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15日は衝撃的な日だった。選挙で選んだ政権が、公務員によって転覆させられようとしていると感じたからだ。小沢氏が、今、あえてややこしいことをして「金」に執着する理由も無いし、強制捜査したところで何も出ないのではないか。逮捕したところで同じだ。それでも、時間ぎりぎりで秘書、元秘書を逮捕したということは、検察は、小沢氏の政治的な生命を奪おうとしているのだと思った。有罪も無罪も関係ないのだ。マスコミを使って小沢氏のイメージダウンから議員辞職にもって行ければ大成功と思っているのだろう。

そうなると私たちも徹底的に検察とかマスコミをたたく覚悟だ。検察は、検察という組織だけではなく、厚労省とか国交省とかの省庁で仕事をしている、反国家的な連中の代表というだけで、全体としては「公務員」という実態になる。国民が自由に、豊かに暮らすことを阻む連中だと思うので心ある人々が分散的に攻撃を加えれば、いつかは崩れることだろう。さすがに、戦前の世の中よもう一度と思う人は一人もいないだろう。だから、この国は、間違っても公務員天国の国に再帰することはないと読んでいる。

少し前から感じていたのだが、この国はまだ「民主党革命」のさなかにある。去年の8月30日に革命は終わったわけではなく今も続いているということ。今回の検察の行動は、今後も出てくる「反革命」の一つに過ぎない。戦前からずっと続いてきたマスコミを使っての世論操作が今でも通用すると思っている検察は、確かに「制度疲労」を起こしていると感じる。

私が他の人よりも検察の行動に手厳しいのは「逮捕歴」があるからだ。罪状は、「免許を見せなかった罪」だ。女性の下半身に手を入れたとかという明らかな罪であるならば、私も納得して罪を受けるのだが、交通機動隊と冷静に話をしている最中に逮捕されたのであった。その時に聞いた罪とは上記のようなものだったのだ。つまり、私は納得していないのだ。今回の小沢氏と同じ心境だ。納得していないにもかかわらず、抗弁する機会も無いままに現実を受け入れなければならない。私のようなケチな罪ならば、誰も共感してくれないかもしれないが、戦後だけでもどれだけの冤罪事件があったことか。ここらで、検察のというより国家の暴力装置のあり方を全面的に検討する時期が来ているのではないか。

小沢氏は、少し前に「何で自分だけが」という不満をもらしたという。私も逮捕された時に同じ事を思った。逮捕まで行かないが、原付バイクに乗っている時に一時停止を怠ったという「罪」で犯則切符を切られたことがある。その時の警察の言い方は、「ほんならあんたは他の人が死ぬ言うたら死ぬんか?」ということだった。私は、その時以来ずっとこのことが気になっていたが解決できなかった。

去年の西松事件以来、郷原信郎という元特捜検事の名前を聞くことが多いのだが、この人が『検察の正義』という本に書いている「一罰一戒百戒」という概念を知り、これだと思えた。つまり、「百人が法に違反しているときに、そのうちの一人を罰することが、常に残りの99人を戒めることにつながるとは限らない。罰する対象行為の選定、罰する手続などが、罰せられる側に納得できる場合には、その「一罰」は、罰せられる一人に受け入れられ、それが99人を戒めることにつながる。」ということだ。

私を逮捕する前に警察はやるべきことをやるべきだった。交通機動隊をうっかり見逃しやすい交通標識がある場所にはりつけさせておいて反則切符を切るような「仕事」は仕事ではない。むしろ、「見逃さない」ような標識を工夫すべきだと思うが、そういう「頭」は無いようだ。しかし、一罰百戒を盾としてお手軽な「原付バイク」を狙いポイントを稼ぎ仕事をしているように見せかけているだけのことだ。外車が一旦停止無視しても捕まえることはないのだ。批判されれば、「おめえは、他人が死んだらおめえも死ぬんか。」で対抗し、しつこい場合は、私がやられたように「逮捕」するだけなのだ。

最近では、菅谷氏の事件、最近の著書では『リクルート事件・江副浩正の真実 』を見ればよくわかるのだが、検察ににらまれると逃れることはできない。私の経験でもウソの自白調書に署名しなかったら、検察の取り調べがあり、同じ事になって、今とは違った人生となっていたことだろうと思う。恐ろしい話なのだが、今のこの国でも私一人を抹殺するなど簡単なことなのだ。

私が、民主党に期待しているのは、警察・検察の闇を明らかにしてただの一人の冤罪事件被害者を出さない国つくりをして欲しいということ。まじめで勤勉な国民だけに、突如として自分の人生がねじ曲げられたとしたら、その「恨み」は格段に激しいものとなる。この国に生まれ、何らかの貢献をしたいと思い、まじめに生きていてもこの仕打ちかと思うと、どうなるだろうか。せっかく新しい国つくりに必要な才能をみすみす失うことになりはしないだろうか。

検察が小沢氏、ひいては民主党を中心とした新政権を打倒したい気持ちはわからないでもない。今回のように政権与党に牙をむくことも辞さない権力を失うような改革は認められないからだ。しかし、それがほとんどの国民の幸福につながるものとなるならば、やむを得ないのではないか。ある日突然、逮捕されて死期を早めてしまうということは誰も望んでいないのだから。

私は、検察の抵抗はこれが最後ではないかと見ている。今年中に検察のこれまでの膿が暴かれ、関係者は逮捕、あるいは懲戒免職となるのではないかと思う。警察も必然的に国民のための警護を行う組織に改編されるだろう。そうなると、各省庁の公務員もなだれうって協力を始めるのではないか。脱官僚支配で始まった民主党革命だが、公務員の再編成で大きく前進するのではないかと思う。
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