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ついこの間まで、今年は5回くらい京都に行ったるでと思っていたのに、今は「ちょっと難しいナ」と思えるようになった。ともかく、7月までは仕事で首も回らない状況だ。それが終わっても、いろいろあって、本当に落ち着くのは秋以降になる。秋に京都へ行ければ最高なのだが、同じ事を想う人は多いらしく、いつも行くホテルでは、まず予約をとれない。もっとも、私は、観光地としての京都に行くわけではないので特に秋がいいということではない。仕事の状況、自分の体調を見ながら、チャンスを狙いたい。
いつも書くように、私にとっての京都は、20数年前に住んでいた頃、見逃した風景を再度確認するための場所。従って、観光地に行く必要も無く、おいしいものを食べる必要も無い。ただの通りを見て「こんなとこじゃったんか。」と確認するだけで感動する。ただ、さすがの京都も20数年前と同じとはいかないようだ。地下鉄は普通に通り、駅も変わった。北山通りも大きく変わった。むしろ、20数年前の京都は無いと言ってもいいくらいだが、それでも昔を探してしまう。
一乗寺の私が住んでいたアパートは、まだあった。今ならもう少しがっちりした所に住みたいが、当時はあれでも「夢のような住みか」だった。なにしろ、6年間もの間、「共同風呂、共同便所」のアパートだったから。きのう、ふっとあの時の四畳半のアパートの自室にタイムスリップしたような感覚を抱いていた。当時、私は生協の書籍部で働いていたのだが、同僚が遊びに来ることがよくあった。残念ながら、女一人ではなく、男と二人で来ていた。その彼女は、ゴミゴミして洗濯物がぶら下がる私の部屋が落ち着くのだと言っていた。
私がその気になっていたら、もしかするとその彼女と一緒になるとかという話もあったかもしれない。当時も今も、私には女を見る眼が無く、彼女とはそれっきりだ。近くのスーパーで見かけたことはあったが、再会には至らなかった。どちらかと言うとヤンキーのねえちゃん風になっていたので、そもそも私とは結ばれない運命だったかもしれない。私では物足りないのでは、という意味で。
彼女が書籍部にアルバイトとしてやってきた時には何かと楽しかった。棚卸しの手伝いもやってもらったりした。私は声をかけたことはなかったのだが、社交的な彼女を好む男は多く、けっこう声をかけられたようだ。私は鈍く、声をかけた男になんのためらいもなく「声かけたんやてなあ。」と聞くと「いや、かけてへんよ。」と否定していた。私がかまかけたと感じたのだろうか。こういう事実を隠したかったのだろうか。
私のアパートに来るようになったのは、その頃だったが、やはり彼女を気に入った他のアルバイトと一緒に来ていた。その彼は、結局、彼女にふられたみたいだった。彼女は、当時、21歳だったと思うが、人生を大いに楽しむタイプのようでとにかく男と接することを楽しんでいたように思う。この彼とも「友人として」つき合ったまでなのだろうが「しつこい」と語っていたのを覚えている。
その頃になると、なぜか、彼女がいる男と一緒に遊びに来ていた。その彼とは、書籍部に正職員として入ってきた男だった。私が、どうして彼女を連れてきたのかと聞くと、「いや、たまたま走っとったらおったんで拾うたんや。」としか言わないのだった。私も私で「ふ~ん」と説得されたのだった。彼女の方が私のアパートに来たくて彼に依頼したのだろうか。彼女は、好きになられるのは強かったが、好きになると弱かったのかもしれない。
その後、私は店長と折り合いが悪くなり、仕事を辞めるはめになった。彼女はかねがね、私が辞めたら自分も辞めると言っていた。あの年の夏に私は辞めたのだが、彼女も辞めたようだった。その後は、上記のようにスーパーで偶然出会うまで会うこともなかったので知らなかったのだ。退職の手続きをしに書籍部に出かけた時にたまたま聞いたのだった。私は、彼女が嫌いだったわけでもなく、在日だからといって差別していたわけでもない。そもそも私には民族差別意識など無い。要するに他に入れあげていた女の存在があった、というだけのことだった。
しかし、私が女に相手にされるはずもなく、生協を辞めると同時に連絡もできなくなり、在日の彼女とのつながりも無くなったのだった。結局、京都に出て数年だったが、せっかくできた友好の輪もこの時点ですべて消えてなくなった。もともとこうなる運命だったのかもしれないと思ったのは、この時ではなかったが、岡山に舞い戻り、そして東京に出てきてからだった。もう、今では「関係者」は皆、おじさん、おばさんで独身は私だけかもしれない。それぞれが、いろんな悩みを抱きつつ生きていると思う。
京都に行くと私は必ず一乗寺界隈を歩く。今でもこの在日の彼女とばったり会えるのではないかと思ったりしているわけだ。当時、私が入れあげていた女性にはなぜか会いたいという気持ちは無いのだ。彼女の勤めていた会社を検索してみたりもしたのだが、まさか今でも勤めているわけがないだろう。失ってから思うのだが、自分に好意的な異性というのは本当に愛しく思える。今でも解脱できたわけではないのだが、外見にこだわりすぎると本質的なものを見失うという痛い経験だったと思う。何も無かっただけに私の心の中で淡い恋愛物語になってしまっている。
いつも書くように、私にとっての京都は、20数年前に住んでいた頃、見逃した風景を再度確認するための場所。従って、観光地に行く必要も無く、おいしいものを食べる必要も無い。ただの通りを見て「こんなとこじゃったんか。」と確認するだけで感動する。ただ、さすがの京都も20数年前と同じとはいかないようだ。地下鉄は普通に通り、駅も変わった。北山通りも大きく変わった。むしろ、20数年前の京都は無いと言ってもいいくらいだが、それでも昔を探してしまう。
一乗寺の私が住んでいたアパートは、まだあった。今ならもう少しがっちりした所に住みたいが、当時はあれでも「夢のような住みか」だった。なにしろ、6年間もの間、「共同風呂、共同便所」のアパートだったから。きのう、ふっとあの時の四畳半のアパートの自室にタイムスリップしたような感覚を抱いていた。当時、私は生協の書籍部で働いていたのだが、同僚が遊びに来ることがよくあった。残念ながら、女一人ではなく、男と二人で来ていた。その彼女は、ゴミゴミして洗濯物がぶら下がる私の部屋が落ち着くのだと言っていた。
私がその気になっていたら、もしかするとその彼女と一緒になるとかという話もあったかもしれない。当時も今も、私には女を見る眼が無く、彼女とはそれっきりだ。近くのスーパーで見かけたことはあったが、再会には至らなかった。どちらかと言うとヤンキーのねえちゃん風になっていたので、そもそも私とは結ばれない運命だったかもしれない。私では物足りないのでは、という意味で。
彼女が書籍部にアルバイトとしてやってきた時には何かと楽しかった。棚卸しの手伝いもやってもらったりした。私は声をかけたことはなかったのだが、社交的な彼女を好む男は多く、けっこう声をかけられたようだ。私は鈍く、声をかけた男になんのためらいもなく「声かけたんやてなあ。」と聞くと「いや、かけてへんよ。」と否定していた。私がかまかけたと感じたのだろうか。こういう事実を隠したかったのだろうか。
私のアパートに来るようになったのは、その頃だったが、やはり彼女を気に入った他のアルバイトと一緒に来ていた。その彼は、結局、彼女にふられたみたいだった。彼女は、当時、21歳だったと思うが、人生を大いに楽しむタイプのようでとにかく男と接することを楽しんでいたように思う。この彼とも「友人として」つき合ったまでなのだろうが「しつこい」と語っていたのを覚えている。
その頃になると、なぜか、彼女がいる男と一緒に遊びに来ていた。その彼とは、書籍部に正職員として入ってきた男だった。私が、どうして彼女を連れてきたのかと聞くと、「いや、たまたま走っとったらおったんで拾うたんや。」としか言わないのだった。私も私で「ふ~ん」と説得されたのだった。彼女の方が私のアパートに来たくて彼に依頼したのだろうか。彼女は、好きになられるのは強かったが、好きになると弱かったのかもしれない。
その後、私は店長と折り合いが悪くなり、仕事を辞めるはめになった。彼女はかねがね、私が辞めたら自分も辞めると言っていた。あの年の夏に私は辞めたのだが、彼女も辞めたようだった。その後は、上記のようにスーパーで偶然出会うまで会うこともなかったので知らなかったのだ。退職の手続きをしに書籍部に出かけた時にたまたま聞いたのだった。私は、彼女が嫌いだったわけでもなく、在日だからといって差別していたわけでもない。そもそも私には民族差別意識など無い。要するに他に入れあげていた女の存在があった、というだけのことだった。
しかし、私が女に相手にされるはずもなく、生協を辞めると同時に連絡もできなくなり、在日の彼女とのつながりも無くなったのだった。結局、京都に出て数年だったが、せっかくできた友好の輪もこの時点ですべて消えてなくなった。もともとこうなる運命だったのかもしれないと思ったのは、この時ではなかったが、岡山に舞い戻り、そして東京に出てきてからだった。もう、今では「関係者」は皆、おじさん、おばさんで独身は私だけかもしれない。それぞれが、いろんな悩みを抱きつつ生きていると思う。
京都に行くと私は必ず一乗寺界隈を歩く。今でもこの在日の彼女とばったり会えるのではないかと思ったりしているわけだ。当時、私が入れあげていた女性にはなぜか会いたいという気持ちは無いのだ。彼女の勤めていた会社を検索してみたりもしたのだが、まさか今でも勤めているわけがないだろう。失ってから思うのだが、自分に好意的な異性というのは本当に愛しく思える。今でも解脱できたわけではないのだが、外見にこだわりすぎると本質的なものを見失うという痛い経験だったと思う。何も無かっただけに私の心の中で淡い恋愛物語になってしまっている。
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