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私にとって2009年最後の行事に参加してきた。永井龍雲のコンサートだ。さすがにここまで押し迫ってのコンサートでは「入り」が悪かったようだ。400人もいなかったのではないだろうか。しかも、ファン層の中心が主婦だから余計に参加しにくい状況だったのだろう。
いきなり、「一人に帰れよ、苦しいのなら」という歌詞が意味深な「風の囁き」で始まったのが印象的だった。龍雲もこの歌を作った時のような心境なのだろうと思った。まだ、CDになっていないという曲を2曲うたってくれたのだが、その一つに娘に自転車を教える光景を描いたものがあった。正月を一人で迎えなければならない寂しさから思わず選曲したのだと思った。なかなかの龍雲節で早くCDで聴きたいと思う。「時が過ぎれば、誰も一人」という歌詞も出てくるのだが、これが龍雲の独特な節回しでうたわれるので効果抜群だった。
去年から、ライブ会場に行くと「途中退席」しなければならないような「悪酔い」に見舞われた私だったが、今年後半あたりから徐々に改善してきた。これは、要するに自分のリラックス空間を誤っていたために起きた現象のようだった。私は、自他共に認める「田舎もん」だ。やはり、人の多さに「酔ってしまう」ところがあるのだ。総武線的な混雑は、とても耐えられないのだ。
龍雲のライブチケットを買うのに特別な早売りを通して買うと、最前列に近い席をとられてしまう。普通には、これが一番良い席だと思われるからだ。しかし、私にとって「良い席」とは、「最後尾の端っこ」なのだ。ここで周りのことを気にすることなく、頭を揺らしたり、足でリズムをとったり、よそ見をしたりして龍雲の世界に浸ることが私の「楽しみ」としていたのだ。今回は、それに近い席がとれたし、人が少なかったことも幸いして周りには誰も人がいなかったのだ。双眼鏡も用意していたが、ごくわずかの時間使っただけだった。
出色だったのは、龍雲の歌作りの原点を聞けたことだった。怒りとか悲しみの中間点にあるような「せつない気持ち」を表現することが自分の歌作りの原点なのだと話してくれた。しかし、30年以上の付き合いで私自身がそういうことに全く気がついていなかったということにショックを受けてしまった。
もっとも、何も感じていなかったかというとそんなことはなく、デビュー曲の「想い」からして「せつない気持ち」を体現するような歌だったのだ。私の一番のお気に入りである「流れよ」も若さだけあって、為す術が無いときに誰でも陥る不安、そこから生じる「せつない気持ち」を扱ってくれている。テレビドラマの挿入歌「青春の旅」もかなりいい歌なのだが、「せつなさ」の扱いという意味で龍雲の「流れよ」の方が私には響くのだった。
そして、今から3年後に「武道館」でやりたいという提案には驚いたが、そういうことを意図しなければ実現も無いのでいいことだと思えた。これは既に龍雲が自分のホームページで発表していたことだったが、本人の口から聞くことが重要だったのだ。むろん、スタッフからは大反対されたそうだ。借りるだけで「ン千万」かかり、さらに仕掛けを用意するとなると「億」の声も聞こえてくるくらいだ。そうでなくとも人が集まらない龍雲が「武道館だ!」とやると大赤字必至となりそうだが、龍雲も言っていたように3年後どうなっているのかだろう。
龍雲の歌は、本人が言うように「せつなさ」を基調にしている。確かにそういう歌は、浸透するスピードという点では鈍いが、一度、知ってしまうと簡単にはやめられない麻薬のような効果を持っている。おもしろいことに、「離脱症状」もあるのだ。いくら龍雲が飽いたからといって何ヶ月も聴かないと「ふるえ」が来るのだ。まるで薬が切れたかのようにむさぼり聴くようにして聴くのだ。問題は、龍雲の歌にたどり着く人が少ないということだろう。
話し方でデビュー当時から在籍していたレコード会社「ポニーキャニオン」を敵視していることがわかった。「もう、君の時代は終わったんだよ。」という言い方をされたのだから当然なのだが、今の「売り方」は基本的に「雰囲気」だ。50過ぎのおぢさんがヒットを飛ばすにはなかなか難しいものがある。私のような筋金入りのファンから見れば、龍雲は「かっこいい」がそうでない人だとそうでもないかもしれない。それほどでもない雰囲気の人を売るのは「難しい」ということなのだろう。
ただ、私がこれまで龍雲に支えられてきた経験からすると、龍雲の歌やライブには薬に匹敵するほどの効果がある。私が20歳そこそこで命のともしびを消そうとしかけていたのを復活させてくれたのも龍雲だった。その後の30年も龍雲がいてくれたからこそ、今の私があるとさえ言えるのだった。いろんな人に支えられて生きてきた私だが、龍雲に依存した部分は、かなり大きい。
この日のコンサートにも龍雲をあまり知らない人が来ていたので、まったく「龍雲人口」を増やせられていないということもないようだ。一番難しい、「とりあえず聴いて欲しい」ということが来年以降の課題なのだ。企業が、「それほどでもない」龍雲をCMに取り上げるはずもなくこちらの面からの宣伝も厳しい情勢だ。龍雲は、若くして大金を手にしたわけではなく地に足の着いた創作活動をしてきた。その歌は、一度聴いてはまると依存症が生じるほどだ。企業がこれを利用しない手はないのだが、営業活動をしているのが、センスの無い人間ばかりなのかいっこうに私たちにとっていい話は無いようだ。
「来年は・・・・」と言葉をつまらせていた龍雲だったが、これまで自分が他人に提供してきた歌をセルフカバーしたものを売り出す企画があるという。「おわら心中 風の盆」とか「時過ぎれば誰も一人」という詩の歌があるので新作アルバムもと思うが、これは再来年になるかもしれないという。私としては、シングルでもいいので出して欲しい気がする。これまでのコンサートのDVDも欲しいところだが、この日はボロいハンディカム風カメラで撮っていたのみだった。
結局、歌というものは、作者の心境と聴く側の心境がぴったりと合えば双方に利益がある。聴く側の一方的な思い込みでもいいのだが、それでは長くはもなたいだろう。やはり、大筋のところで合意できるものがなければならない。異なる環境で育つだけになかなかぴったりというのは無いはずなのだが、いわゆるフォークソングでは私と龍雲のように「浪人上がり」という共通点があったりする。私は、そこからのめり込んだ口だった。龍雲の「せつない気持ち」を表現しているという意図は、鈍感にも気がつかないでいたが、心は理解していた。
今すぐはなんともできないまでも少し先には「明るい未来」があるはずに違いない。そんな想いで龍雲の歌は聴かれるのがいい。この30年間を振り返ってそう思う。浪人時代、京都時代、岡山の時代、東京の時代、と私のこれまでを分類できると思うが、常に龍雲が一緒だった。好んで聴いていたのは、厳しい時代を生きる歌ばかりだったように思う。龍雲自身が苦しかった時代を思い出してライブで声をつまらせる程の歌だ。
時代としては、龍雲の歌が受け入れられる地盤があると思う。龍雲は、これまでにも十分がんばってきてくれたと思う。後は、私たちファンがなんとか盛り上げてあげたいと思う。もちろん目標は3年後の武道館だ。これとて通過点に過ぎないと思うが、とりあえずの共通目標としてはいいのではないか。
いきなり、「一人に帰れよ、苦しいのなら」という歌詞が意味深な「風の囁き」で始まったのが印象的だった。龍雲もこの歌を作った時のような心境なのだろうと思った。まだ、CDになっていないという曲を2曲うたってくれたのだが、その一つに娘に自転車を教える光景を描いたものがあった。正月を一人で迎えなければならない寂しさから思わず選曲したのだと思った。なかなかの龍雲節で早くCDで聴きたいと思う。「時が過ぎれば、誰も一人」という歌詞も出てくるのだが、これが龍雲の独特な節回しでうたわれるので効果抜群だった。
去年から、ライブ会場に行くと「途中退席」しなければならないような「悪酔い」に見舞われた私だったが、今年後半あたりから徐々に改善してきた。これは、要するに自分のリラックス空間を誤っていたために起きた現象のようだった。私は、自他共に認める「田舎もん」だ。やはり、人の多さに「酔ってしまう」ところがあるのだ。総武線的な混雑は、とても耐えられないのだ。
龍雲のライブチケットを買うのに特別な早売りを通して買うと、最前列に近い席をとられてしまう。普通には、これが一番良い席だと思われるからだ。しかし、私にとって「良い席」とは、「最後尾の端っこ」なのだ。ここで周りのことを気にすることなく、頭を揺らしたり、足でリズムをとったり、よそ見をしたりして龍雲の世界に浸ることが私の「楽しみ」としていたのだ。今回は、それに近い席がとれたし、人が少なかったことも幸いして周りには誰も人がいなかったのだ。双眼鏡も用意していたが、ごくわずかの時間使っただけだった。
出色だったのは、龍雲の歌作りの原点を聞けたことだった。怒りとか悲しみの中間点にあるような「せつない気持ち」を表現することが自分の歌作りの原点なのだと話してくれた。しかし、30年以上の付き合いで私自身がそういうことに全く気がついていなかったということにショックを受けてしまった。
もっとも、何も感じていなかったかというとそんなことはなく、デビュー曲の「想い」からして「せつない気持ち」を体現するような歌だったのだ。私の一番のお気に入りである「流れよ」も若さだけあって、為す術が無いときに誰でも陥る不安、そこから生じる「せつない気持ち」を扱ってくれている。テレビドラマの挿入歌「青春の旅」もかなりいい歌なのだが、「せつなさ」の扱いという意味で龍雲の「流れよ」の方が私には響くのだった。
そして、今から3年後に「武道館」でやりたいという提案には驚いたが、そういうことを意図しなければ実現も無いのでいいことだと思えた。これは既に龍雲が自分のホームページで発表していたことだったが、本人の口から聞くことが重要だったのだ。むろん、スタッフからは大反対されたそうだ。借りるだけで「ン千万」かかり、さらに仕掛けを用意するとなると「億」の声も聞こえてくるくらいだ。そうでなくとも人が集まらない龍雲が「武道館だ!」とやると大赤字必至となりそうだが、龍雲も言っていたように3年後どうなっているのかだろう。
龍雲の歌は、本人が言うように「せつなさ」を基調にしている。確かにそういう歌は、浸透するスピードという点では鈍いが、一度、知ってしまうと簡単にはやめられない麻薬のような効果を持っている。おもしろいことに、「離脱症状」もあるのだ。いくら龍雲が飽いたからといって何ヶ月も聴かないと「ふるえ」が来るのだ。まるで薬が切れたかのようにむさぼり聴くようにして聴くのだ。問題は、龍雲の歌にたどり着く人が少ないということだろう。
話し方でデビュー当時から在籍していたレコード会社「ポニーキャニオン」を敵視していることがわかった。「もう、君の時代は終わったんだよ。」という言い方をされたのだから当然なのだが、今の「売り方」は基本的に「雰囲気」だ。50過ぎのおぢさんがヒットを飛ばすにはなかなか難しいものがある。私のような筋金入りのファンから見れば、龍雲は「かっこいい」がそうでない人だとそうでもないかもしれない。それほどでもない雰囲気の人を売るのは「難しい」ということなのだろう。
ただ、私がこれまで龍雲に支えられてきた経験からすると、龍雲の歌やライブには薬に匹敵するほどの効果がある。私が20歳そこそこで命のともしびを消そうとしかけていたのを復活させてくれたのも龍雲だった。その後の30年も龍雲がいてくれたからこそ、今の私があるとさえ言えるのだった。いろんな人に支えられて生きてきた私だが、龍雲に依存した部分は、かなり大きい。
この日のコンサートにも龍雲をあまり知らない人が来ていたので、まったく「龍雲人口」を増やせられていないということもないようだ。一番難しい、「とりあえず聴いて欲しい」ということが来年以降の課題なのだ。企業が、「それほどでもない」龍雲をCMに取り上げるはずもなくこちらの面からの宣伝も厳しい情勢だ。龍雲は、若くして大金を手にしたわけではなく地に足の着いた創作活動をしてきた。その歌は、一度聴いてはまると依存症が生じるほどだ。企業がこれを利用しない手はないのだが、営業活動をしているのが、センスの無い人間ばかりなのかいっこうに私たちにとっていい話は無いようだ。
「来年は・・・・」と言葉をつまらせていた龍雲だったが、これまで自分が他人に提供してきた歌をセルフカバーしたものを売り出す企画があるという。「おわら心中 風の盆」とか「時過ぎれば誰も一人」という詩の歌があるので新作アルバムもと思うが、これは再来年になるかもしれないという。私としては、シングルでもいいので出して欲しい気がする。これまでのコンサートのDVDも欲しいところだが、この日はボロいハンディカム風カメラで撮っていたのみだった。
結局、歌というものは、作者の心境と聴く側の心境がぴったりと合えば双方に利益がある。聴く側の一方的な思い込みでもいいのだが、それでは長くはもなたいだろう。やはり、大筋のところで合意できるものがなければならない。異なる環境で育つだけになかなかぴったりというのは無いはずなのだが、いわゆるフォークソングでは私と龍雲のように「浪人上がり」という共通点があったりする。私は、そこからのめり込んだ口だった。龍雲の「せつない気持ち」を表現しているという意図は、鈍感にも気がつかないでいたが、心は理解していた。
今すぐはなんともできないまでも少し先には「明るい未来」があるはずに違いない。そんな想いで龍雲の歌は聴かれるのがいい。この30年間を振り返ってそう思う。浪人時代、京都時代、岡山の時代、東京の時代、と私のこれまでを分類できると思うが、常に龍雲が一緒だった。好んで聴いていたのは、厳しい時代を生きる歌ばかりだったように思う。龍雲自身が苦しかった時代を思い出してライブで声をつまらせる程の歌だ。
時代としては、龍雲の歌が受け入れられる地盤があると思う。龍雲は、これまでにも十分がんばってきてくれたと思う。後は、私たちファンがなんとか盛り上げてあげたいと思う。もちろん目標は3年後の武道館だ。これとて通過点に過ぎないと思うが、とりあえずの共通目標としてはいいのではないか。
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