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岡山でしばらく暮らしていると、当然のことながら、例の暗い過去を思い出す。私は、この地で4浪までがんばってみたのだが、大学へは行けなかった。2浪、3浪の過程での「あせり」感といったら、尋常ではなかった。全国へ散らばった同級生たちへの嫉妬、敵愾心、取り残された感、それは激しいものがあった。
時代は、まだまだ希望の持てる1970年代末期だった。私が、また、並はずれた負けず嫌いのこともあって、自分が大学に行けず、浪人しているという状態事態がどれだけ苦しいことだったか。だが、大学へは単なるクソ意地では行けない。それなりの要領の良さが勝負なのだった。その意味では、私の完敗は、最初から決まっていたようなものだった。
2浪の時、恩師のすすめもあって私立大学も受験するのだが、全部不合格だった。受験用にGパンとかの着る物を買いに行った店は、もう無い。私が高校時代に闊歩した商店街は、もう何年も前からシャッター通りとなっている。もう、あの頃のような勢いは復活することは無いようにも思える。
私の中で、すべてがあの1970年代後半の状態に戻って、やり直したいという願望があるのだと思う。負けず嫌いで、潔くない私は、「負け」を認めたくないのだ。反面、心の底で「おまえは負けたのだ」という誰かからの叫びがいつも聞こえているような気がする。あれから、30年近く、それに対する反発のみで生きてきたと思う。
今では「あせり」は感じていないものの、結婚もしていないという意味での新たな悩みも生まれている。私の浪人をあれだけ、口を極めて罵倒した兄貴が今では最大の理解者だ。「あいつには、出会いが無いだけなんじゃ。」とお袋には言っているようだ。もう、元には戻れない、進むしかないのだということを今更のように思い知らされる現状だ。
私には未来が無いのか、という問いには、自分次第という答えが可能だと思う。私が、いつまでも過去の汚点にこだわって生きるならば、未来はないし、きれいすっぱり忘れて未来にかけるというのであれば、それなりの成果が期待できるのではないか。もちろん、今の私はそれを目指しているのだが、時折、退行的な気分にひたることもあるということだ。
やはり、私に欠けているのは、「人を育てる」という視点だ。これをやらなければ、私に未来など無いと思っていい。自分の失敗を教訓に、いかに人を育てられるか、それがそのまま私の未来像となるのではないか。
時代は、まだまだ希望の持てる1970年代末期だった。私が、また、並はずれた負けず嫌いのこともあって、自分が大学に行けず、浪人しているという状態事態がどれだけ苦しいことだったか。だが、大学へは単なるクソ意地では行けない。それなりの要領の良さが勝負なのだった。その意味では、私の完敗は、最初から決まっていたようなものだった。
2浪の時、恩師のすすめもあって私立大学も受験するのだが、全部不合格だった。受験用にGパンとかの着る物を買いに行った店は、もう無い。私が高校時代に闊歩した商店街は、もう何年も前からシャッター通りとなっている。もう、あの頃のような勢いは復活することは無いようにも思える。
私の中で、すべてがあの1970年代後半の状態に戻って、やり直したいという願望があるのだと思う。負けず嫌いで、潔くない私は、「負け」を認めたくないのだ。反面、心の底で「おまえは負けたのだ」という誰かからの叫びがいつも聞こえているような気がする。あれから、30年近く、それに対する反発のみで生きてきたと思う。
今では「あせり」は感じていないものの、結婚もしていないという意味での新たな悩みも生まれている。私の浪人をあれだけ、口を極めて罵倒した兄貴が今では最大の理解者だ。「あいつには、出会いが無いだけなんじゃ。」とお袋には言っているようだ。もう、元には戻れない、進むしかないのだということを今更のように思い知らされる現状だ。
私には未来が無いのか、という問いには、自分次第という答えが可能だと思う。私が、いつまでも過去の汚点にこだわって生きるならば、未来はないし、きれいすっぱり忘れて未来にかけるというのであれば、それなりの成果が期待できるのではないか。もちろん、今の私はそれを目指しているのだが、時折、退行的な気分にひたることもあるということだ。
やはり、私に欠けているのは、「人を育てる」という視点だ。これをやらなければ、私に未来など無いと思っていい。自分の失敗を教訓に、いかに人を育てられるか、それがそのまま私の未来像となるのではないか。
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