忍者ブログ
知りうる限りの情報をとにかく書く
Admin  +   Write
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

午後1時頃、京都に着いた。去年の5月以来だ。東京よりは少し寒い感じだ。京都駅は、相変わらず観光客であふれかえっている。私も負けじと、カメラを首からぶら下げて京都駅を闊歩した。

どこへ行くでもなく、何かおいしいものを食べに行くでもなく、何がおもしろいのかと言われることがあるのだが、20数年前とは決定的に異なることがある。それは、私がプータローではないということ。京都時代の私は、常に失職の恐怖におびえていた。今はどうかというと、東京に帰ればの話だが仕事がある。つまるところ、余裕をこいているわけだ。そんな私にしてみれば、京都にいるだけで贅沢な話なのだ。

いつもの部屋と違い、大文字山の見える方角なので気分も少し変わったものになる。西向きの部屋の方が暗くて好きなのだが、こういう変化もおもしろいと思う。20年前の風景とは違うのだろうが、この街の下をうごめいていたのかと思ってしまう。当時は、ホテルに泊まることなどできはしなかったし、そんな気分にさえなれなかったもんだ。なにしろ、10円を集めることがうれしいくらいの生活だったのだから。

さっき、その「下界」を歩いてきた。2月といえば、京都時代を思い出してみても、なかなかに厳しい季節だったはずだ。月々の電気代も苦しかったのに、電気ストーブでしか暖房をとれなかった。移動手段は、何年間も自転車のみだった。とにかく、冬は厳しい季節だったと思う。比叡山を見上げると今にも雪が降りそうな雲で被われている。冬は、そんなイメージだった。今日、改めてその光景を見て、呑気にも「懐かしい」と思ってしまった。もちろん、余裕をコイテいるのは、私とかお気楽な観光客だけで、ほとんどの京都人は目の色を変えて「今」を生きている。

当時も今もだが、私にも仕事があればと思った。京都でも私ができる仕事もあったはずだと思うが、どういうわけか回ってこなかった。それはつまり、「受け入れない」という京都の企業のせいなのだろうか。少なくとも、10数年前の東京には、どこの馬の骨かもわからない人間でもやる気があれば、「とりあえず使ってみる」という気風があった。私に学歴とか経験が無いとかいう以前の問題のような気がする。

京都は、あれから「再生」したのだろうか。新しい店ができたりしているのを見る限りでは、「発展」しているのだろうと思う。ホテルの近くにあるスーパーには、他府県から来たと思われる屋台での販売も始めていた。いくら観光客相手とはいえ、「楽器店」なんかつくってどうすると思って見ていた楽器店もつぶれるどころか、規模が大きくなっているような気がした。ご丁寧にも、私の所望する「三線」も置いてあった。

たまに遊びに来るぶんにはやさしい街なのだが、そこで生活するとなるとたちまち牙を剥いてくる、私にとって京都とはそんな街だった。それでも過去7年間ではあったが、離れようとはしなかった。特に遊んだこともない日々だった。学生街で学生らしき人間たちがいる中で学生気分を味わった期間でもあった。京都人から見れば、「何で京都に来てはるんかな?」という思いではなかっただろうか。

昔は、なんとか学生になって生きてみたいという思いだったが、今では、なんとか私でも学生になれる世の中を作ってまた京都に来ようという思いが強い。しかし、それはいつになることやら。今でも仕事は盤石とは言えないのだから、生活を気にせずに研究生活が送れる日など永遠に来ないとも言える。いや、その可能性の方が高いのだ。いつも書くように、ほとんど不可能な目標であればあるほど闘志がわいてくるのだ。

PR
Comment
color
name
subject
mail
url
comment
pass   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
TrackBack
トラックバックURL  :  
≪ 花粉   *HOME*   タバコ ≫
カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新コメント
[02/19 管理人]
[02/19 ゆん]
[05/27 管理人]
[05/26 すだれ]
[05/24 管理人]
最新記事
最新トラックバック
プロフィール
HN:
papillon234
性別:
男性
バーコード
ブログ内検索
カウンター
お天気情報
アクセス解析
material by bee  /  web*citron
忍者ブログ [PR]