×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ずっと前から気になっている事柄、「記者クラブ」と「取り調べの可視化」だが、前者はマスゴミの談合団体のことで取材対象と懇話会(たとえば、検察と!)をやったりするダメ団体だ。後者は、警察や検察で今でも行われている拷問的な取り調べを防止できると期待されている取り調べの公開化ということ。
しかし、私にはたとえ記者クラブが廃止になっても取り調べが可視化されてもほとんど社会は変わらないのではないかという危惧がある。記者クラブそのものにも問題はあるが、問題の核心は命懸けで取材をするつもりが無い記者にあるからだ。表の記者クラブが無くなれば「裏」で作るだけのことではなかろうか。また、クロスオーナーシップが禁止されても「裏クロスオーナー」というものが生まれるのだろう。
サラリーマン化している現在のジャーナリストには、危険を冒してまでやる仕事とは思っていないのだ。自分がウソの報道を垂れ流して、国民が判断を誤ってもそれは、ダマされる方が悪いというふうに考えるだろう。結局、そういう考え方でいるからどんどんマスコミも信用されなくなり衰退して行く一方だ。しかもたちの悪いことに、今後もますます「煽ってなんぼ」の姿勢は強まるだろう。真実を伝えるつもりは無いのだから当然の帰結だ。
私も「記者クラブ」が廃止されるか、全ての会見が誰にでも開放されることを望むのだが、そこからこの国のマスコミ情報が信頼できるようになるかどうかは眉唾だろうと思う。気概のあるジャーナリストが育たない限り、信用はできない。少なくとも今のマスコミはほとんど期待できない。特に、おじさんの部類に属する層には全く無理だ。彼らは、既に守りに入っている。世の中がこれまで通り、うまく「ダマされる」ことのみを願っている。それが自分の利益になるからだ。国民が、マスコミを信用してくれることが自分の食い扶持を支持するからだ。
「取り調べの可視化」はとりあえずは急務だろう。そうしないと、今回の石川議員の秘書が監禁されるような事件が今後も起きるからだ。確かに、可視化でこの種の監禁は防止できるが、もっと根の深い「冤罪」はなかなか無くならないと思う。それは、警察や検察は自分の「仕事」を効率化するためにも取り調べの「予行演習」をするからだ。あらかじめ演技した後でそれをビデオで撮ったり、録音するだけのことなのだ。検察や警察が「納得できない」演技しかしなかったら何百回でも「予行演習」は続くだろう。これは、今の拷問的な取り調べと同じではなかろうか。
結局、警察も検察も権力をもちながらも自らの過ちは問われないというしくみがある以上「狂気」と化することは避けられない。しかも、食いっぱぐれはないとくるから、後から後から同じ傾向を持った人間が製造されるだけで社会は良くならない。私は、ここでも検察・警察にまともな人間が育つしかないと考えるが、しかし、それを言っているとそれこそ永久に無理だという話になる。そこで過渡的に、警察にも検察にもそれぞれ監視組織をつけることを構想している。
それは、国民から直接選ばれる臨時的なものであってもいいし、国会議員からなる組織であってもいいと思う。少なくともその中にかつて冤罪で何らかの被害を受けた経験者が半数以上含まれることを条件とすることとする。検察や警察に厳しい組織にすることで、より公平性が保たれるからだ。そして、何か事件が起こる度に招集されて「ものいい」をつける。「ものいい」がついた事件については、この組織が起訴相当なのか不起訴なのかを決めて警察や検察に控訴はできないようにする。
ここにきて検察を追求する動きが見えないのが気になる。よく考えてみると女性の監禁を暴露したのは、週刊朝日だけだ。当然の帰結かもしれない。ただ1つの希望は、民主党も改革したいと思っているだろうということ。なにしろ、検察を落とさなければ他の公務員が依然として仕事をしないからだ。ここは、これ以上検察に手出しをしないと思わせておいて、最初の予定通りの改革を進めてもらうしかないということだ。
しかし、私にはたとえ記者クラブが廃止になっても取り調べが可視化されてもほとんど社会は変わらないのではないかという危惧がある。記者クラブそのものにも問題はあるが、問題の核心は命懸けで取材をするつもりが無い記者にあるからだ。表の記者クラブが無くなれば「裏」で作るだけのことではなかろうか。また、クロスオーナーシップが禁止されても「裏クロスオーナー」というものが生まれるのだろう。
サラリーマン化している現在のジャーナリストには、危険を冒してまでやる仕事とは思っていないのだ。自分がウソの報道を垂れ流して、国民が判断を誤ってもそれは、ダマされる方が悪いというふうに考えるだろう。結局、そういう考え方でいるからどんどんマスコミも信用されなくなり衰退して行く一方だ。しかもたちの悪いことに、今後もますます「煽ってなんぼ」の姿勢は強まるだろう。真実を伝えるつもりは無いのだから当然の帰結だ。
私も「記者クラブ」が廃止されるか、全ての会見が誰にでも開放されることを望むのだが、そこからこの国のマスコミ情報が信頼できるようになるかどうかは眉唾だろうと思う。気概のあるジャーナリストが育たない限り、信用はできない。少なくとも今のマスコミはほとんど期待できない。特に、おじさんの部類に属する層には全く無理だ。彼らは、既に守りに入っている。世の中がこれまで通り、うまく「ダマされる」ことのみを願っている。それが自分の利益になるからだ。国民が、マスコミを信用してくれることが自分の食い扶持を支持するからだ。
「取り調べの可視化」はとりあえずは急務だろう。そうしないと、今回の石川議員の秘書が監禁されるような事件が今後も起きるからだ。確かに、可視化でこの種の監禁は防止できるが、もっと根の深い「冤罪」はなかなか無くならないと思う。それは、警察や検察は自分の「仕事」を効率化するためにも取り調べの「予行演習」をするからだ。あらかじめ演技した後でそれをビデオで撮ったり、録音するだけのことなのだ。検察や警察が「納得できない」演技しかしなかったら何百回でも「予行演習」は続くだろう。これは、今の拷問的な取り調べと同じではなかろうか。
結局、警察も検察も権力をもちながらも自らの過ちは問われないというしくみがある以上「狂気」と化することは避けられない。しかも、食いっぱぐれはないとくるから、後から後から同じ傾向を持った人間が製造されるだけで社会は良くならない。私は、ここでも検察・警察にまともな人間が育つしかないと考えるが、しかし、それを言っているとそれこそ永久に無理だという話になる。そこで過渡的に、警察にも検察にもそれぞれ監視組織をつけることを構想している。
それは、国民から直接選ばれる臨時的なものであってもいいし、国会議員からなる組織であってもいいと思う。少なくともその中にかつて冤罪で何らかの被害を受けた経験者が半数以上含まれることを条件とすることとする。検察や警察に厳しい組織にすることで、より公平性が保たれるからだ。そして、何か事件が起こる度に招集されて「ものいい」をつける。「ものいい」がついた事件については、この組織が起訴相当なのか不起訴なのかを決めて警察や検察に控訴はできないようにする。
ここにきて検察を追求する動きが見えないのが気になる。よく考えてみると女性の監禁を暴露したのは、週刊朝日だけだ。当然の帰結かもしれない。ただ1つの希望は、民主党も改革したいと思っているだろうということ。なにしろ、検察を落とさなければ他の公務員が依然として仕事をしないからだ。ここは、これ以上検察に手出しをしないと思わせておいて、最初の予定通りの改革を進めてもらうしかないということだ。
PR
Comment