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来年、私も50ということもあって、「死んだときは」とか「お袋が死んだら」とかをよく考える。気がついたら考えていたということが多い。誰でもそうなのかもしれないが、私は、もちろん初めての経験なので驚いている。別に便宜を供与してもらうわけではないのだが、政治にクビを突っ込もうとするのも関係があるような気がする。

私のような変人がこれまで生きてこられたのも周りの人々に助けられた結果だった。せめて、こういう人々に恩返しをしてからあちらに逝きたいと思うのも当然だろう。たまたま政権交代があったので、手弁当でもいいからこれにも協力したいと思うこともまた自然だと思う。私が協力したところで何になるという考えもあるのだが、一方で私のような者でも協力することで本当にこの国をよくすることができるかもしれないという読みもある。未来の世代に「年金」が払い戻される、当たり前の国になれるかもしれないのだ。

企業が、リストラや経費節減に奔走している姿は、かつてもあった。1990年代の初めがそうだった。私の仕事も無くなった。しかし、経費節減とか人員削減で目先の出る金を抑えたところで、「発展」は無いのだ。私の関係する出版業であれば、「売れる本」のみを出すということでは発展は無いのだ。人が育たない経済活動や研究はあり得ないことを思い起こすべきだろう。どこまでいっても人がまず最初にあって、そこから「売れる」ものも生まれる。理論的な考察がいかに大事であるかを知るべきだ。企業の中でも数字しか見ていない連中は、そのことに気がつくべきだろう。時代は、新しくなっている。いつまでも古い頭では何度でも同じ失敗を繰り返すだけだ。

そのことと、「死」とは結びつかないような気もするが、それは歳のなせる業だろうと思う。今までは、当たり前のように生きてきたのだが、50にもなると、「死」は現実のものとなる。あまりに無茶をすると本当に死んでしまうこともあり得る歳なのだ。ストレスがかかり過ぎるとガンになるし、過労が極限まで達するとくも膜下出血もある。「死」が恐いのではなく、「死」が身近な歳だということだ。できれば、私が元気でいて、周りの人々を励ましつつこれからも生きられたらと願うだけのことだ。

結婚とかその後の子育てということについても考えるが、どうしても仕事の安定が無いと、とかこの年代から子育てとは遅すぎるのでは、とか私らしくもない「現実的な」考えにとらわれている自分に気がつく。かつての私は、こんなふうには考えなかったはずだ。さすがの私の自分の未来については、今のダメ経営者のような近視眼的な見方しかできないということか。相手さえいれば、これからでも子育てをして息子や娘に夢を託すのだ、くらい考えないといけないと思う。私の親父がその考えであった。まだ元気な頃に「おめえの夢は夢として、子供に託せ。」と。子育てをしつつ、私はひたすら仕事の安定に奔走するということも悪くはないだろう。

現在、この国では政策のアホさも手伝ってどんどん人口が減っている。子育てがローンを組むような足かせになっていると見ていいだろう。直接、子供を産めるわけでもない私がそう感じるくらいだ。私が生まれた頃のように「産めばなんとかなる」という発想は無いのだ。私一人が政治に関心を持ってどうなるものではない。同じように私一人が子供に関心を持っても人口が増えるわけでもない。だが、ひとりひとりがそう思わないと変わらないことも事実だ。子育てなど、今さらと考え始めていた私が、考えることで現実を変えることができるかもしれないのだ。

京都時代に京都府立資料館に行って勉強することが一時期趣味だったことがあった。浪人時代、受験以外のことをやることを禁じられていたようなものだっただけに、それこそ狂ったように勉強した。たぶん、1980年代の前半だったろうと思う。次第に余裕が無くなり、「かつて行っていたなあ」という思い出の地になってしまったのだが。

そこでは、歴史とか政治の関係の本を読むことが多かった。古い新聞を見て喜ぶということもやった。歴史をやっていると明治時代の日本に「教師」としてやってきていた「お雇い外国人」の存在を知った。私の場合は、「受験」ということにこだわっていたのだが、中でもエルウィン・ベルツという人に興味を持ち調べたものだった。『資料・お雇い外国人』(小学館刊)という珍しい本が開架に置かれていたのでよく見た。その中にベルツの嫁さんが載っていてずっと忘れられないでいた。日本人なのだが、かわいい感じなのだ。

最近になって、ネット上に大きな写真があるのを知り、熟読した。ずっと、彼女は幸福な一生を送っていたのだとばかり思っていたら、そうでもなさそうなので衝撃を受けた。私が知っていた知識というのは、ベルツの故郷のドイツに行ってベルツの家族にも尊敬され幸せな一生だったというものだった。だが、それは一時期のことだったようだ。実際には、日本に帰ってきており大震災にも遭っているという。ただ、震災で亡くなったのではなくて胃ガンで亡くなったという。

自分の一生とかを考えていたら、私にとってつらい時代だった京都時代、そしてベルツ・ハナのことなどを思い出してしまったようだ。
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