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紅白で盛り上げて売りたいためか、ラジオでも「トイレの神様」がよく流れている。きのう、初めてじっくりと歌詞をかみしめながら聴いてみたら、不覚にも泣けてしまった。私の場合はじいさんなのだが、死の直前までやさしくしてあげたのかというと、まったくそんなことはなかった。冷たい仕打ちとかも無いのだが、悔やまれるのは「無関心」だろう。私は浪人していて、それどころではなかったかもしれないが受験だけがすべてではないだろうに。
しかし、今、悔恨の情を懺悔してみたところでじいさんは生き返ってこないのだ。自らの愚かさを反省する他ない。お袋は、よくじいさんがテレビをつけたまま庭いじりをしたりしていたのをとがめていたという。そして、今、自分が老いてみて気持ちがわかるだけにあんなことは言うべきではなかったと後悔している。年をとると、テレビが友達でついているだけで落ち着くらしい。それが年老いてみないとわからないのだ。
私としては、どうしようもないことを悔いても仕方ないので何か社会に貢献することでじいさんも含めて謝りたいと思っている。何かとは皆が喜ぶことなのだが、具体的にはわからない。自分の仕事を通じてできることもあろうし、何か文章を書くことでできることがあるかもしれない。自分がかつて命を助けてもらったじいさんにさえ無関心であったほど愛の無い人間だということを自覚して生きることが重要だと思う。
しかし、今、悔恨の情を懺悔してみたところでじいさんは生き返ってこないのだ。自らの愚かさを反省する他ない。お袋は、よくじいさんがテレビをつけたまま庭いじりをしたりしていたのをとがめていたという。そして、今、自分が老いてみて気持ちがわかるだけにあんなことは言うべきではなかったと後悔している。年をとると、テレビが友達でついているだけで落ち着くらしい。それが年老いてみないとわからないのだ。
私としては、どうしようもないことを悔いても仕方ないので何か社会に貢献することでじいさんも含めて謝りたいと思っている。何かとは皆が喜ぶことなのだが、具体的にはわからない。自分の仕事を通じてできることもあろうし、何か文章を書くことでできることがあるかもしれない。自分がかつて命を助けてもらったじいさんにさえ無関心であったほど愛の無い人間だということを自覚して生きることが重要だと思う。
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