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きのう、例によって中学時代の集まりに行ってきた。しかし、小学校時代からのクラスメートが2人いたので実質、小学校時代の同窓会のようなもの。あまり調子は良くなかったが、これもいつものように話すほどに気持ちも和らぎ、調子が出てきた。ただ、50になると「喘息」「糖尿病」などの話も出る。
受験の話題も出た。東大に行った者が3人来ていたのだが、そのうち河合塾の「東大オープン」で2位だったという強者がいた。東大に行ってからこの時の名前を覚えられていて尊敬されたそうだ。もちろん、Aランクだったようだ。もう一人は、「Bランクでショックだった。」という。私などは、常にEランクで「人事を尽くして天命を待て」という評価しか知らなかったのだが。もう一人がもっとすごかった。受験の前年の12月まで志望校が決まらず、「とっさに決めた」という。しかも、「模擬試験なんか受けたことが無い」のだそうだ。
私たちの世代は、浪人すると「共通一次」にぶつかるというので共通一次の模擬試験を只で受けることができた。皆、それは受けたそうだ。私が受けた本番よりも難しい内容だったようで、「800点しかとれなかった」と不満そうだった。私の受けていた時代では、800もあれば合格したも同然の成績だったように記憶している。しかし、私の通っていた高校では、全員受けることができず、クラスで1人だけ抽選からもれる。なんと、私がその1人に選ばれてしまったのだった。その後の運命を暗示しているかのようなくじ運の悪さだったとは言えるだろう。
皆、私がどこの大学にも行けず、4浪もしたことを知っていると思うが、そのこと自体は興味も無いことだったと思う。つまり、なんであんな試験で合格できないのか、そのことがわからないという感じだろうからだ。しかし、何となくだが、私には話題をふるまいとしているようで私自身は苦しかった。「東大はクソです。」と言ってのけるくらいだから、大学へ行くまでは勉強するが、合格してからはしないことを話題にしていた。
私は、本来なら、「研究する姿勢ならおめえらには負けん!」と鼻息も荒く言い放ちたいところなのだが、それを言ってみても詮無いことだ。証明のしようもないし、50からどれだけのことができるだろうかということもあるだろう。ただ、私も大学のこと、今の仕事のこと、今後どうあればいいのかということについては自分なりの意見もあるし、今後も闘っていくつもりだ。大学は、誰でも行ける研究機関でなければならないということ、大学は、資格認定機関ではないということだ。
現時点では、大学に合格するかどうかで私たちの運命を大きく分けている。私は、東大へ行ったかつてのクラスメートをねたんでいるわけではない。3人のうち2人までは、東大の大学院まで行っていることを知っている。これは、勉強が好きでないとできないことらしい。この2人については性格もよく知っていて、非常にまじめな人間だ。ただ、惜しいのはせっかく大学院まで行って勉強したのはいいが、就職先ではその能力を生かされていないらしいということだ。このことは、以前、同じクラスメートに聞かされて知っていたことだ。
私も自慢の彼らが本当の実力を発揮していてくれたなら、この国はこんなていたらくではないような気がする。もちろん、私にもそれなりの活躍の場があれば、もっとこの国をよくできるのにという思いはある。私も東大へ行った彼らも問題に対する解決能力というのは大した違いはないのではないか。私には、「事務処理能力」が大きく劣っていたということ。そして、それを現代では「能力がない」と表現するのだ。
私が文科省大臣というか、今の大学を再生させる権限を持つならば、とにかく、大学へは誰でも行けるようにする。高校へ行かなくとも、ともかく学問に興味があれば誰でも受け入れるという組織にするわけだ。学問は、誰にでも成就できる営みではないので自然に淘汰される。試験という無駄なやり方で制限することではないのだ。今、それをやっているのはひとえに受験産業との癒着だ。
だが、私と大学の問題は、まだ終わったわけではない。私の寿命は、あと70年なので、この間に何かできる可能性は残っている。要するに、若い頃、さんざん試験に落ちた私が、見事な業績をあげれば、試験は意味がないと証明できるわけだから。もちろん、私は命ある限り、勉強を続けて行くし、大学で勉強するに等しいような研究をできる範囲で続けるつもりだ。とりあえずは、コンピュータとかプログラミングの勉強しかできないのだが、当然それは、今後の活動を支持してくれる研究に他ならない。
それにしても、大学入試が私に与えた影響は、自分が思っている以上に巨大なものだったという気がする。今でも私は克服できていないような気がする。さすがに、20代の頃のように、そのことを思うと腹が立って腹が立って、気が狂いそうになることはないのだが、漠然と70年代後半の空気を思い出してしまう。腹が立つというのは、何に対してなのかというのが微妙だ。自分に対してではないことだけは確実なのだ。なにしろ、私は「やる気」があるのだから、自分こそ大学へ行くべき人間だとずっと思っていたからだ。社会に対してだろうと思うが、具体的な対象など無かったのではないか。
今回の連中にしてみれば、私の悩みは「全く理解できない」ことだろう。ただ、大学がおもしろくなかった、今の仕事場でも能力を発揮できていないということを考えると、突き詰めるとこの国の大学のあり方についての意見は、案外、共感することも多いのではないかと想像する。勉強とは、私がこの10年の間に出くわしたコンピュータについての疑問を解くようなものだ。とにかく、わからないことがわからないということを解決して行くことが勉強なのだ。もちろん、私はそういう勉強を目指していたのだ。ただ、大学ではそうではなく、あくまでも「学習」の延長らしいのだ。本当に勉強するとするならば、大学院なのだそうだが、そこでも本当の勉強は無いのかもしれない。
私が得意とする勉強は、ミクロの方向への研究だった。今でもそうなのだが、たとえば、中国語を始めてもなかなか「会話」とかの練習にたどりつけない。それよりも、中国とこの国の漢字の違いとか文化の違いにこだわり、それがどうして生じたのかを追求したくなるからだ。それは、おそらく大学院の人間が研究テーマとして選ぶ課題なのかもしれない。それを、素人の私がやりたいのだから、なかなか先生とも受験とも社会ともかみ合わないのではなかったか。確かに高校教師とは、ほとんどが合わなかった。
もっともわかりやすいのが、「原子」の研究だろう。高校2年で化学を初めて習うのだが、「なぜ原子があると言えるのか」という命題につまづいてしまった。結局、浪人して数年して正解に近い答えを探し出すのだが、テストの成績にはそんなことは関係ないのだ。しかし、勉強の動機としてこれほどおもしろいことはないと思えた。むしろ、化学の授業とは、なぜ原子は存在するのかを何年もかけて考えさせることにすればいいのにと思えた。
コンピュータが私にピタリとはまったのは、そもそもコンピュータが大元は、人間の書いたプログラミングで動いているからだろう。今でも操作しているUNIXというOSは、その中身まで公開されているので、勉強しようと思えば、制限無くできる。まさに、思う存分できる環境がようやく整ったわけだ。しかし、あまりにも難しく未だに歯が立たないままだ。このように、私が首尾よく大学に行けたとしても、研究内容でつまづいた可能性も大いにある。だから、私はまずコンピュータにおいて決着をつける必要があるわけだ。今の仕事はコンピュータと非常に近い所にあるわけで、努力次第では仕事をしつつ勉強もできるはずなのだ。
この国の不幸は、中国から輸入したことから始まる「受験制度」が今でも厳然と存在することだ。現在では、職業を公平に得ることを目的にしているかのようだ。それ故に、純粋な学問から離れ、就職のための知識に終始している。医学でも法律でも教育でもそのような生半可な知識が役に立つはずがない。そして、もっと不幸なのが、現実にその結果が今を生きる人に被害を与えていることだ。
医療も自然もその職につくための勉強で間に合うほどやさしくはない。まさにコンピュータの勉強にも似た天井知らずの世界だ。受験によって学問をする人の数を制限する必要は無い。放っておいても淘汰される。高校程度までの読み書きの能力は目安だが、それさえも必要ないかもしれない。簡単な読み書きの資格さえあれば、大学に行ける制度を作ることが私の夢だ。自ら問題を見つけ、自ら研究して行く人間がそういう中からきっと現れると思う。そして、その人こそが今かかえる問題を解決する能力を持つと思うのだ。
受験の話題も出た。東大に行った者が3人来ていたのだが、そのうち河合塾の「東大オープン」で2位だったという強者がいた。東大に行ってからこの時の名前を覚えられていて尊敬されたそうだ。もちろん、Aランクだったようだ。もう一人は、「Bランクでショックだった。」という。私などは、常にEランクで「人事を尽くして天命を待て」という評価しか知らなかったのだが。もう一人がもっとすごかった。受験の前年の12月まで志望校が決まらず、「とっさに決めた」という。しかも、「模擬試験なんか受けたことが無い」のだそうだ。
私たちの世代は、浪人すると「共通一次」にぶつかるというので共通一次の模擬試験を只で受けることができた。皆、それは受けたそうだ。私が受けた本番よりも難しい内容だったようで、「800点しかとれなかった」と不満そうだった。私の受けていた時代では、800もあれば合格したも同然の成績だったように記憶している。しかし、私の通っていた高校では、全員受けることができず、クラスで1人だけ抽選からもれる。なんと、私がその1人に選ばれてしまったのだった。その後の運命を暗示しているかのようなくじ運の悪さだったとは言えるだろう。
皆、私がどこの大学にも行けず、4浪もしたことを知っていると思うが、そのこと自体は興味も無いことだったと思う。つまり、なんであんな試験で合格できないのか、そのことがわからないという感じだろうからだ。しかし、何となくだが、私には話題をふるまいとしているようで私自身は苦しかった。「東大はクソです。」と言ってのけるくらいだから、大学へ行くまでは勉強するが、合格してからはしないことを話題にしていた。
私は、本来なら、「研究する姿勢ならおめえらには負けん!」と鼻息も荒く言い放ちたいところなのだが、それを言ってみても詮無いことだ。証明のしようもないし、50からどれだけのことができるだろうかということもあるだろう。ただ、私も大学のこと、今の仕事のこと、今後どうあればいいのかということについては自分なりの意見もあるし、今後も闘っていくつもりだ。大学は、誰でも行ける研究機関でなければならないということ、大学は、資格認定機関ではないということだ。
現時点では、大学に合格するかどうかで私たちの運命を大きく分けている。私は、東大へ行ったかつてのクラスメートをねたんでいるわけではない。3人のうち2人までは、東大の大学院まで行っていることを知っている。これは、勉強が好きでないとできないことらしい。この2人については性格もよく知っていて、非常にまじめな人間だ。ただ、惜しいのはせっかく大学院まで行って勉強したのはいいが、就職先ではその能力を生かされていないらしいということだ。このことは、以前、同じクラスメートに聞かされて知っていたことだ。
私も自慢の彼らが本当の実力を発揮していてくれたなら、この国はこんなていたらくではないような気がする。もちろん、私にもそれなりの活躍の場があれば、もっとこの国をよくできるのにという思いはある。私も東大へ行った彼らも問題に対する解決能力というのは大した違いはないのではないか。私には、「事務処理能力」が大きく劣っていたということ。そして、それを現代では「能力がない」と表現するのだ。
私が文科省大臣というか、今の大学を再生させる権限を持つならば、とにかく、大学へは誰でも行けるようにする。高校へ行かなくとも、ともかく学問に興味があれば誰でも受け入れるという組織にするわけだ。学問は、誰にでも成就できる営みではないので自然に淘汰される。試験という無駄なやり方で制限することではないのだ。今、それをやっているのはひとえに受験産業との癒着だ。
だが、私と大学の問題は、まだ終わったわけではない。私の寿命は、あと70年なので、この間に何かできる可能性は残っている。要するに、若い頃、さんざん試験に落ちた私が、見事な業績をあげれば、試験は意味がないと証明できるわけだから。もちろん、私は命ある限り、勉強を続けて行くし、大学で勉強するに等しいような研究をできる範囲で続けるつもりだ。とりあえずは、コンピュータとかプログラミングの勉強しかできないのだが、当然それは、今後の活動を支持してくれる研究に他ならない。
それにしても、大学入試が私に与えた影響は、自分が思っている以上に巨大なものだったという気がする。今でも私は克服できていないような気がする。さすがに、20代の頃のように、そのことを思うと腹が立って腹が立って、気が狂いそうになることはないのだが、漠然と70年代後半の空気を思い出してしまう。腹が立つというのは、何に対してなのかというのが微妙だ。自分に対してではないことだけは確実なのだ。なにしろ、私は「やる気」があるのだから、自分こそ大学へ行くべき人間だとずっと思っていたからだ。社会に対してだろうと思うが、具体的な対象など無かったのではないか。
今回の連中にしてみれば、私の悩みは「全く理解できない」ことだろう。ただ、大学がおもしろくなかった、今の仕事場でも能力を発揮できていないということを考えると、突き詰めるとこの国の大学のあり方についての意見は、案外、共感することも多いのではないかと想像する。勉強とは、私がこの10年の間に出くわしたコンピュータについての疑問を解くようなものだ。とにかく、わからないことがわからないということを解決して行くことが勉強なのだ。もちろん、私はそういう勉強を目指していたのだ。ただ、大学ではそうではなく、あくまでも「学習」の延長らしいのだ。本当に勉強するとするならば、大学院なのだそうだが、そこでも本当の勉強は無いのかもしれない。
私が得意とする勉強は、ミクロの方向への研究だった。今でもそうなのだが、たとえば、中国語を始めてもなかなか「会話」とかの練習にたどりつけない。それよりも、中国とこの国の漢字の違いとか文化の違いにこだわり、それがどうして生じたのかを追求したくなるからだ。それは、おそらく大学院の人間が研究テーマとして選ぶ課題なのかもしれない。それを、素人の私がやりたいのだから、なかなか先生とも受験とも社会ともかみ合わないのではなかったか。確かに高校教師とは、ほとんどが合わなかった。
もっともわかりやすいのが、「原子」の研究だろう。高校2年で化学を初めて習うのだが、「なぜ原子があると言えるのか」という命題につまづいてしまった。結局、浪人して数年して正解に近い答えを探し出すのだが、テストの成績にはそんなことは関係ないのだ。しかし、勉強の動機としてこれほどおもしろいことはないと思えた。むしろ、化学の授業とは、なぜ原子は存在するのかを何年もかけて考えさせることにすればいいのにと思えた。
コンピュータが私にピタリとはまったのは、そもそもコンピュータが大元は、人間の書いたプログラミングで動いているからだろう。今でも操作しているUNIXというOSは、その中身まで公開されているので、勉強しようと思えば、制限無くできる。まさに、思う存分できる環境がようやく整ったわけだ。しかし、あまりにも難しく未だに歯が立たないままだ。このように、私が首尾よく大学に行けたとしても、研究内容でつまづいた可能性も大いにある。だから、私はまずコンピュータにおいて決着をつける必要があるわけだ。今の仕事はコンピュータと非常に近い所にあるわけで、努力次第では仕事をしつつ勉強もできるはずなのだ。
この国の不幸は、中国から輸入したことから始まる「受験制度」が今でも厳然と存在することだ。現在では、職業を公平に得ることを目的にしているかのようだ。それ故に、純粋な学問から離れ、就職のための知識に終始している。医学でも法律でも教育でもそのような生半可な知識が役に立つはずがない。そして、もっと不幸なのが、現実にその結果が今を生きる人に被害を与えていることだ。
医療も自然もその職につくための勉強で間に合うほどやさしくはない。まさにコンピュータの勉強にも似た天井知らずの世界だ。受験によって学問をする人の数を制限する必要は無い。放っておいても淘汰される。高校程度までの読み書きの能力は目安だが、それさえも必要ないかもしれない。簡単な読み書きの資格さえあれば、大学に行ける制度を作ることが私の夢だ。自ら問題を見つけ、自ら研究して行く人間がそういう中からきっと現れると思う。そして、その人こそが今かかえる問題を解決する能力を持つと思うのだ。
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