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仕事柄、法律関係のipodアプリも購入してよく見る。最近購入した、三省堂の模範六法だが、「刑法」とか「商法」だけではなくいろんな法律が存在することに改めて驚く。その中に「学校教育法」というのもあるのを知って今さらのように驚いた。大学のあり方についていろいろと細かく規定してあるのだ。
これを見ると、要するに大学を改革するといっても現存するこういう法律を細かく見ていかないとガチガチでどうにもならないということなのだろうと思う。私が過去、菅直人氏に思いつきで「大学はこうあるべきだ!」と言ったところで何の反応も無かったことがわかるような気がする。
つまり、こういう法律を決めてきた直接の担当は、公務員だろうから、連中の有利になるようにしか作られないということ。今、その公務員の利益代表として大暴れしている検察が、「この国のトップは、試験の成績がいいやつがなるのだ。」と主張しているのがわかるような気がする。
彼らが、トップのうちは、この国も決して良くならないような気がする。ここは、時間がかかっても公務員から権力を剥奪して行くことしかないように思う。この国は、公務員とマスコミがお互いに補完し合って権力を構成して来たようだ。検察、マスコミが現在も断末魔の叫びをしつつ暴走しているのも意味あってのことなのだ。
前にも書いたように、成績の良いことはけっこうなことなのだが、「世界に通用しない」ということがいただけないことなのだ。成績が良くとも思考力が無ければ、確かに世界どころか、この国でも通用しない。合理的に考えることができなければ、世界に出る前にこの国の社会でも通用しない。マスコミや検察は、それでもおれたちが支配者なのだと連日のようにわめいているわけだ。しかし、それでは確実に早晩、この国は滅亡する。
成績が良くて思考力の無いバカな公務員は未来が無いのか?そんなことはないだろう。バカはバカなりに自己を見つめれば生きる道は残っている。ただ、支配者としての位置は、あまりにも不釣り合いだというだけのことだ。何も考えなくてもいい仕事、一定のことだけをすればいい仕事に配置転換すればいいだけのことだ。しかも、景気によって給与が変動するしくみとか、すぐには「正職員」にはなれないとか、いつでも免職可能なしくみを導入することでその仕事ぶりは変わってくるだろう。
方向というのが決められたらいいと思うのだが、それは不可能なのだろうか。つまり、この国では何でも「やる気」というものが生かされるようには決められていないような気がするからだ。「やる気」というのは、目に見えないので仕方ないかもしれないが、現実にはこの「やる気」が大きく仕事の質を左右している。学問についても同じことが言える。
やる気を元に大学のあり方を決めると、高卒、あるいは、それに準ずる成績があれば大学へ進学できるとする。学部・学科の選択は自由で制限を設けてはいけないものとする。研究期間も自由で何年大学に通うことも可能で、一度中断して再度戻ることも、大学間を自由に行き来することも可能。ただし、何年大学に通っても「資格」が与えられることは無い。自分の実力は、自分で証明しなくてはならないものとする。これならば、世界に通用するのではないか。そして、こういう法律が六法に載るようでなければ進歩は無いのだろうと思う。
これを見ると、要するに大学を改革するといっても現存するこういう法律を細かく見ていかないとガチガチでどうにもならないということなのだろうと思う。私が過去、菅直人氏に思いつきで「大学はこうあるべきだ!」と言ったところで何の反応も無かったことがわかるような気がする。
つまり、こういう法律を決めてきた直接の担当は、公務員だろうから、連中の有利になるようにしか作られないということ。今、その公務員の利益代表として大暴れしている検察が、「この国のトップは、試験の成績がいいやつがなるのだ。」と主張しているのがわかるような気がする。
彼らが、トップのうちは、この国も決して良くならないような気がする。ここは、時間がかかっても公務員から権力を剥奪して行くことしかないように思う。この国は、公務員とマスコミがお互いに補完し合って権力を構成して来たようだ。検察、マスコミが現在も断末魔の叫びをしつつ暴走しているのも意味あってのことなのだ。
前にも書いたように、成績の良いことはけっこうなことなのだが、「世界に通用しない」ということがいただけないことなのだ。成績が良くとも思考力が無ければ、確かに世界どころか、この国でも通用しない。合理的に考えることができなければ、世界に出る前にこの国の社会でも通用しない。マスコミや検察は、それでもおれたちが支配者なのだと連日のようにわめいているわけだ。しかし、それでは確実に早晩、この国は滅亡する。
成績が良くて思考力の無いバカな公務員は未来が無いのか?そんなことはないだろう。バカはバカなりに自己を見つめれば生きる道は残っている。ただ、支配者としての位置は、あまりにも不釣り合いだというだけのことだ。何も考えなくてもいい仕事、一定のことだけをすればいい仕事に配置転換すればいいだけのことだ。しかも、景気によって給与が変動するしくみとか、すぐには「正職員」にはなれないとか、いつでも免職可能なしくみを導入することでその仕事ぶりは変わってくるだろう。
方向というのが決められたらいいと思うのだが、それは不可能なのだろうか。つまり、この国では何でも「やる気」というものが生かされるようには決められていないような気がするからだ。「やる気」というのは、目に見えないので仕方ないかもしれないが、現実にはこの「やる気」が大きく仕事の質を左右している。学問についても同じことが言える。
やる気を元に大学のあり方を決めると、高卒、あるいは、それに準ずる成績があれば大学へ進学できるとする。学部・学科の選択は自由で制限を設けてはいけないものとする。研究期間も自由で何年大学に通うことも可能で、一度中断して再度戻ることも、大学間を自由に行き来することも可能。ただし、何年大学に通っても「資格」が与えられることは無い。自分の実力は、自分で証明しなくてはならないものとする。これならば、世界に通用するのではないか。そして、こういう法律が六法に載るようでなければ進歩は無いのだろうと思う。
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