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お彼岸で岡山に帰っていた頃のこと、前に一緒に仕事をしていた友人からライブに誘われていた。有名人のライブではなく、これまた一緒に仕事をしていた女性のライブであった。10年も経っていないのだが、当時はわりと頻繁にライブに行くということがあった。私も写真を撮りたいという色気があって、追っかけのようなことをしていた。
正直、あまり興味が無かったのだが、久しぶりということもあったし、昨年の今頃、会って話でもしようというのを断ったということもあった。去年は、パートナーが復活してくれるという時だったので断然そちらを優先したわけだ。私も久しぶりに会って話がしたいとは思っていた。確か、2回誘われたのだが、どちらも都合が悪く、結局会えずじまいだった。お互いに仕事もあるし、そんなにどうしても会わなければならないということもなかったので、そのまま終わったのだった。
私としては、10年にもならないものの既に忘れていた記憶だった。つい最近、片付けをやっていて昔の写真が出てきたので捨てようかどうしようか迷ったことがあったので少し鮮明になっていた。結局、写真は捨てられず、そのまんまにしてある。ともかく、そんな経過をたどり、一緒にライブに行くことを約束した。
決めたら決めたで、最近は「ビデオおやじ」と化している私だけにどんな映像が撮れるだろうかということに関心が移っていた。当時は、下手な写真をフィルムカメラで撮っていたのだった。そして、そのカメラこそ、お目当ての人を撮るのにそろえた総額21万円のセットだった。最初、サクラヤで買うつもりでローンを組んだら、なんと審査で拒否されるという目にあったいわくつきのカメラだった。
私がライブに行くことを躊躇した理由は、もちろん当時のことを思い出したくなかったということにある。それは、私が追っかけをしていた彼女ではなく、そのお姉さんの存在だった。岡山から出てきた田舎もんの私にとって、バリバリの東京もんと付き合うのがうれしかった。当初は、追っかけをしていた彼女が好みだったのだと思うが、途中から突如として「彼氏」が登場してきて「なんや~!」ということで終わった。しかし、その彼はなかなかいいやつだったので私も一目を置かざるを得なかった。
そうこうしているうちに、その彼女のお姉さんが登場してきた。グループで遊びに行ったりしていたので特に違和感は無かった。私の行動パターンは、こういう場合、遠巻きに見るだけでなかなかうち解けることはできない。しかし、彼女は積極的で見ず知らずの私にも平気で話をしてきた。こうなるとさすがの私も非常に緩慢なペースながら、彼女に興味を示し「こんなことで恋が芽生えたらどないしょう~!」と思ったものだった。当時、彼女に入れあげていた同僚がいることは知っていたのだが、だからといって興味を失うということではなかった。
特に二人でということは、結局、最後まで無かったのだが、私がその気になったのは、彼女から電話があったくらいからだった。特に用事があったわけでもなく「今、何している?」という電話だった。私もそういうほんわりした感じの恋愛はついぞ味わったことが無かったので、ますます入れあげたものだった。向こうにしてみれば、まったく無価値だったかもしれないが、龍雲が浪人していた時代のアルバムとか『パピヨン』をプレゼントしたくらいだ。龍雲も『パピヨン』も私にとっては魂とも言うべき存在で誰にでもあげられるものではなかった。
私としては、当然、そのまま付き合いを深めて「結婚?」というイメージさえ描いていたのは事実だった。しかし、これがまた「生きる」ということの厳しさなのか、つらい結果に終わることになった。ある時を境に、メールを出しても返事も来ないという事態が起きた。自分としては、短気なところを見せたとか思い当たるフシはあるにはあったが、突然、何の応答も無いというのが理解できなかった。「終わり」というものは、そういうものだと最終的には理解してお別れのメールを出した。
相手にしてみれば、「始まってもいない」ということだったかもしれないが、私も区切りをつけなければ気持ちが収まらなかった。電話も住所も知っていたのだが、何もする気はおきなかった。ばつが悪いのは、妹が私と同じ仕事場で毎日、顔を合わせているということだった。当初は、私たちの「関係」が壊れたことを知らなかったのかごく普通に接してくれていたが、途中から何となく雰囲気が変わったので、「ああ、知らされたのだな。」と思った。
しばらく、気まずい雰囲気が続いた後、彼女が仕事を辞めることになり、「今日で最後です」と挨拶に来てくれたのが救いだった。妹だが、そういうところはお姉さんよりもしっかりしていた。また、そういうところがあるから、今回、私にもお誘いがあったのかもしれない。私の心配は、このライブに当事者である姉が来るのでは?ということだった。ライブにはちょくちょく来ていたし、お母さんも来ていたくらいだ。
そして、その心配は現実のものとなった。なんと、今回も本人とお母さんも来ていた。何を話すかと思ったら、「主人が・・・・」と言っていた。そう、とっくの昔に結婚していたようだ。結局、私の存在などは眼中になかったのかと思い、衝撃を受けたものだった。私は、私の魂といえるものを捧げた相手がこんなだったのかと思うと本当に情けなくなった。私としては、難しい性格の女であり、当然、未婚だと思いこんでいたということだ。
今、数年ぶりに「封印された記憶」をひもといてみると、そこには「品定め」というキーワードがあるように思えてならない。私が、「関係」が出来たと思いこんでいた頃、彼女はライブに母親と来ていて紹介されたことがあった。どんな会話があったのか、知るよしもないのだが「ありゃ、やめとき!」という会話があったことは想像に難くない。その後の経過をたどると、そう思わざるを得ないような場面があったからだ。そして、私は確かめたことはないのだが、そのことを気にしていた。
今回、数年ぶりに会ったのだが、ひょっとして「まだおるわ!」と思われたのではなかったか。そんな雰囲気を感じたということだ。彼女の方は、さすがに出会った頃のような笑顔で「お久しぶりです」と言っていたのだが、私の魂をゴミとして捨てているのかと思うと心の中は嵐だった。
母親と娘との関係は特別のものがあるということは理解しているのだが、娘は母親の「言いなり」になるものなのだろうか。確かに経験者の目で見れば、生命力の強いオスかどうかはわかるような気がする。そして、結婚という制度がある以上は、よりいい相手を選ぶのが定石だろう。単に、私の存在が気にくわないという理由ならば納得できるのだが、その判断に親の意見が入っていたとしたらどうか。そのことを、実はこの数年ずっと考えていた。
私自身の考えは、決まっていて、母親は大切だが、意見には従わない。これまでもそうだったし、これからも同じだろうと思う。親を乗り越えてこそ、子供は大人になると思うからだ。それが、失敗したとしても誰のせいでもない、自分のせいなのだ。私は、当然、相手にもそんな人を求める。母親や父親に「品定め」をしてもらうような相手は欲しくない。こちらから願い下げなのだ。もっとも彼女が品定めをしてもらったのかどうか、今となってはどうでもいいことなのだが。
数年ぶりに私のモヤモヤも解決に向かいそうだ。私には既に過去の記憶になっていたように、入れ替わるようにして登場したパートナーとの記憶の方が大事なのだった。こちらにも、それはもう話せば長いストーリーがあるのだが、いつの日かそれを書く日が来るのかもしれない。
正直、あまり興味が無かったのだが、久しぶりということもあったし、昨年の今頃、会って話でもしようというのを断ったということもあった。去年は、パートナーが復活してくれるという時だったので断然そちらを優先したわけだ。私も久しぶりに会って話がしたいとは思っていた。確か、2回誘われたのだが、どちらも都合が悪く、結局会えずじまいだった。お互いに仕事もあるし、そんなにどうしても会わなければならないということもなかったので、そのまま終わったのだった。
私としては、10年にもならないものの既に忘れていた記憶だった。つい最近、片付けをやっていて昔の写真が出てきたので捨てようかどうしようか迷ったことがあったので少し鮮明になっていた。結局、写真は捨てられず、そのまんまにしてある。ともかく、そんな経過をたどり、一緒にライブに行くことを約束した。
決めたら決めたで、最近は「ビデオおやじ」と化している私だけにどんな映像が撮れるだろうかということに関心が移っていた。当時は、下手な写真をフィルムカメラで撮っていたのだった。そして、そのカメラこそ、お目当ての人を撮るのにそろえた総額21万円のセットだった。最初、サクラヤで買うつもりでローンを組んだら、なんと審査で拒否されるという目にあったいわくつきのカメラだった。
私がライブに行くことを躊躇した理由は、もちろん当時のことを思い出したくなかったということにある。それは、私が追っかけをしていた彼女ではなく、そのお姉さんの存在だった。岡山から出てきた田舎もんの私にとって、バリバリの東京もんと付き合うのがうれしかった。当初は、追っかけをしていた彼女が好みだったのだと思うが、途中から突如として「彼氏」が登場してきて「なんや~!」ということで終わった。しかし、その彼はなかなかいいやつだったので私も一目を置かざるを得なかった。
そうこうしているうちに、その彼女のお姉さんが登場してきた。グループで遊びに行ったりしていたので特に違和感は無かった。私の行動パターンは、こういう場合、遠巻きに見るだけでなかなかうち解けることはできない。しかし、彼女は積極的で見ず知らずの私にも平気で話をしてきた。こうなるとさすがの私も非常に緩慢なペースながら、彼女に興味を示し「こんなことで恋が芽生えたらどないしょう~!」と思ったものだった。当時、彼女に入れあげていた同僚がいることは知っていたのだが、だからといって興味を失うということではなかった。
特に二人でということは、結局、最後まで無かったのだが、私がその気になったのは、彼女から電話があったくらいからだった。特に用事があったわけでもなく「今、何している?」という電話だった。私もそういうほんわりした感じの恋愛はついぞ味わったことが無かったので、ますます入れあげたものだった。向こうにしてみれば、まったく無価値だったかもしれないが、龍雲が浪人していた時代のアルバムとか『パピヨン』をプレゼントしたくらいだ。龍雲も『パピヨン』も私にとっては魂とも言うべき存在で誰にでもあげられるものではなかった。
私としては、当然、そのまま付き合いを深めて「結婚?」というイメージさえ描いていたのは事実だった。しかし、これがまた「生きる」ということの厳しさなのか、つらい結果に終わることになった。ある時を境に、メールを出しても返事も来ないという事態が起きた。自分としては、短気なところを見せたとか思い当たるフシはあるにはあったが、突然、何の応答も無いというのが理解できなかった。「終わり」というものは、そういうものだと最終的には理解してお別れのメールを出した。
相手にしてみれば、「始まってもいない」ということだったかもしれないが、私も区切りをつけなければ気持ちが収まらなかった。電話も住所も知っていたのだが、何もする気はおきなかった。ばつが悪いのは、妹が私と同じ仕事場で毎日、顔を合わせているということだった。当初は、私たちの「関係」が壊れたことを知らなかったのかごく普通に接してくれていたが、途中から何となく雰囲気が変わったので、「ああ、知らされたのだな。」と思った。
しばらく、気まずい雰囲気が続いた後、彼女が仕事を辞めることになり、「今日で最後です」と挨拶に来てくれたのが救いだった。妹だが、そういうところはお姉さんよりもしっかりしていた。また、そういうところがあるから、今回、私にもお誘いがあったのかもしれない。私の心配は、このライブに当事者である姉が来るのでは?ということだった。ライブにはちょくちょく来ていたし、お母さんも来ていたくらいだ。
そして、その心配は現実のものとなった。なんと、今回も本人とお母さんも来ていた。何を話すかと思ったら、「主人が・・・・」と言っていた。そう、とっくの昔に結婚していたようだ。結局、私の存在などは眼中になかったのかと思い、衝撃を受けたものだった。私は、私の魂といえるものを捧げた相手がこんなだったのかと思うと本当に情けなくなった。私としては、難しい性格の女であり、当然、未婚だと思いこんでいたということだ。
今、数年ぶりに「封印された記憶」をひもといてみると、そこには「品定め」というキーワードがあるように思えてならない。私が、「関係」が出来たと思いこんでいた頃、彼女はライブに母親と来ていて紹介されたことがあった。どんな会話があったのか、知るよしもないのだが「ありゃ、やめとき!」という会話があったことは想像に難くない。その後の経過をたどると、そう思わざるを得ないような場面があったからだ。そして、私は確かめたことはないのだが、そのことを気にしていた。
今回、数年ぶりに会ったのだが、ひょっとして「まだおるわ!」と思われたのではなかったか。そんな雰囲気を感じたということだ。彼女の方は、さすがに出会った頃のような笑顔で「お久しぶりです」と言っていたのだが、私の魂をゴミとして捨てているのかと思うと心の中は嵐だった。
母親と娘との関係は特別のものがあるということは理解しているのだが、娘は母親の「言いなり」になるものなのだろうか。確かに経験者の目で見れば、生命力の強いオスかどうかはわかるような気がする。そして、結婚という制度がある以上は、よりいい相手を選ぶのが定石だろう。単に、私の存在が気にくわないという理由ならば納得できるのだが、その判断に親の意見が入っていたとしたらどうか。そのことを、実はこの数年ずっと考えていた。
私自身の考えは、決まっていて、母親は大切だが、意見には従わない。これまでもそうだったし、これからも同じだろうと思う。親を乗り越えてこそ、子供は大人になると思うからだ。それが、失敗したとしても誰のせいでもない、自分のせいなのだ。私は、当然、相手にもそんな人を求める。母親や父親に「品定め」をしてもらうような相手は欲しくない。こちらから願い下げなのだ。もっとも彼女が品定めをしてもらったのかどうか、今となってはどうでもいいことなのだが。
数年ぶりに私のモヤモヤも解決に向かいそうだ。私には既に過去の記憶になっていたように、入れ替わるようにして登場したパートナーとの記憶の方が大事なのだった。こちらにも、それはもう話せば長いストーリーがあるのだが、いつの日かそれを書く日が来るのかもしれない。
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