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午前9時から午後6時までの時間をなんとか働き、仕事をするというのが人間がこれまで続けてきた仕事のスタイルだと思う。時間が前後したり、シフトしたりする違いはあるが、大差無いと見るべきだろう。「会社」と言えば、そういう勤務形態なのだ。
私がやっている会社も、そういう形態をとらざるを得なかったが、これは職業安定所の意向だ。時間を決めないと不当に長く働かせている、と受け取られるわけだ。真意は、自由にやって欲しいということであってもだ。私としては、そういうことにとらわれることなく、仕事をする人に優しい仕事場、仕事規則を目指したつもりだ。
しかし、パートナーに去られた今、何が悪かったのかを考えている。私の仕事というのは、基本的にコンピュータで扱う「文字」を対象にしている。COBOLプログラマーが、基本的に「数字」を相手に仕事をしているのと対照的ではある。そして、データベースにアクセスするという意味でネットワークプログラミングもやる。全文検索システムもやる。すべてフリーソフトで実現するのでソフトウエアにはお金はかからない。
このような仕事の場合、苦しいのは、うまく行かなかった場合だ。データベースの構築にしろ、プログラミングにしろ、教えてくれる人などいない。全部、自己責任でやることだ。フリーソフトを扱う以上、当然のことだ。ただ、このこと自体はさほど苦痛ではない。今では、ネットを調べるというたいへんありがたい手段もあるからだ。それよりも問題なのは、このような仕事を従来の仕事の型にはめることの空しさだ。
自分で勉強して創造する仕事に、サラリーマン・OL風の仕事環境、仕事時間は妥当だろうか。よく13年もやってきたと思えるほど今の形態には苦痛を感じるようになっている。パートナーの感じていた苦しみは、他ならぬ私の苦しみでもあった。それ故に何とかしたかったのだが、私にはアイデアが無かった。こんな経営者が飽きられるのも当然だった。
これまでのことはとにかく、では、これからはどうあるべきなのかを考えてみたいと思う。それは、「会社」であって会社の形態にこだわらないことだろうと思う。漫画家の生活を詳しく知るわけではないのだが、まさか彼らが出版社に勤務しているわけではないだろう。自分で会社を作っている人も多いだろうし、基本的に複数の出版社と「いい関係」で付き合っていることだろうと思う。
コンピュータを相手に仕事をする私たちも基本は、私の想像する「漫画家」のようであるべきだと思っている。事務作業ではなく、どうすれば見やすいか、調べやすいかを常に追求しているわけなので、気分転換が実に重要な作業なのだ。これまでの会社の型にはめては、とても仕事はできないのだ。無理にやろうとすると能率は上がらないし、最悪は、私がつい最近体験したようなことになるのだ。
私が付き合う会社が、今風の会社であればこんなことは説明の必要は無いのだが、大半は、ものすごく説明しても理解してもらえないことだろう。それほど、昔ながらの会社の形というのは定着している。そんな中、私の目指す会社組織では、社員を増やすことではなく、出版社と漫画家のような関係の「仲間」を増やすことかもしれない。私のやってきたことは、ほとんど全部がネットを介してできる仕事だ。打ち合わせなどは必要だと思うが、それにしても毎日、出勤する必要は全く無い。生活のリズムを作るという意味で出勤する日もあった方がいいというくらいだ。
私ならば、どんな生活スタイルがうれしいかというと、完全な在宅勤務だ。しかし、在宅で仕事をすることはあまりしないと思う。ノートパソコンを使える場所を求めてどこまでも「移動」することだろう。ちょうど、浪人時代、リズムを作るために図書館で勉強していたように。しかも、東京ならばモバイル環境は充実している。地下でやるのでない限り、ネットはほとんどの場所で使える。漫画喫茶でもファミレスでもどこでも利用するだろう。「気分転換」が大事なので日々、気分を変えるために最適な場所を求めて移動するだろうと思う。
そして、複数の会社と付き合いができれば、新たな交流も生まれ飽きが来ない。仕事も切れ間無くやらせてもらえることだろう。人恋しくなれば、何のかんの理由をつけて付き合いのある会社に押しかければいい。実は、今日、仕事を休んだのだが、休みの日に見る光景は実に珍しい。若い人とコンビニやスーパーで出会うことは無く、皆さん、必死に生きておられるお年寄りたちだ。おいしい総菜、弁当は無いかという感じで買い物をしているのをよく見かける。会社勤めではお目にかかれない光景を見られることも「在宅的」勤務の醍醐味ではないだろうか。これは、激しく気分転換させられるのだ。
私はお金が欲しいから仕事をしているわけではないということを前に書いた。これは、かまととではなくて事実だ。仮に私が、ウハウハ状態で金儲けができたとしても空しいと思うだろう。そうではなく、一人でも多くの人を仕事に引き込んで仲間となるということが目標なのだ。ネット、文字を相手にする仕事というのは、それだけたくさんの人の力が必要な仕事なのだ。基本は、「仲間」なので今の世の中のような「うつ」を生むような関係にはならない。ことによると長い時間をかけるにしても、私が目指すような会社組織こそ、これからの会社形態になるのかもしれない。
私がやっている会社も、そういう形態をとらざるを得なかったが、これは職業安定所の意向だ。時間を決めないと不当に長く働かせている、と受け取られるわけだ。真意は、自由にやって欲しいということであってもだ。私としては、そういうことにとらわれることなく、仕事をする人に優しい仕事場、仕事規則を目指したつもりだ。
しかし、パートナーに去られた今、何が悪かったのかを考えている。私の仕事というのは、基本的にコンピュータで扱う「文字」を対象にしている。COBOLプログラマーが、基本的に「数字」を相手に仕事をしているのと対照的ではある。そして、データベースにアクセスするという意味でネットワークプログラミングもやる。全文検索システムもやる。すべてフリーソフトで実現するのでソフトウエアにはお金はかからない。
このような仕事の場合、苦しいのは、うまく行かなかった場合だ。データベースの構築にしろ、プログラミングにしろ、教えてくれる人などいない。全部、自己責任でやることだ。フリーソフトを扱う以上、当然のことだ。ただ、このこと自体はさほど苦痛ではない。今では、ネットを調べるというたいへんありがたい手段もあるからだ。それよりも問題なのは、このような仕事を従来の仕事の型にはめることの空しさだ。
自分で勉強して創造する仕事に、サラリーマン・OL風の仕事環境、仕事時間は妥当だろうか。よく13年もやってきたと思えるほど今の形態には苦痛を感じるようになっている。パートナーの感じていた苦しみは、他ならぬ私の苦しみでもあった。それ故に何とかしたかったのだが、私にはアイデアが無かった。こんな経営者が飽きられるのも当然だった。
これまでのことはとにかく、では、これからはどうあるべきなのかを考えてみたいと思う。それは、「会社」であって会社の形態にこだわらないことだろうと思う。漫画家の生活を詳しく知るわけではないのだが、まさか彼らが出版社に勤務しているわけではないだろう。自分で会社を作っている人も多いだろうし、基本的に複数の出版社と「いい関係」で付き合っていることだろうと思う。
コンピュータを相手に仕事をする私たちも基本は、私の想像する「漫画家」のようであるべきだと思っている。事務作業ではなく、どうすれば見やすいか、調べやすいかを常に追求しているわけなので、気分転換が実に重要な作業なのだ。これまでの会社の型にはめては、とても仕事はできないのだ。無理にやろうとすると能率は上がらないし、最悪は、私がつい最近体験したようなことになるのだ。
私が付き合う会社が、今風の会社であればこんなことは説明の必要は無いのだが、大半は、ものすごく説明しても理解してもらえないことだろう。それほど、昔ながらの会社の形というのは定着している。そんな中、私の目指す会社組織では、社員を増やすことではなく、出版社と漫画家のような関係の「仲間」を増やすことかもしれない。私のやってきたことは、ほとんど全部がネットを介してできる仕事だ。打ち合わせなどは必要だと思うが、それにしても毎日、出勤する必要は全く無い。生活のリズムを作るという意味で出勤する日もあった方がいいというくらいだ。
私ならば、どんな生活スタイルがうれしいかというと、完全な在宅勤務だ。しかし、在宅で仕事をすることはあまりしないと思う。ノートパソコンを使える場所を求めてどこまでも「移動」することだろう。ちょうど、浪人時代、リズムを作るために図書館で勉強していたように。しかも、東京ならばモバイル環境は充実している。地下でやるのでない限り、ネットはほとんどの場所で使える。漫画喫茶でもファミレスでもどこでも利用するだろう。「気分転換」が大事なので日々、気分を変えるために最適な場所を求めて移動するだろうと思う。
そして、複数の会社と付き合いができれば、新たな交流も生まれ飽きが来ない。仕事も切れ間無くやらせてもらえることだろう。人恋しくなれば、何のかんの理由をつけて付き合いのある会社に押しかければいい。実は、今日、仕事を休んだのだが、休みの日に見る光景は実に珍しい。若い人とコンビニやスーパーで出会うことは無く、皆さん、必死に生きておられるお年寄りたちだ。おいしい総菜、弁当は無いかという感じで買い物をしているのをよく見かける。会社勤めではお目にかかれない光景を見られることも「在宅的」勤務の醍醐味ではないだろうか。これは、激しく気分転換させられるのだ。
私はお金が欲しいから仕事をしているわけではないということを前に書いた。これは、かまととではなくて事実だ。仮に私が、ウハウハ状態で金儲けができたとしても空しいと思うだろう。そうではなく、一人でも多くの人を仕事に引き込んで仲間となるということが目標なのだ。ネット、文字を相手にする仕事というのは、それだけたくさんの人の力が必要な仕事なのだ。基本は、「仲間」なので今の世の中のような「うつ」を生むような関係にはならない。ことによると長い時間をかけるにしても、私が目指すような会社組織こそ、これからの会社形態になるのかもしれない。
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