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中学時代の忘年会を年末にやった時の話。そんなに親しくしたわけでもないクラスメートが今でも私の高校入学の時のことを覚えているのが驚異的だと思った。私の事などがニュースだったのだろうか。私は、高校受験で通常では進学できない学区の高校を志望し、合格したのだった。いとこも進学しており岡山では有名な進学校だった。
その高校では5%枠というのがあり、学区外から採用するという方針だった。私は、親のすすめるままに志望し受験した。受験の前に、その5%枠に選ばれなければ進学できない。通常の学区の高校に行くわけだ。私の今の運勢ならば、まんまとハズレのような感じだが、当時はついていたのか選ばれた。しかし、これは兄貴が既に通学していたからではないかと思う。高校から見れば、兄弟ならば同じような環境で育っているので大学進学にも同様な能力を発揮してくれると思ったことだろう。
高校の目論見はもろくもはずれ、私は三年後には高校のお荷物となる。伝説までにはなりきれなかったが、四浪という普通では考えられない経歴を作ってしまったのだった。私の育った田舎では、そういう続編まで噂になったのだろうか。確かに私にとっては、それはもうつらいドラマだったのだが、他人にはおもろいお話になるだろう。大学受験は、一種の魔物であり、成績が良ければ合格というわけには行かない。私の場合は、成績も良くなく、一瞬に賭ける心意気も欠いていたように思う。
もちろん、勉強には興味あったが、その前の受験勉強というものに興味が無くなった。受験に際してあまり、深追いは禁物なのだが、追ってしまったのだった。最後の方になると、一体何のための時間なのか自分でもわからくなっていたように思う。大学受験がどういう意味の資格を問うているのか、疑問に思うようになっていった。問題は、これからなのだ。自分は、疑問を持っても社会は疑問など持たない。依然として受験体制は続く。そして、何年浪人しようが合格できる保証などないのだ。
どうしても合格したければ、科目の少ない大学に絞り、受験問題に体を慣らすことだったろう。しかし、経済的にも私立は無理で国立となると科目は多いし、とても競争に勝てる能力を身に付けるには時間が限られていた。恩師のすすめで一時は、私立も受けた時代もあったが、京都産業大学にもけられる始末で、どこの大学を受けても無理だったように思う。私立に行っていれば、浪人時代以上に親に金を使わせることになっていたので受からなかったことはむしろ幸運だった、とさえ言える。
私がこだわったのは、大学でなにをするかということであり、合格するという目的で受験していたわけではなかった。だから、傍目からは奇妙に見えるかもしれないが、私は大学受験でも研究していたのだった。ただ、今の受験体制では、いかに志願者を絞るかであって、大学受験のあり方を是認した上での事務処理であるわけなので私のような浮き世離れした受験動機では、どうしても不合格という結果しか出ないのだった。ノーベル賞のような審査があれば、合格もあり得ただろうが、それは今に至るまで無い物ねだりだった。
その高校では5%枠というのがあり、学区外から採用するという方針だった。私は、親のすすめるままに志望し受験した。受験の前に、その5%枠に選ばれなければ進学できない。通常の学区の高校に行くわけだ。私の今の運勢ならば、まんまとハズレのような感じだが、当時はついていたのか選ばれた。しかし、これは兄貴が既に通学していたからではないかと思う。高校から見れば、兄弟ならば同じような環境で育っているので大学進学にも同様な能力を発揮してくれると思ったことだろう。
高校の目論見はもろくもはずれ、私は三年後には高校のお荷物となる。伝説までにはなりきれなかったが、四浪という普通では考えられない経歴を作ってしまったのだった。私の育った田舎では、そういう続編まで噂になったのだろうか。確かに私にとっては、それはもうつらいドラマだったのだが、他人にはおもろいお話になるだろう。大学受験は、一種の魔物であり、成績が良ければ合格というわけには行かない。私の場合は、成績も良くなく、一瞬に賭ける心意気も欠いていたように思う。
もちろん、勉強には興味あったが、その前の受験勉強というものに興味が無くなった。受験に際してあまり、深追いは禁物なのだが、追ってしまったのだった。最後の方になると、一体何のための時間なのか自分でもわからくなっていたように思う。大学受験がどういう意味の資格を問うているのか、疑問に思うようになっていった。問題は、これからなのだ。自分は、疑問を持っても社会は疑問など持たない。依然として受験体制は続く。そして、何年浪人しようが合格できる保証などないのだ。
どうしても合格したければ、科目の少ない大学に絞り、受験問題に体を慣らすことだったろう。しかし、経済的にも私立は無理で国立となると科目は多いし、とても競争に勝てる能力を身に付けるには時間が限られていた。恩師のすすめで一時は、私立も受けた時代もあったが、京都産業大学にもけられる始末で、どこの大学を受けても無理だったように思う。私立に行っていれば、浪人時代以上に親に金を使わせることになっていたので受からなかったことはむしろ幸運だった、とさえ言える。
私がこだわったのは、大学でなにをするかということであり、合格するという目的で受験していたわけではなかった。だから、傍目からは奇妙に見えるかもしれないが、私は大学受験でも研究していたのだった。ただ、今の受験体制では、いかに志願者を絞るかであって、大学受験のあり方を是認した上での事務処理であるわけなので私のような浮き世離れした受験動機では、どうしても不合格という結果しか出ないのだった。ノーベル賞のような審査があれば、合格もあり得ただろうが、それは今に至るまで無い物ねだりだった。
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