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数年前、こちらに単身赴任してきたクラスメートが岡山に帰るというので送別会に行ってきた。

中学時代の友人が3人ともう一人は小学時代からの友人だ。前にここで取り上げたこともある「慎重な」やつだ。だが、彼は自分の体には慎重ではないようでタバコは吸うわ、糖尿病の治療はしているわで白髪も増えている感じだった。途中まで彼と一緒だったのだが、「お互いに、健康でおろうで」と言って別れた。既に遺伝子を引き継ぐ子どもがいる彼と私では立場が違うのだろう。彼は、あまりこの世のルールに縛られたくないようだった。タバコを吸えないなら、死んでもええわとでも思っているのかもしれない。私は私で、いつの日か遺伝子を引き継げるチャンスがあるかもしれないと思い、それまではできるだけ元気で健康的であろうと思っている。

タイ料理の店だったが、狭苦しくて嫌な雰囲気だったが、そこはクラスメート、次第になごみ、話もはずんでくる頃には普通に食べていた。ビールは一杯のみだったが、食事はちょろちょろながら食べた。飯田橋だからかもしれないが、狭い店は大繁盛で味も調整しているのか、ものすごく辛いというものは少ししかなかった。カレーは、なかなかおいしいのだが、取り皿が無かったので結果的に残してしまうという結果になった。タイ風の日本料理店ということなのかもしれない。私たちのようにわりと大人数で宴会をやっている組、男同士、女同士、女一人と様々な組み合わせが来ていた。都会の隠れ家のような店なので一人で来ても楽しめるのかもしれない。

「慎重な」彼に政権交代の影響を聞いてみたら、そんなに関係ないのではと言っていた。CO2を25%削減するということの方が苦しいと言っていた。大企業に勤めている友人たちなので皆に聞いてみたかったのだが、聞けたのは彼だけだった。もう一人、ぜひ聞いてみたかった彼の会社は自民とずぶずぶの関係だった。政府とよろしくやって、税金を食い荒らしてきたのだと思っている。政権交代でこれまでのルールが使えなくなってさぞかし困惑しているのではないかと思うのだが。残念ながら、あまり話したくないような雰囲気だった。またぞろ、民主党と仲良くやって税金を蚕食する算段をすることだろう。しかし、彼の才能がそんなことにしか使われないとしたらこの国にとって損な話だ。

岡山に帰る彼は、どうなのかと言えば特に突っ込んだ話もできなかった。数年前にこちらに来た時に、うっかり「ずいぶん変わったのう。」と言うとムッとしたように「おめえものう。」と返してきた彼だった。昔から鼻っ柱は強く、そうして生きてきたのだと思う。岡山でも優良な企業に就職を決め、他のクラスメートに比べると遅かったが子供もちゃんといる。「少しは楽になるんか?」と聞くと「変わらん」そうだ。会社組織である以上、また外に出ることもあるのだという。安定した収入と引き替えに、好きな場所での生活は許されない。私も20代で収入が安定していたら、あるいは結婚もあったかもしれないが、これはあくまでも個人的な資質が大きいので、独身のままだったかもしれない。だいたい、私が組織の中で生きられるはずもなかっただろう。私の今の姿は必然だったのかもしれない。

彼らと話していると、生きていくための実力が全然違うということを感じる。株もやっていて結構、詳しい。会社をやっていても株とは縁もゆかりもない私とは次元の違いを感じてしまう。数年前、私は卑屈な言葉を吐いたことを覚えている。「わしも、おめえのように受験勉強をやっときゃ良かった!」という心にもないものだった。これは説明の必要があるのだが、要するに中学時代、夏休みの宿題で数学などは上記の自民とずぶずぶの会社の彼のを借りて写していたのだった。ちゃんとこの時代から向き合っていたら良かったと思っての上の発言だった。ただ、それをやると私のことだから、高校受験も難しかったかもしれない。

いろんな可能性があったにはあったのだが、今、改めて思うのは必然だったということ。当時の私は、テニスとその仲間と遊ぶことに忙しく、勉強をするという雰囲気ではなかったのだ。当時、恋していた女の話などをお互いにするのが楽しかったのだ。それが、3年生になるまで続いたように思う。岡山に帰ると当時の片思いの女性と飲み会で一緒になることもあるのだが、今でもまともに話せないのが不思議なくらいだ。当時も今も私にはまぶしいようだ。

2年生の終わりから、3年生にかけて受験勉強をやった私は、たいして勉強することもなく高校受験に合格した。私よりもずっと勉強していたクラスメートが不合格になったことを覚えている。私が、成功したければ、この方式を大学受験にも適用することだった。しかし、私には高校で重要な出会いがあった。今でも年賀状だけはやりとりしている日本史の先生だ。この出会いは偶然だったかもしれないが、そこで感化を受けた勉強への姿勢は私を大きく変えた。しかし、痛いことに高校受験までの「合格する方程式」をも崩してしまった。私は、理屈無しには一歩も前には進めなくなっていたのだった。私自身はその後の人生について納得できていないのだが、これも今にして思えば必然だったと言える。

この日来た、もう一人のクラスメートは、今、名古屋で働いている。東京に家があるのに、あえて外に出ることを希望したようだ。それと言うのも、仕事の内容がつまらなかったという。わざわざ東大を出てやるような仕事ではなかったのだと言っていた。そこで、今、大変ならしい名古屋で働くことを望んだのだそうだ。彼の評価は「まじめ」ということだ。浪人も1年だけ一緒だったが、受験勉強にはぴったりの頭だったように思う。歴史でも数学でもパズルのように割り切って勉強したようだ。彼が、普通なら付き合うはずもない連中と付き合うよう引き入れてくれたのだった。ごくたまに電話をしてきて人間模様を解説してくれるのだ。

それにしても、今後も私は私で、彼らは彼らで仕事を続けていき、寿命を迎えるのだ。途中まで一緒に帰った彼ときたら、「今度会えるかどうかわからんで」などとびっくりするようなことを言っていた。おおげさに言っているのだと思うが、糖尿病の怖さも知っているはずだし、半ば本気なのかもしれない。ただ、これではもったいないように思えてならない。私を含めていいかどうかわからないが、皆、理屈で生きる連中だ。今、ようやく始まっているこの国の改革に必要な頭脳なのだ。にもかかわらず、現実には、アホな先人の敷いたレールの上を実にうまく歩くことで満足している。

私は私でこれからも大学の開放を訴えていくつもりだ。本当ならば今が一番の改革開放の時なのだが、そんなに急には変わらないようだ。オリンピックなど無くても東京にはやるべきことはたくさんある。災害に耐えうる街にすることだけでもすぐにはできないし、車いすで移動できる街にするにしても相当に時間がかかる。そういうことをすぐにして行くことで皆にお金が回るのではないか。

医者や弁護士、教師になるにもバイパスを設けていろんなルートを通れる社会にしたいものだ。もちろん、大学受験も急には変われないにしてもまず、バイパスを設けることは必要ではないかと思う。受験勉強的な要素を残して、より多くの人間をすくい上げるには、まず運転免許のように50点とれば合格、というように「資格試験」にすることだと思う。最終的には、試験も無くし、やりたい人だけが大学へ行くという本来の姿に戻すことが、この国を再生すると信じている。本当の頭脳が育つからだ。私も当然参加したいが、それは寿命との闘いだろう。

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