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今年も夏の終わりを龍雲で締めくくった。昨日、龍雲のライブに行ってきた。渋谷のわかりにくいところでしかも雨だったので最悪だと思ったが、この方が思い出になっていいことが後でわかる。
本人には、またメールを出して聞いてみようと思うが、私は良かったと感じた。それは、龍雲がまだまだやる気なんだとハッキリわかったからだ。ファンが望む古い歌をうたうのも重要だが、自分としては、それだけではつまらないのだそうだ。やはり、新作を発表してなんぼだと思っている。
4曲紹介してくれたのだが、うち2曲はすばらしいものだった。「おわら心中」は2年前の西馬込ライブで初めて聴かせてくれたがCD化されていないので新曲なのだ。その後にうたってくれた、「迷い蝉」がなんとかという歌詞の歌は良かった。いつもの日常の中から、深遠な世界に入るという龍雲お得意のパターンだ。こういうやりとりをしている以上、まだまだやるなこの人はと感じた。
私は、体調があまりよろしくなかったが例によって、最後尾の席なので落ち着いて堪能できた。2時間あまりが短く感じられるほどだった。東京では来年まで予定がないというのがなんともさみしいのだが、よそのライブに出かけようかと思っている。京都か、奈良か、はたまた九州か。泊まりがけになるので簡単ではないのだが。仕事が落ち着いたら決断したいと思う。
ずっと前に何で龍雲は、こうも暗い歌ばかり作るのかと思ったが、きのうははたと気がついてしまった。つまり、本来は明るい性格であるし明るいものを作りたいのだろう、龍雲も。しかし、若くして体験させられた母の死、親友の死が龍雲の性格を屈折したものにさせたのではないか。詩を作るという行為も、母の死がきっかけではなかったろうか。野球大好き少年だったのが、あまりにも受け入れがたい経験をしたので、何か表現せざるを得なかったのだと。
龍雲の詩の多くには、死とか輪廻転生とかをイメージさせるものがある。龍雲としては、意識してではないかもしれないが、常にあちら側のお母さん、友達と対話しているのではないか。私にはまだ母や親友がいてくれるのだが、龍雲の気持ちはおっさんになった今、わかるような気がする。
龍雲の明るい歌の代表は「道標ない旅」だが、これはおもしろいことに我が龍雲ファンの絆の歌になっている。どう若く見積もっても50代以上の人々の集まりなのだと思うが、そのおっさん、おばはんが龍雲のこの歌では表情も明るくなり、手拍子を始め、蚊の鳴くような暗い声で合唱するのだ。不気味だが、これが東京のファンの姿なのだ。いつの間にか、龍雲と私たちファンは、この歌で結ばれていることに気がつくのだった。
明るめの歌で私がどうしてもあげなければならないのは、「流れよ」だろう。これは、当時20歳そこそこの私が、生きる元気さえなくしていた時に龍雲が発表してくれたものだ。当時担当していた、オールナイトニッポンの2部の終わりによくかけてくれていた。その雰囲気がよくあっていて、私はとりこになってしまった。何も解決せず、「流れよ 僕に教えてくれないか 流れの果てには何が見えるというのか」と問いかけるだけなのだが、当時の私は非常に勇気づけられた。あの時、龍雲があの歌を発表してくれていなかったら、今の私は無いのでそういう意味でも忘れられない大切な歌だ。
龍雲自身も、ヒットの可能性が1パーセントでもあるのなら、がんばるんだと言っていたが、そのカギは「明るめの歌」だろう。しかも、それは作られた明るさではいけない。暗い歌ばかりの中で、ふっと気分転換でもしたかのように作る明るめの歌、そこから大ブレークするような気がする。龍雲あにきと会うのは4月以来だった。本当ならサイン会に出て一言でも話したかったのだが、用事があった。しばらくは、こういう付き合いを続けたいと思った。
本人には、またメールを出して聞いてみようと思うが、私は良かったと感じた。それは、龍雲がまだまだやる気なんだとハッキリわかったからだ。ファンが望む古い歌をうたうのも重要だが、自分としては、それだけではつまらないのだそうだ。やはり、新作を発表してなんぼだと思っている。
4曲紹介してくれたのだが、うち2曲はすばらしいものだった。「おわら心中」は2年前の西馬込ライブで初めて聴かせてくれたがCD化されていないので新曲なのだ。その後にうたってくれた、「迷い蝉」がなんとかという歌詞の歌は良かった。いつもの日常の中から、深遠な世界に入るという龍雲お得意のパターンだ。こういうやりとりをしている以上、まだまだやるなこの人はと感じた。
私は、体調があまりよろしくなかったが例によって、最後尾の席なので落ち着いて堪能できた。2時間あまりが短く感じられるほどだった。東京では来年まで予定がないというのがなんともさみしいのだが、よそのライブに出かけようかと思っている。京都か、奈良か、はたまた九州か。泊まりがけになるので簡単ではないのだが。仕事が落ち着いたら決断したいと思う。
ずっと前に何で龍雲は、こうも暗い歌ばかり作るのかと思ったが、きのうははたと気がついてしまった。つまり、本来は明るい性格であるし明るいものを作りたいのだろう、龍雲も。しかし、若くして体験させられた母の死、親友の死が龍雲の性格を屈折したものにさせたのではないか。詩を作るという行為も、母の死がきっかけではなかったろうか。野球大好き少年だったのが、あまりにも受け入れがたい経験をしたので、何か表現せざるを得なかったのだと。
龍雲の詩の多くには、死とか輪廻転生とかをイメージさせるものがある。龍雲としては、意識してではないかもしれないが、常にあちら側のお母さん、友達と対話しているのではないか。私にはまだ母や親友がいてくれるのだが、龍雲の気持ちはおっさんになった今、わかるような気がする。
龍雲の明るい歌の代表は「道標ない旅」だが、これはおもしろいことに我が龍雲ファンの絆の歌になっている。どう若く見積もっても50代以上の人々の集まりなのだと思うが、そのおっさん、おばはんが龍雲のこの歌では表情も明るくなり、手拍子を始め、蚊の鳴くような暗い声で合唱するのだ。不気味だが、これが東京のファンの姿なのだ。いつの間にか、龍雲と私たちファンは、この歌で結ばれていることに気がつくのだった。
明るめの歌で私がどうしてもあげなければならないのは、「流れよ」だろう。これは、当時20歳そこそこの私が、生きる元気さえなくしていた時に龍雲が発表してくれたものだ。当時担当していた、オールナイトニッポンの2部の終わりによくかけてくれていた。その雰囲気がよくあっていて、私はとりこになってしまった。何も解決せず、「流れよ 僕に教えてくれないか 流れの果てには何が見えるというのか」と問いかけるだけなのだが、当時の私は非常に勇気づけられた。あの時、龍雲があの歌を発表してくれていなかったら、今の私は無いのでそういう意味でも忘れられない大切な歌だ。
龍雲自身も、ヒットの可能性が1パーセントでもあるのなら、がんばるんだと言っていたが、そのカギは「明るめの歌」だろう。しかも、それは作られた明るさではいけない。暗い歌ばかりの中で、ふっと気分転換でもしたかのように作る明るめの歌、そこから大ブレークするような気がする。龍雲あにきと会うのは4月以来だった。本当ならサイン会に出て一言でも話したかったのだが、用事があった。しばらくは、こういう付き合いを続けたいと思った。
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