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これまで3年近く、いわゆる「うつ本」や経験者のブログを読んだり、研究者の本を読んだりした経験から言うと、向精神薬は飲んではいけないというのが私の結論だ。これは前に書いた。そして、それでもなお、うつな気分がおさまらない人のために、離脱症状ではないか、通常の血液検査ではわからない栄養不足ではないか、米を食べていないのではないか、歩くことをしていないのではないかということを書いた。
だが、どれも陳腐な内容であった。事の性質上、そんなに新しい研究は生まれるはずがない。一方で薬を売りつけようという勢力があり、ほとんどのメディアを制している。薬に反対している勢力は探すのが難しいくらいなのだ。向精神薬に反対する声を一人でもいいからあげて行かなければならないと思う所以だ。
うつを治す方法はあるのかというと、SSRIを始めとする向精神薬をやりながらという意味では無いと答えるしかない。問題が向精神薬の副作用とか、離脱症状と区別しにくいので本人はもちろんのこと、担当医にもわからない場合が多い。私は、抗不安薬、コンスタンを飲んだ経験しかないのだが、主治医は、どんどん薬を出す予定だった。薬理学の知識も無いのに!
最近、得た知識では、現在、SSRIとか抗不安薬、睡眠薬を飲んでいて一人では断薬できないという場合、とりあえず「内科医」をはしごして離脱症状に詳しい医師を探せということだ。私が知っている内科医は二人ともコンスタンの依存性とか離脱症状には疎かった。簡単ではないかもしれないが、事は重大なので「薬を止めたい」という「症状」でいいのではないかと思う。
そして、何とか薬をやめてもまだなお、気持ちが上向きにならない場合は、模倣してみる他ない。つまり、あれがいい、これがいいという人々の模倣をしてみることだ。よくあるのが、「趣味を持て」とか「よく笑うこと」とかだが、そんなことがすぐにできるのならば、そもそもうつにもならないかもしれない。
ここで私には疑問なのだが、なぜいろんなことをやってみようと思わないのか、笑えないのかということ。私ならば、おもしろいことを毎日探していて、これと思ったらすぐに食いつく。笑いにも敏感で笑えることをいつも求めている。私のように、そもそも人と会いたくもない、つき合いたくもないという人間にとって一人になれることは楽しく、快適なことだ。むしろ、大勢と接することの方に「うつ」の気配を感じてしまう。
人間のタイプにはいろいろあるから、自分は社交的ではないが、人と接していたいという人もいるだろう。そして、そこにうつの原因があるとしたら。そうだとすると確かに趣味や運動は一人でやっても意味が無いということになる。人と接することで趣味や運動を生かせるのだと思う。なかなかそれも難しいことだが、原因がハッキリしたならば、そこを目指す他ない。
自らの殻を破るべく声をかけたり、サークルに入ったりすることだ。いよいよせっぱつまったらそういうことは可能だと思う。もちろん、成功するとは限らない。むしろほとんど失敗すると思っていい。私の高校時代などがその連続だったように思う。しかし、テニス部になんとか入り、友人ができた。そして、それが今でもつき合っている親友なのだ。そこは、めげずにやってみることだろう。
人間はそんなに弱い動物ではない、ということもあるいはどこかで聞かされたかもしれない。その通りなのだが、現に困っている人に言っても意味がない言葉だろう。ただ、「弱いからうつになる」と考えるのは間違いだ。弱いというのならば、むしろ私の方が打たれ弱いのだ。しかし、そんなに深刻なうつにはなっていない。この違いは何かと言うと自らの心に正直であるかどうかだ。
私は、うつで深く心が傷つく人々は、本来、「強い」人々ではないかと思っている。そして、ほとんどの人が優秀なことを思う時、優秀で強い自分がなぜ?というギャップで心を傷めるのではないか。そうした場合、「強い」人々だけに防御の術を知らないかもしれない。一度だけ傷つくならばいいのだが、波状攻撃的に傷つくことがあると何倍もの衝撃が心を直撃する。こうなると、もはや医者を頼りたくなる気持ちになることだろう。
そうではなく、弱気になることも認めて生きて行くことをすすめる。常に強気もいいのだが、それではいつか折れてしまう。「うつ」になることでそのことがわかれば十分だ。今後は、弱くなったときにどうするのか、を考えて生きることだ。眠れないときに何をするかを考えておくことでむしろ、あっさりと眠れるように。
有名人がテレビでスピリチュアルだの占いだのを広告するような行為は慎むべきだと思うが、市井の人がこれらをおもしろがって見たり読んだりするのはいっこうに構わないと思っている。もちろん、狂信的にならないこと、のめりこまないことを前提にしてのことだ。強い自分が弱くなった時、何かの助けを借りて勇気を取り戻すことなどほとんどの人がやっていることだろう。そういうことに躊躇すべきではない。私の経験では、占いを時に信じたくなってみるような気持ちは持っていた方がいい。
仕事をしているならば、結局の所、仕事の中で何か自信の持てることをやり、弱さを強みに変えて行くことが遠いようで近道な、うつへの対処方法だ。そして、そのことで他者とのつながりも出来てくるだろう。最初から、他人との関係、つながりを持ち出すことはないと思う。自分の動いた結果から、つながりが出来てくると考えるべきだ。
(つづく)
だが、どれも陳腐な内容であった。事の性質上、そんなに新しい研究は生まれるはずがない。一方で薬を売りつけようという勢力があり、ほとんどのメディアを制している。薬に反対している勢力は探すのが難しいくらいなのだ。向精神薬に反対する声を一人でもいいからあげて行かなければならないと思う所以だ。
うつを治す方法はあるのかというと、SSRIを始めとする向精神薬をやりながらという意味では無いと答えるしかない。問題が向精神薬の副作用とか、離脱症状と区別しにくいので本人はもちろんのこと、担当医にもわからない場合が多い。私は、抗不安薬、コンスタンを飲んだ経験しかないのだが、主治医は、どんどん薬を出す予定だった。薬理学の知識も無いのに!
最近、得た知識では、現在、SSRIとか抗不安薬、睡眠薬を飲んでいて一人では断薬できないという場合、とりあえず「内科医」をはしごして離脱症状に詳しい医師を探せということだ。私が知っている内科医は二人ともコンスタンの依存性とか離脱症状には疎かった。簡単ではないかもしれないが、事は重大なので「薬を止めたい」という「症状」でいいのではないかと思う。
そして、何とか薬をやめてもまだなお、気持ちが上向きにならない場合は、模倣してみる他ない。つまり、あれがいい、これがいいという人々の模倣をしてみることだ。よくあるのが、「趣味を持て」とか「よく笑うこと」とかだが、そんなことがすぐにできるのならば、そもそもうつにもならないかもしれない。
ここで私には疑問なのだが、なぜいろんなことをやってみようと思わないのか、笑えないのかということ。私ならば、おもしろいことを毎日探していて、これと思ったらすぐに食いつく。笑いにも敏感で笑えることをいつも求めている。私のように、そもそも人と会いたくもない、つき合いたくもないという人間にとって一人になれることは楽しく、快適なことだ。むしろ、大勢と接することの方に「うつ」の気配を感じてしまう。
人間のタイプにはいろいろあるから、自分は社交的ではないが、人と接していたいという人もいるだろう。そして、そこにうつの原因があるとしたら。そうだとすると確かに趣味や運動は一人でやっても意味が無いということになる。人と接することで趣味や運動を生かせるのだと思う。なかなかそれも難しいことだが、原因がハッキリしたならば、そこを目指す他ない。
自らの殻を破るべく声をかけたり、サークルに入ったりすることだ。いよいよせっぱつまったらそういうことは可能だと思う。もちろん、成功するとは限らない。むしろほとんど失敗すると思っていい。私の高校時代などがその連続だったように思う。しかし、テニス部になんとか入り、友人ができた。そして、それが今でもつき合っている親友なのだ。そこは、めげずにやってみることだろう。
人間はそんなに弱い動物ではない、ということもあるいはどこかで聞かされたかもしれない。その通りなのだが、現に困っている人に言っても意味がない言葉だろう。ただ、「弱いからうつになる」と考えるのは間違いだ。弱いというのならば、むしろ私の方が打たれ弱いのだ。しかし、そんなに深刻なうつにはなっていない。この違いは何かと言うと自らの心に正直であるかどうかだ。
私は、うつで深く心が傷つく人々は、本来、「強い」人々ではないかと思っている。そして、ほとんどの人が優秀なことを思う時、優秀で強い自分がなぜ?というギャップで心を傷めるのではないか。そうした場合、「強い」人々だけに防御の術を知らないかもしれない。一度だけ傷つくならばいいのだが、波状攻撃的に傷つくことがあると何倍もの衝撃が心を直撃する。こうなると、もはや医者を頼りたくなる気持ちになることだろう。
そうではなく、弱気になることも認めて生きて行くことをすすめる。常に強気もいいのだが、それではいつか折れてしまう。「うつ」になることでそのことがわかれば十分だ。今後は、弱くなったときにどうするのか、を考えて生きることだ。眠れないときに何をするかを考えておくことでむしろ、あっさりと眠れるように。
有名人がテレビでスピリチュアルだの占いだのを広告するような行為は慎むべきだと思うが、市井の人がこれらをおもしろがって見たり読んだりするのはいっこうに構わないと思っている。もちろん、狂信的にならないこと、のめりこまないことを前提にしてのことだ。強い自分が弱くなった時、何かの助けを借りて勇気を取り戻すことなどほとんどの人がやっていることだろう。そういうことに躊躇すべきではない。私の経験では、占いを時に信じたくなってみるような気持ちは持っていた方がいい。
仕事をしているならば、結局の所、仕事の中で何か自信の持てることをやり、弱さを強みに変えて行くことが遠いようで近道な、うつへの対処方法だ。そして、そのことで他者とのつながりも出来てくるだろう。最初から、他人との関係、つながりを持ち出すことはないと思う。自分の動いた結果から、つながりが出来てくると考えるべきだ。
(つづく)
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