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私のラジオ生活に今年から追加したい候補番組を忘れないように書いておきたい。興味の無い人は「あほらし」で済ますだろうが、ラジオは「ながら」ができるので頭の健康にいいとだけ言っておこう。私は、仕事中にも通勤途中にもラジオを聞いているが、本当に集中している時には、ラジオは聞いていないようだ。音が流れているのはわかっているが、目の前の文章とか、プログラムに集中していると人の話し声は聞こえなくなるみたいだ。それでいて、オフイスの雑音が聞こえないというので重宝している。
キーホールTVというソフトがあることを去年の年末に知ったのだが、これがあるおかげで大阪のMBSも東京にいながら聞ける。その結果、
MBS(大阪毎日放送)
金曜日 午後10:00~深夜1:00 「吉竹史のMBSうたぐみ」
土曜日 午後10:00~午後11:39 「明石家さんまのMBSヤングタウン」
をレパートリーに加えようと思っている。録音はできないので、家にいればパソコンで聞くという聞き方だ。さんまのラジオは、初めて聞いたのだが、基本的にスケベな内容なので趣味が合うと感じたのだった。吉竹史の番組は、テレビで「よゐこ部」を見て好きになってしまったということだ。この番組は、東京でもネットされていて毎週、録画までして見ている。吉竹史は、声がイマイチなのだが顔は十分かわいい。「うたぐみ」は、音楽を流すことがメインの番組だが、吉竹史の趣味や、個性がうかがえておもしろいと感じたのだ。
大阪のラジオ番組も基本は、新政権に「反抗的」であり、ウソ情報を垂れ流している傾向は強い。既得権益とはそこまでおいしいものなのだろう。放送一つで世論操作できるという「おいしさ」は、何ものにも代えがたいということなのだろう。新政権では、そのおいしい業界を大手独占ではなく、分割しようとしているので反抗しているそうだ。ほとんどの国民には、もっと小さくなって真実を真実のままで放送する放送局が生まれてくれた方がいいに決まっている。前の戦争のようにウソが国家を破滅させることも可能なのだから、ことは重大なのだ。
9日の『TBS報道特集』では、久しぶりにまともな内容も報道されていた。シベリア抑留は、日本軍が友軍をソ連に「売った」ことが原因だというのだ。私は戦争の歴史に興味はあるのだが、東南アジア戦線とかシベリア抑留とかは、ほとんど知らない。東南アジアのことは、水木しげるの漫画で読んだ程度だ。死人に口なし、で証言者が少ないこともあって今でも真実はほとんど知られていないのだと思う。シベリアから無事生還した人は、既に87歳だが「こんな国のために命をかけたのが、ばからしい」と証言していた。私が国家が絶対やってはいけないと思うことを60数年前には平気でやっていたということだ。
冤罪事件も同じ事で、私は一人の冤罪事件被害者も出してはいけないと思っている。冤罪で被害にあった人は、二度と国家を愛そうという気分にはなれないからだ。私も「冤罪事件」被害者とは言えないかもしれないが、警察とのやりとりを通じて国家というものに疑念を抱くようになった。だから、今の政権のもとで警察や検察を本当に国民に奉仕する組織に変えて欲しいと思っている。私の出会った事件も「法令遵守」を武器に警察の利権を守るために起きたものだと思える。警察が楽して仕事をしているようにアピールするためには、隠れてねずみ取りをするのが一番なのだ。反抗する者は、なぎ倒せ!と言わんばかりに逮捕までするわけだ。
私は、それでもこの国を愛する「愛国者」にとどまっているが、警察や検察への敵意は隠そうとしない。彼らと仲良かった自民や公明のカルト政権も大嫌いだった。マスゴミも同じだ。前の戦争で大変な目に遭わされた人々の証言が欲しい。考えてみれば、うちの親父も被害者だ。戦争末期に少年航空兵として徴兵されたが、軍人恩給など何もないのだ。終戦が一日遅れたら、「犬死に」させられていたのだから、国家はその精神的な苦痛に対する「おわび」をすべきではないのか。
60数年前にわが日本国は、神風特別攻撃隊などという「自殺攻撃」をやるべきではなかった。こういうやり方を発明した本人は、敗戦時に自殺しているようだが、本人はそれで自己完結したつもりかもしれないが、この国に与えた影響は、計り知れないほど大きい。「死にたくない」と思いつつ死んでいった人がほとんどであることを思えば、なおさらだ。しかし、やってしまった以上は、被害者に償いをすべきなのだ。まずは、この国の被害者に、そして国際法としては義務のない東南アジア諸国民に対して一方的な償いをすべきだ。その時こそ、この国の戦後が訪れると思う。
今、まったくこれまでと違う新しい国家を生み出すチャンスが来ているのだが、当然のごとくそれを望まない勢力がある。その代表が検察であり、もっとも仲の良い友人であるマスコミなのだ。18日から始まる国会では、新政権をつぶすための検察・マスコミ連合の総攻撃が始まる。基本的にマスコミから流れる情報は信用できないと思う。攻撃が功を奏して、新政権をつぶした後に何が残るだろうか。マスコミの情報だけを聞いていると「力強い」指導者を求める声が強いようだ。前にも書いたのだが、その「指導者」が東條英機だったというのがこの国の限界だった。
私は、鳩山首相のように誰もが居場所のある社会にしたいと言ってのける人がリーダーでいいと思っている。実際の国内政治、国際政治は国民である私たち自身が判断して行くべきだ。首相は、国民の声を聞きつつ最終判断をして、4年に一度、選挙でその責任を問われるというしくみでいい。アメリカにも「アメリカ軍よ出て行け!」と言えるよう世論を盛り上げていく必要があると思う。
キーホールTVというソフトがあることを去年の年末に知ったのだが、これがあるおかげで大阪のMBSも東京にいながら聞ける。その結果、
MBS(大阪毎日放送)
金曜日 午後10:00~深夜1:00 「吉竹史のMBSうたぐみ」
土曜日 午後10:00~午後11:39 「明石家さんまのMBSヤングタウン」
をレパートリーに加えようと思っている。録音はできないので、家にいればパソコンで聞くという聞き方だ。さんまのラジオは、初めて聞いたのだが、基本的にスケベな内容なので趣味が合うと感じたのだった。吉竹史の番組は、テレビで「よゐこ部」を見て好きになってしまったということだ。この番組は、東京でもネットされていて毎週、録画までして見ている。吉竹史は、声がイマイチなのだが顔は十分かわいい。「うたぐみ」は、音楽を流すことがメインの番組だが、吉竹史の趣味や、個性がうかがえておもしろいと感じたのだ。
大阪のラジオ番組も基本は、新政権に「反抗的」であり、ウソ情報を垂れ流している傾向は強い。既得権益とはそこまでおいしいものなのだろう。放送一つで世論操作できるという「おいしさ」は、何ものにも代えがたいということなのだろう。新政権では、そのおいしい業界を大手独占ではなく、分割しようとしているので反抗しているそうだ。ほとんどの国民には、もっと小さくなって真実を真実のままで放送する放送局が生まれてくれた方がいいに決まっている。前の戦争のようにウソが国家を破滅させることも可能なのだから、ことは重大なのだ。
9日の『TBS報道特集』では、久しぶりにまともな内容も報道されていた。シベリア抑留は、日本軍が友軍をソ連に「売った」ことが原因だというのだ。私は戦争の歴史に興味はあるのだが、東南アジア戦線とかシベリア抑留とかは、ほとんど知らない。東南アジアのことは、水木しげるの漫画で読んだ程度だ。死人に口なし、で証言者が少ないこともあって今でも真実はほとんど知られていないのだと思う。シベリアから無事生還した人は、既に87歳だが「こんな国のために命をかけたのが、ばからしい」と証言していた。私が国家が絶対やってはいけないと思うことを60数年前には平気でやっていたということだ。
冤罪事件も同じ事で、私は一人の冤罪事件被害者も出してはいけないと思っている。冤罪で被害にあった人は、二度と国家を愛そうという気分にはなれないからだ。私も「冤罪事件」被害者とは言えないかもしれないが、警察とのやりとりを通じて国家というものに疑念を抱くようになった。だから、今の政権のもとで警察や検察を本当に国民に奉仕する組織に変えて欲しいと思っている。私の出会った事件も「法令遵守」を武器に警察の利権を守るために起きたものだと思える。警察が楽して仕事をしているようにアピールするためには、隠れてねずみ取りをするのが一番なのだ。反抗する者は、なぎ倒せ!と言わんばかりに逮捕までするわけだ。
私は、それでもこの国を愛する「愛国者」にとどまっているが、警察や検察への敵意は隠そうとしない。彼らと仲良かった自民や公明のカルト政権も大嫌いだった。マスゴミも同じだ。前の戦争で大変な目に遭わされた人々の証言が欲しい。考えてみれば、うちの親父も被害者だ。戦争末期に少年航空兵として徴兵されたが、軍人恩給など何もないのだ。終戦が一日遅れたら、「犬死に」させられていたのだから、国家はその精神的な苦痛に対する「おわび」をすべきではないのか。
60数年前にわが日本国は、神風特別攻撃隊などという「自殺攻撃」をやるべきではなかった。こういうやり方を発明した本人は、敗戦時に自殺しているようだが、本人はそれで自己完結したつもりかもしれないが、この国に与えた影響は、計り知れないほど大きい。「死にたくない」と思いつつ死んでいった人がほとんどであることを思えば、なおさらだ。しかし、やってしまった以上は、被害者に償いをすべきなのだ。まずは、この国の被害者に、そして国際法としては義務のない東南アジア諸国民に対して一方的な償いをすべきだ。その時こそ、この国の戦後が訪れると思う。
今、まったくこれまでと違う新しい国家を生み出すチャンスが来ているのだが、当然のごとくそれを望まない勢力がある。その代表が検察であり、もっとも仲の良い友人であるマスコミなのだ。18日から始まる国会では、新政権をつぶすための検察・マスコミ連合の総攻撃が始まる。基本的にマスコミから流れる情報は信用できないと思う。攻撃が功を奏して、新政権をつぶした後に何が残るだろうか。マスコミの情報だけを聞いていると「力強い」指導者を求める声が強いようだ。前にも書いたのだが、その「指導者」が東條英機だったというのがこの国の限界だった。
私は、鳩山首相のように誰もが居場所のある社会にしたいと言ってのける人がリーダーでいいと思っている。実際の国内政治、国際政治は国民である私たち自身が判断して行くべきだ。首相は、国民の声を聞きつつ最終判断をして、4年に一度、選挙でその責任を問われるというしくみでいい。アメリカにも「アメリカ軍よ出て行け!」と言えるよう世論を盛り上げていく必要があると思う。
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