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朝から墓参りのための花を買いにでかけた。この外出だけで疲れてしまったのか、お袋は墓参りには行かなかった。これまでも三月はよく一人で行ったもんだった。掃除をして花をいけていて思ったのは故人のこと。ばあさん、じいさん、親父、病院で亡くなったのではあるが、まだ死にたくはなかったろうにと思った。生前と死の直前を思い出し、泣けてきた。墓参りには、こういう効果があるのだろう。

私は、もっとじいさんには感謝して生きるべきだった。命の恩人でもあるし、結構な大人になるまで生きていてくれたのだから。80近くになり、やけっぱちなところが出てきて毛嫌いしてしまった感がある。もう少し、私が関心をもってあげればもっと長生きしていてくれたかもしれない。若くして隠居したり、仕事が続かなかったり、私と似た境遇で生きてきたじいさんだったが、私が二歳になる前に彼方に行くことを体を張って救ってくれたことでチャラだと言えるだろう。現実にそれまでじいさんをうとましく思っていた母が、じいさんに感謝して生きるようになったという。

私の、思いも寄らない冷たい部分は、その後の私の人生にも暗い影を落としていた。女に人気が無いのもそんなところにあると自分では分析している。自分が冷たくしてやろうと思ってのことではないだけに悔悟の思いは大きい。顔がヤバイということもあるのだが、これは温かい心があればいつかは認められたことだろう。実際、自分でも自分の顔を見てヤバイと思う。とても仲良くなりたい気持ちはしない。声もはっきりせず、マイナスに働いた。これはICレコーダーで最近理解したことだが、私の声はウジウジしていて私にもわかりにくい声だったのだ。自分には骨伝導で聞こえるので常にクリアだったわけだ。

私にも熱い血が通っていることを感じたのは親父の死だった。わずか二ヶ月の闘病生活で逝ってしまったのでよけいに衝撃は大きかった。親父もまだまだ楽しみたいことは山のようにあったと思うのだが、定年からわずか一年後に強制的に人生を終わらされるはめになった。まだ、ベッドの上に起き上がれる頃に、わしらのためにこんな病気になってしもうてゴメンな、と言うと激しく嗚咽していた。決して仲のいい親子ではなかったのだが、病床での二ヶ月は非常に濃密な時間だった。ばあさんや、じいさんの死に際しても悲しみとか涙が無かった冷たい私だったが、親父のときには泣けた。それまではうるさかった私の子供時代を語る人がいなくなるのだから。

さて、私も今週末には東京に復帰して危ない生活を開始しなければならないと思う。原発の状況は良くなっているということだが、例によって嘘っぱちかもしれない。そんなに悪い状況でなければ当然、会社からも連絡があるだろうと思う。東京だと何らかの放射能汚染は避けられないと思うが、こんな危険なものを許した政治とか社会を変えて次の世代にバトンタッチする責任がある。そして私には小さくとも発展させなければならない会社がある。首都移転しても会社は東京のままだと思うが、何らかの変化があればうれしい。
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