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今日は予定通り歯科へ行ってきた。私も歳なので数ヶ月にいっぺんは歯の掃除をしなければいけなくなったのだ。いつもの通り、掃除をしてもらい次の予約をするときに衝撃を受けた。「実は、3月で退職するのです。」だそうだ。かわいらしい感じの人でものすごく気に入っていただけに残念だった。年の頃からすれば、「結婚?」と思ったが聞けなかった。彼女には、これから新しい人生が始まるのだろうが、私は3月でお別れになる。
私は、ホラーというかお化けというか妖怪というか、そんなものは恐くもなんともないし宇宙人にも遭いたいとさえ思っているくらいだ。しかし、普通の人には何でもないこういう「別れ」が私には重い。弱点の一つだと言える。先週は、カットしてくれる兄ちゃんとの別れがあったが、来月また会えるのでこれはノーカウントだ。これだけで、今日は暗い気持ちになってしまった。出会いや別れは人生で日常茶飯事のはずなのだが、確かに私は昔からこういうことに感傷的だった。
『ラブリー・ボーン』という映画に興味を持っている。読めもしないのにきのう小説の文庫本を買ったくらいだ。まったく読めないことはなく、レイプされて殺される所までは読んだ。ほんの数ページなのだが。情景が想像できないという弱点があるため、私には小説を読むことが難しいのだ。おそらく、映画を見て小説を読むなら簡単にできるのだと思う。この映画は、14歳でレイプされて殺された少女が「あの世」から語るという独特なスタイルだ。原作者もレイプされた経験を持つという。どうしてあの世という概念を持ちだしたのかに非常に興味を持ったのだった。
信じてはいないのだが、私も天国とかあの世とか霊界とか「死んだらどうなるの?」ということに興味津々だ。本人は、死んだら灰となって消滅するだけなのだが、「あの世で安らかに」と思われてしまう。死んだ人ではなく、見送った人の心に中に想像の中で「天国」や「あの世」があるのだと私は思っている。私のように想像力が無い人間には、貧困なイメージしか描けないのが痛いところだ。年末は、『マン・オン・ワイヤー』に挑戦したのだが、今度はこれに挑戦したいというか見てみたいと思うようになった。DVDになるのは秋口頃だろうか。
「死」というのも永劫の別れという意味では「別れ」に違いないのだが、当然、こちらにも弱い。今までに祖父母や父の死を経験して来たのだが、もちろん最も衝撃的なものは父の死だった。特に死の瞬間に泣きじゃくるということはなかったのだが、20年経った今でも何でもない時にかえって泣けてくる。その意味は、私の過去を語ってくれる人を失ったということだ。
私は、父の死からは、わりと早く立ち直ったと思っているのだが、それは仕事を探さなければならないという現実があったからだろうと思う。私にくらべて母がその後、3年以上もうつ状態だったのは、家でずっと父の遺影に向き合わなければならなかったからだろう。今でもうらめしそうに父の遺影と向き合っていた頃の母を思い出す。
私も、父が病気で、しかも重大な病気だと知って京都から戻った時には無性に泣けた。当時は、がんに対してどのように向き合っていいのか何の知識も無かった。あまり経験の無い先生殿の説明にただただ驚くばかりだったのだ。何も治療することができないことは無かったと思うが、当時の岡大のレベルではその程度だったのだと思う。緩和ケアという概念も無く、痛みの治療のレベルは低かったように思う。
当時の岡山も不景気であったと思うがまだバブル崩壊の余波が襲っていない状況だった。私の年齢では就職は厳しいものの、少しはあった。まんまと就職を決めた私は、スーツを着たサラリーマンになってしまったのだ。ただし、ヒゲをはやしていたが。そこで、研修やら忘年会やら花見やら社員旅行やらの会社員的な経験をした。
ただ、旅行で行った沖縄は、その後の私の人生観に大きな影響を与えたのではないか。自由行動がけっこうあったので、一人で今帰仁に行ったのだが、これが良かった。路線バスに乗って行ったのも良かった。その地方地方で生活する人の「声」(=方言、うちなーぐち)を聞くことができたのだった。感激して必ずもう一度行こうと誓ってから20年近くになってしまっている。
沖縄かぶれになって良かったと思うのは、島唄に興味を持てたことだった。しかし、本当の島唄を聴くにはまだ、経験不足のように思えた。その良さがわからないという意味だ。どうしたものかと思っていたところに「りんけんバンド」というグループに出会えた。彼らの音楽を聴いていて本当に癒されたと感じるのだった。父の死以来、夕日が、「落日」としか見えなくなったことが大きな変化だったが、りんけんバンドの音楽を聴くうちに、それがあたたかいものに見えるようになりつつあることを感じるのだった。
父の死から数年経った頃だろうか、りんけんバンドは『バンジ』というCDを発売した。その中の「ムリカ六星」という歌には、まいったという思いだった。聴いてみるのが一番早いのだが、いきなり中華風の浮き世離れしたメロディが流れ、続いて二胡によるつややかで官能的な響きで主題を一通り演奏してしまう。そして、おもむろに上原知子の完璧なうちなーぐちによる歌唱が始まる。間奏から、太鼓が使われるのだが、この響きがもっとも効くといってもいい。YouTubeの音では、この太鼓の音はハッキリ再現されていないが、CDの音源はすばらしく明確に再現される。この太鼓の音が親父が「おめーなんしょんなら!しゃんとせーよ。」と言っているように体に響くのだった。今でもこの曲を聴くとハラハラと泣けてくるのだった。
「ムリカ六星」とは、和名で昴、牡牛座のプレアデス散開星団のことで目のいい人ならば、6個くらい確認できるという。詩は、りんけんバンドのリーダー照屋林賢氏の父、林助氏によるもので自然への讃歌だ。CDジャケットに載っている対訳は、次のようなもの。
昴は
群れて盛り上がっている
天の真ん中に
渡る美しさ
神の心を
細部に聞いて
人類のために
働く嬉しさ
群星は
いつも輝いて
作物の種植え収穫を
知らせる
季節季節は
昴の御陰で
豊作になる
幸せの世の中である
昴
私は、ホラーというかお化けというか妖怪というか、そんなものは恐くもなんともないし宇宙人にも遭いたいとさえ思っているくらいだ。しかし、普通の人には何でもないこういう「別れ」が私には重い。弱点の一つだと言える。先週は、カットしてくれる兄ちゃんとの別れがあったが、来月また会えるのでこれはノーカウントだ。これだけで、今日は暗い気持ちになってしまった。出会いや別れは人生で日常茶飯事のはずなのだが、確かに私は昔からこういうことに感傷的だった。
『ラブリー・ボーン』という映画に興味を持っている。読めもしないのにきのう小説の文庫本を買ったくらいだ。まったく読めないことはなく、レイプされて殺される所までは読んだ。ほんの数ページなのだが。情景が想像できないという弱点があるため、私には小説を読むことが難しいのだ。おそらく、映画を見て小説を読むなら簡単にできるのだと思う。この映画は、14歳でレイプされて殺された少女が「あの世」から語るという独特なスタイルだ。原作者もレイプされた経験を持つという。どうしてあの世という概念を持ちだしたのかに非常に興味を持ったのだった。
信じてはいないのだが、私も天国とかあの世とか霊界とか「死んだらどうなるの?」ということに興味津々だ。本人は、死んだら灰となって消滅するだけなのだが、「あの世で安らかに」と思われてしまう。死んだ人ではなく、見送った人の心に中に想像の中で「天国」や「あの世」があるのだと私は思っている。私のように想像力が無い人間には、貧困なイメージしか描けないのが痛いところだ。年末は、『マン・オン・ワイヤー』に挑戦したのだが、今度はこれに挑戦したいというか見てみたいと思うようになった。DVDになるのは秋口頃だろうか。
「死」というのも永劫の別れという意味では「別れ」に違いないのだが、当然、こちらにも弱い。今までに祖父母や父の死を経験して来たのだが、もちろん最も衝撃的なものは父の死だった。特に死の瞬間に泣きじゃくるということはなかったのだが、20年経った今でも何でもない時にかえって泣けてくる。その意味は、私の過去を語ってくれる人を失ったということだ。
私は、父の死からは、わりと早く立ち直ったと思っているのだが、それは仕事を探さなければならないという現実があったからだろうと思う。私にくらべて母がその後、3年以上もうつ状態だったのは、家でずっと父の遺影に向き合わなければならなかったからだろう。今でもうらめしそうに父の遺影と向き合っていた頃の母を思い出す。
私も、父が病気で、しかも重大な病気だと知って京都から戻った時には無性に泣けた。当時は、がんに対してどのように向き合っていいのか何の知識も無かった。あまり経験の無い先生殿の説明にただただ驚くばかりだったのだ。何も治療することができないことは無かったと思うが、当時の岡大のレベルではその程度だったのだと思う。緩和ケアという概念も無く、痛みの治療のレベルは低かったように思う。
当時の岡山も不景気であったと思うがまだバブル崩壊の余波が襲っていない状況だった。私の年齢では就職は厳しいものの、少しはあった。まんまと就職を決めた私は、スーツを着たサラリーマンになってしまったのだ。ただし、ヒゲをはやしていたが。そこで、研修やら忘年会やら花見やら社員旅行やらの会社員的な経験をした。
ただ、旅行で行った沖縄は、その後の私の人生観に大きな影響を与えたのではないか。自由行動がけっこうあったので、一人で今帰仁に行ったのだが、これが良かった。路線バスに乗って行ったのも良かった。その地方地方で生活する人の「声」(=方言、うちなーぐち)を聞くことができたのだった。感激して必ずもう一度行こうと誓ってから20年近くになってしまっている。
沖縄かぶれになって良かったと思うのは、島唄に興味を持てたことだった。しかし、本当の島唄を聴くにはまだ、経験不足のように思えた。その良さがわからないという意味だ。どうしたものかと思っていたところに「りんけんバンド」というグループに出会えた。彼らの音楽を聴いていて本当に癒されたと感じるのだった。父の死以来、夕日が、「落日」としか見えなくなったことが大きな変化だったが、りんけんバンドの音楽を聴くうちに、それがあたたかいものに見えるようになりつつあることを感じるのだった。
父の死から数年経った頃だろうか、りんけんバンドは『バンジ』というCDを発売した。その中の「ムリカ六星」という歌には、まいったという思いだった。聴いてみるのが一番早いのだが、いきなり中華風の浮き世離れしたメロディが流れ、続いて二胡によるつややかで官能的な響きで主題を一通り演奏してしまう。そして、おもむろに上原知子の完璧なうちなーぐちによる歌唱が始まる。間奏から、太鼓が使われるのだが、この響きがもっとも効くといってもいい。YouTubeの音では、この太鼓の音はハッキリ再現されていないが、CDの音源はすばらしく明確に再現される。この太鼓の音が親父が「おめーなんしょんなら!しゃんとせーよ。」と言っているように体に響くのだった。今でもこの曲を聴くとハラハラと泣けてくるのだった。
「ムリカ六星」とは、和名で昴、牡牛座のプレアデス散開星団のことで目のいい人ならば、6個くらい確認できるという。詩は、りんけんバンドのリーダー照屋林賢氏の父、林助氏によるもので自然への讃歌だ。CDジャケットに載っている対訳は、次のようなもの。
昴は
群れて盛り上がっている
天の真ん中に
渡る美しさ
神の心を
細部に聞いて
人類のために
働く嬉しさ
群星は
いつも輝いて
作物の種植え収穫を
知らせる
季節季節は
昴の御陰で
豊作になる
幸せの世の中である
昴
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