き方に関すること。シーザー・ミランは、年末の番組で「僕の描く未来にためらいや悲観はありません。理想は実現するものです。実現すると思えば本当に実現するんです。」と言っていた。私の今年もまさにこの言葉通りだ。
大学への夢こそかなわなかったが、浪人を卒業してからの私は、ほぼ理想を実現させてきた。今回も何年に一回かのピンチには違いないのだが、過去の経験をふまえての今回のことだ。きっと切り抜けるだろう。私の心配は、その向こうにある。仕事がうまく行ったとして、では、健康はどうなるのか、ということ。原発は未だ収束などしていない。柴又には高い放射線が渦巻いている。私は、死ぬまでここで生きていくのか。
そして、次の世代につなぐこともなく生きていくのか。相手がいなければ、なかなか子供は無理なのだが、今の私にそれは可能なのか。放射能にやられていないのか。死ぬまで働く気持ちはあるのだが、今後も仕事のピンチはあるが、次の世代に引き継げるのか。
私には明確なことは何も無いのだが、少なくとも次の世代にバトンタッチするための、どんな努力も惜しまないということは言える。お袋も、老いてきた。まだ、お別れということはないと思うが、最後の最後まで、なんか知らんけど楽しいなあと思わせて送りたいと思う。親戚のおばさんもそうだ。
まだ、途中で私の方が先に倒れた時の準備とか心構えはしていないのだが、さっそく東京に帰ったらやっておこう。部屋を掃除してメモすることはメモし、勉強することで準備は可能だ。
私は、自分としててはできる限りのことをやろうと思い、ガイガーカウンターを購入したり、正しいニュースを出してくれている人にカンパしたりしている。周りの人にも注意をうながしたりしている。しかし、大事な人であるパートナーには伝えられないことがもどかしい。ネットで話を聞くが、同じような人が多いことを知る。つまり、日常会話で「放射能」を口にすることができないのだ。
岡山に帰ってみると、親友、いとこは放射能に無頓着だった。ガイガーカウンターを見せると、驚いていた。私が東京で感じているような危機感は無い。確かに、放射線量については、さほど気にしなくともいいかもしれないが、食事には十分注意しなければならない。岡山でも下手に流通が発達しているので、内部被曝は十分にあり得る。
2012年に入っても何も変わらない。私は、今年も原発や放射能に向き合って生きるだけだ。放射能に対して正しい知識を持たない人にはできるだけ伝えられるようにしたい。仕事を通じて世の中の知識レベルを上げることによって世の中を変えたい。仕事に、趣味に、原発に対して正面から向き合う。分からないことは分かるようにして行くだけのことだ。
仕事上の悩みが無いわけではないのだが、私にはやる気もあるし、それなりの実力もある。未知の分野に立ち向かう意志もある。そんな人間を必要とする組織はいつの時代にもあると思っている。今後、東京では何が起きるかわからない。それだけ放射能の影響は大きいのだ。大部分が「移住」ということになるかもしれない。そうなると、仕事どころの話ではなくなる。
誰もが放射能抜きでも厳しい状況だ。さらに、そこに放射能が加わっている。こういうことが、放射能を甘く見る傾向を作るわけだ。私も、そんなにいろいろできるタイプではないので、時として忘れたいと思うこともある。できないこともある。それでも、目の前のおかしな事態には声を上げたいと思っている。仕事もやらなければならないし、社会に対して発言することもしなければいけない。そういう世の中に生きている。
今年もネットをフルに活用しての一年になるだろう。機械を用意するだけでは済まないので理解し、活用する努力も怠ってはならない。年末、アリバイ的にObject-Cの本を読んでみたが、なかなか難しい。今年は、Macを準備してぜひ、プロトタイプくらいは作れるような実力を持ちたいと思っている。
〔追記〕
何か書き忘れていたと思ったら、今年の生き方に関すること。シーザー・ミランは、年末の番組で「僕の描く未来にためらいや悲観はありません。理想は実現するものです。実現すると思えば本当に実現するんです。」と言っていた。私の今年もまさにこの言葉通りだ。
大学への夢こそかなわなかったが、浪人を卒業してからの私は、ほぼ理想を実現させてきた。今回も何年に一回かのピンチには違いないのだが、過去の経験をふまえての今回のことだ。きっと切り抜けるだろう。私の心配は、その向こうにある。仕事がうまく行ったとして、では、健康はどうなるのか、ということ。原発は未だ収束などしていない。柴又には高い放射線が渦巻いている。私は、死ぬまでここで生きていくのか。
そして、次の世代につなぐこともなく生きていくのか。相手がいなければ、なかなか子供は無理なのだが、今の私にそれは可能なのか。放射能にやられていないのか。死ぬまで働く気持ちはあるのだが、今後も仕事のピンチはあるが、次の世代に引き継げるのか。
私には明確なことは何も無いのだが、少なくとも次の世代にバトンタッチするための、どんな努力も惜しまないということは言える。お袋も、老いてきた。まだ、お別れということはないと思うが、最後の最後まで、なんか知らんけど楽しいなあと思わせて送りたいと思う。親戚のおばさんもそうだ。
まだ、途中で私の方が先に倒れた時の準備とか心構えはしていないのだが、さっそく東京に帰ったらやっておこう。部屋を掃除してメモすることはメモし、勉強することで準備は可能だ。
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