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田舎に帰って、買い物に出かけている途中で目にとまるのが「家」だ。今の私ではとてもかなわない夢だが、一軒家にみとれてしまう。しばらくの間だけだろうが、今の私のゴミ屋敷の荷物もすべて運び込むことができるだろうにと思ったりする。
家があったところでどうなるものでもない。実際には、大きな借金を抱えて買うことにしかならないので借金とか仕事とかを考慮しつつ不安の中で生きて行くことに変わりはない。家を持ったから安定とはならない。この世の中が永遠に不定ではない以上、いつまで経っても不安なのだ。まさに無常なのだ。
今回、新居を選ぶにあたって「ついの住まい」という思いだったが、急な判断だったため、「また探しゃーええわ。」となった。一方で「これで最後」的な発想では必ず行き詰まるということに気がついたということでもあった。いい場所があれば、いつでもどこでも行くという柔軟な発想でなければならないと悟った。
ずっと東京にいると精神的にも追いつめられたと思うが、たまたまお彼岸で帰ることが決まっていただけに帰ってきたのだが、ちょうどいいタイミングだったと思う。実際には本当に苦しむと思うが、帰ってからは、待ったなしの引っ越し作業を進めるだけだ。ずっといるのと異なるのは、こうすればいいのではとかこうかわせばいいのではというアイデアが生まれてくるということ。無駄なようで当面の問題から離れることはむしろいいことなのだ。
新居に対する期待は大きい。ゴミ屋敷化しないよう努力するつもりだ。早い段階で親友や友人を呼びたいと思っている。帰ったら、もっとも時間がかかると思われる、ゴミの整理を進めたい。普段使わないものは、たぶんゴミでいいのだろうと思う。しばらくはシンドイが9月にも終わらせる勢いでやるつもりだ。
家があったところでどうなるものでもない。実際には、大きな借金を抱えて買うことにしかならないので借金とか仕事とかを考慮しつつ不安の中で生きて行くことに変わりはない。家を持ったから安定とはならない。この世の中が永遠に不定ではない以上、いつまで経っても不安なのだ。まさに無常なのだ。
今回、新居を選ぶにあたって「ついの住まい」という思いだったが、急な判断だったため、「また探しゃーええわ。」となった。一方で「これで最後」的な発想では必ず行き詰まるということに気がついたということでもあった。いい場所があれば、いつでもどこでも行くという柔軟な発想でなければならないと悟った。
ずっと東京にいると精神的にも追いつめられたと思うが、たまたまお彼岸で帰ることが決まっていただけに帰ってきたのだが、ちょうどいいタイミングだったと思う。実際には本当に苦しむと思うが、帰ってからは、待ったなしの引っ越し作業を進めるだけだ。ずっといるのと異なるのは、こうすればいいのではとかこうかわせばいいのではというアイデアが生まれてくるということ。無駄なようで当面の問題から離れることはむしろいいことなのだ。
新居に対する期待は大きい。ゴミ屋敷化しないよう努力するつもりだ。早い段階で親友や友人を呼びたいと思っている。帰ったら、もっとも時間がかかると思われる、ゴミの整理を進めたい。普段使わないものは、たぶんゴミでいいのだろうと思う。しばらくはシンドイが9月にも終わらせる勢いでやるつもりだ。
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