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昨夜、さんまのヤンタンを聞いていたのだが、さんまも結婚が心落ち着くものではなかったようだ。しのぶと愛し合っての結果なのだと思うが、毎日一緒となるとお互いに「いたわり」の気持ちも薄らいでくる。さんまは、プール(子どもの?)の話をしていた。夕立が来そうなので自分はプールをしまっていたのだそうだ。そこへ、しのぶの「蚊が入るから閉めてよ!」の容赦ない言葉。さんまは思わずキレたのだという。「なんやて、もっぺん言うてみい。」という感じで。
とても、結婚できるような関係ではないように思えるが、これも、一緒に暮らすことでしかわからなかったことなのだろう。私が母から聞いた、「結婚」とは「ガマンすること」だという。基本は、愛情なのだが、一緒に暮らしているとなかなか合わない部分も出てくる。その際に、「じゃ、別れましょう。」と言うのか、ガマンするのかの違いだ。現在では、別れよう派が増えてきているようだ。
私の少ない友人関係でも本当にそれは言える。女の扱いには慣れていると思う、親友でさえ、離婚している。多くの場合、男の鈍感さにあるようだが、私も鈍感さは自慢できるくらいなので、もしも結婚でもしたら、訳もわからず離婚されてしまうという厳しい結末があるかもしれない。結婚とは、ただの愛情だけでは成り立たず、やはり、子どもを育てるということとセットではないかと思うようになった。
しかも、子どもを育てるということが「喜び」だと思える者のみに許されることではないか。多くの人々には子育てがけっこう苦痛なので、子育ての過程で、またぞろいがみ合いが生じたりするのだろう。そして、仕事も絡み合ってくる。金のためには、嫌な相手にも頭を下げなければならないような状況も出てくる。誰しもそうだと思うが、完全に「強気」だけでは生きられないものだ。
私は、結婚したことがないのだが、嫁さんとのいい関係とはどんなものなのかは考えたことがある。私自身は、合わすことはできないので最初から諦めている。「合わしてあげている」ことが相手に丸見えなのだそうだ。私が悪意を持っているなら仕方ないが、善意でそうしている場合も「丸見え」なのであれば、やる意味も無いのではないかと思っている。私は、私で「変わっている」ことがわかれば十分だと思えるようになってきた。それなりに、変人の嫁さんしか難しそうだ。
私が、この歳から子どもを育てるということが前提の結婚に踏み切れるかどうかは難しい。私にはその気があってもなかなか現実にはよほどの「おっさん好き」の女でもいない限り難しいのだ。しかも、子どもが本当の意味でひとりだちできるまで生きているかどうかもわからないのだ。そういうことが、「何とかなる」と思うような女はいるだろうか。あまりに、現実的に考えると何もできない。私としては、自由に生きたいという条件があるだけだ。そうしなければ、私の能力は発揮できないのだ。その、自由が多くの場合、徒になることが多いのだろうということもわかっている。
とても、結婚できるような関係ではないように思えるが、これも、一緒に暮らすことでしかわからなかったことなのだろう。私が母から聞いた、「結婚」とは「ガマンすること」だという。基本は、愛情なのだが、一緒に暮らしているとなかなか合わない部分も出てくる。その際に、「じゃ、別れましょう。」と言うのか、ガマンするのかの違いだ。現在では、別れよう派が増えてきているようだ。
私の少ない友人関係でも本当にそれは言える。女の扱いには慣れていると思う、親友でさえ、離婚している。多くの場合、男の鈍感さにあるようだが、私も鈍感さは自慢できるくらいなので、もしも結婚でもしたら、訳もわからず離婚されてしまうという厳しい結末があるかもしれない。結婚とは、ただの愛情だけでは成り立たず、やはり、子どもを育てるということとセットではないかと思うようになった。
しかも、子どもを育てるということが「喜び」だと思える者のみに許されることではないか。多くの人々には子育てがけっこう苦痛なので、子育ての過程で、またぞろいがみ合いが生じたりするのだろう。そして、仕事も絡み合ってくる。金のためには、嫌な相手にも頭を下げなければならないような状況も出てくる。誰しもそうだと思うが、完全に「強気」だけでは生きられないものだ。
私は、結婚したことがないのだが、嫁さんとのいい関係とはどんなものなのかは考えたことがある。私自身は、合わすことはできないので最初から諦めている。「合わしてあげている」ことが相手に丸見えなのだそうだ。私が悪意を持っているなら仕方ないが、善意でそうしている場合も「丸見え」なのであれば、やる意味も無いのではないかと思っている。私は、私で「変わっている」ことがわかれば十分だと思えるようになってきた。それなりに、変人の嫁さんしか難しそうだ。
私が、この歳から子どもを育てるということが前提の結婚に踏み切れるかどうかは難しい。私にはその気があってもなかなか現実にはよほどの「おっさん好き」の女でもいない限り難しいのだ。しかも、子どもが本当の意味でひとりだちできるまで生きているかどうかもわからないのだ。そういうことが、「何とかなる」と思うような女はいるだろうか。あまりに、現実的に考えると何もできない。私としては、自由に生きたいという条件があるだけだ。そうしなければ、私の能力は発揮できないのだ。その、自由が多くの場合、徒になることが多いのだろうということもわかっている。
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