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私がクビをつっこむことではないのかもしれないが、喫煙という問題にも乗り出さなければならないかもしれない。
タバコは、コーヒーなどとは違い、ニコチンの離脱症状を抑えるため、という以外に摂取する理由が無い。メリットは無いと言ってもいいくらいなのだ。しかし、現段階でも止められない人がかなりいるし、若者でも狂ったように吸っているのをよく見かける。「うつ」で悩む人の中にもタバコを必需品としている人がいることを知った。ある意味、抗うつ薬よりも重要な「薬」なのだという。
ニコチンの離脱症状は、30分おきに来る。イライラしてくるというのが主な症状らしい。つまり、イライラするからタバコを吸うのではなくて、ニコチンの血中濃度が薄まってくるのでイライラするわけだ。そこで気になったので仕事場でタバコを吸う人に聞いてみると、やはりそうだという。中には、離脱症状を抑えるためにニコチンガムを噛んでいるという人もいた。確かに、これで抑えることができるみたいだが、ニコチンを摂取していることに変わりは無い。タバコと比較して危険度はどうなのかということになるが、素人判断では差はないように思える。
この国では、どう考えているのかといえば、やはり健康に対する害が大きいので、「禁止」したいのは山々だが、強制的にやることのデメリットを考えて、しばらくは値段を少しずつ上げるという作戦で来るのだろうと思う。禁断症状がたくさん出てくると社会不安を引き起こしかねないし、その方がむしろ恐いと考えていると思う。
タバコを止めるためには、違法薬物を止めるような覚悟が必要だと思う。合法な嗜好品を泣く泣く止めるという意識ではまず無理だと思う。何人かの人に聞き取り調査をしてみてわかったのは、本人たちも止めたいと思っているらしいということ。しかし、やめられないのだ。それほどに、ニコチンの離脱症状も強烈だということだ。本では、向精神薬を止めることよりもやさしいと書かれてあったが、そうでもなさそうだ。個人差も大きいだろう。
私としては、ストレスの管理をしながらでないと、タバコを止めた結果、ガンになるということもあり得ないことではないと思う。なぜ吸うのかということを考えた場合、それは、ストレス解消に他ならない。このストレスの解消を無視して、強引に止めることだけを強行しても問題解決にはならないと思うのだ。
私も以前は、タバコを吸っているだけで「ああ、終わった人ね」と突き放していたのだが、そうも言えなくなった。本人は止めたいと真剣に思っているようだから。タバコの場合は、薬と違い、好奇心がその吸い始めのきっかけかもしれない。好奇心だけであるならば、何とか止められそうだが、その後に「落ち着く」という実感を味わったならば、なかなか止められないだろうと思う。向精神薬では、とにかく「飲んだきっかけ」というのが大事だ。そのきっかけが、他人にもわかるものであるならば、薬は必要ない。
タバコも同じように行きたいところではあるが、面白半分で始めたということになると、そもそもきっかけは無いに等しいということになるので難しいのではと思うのだ。ニコチンの入ったガムとかシールを貼るとかいろいろな方法はあるだろうが、最終的には、本人の意志でしかないのではないかと思う。向精神薬の断薬と同じく漸減法、つまり、本数を減らしつつ、最終的にはゼロに持っていくというのがまっとうなやり方ではないかと思う。
ストレスの発散方法を先に見つけて、タバコを減らすというのも安心するのだが、そうも行かないことだろう。できないから、タバコを吸うのであろうから。30分を単位として生きることをどう考えるのか、どうすれば、タバコに依存せずに生きられるのかを考えなければ解決はしない問題だろう。
それから、タバコを吸うということは、世の中にある多くの病気と同じく、「全身的な問題」ではないか。つまり、「切れ痔」だからといって局所的な薬=座薬をいくら使いつづけても一時的な治癒しか期待できないということ。根本的には、バランス良く三大栄養素=脂質、たんぱく質、炭水化物を摂るということに尽きる。タバコも、もしかすると食のバランスが崩れたことから発する「病」ではないか。そうであれば、問題解決は近いような気がする。
タバコは、コーヒーなどとは違い、ニコチンの離脱症状を抑えるため、という以外に摂取する理由が無い。メリットは無いと言ってもいいくらいなのだ。しかし、現段階でも止められない人がかなりいるし、若者でも狂ったように吸っているのをよく見かける。「うつ」で悩む人の中にもタバコを必需品としている人がいることを知った。ある意味、抗うつ薬よりも重要な「薬」なのだという。
ニコチンの離脱症状は、30分おきに来る。イライラしてくるというのが主な症状らしい。つまり、イライラするからタバコを吸うのではなくて、ニコチンの血中濃度が薄まってくるのでイライラするわけだ。そこで気になったので仕事場でタバコを吸う人に聞いてみると、やはりそうだという。中には、離脱症状を抑えるためにニコチンガムを噛んでいるという人もいた。確かに、これで抑えることができるみたいだが、ニコチンを摂取していることに変わりは無い。タバコと比較して危険度はどうなのかということになるが、素人判断では差はないように思える。
この国では、どう考えているのかといえば、やはり健康に対する害が大きいので、「禁止」したいのは山々だが、強制的にやることのデメリットを考えて、しばらくは値段を少しずつ上げるという作戦で来るのだろうと思う。禁断症状がたくさん出てくると社会不安を引き起こしかねないし、その方がむしろ恐いと考えていると思う。
タバコを止めるためには、違法薬物を止めるような覚悟が必要だと思う。合法な嗜好品を泣く泣く止めるという意識ではまず無理だと思う。何人かの人に聞き取り調査をしてみてわかったのは、本人たちも止めたいと思っているらしいということ。しかし、やめられないのだ。それほどに、ニコチンの離脱症状も強烈だということだ。本では、向精神薬を止めることよりもやさしいと書かれてあったが、そうでもなさそうだ。個人差も大きいだろう。
私としては、ストレスの管理をしながらでないと、タバコを止めた結果、ガンになるということもあり得ないことではないと思う。なぜ吸うのかということを考えた場合、それは、ストレス解消に他ならない。このストレスの解消を無視して、強引に止めることだけを強行しても問題解決にはならないと思うのだ。
私も以前は、タバコを吸っているだけで「ああ、終わった人ね」と突き放していたのだが、そうも言えなくなった。本人は止めたいと真剣に思っているようだから。タバコの場合は、薬と違い、好奇心がその吸い始めのきっかけかもしれない。好奇心だけであるならば、何とか止められそうだが、その後に「落ち着く」という実感を味わったならば、なかなか止められないだろうと思う。向精神薬では、とにかく「飲んだきっかけ」というのが大事だ。そのきっかけが、他人にもわかるものであるならば、薬は必要ない。
タバコも同じように行きたいところではあるが、面白半分で始めたということになると、そもそもきっかけは無いに等しいということになるので難しいのではと思うのだ。ニコチンの入ったガムとかシールを貼るとかいろいろな方法はあるだろうが、最終的には、本人の意志でしかないのではないかと思う。向精神薬の断薬と同じく漸減法、つまり、本数を減らしつつ、最終的にはゼロに持っていくというのがまっとうなやり方ではないかと思う。
ストレスの発散方法を先に見つけて、タバコを減らすというのも安心するのだが、そうも行かないことだろう。できないから、タバコを吸うのであろうから。30分を単位として生きることをどう考えるのか、どうすれば、タバコに依存せずに生きられるのかを考えなければ解決はしない問題だろう。
それから、タバコを吸うということは、世の中にある多くの病気と同じく、「全身的な問題」ではないか。つまり、「切れ痔」だからといって局所的な薬=座薬をいくら使いつづけても一時的な治癒しか期待できないということ。根本的には、バランス良く三大栄養素=脂質、たんぱく質、炭水化物を摂るということに尽きる。タバコも、もしかすると食のバランスが崩れたことから発する「病」ではないか。そうであれば、問題解決は近いような気がする。
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